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黒猫年代記  作者: @12
第一部 RAVEN ― 黒猫が戦場に立つまで ― Season 1 #01~Season 3 #037
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27/189

Season 3「志願兵」 #027

お待たせいたしました、SG-44が登場……というわけではないですが、会話内に出てきます。

まだ性能だけですが、後々戦闘描写も出てきますので、皆様。PTSDにならないようにご注意くださいませ!


それでは、本編をどうぞ!!

第27話「最初の一発」


 翌朝、レイブンは起床ラッパが鳴るよりも先に目を覚ました。


 薄暗い宿舎の天井を見つめたまま、しばらく動かなかった。


 いや――正確には、動けなかった。


「……痛っ」


 身体を起こそうとした途端、肩から背中、腹、太腿に至るまで、昨日酷使した筋肉が一斉に悲鳴を上げた。


 壁を越え、走り、背嚢を背負い、何度も銃を構えた。


 昨日の訓練中は気にならなかった疲労が、一晩眠ったことで容赦なく姿を現したらしい。


「これ……全部か」


 レイブンは顔をしかめながら、どうにか上半身を起こした。


 黒い猫耳がぴくりと動く。


 宿舎は静かだった。


 ガイルは毛布を蹴飛ばしたまま眠り、ヨハンは大柄な身体を狭い寝台へ無理やり押し込めている。ノアの長い兎耳だけが毛布の外へ飛び出していた。


 隣を見る。


 ミレイアは毛布に包まり、灰褐色の猫耳まで半分隠して眠っている。


 そのさらに向こう。


「おはよう」


「うわっ」


 レイブンは思わず肩を跳ねさせた。


 ディートリヒが、すでに軍服へ着替え始めていた。


「……いつ起きた?」


「四時五十分」


「何で?」


「昨日より早く準備できる」


 当然だろう、とでも言いたげな顔だった。


 レイブンは枕元の時計を見る。


「起床までまだ時間あるぞ」


「知っている」


「だったら寝てればいいのに」


「眠くない」


「……真面目だなあ」


「お前も起きている」


「俺は身体が痛くて起きたんだよ」


「起きたことに変わりはない」


「いや、だいぶ違うと思う」


「……うるさい」


 二人の間へ、眠気に沈んだ声が割って入った。


 ミレイアだった。


「起きてたの?」


「今、起こされた」


 毛布の中から片目だけが覗く。


「レイブンの声で」


「ディートリヒも喋ってただろ」


「レイブンの方が大きい」


「俺だけ?」


「責任取って」


「何の責任だよ」


「あと十分、静かにして」


 それだけ言うと、ミレイアは再び毛布へ潜った。


「おやすみ」


「……自由だな」


 レイブンが呟く。


 ディートリヒは時計へ目を向けた。


「正確には、あと九分二十七秒だ」


「数えるなよ」


 そんなやり取りをしているうちに、やがて基地の朝を告げる起床ラッパが鳴った。


 眠っていた新兵たちが一斉に跳ね起きる。


 今日もまた、新兵としての一日が始まった。


 そして今日は――昨日とは違う。


 実弾を撃つ。


 その事実だけが、朝食を取っている間もレイブンの頭から離れなかった。


◇


 午前六時半。


 第二小隊が射撃訓練場へ足を踏み入れると、昨日とは明らかに違う空気が新兵たちを迎えた。


 土を高く盛った防弾堤。その手前に一定間隔で設けられた射座。そのさらに先には、人型を簡略化した標的が並んでいる。


 風が吹くたび、安全を示す旗がぱたぱたと音を立てた。


 そして射座の後ろには、昨日まで扱っていた帝国軍制式小銃が並べられている。


 ただ一つ、昨日と違うものがあった。


 弾薬箱だ。


 蓋は開けられ、その中には整然と実包が並んでいる。


「……本物だ」


 ノアが小さく呟いた。


 昨日までなら、ガイルあたりが何か冗談を飛ばしただろう。


 今日は誰も笑わなかった。


 レイブンも、無意識に喉を鳴らしていた。


 銃そのものには何度も触れてきた。


 父の手伝いをしていた頃には、訓練場で射撃音を聞くことも珍しくなかった。


 それでも、自分で実弾を撃ったことはない。


「第二小隊、整列!」


 ヴァルターの声が飛ぶ。


「はい!」


 全員が慌てて列を整えた。


 ヴァルターは新兵たちの前へ歩いてくると、弾薬箱から一発だけ実包を取り出した。


 左手の掌へ載せ、それを全員へ見せる。


「昨日まで、お前たちが扱っていた銃は撃たなかった」


 誰も動かない。


「今日は違う」


 ヴァルターの声には、いつもの厳しさがあった。


 だが、ただ威圧するためのものではないことを、レイブンはもう知り始めていた。


「これを装填した瞬間から、その銃は間違えれば人を殺せる道具になる。昨日まで以上に、自分が何をしているのか考えろ」


 ノアの長い耳が、わずかに立った。


 それをヴァルターは見逃さない。


「ヴェルナー新兵」


「はい!」


「狩猟経験があるそうだな」


「あります!」


「なら、一番最初に覚えろ」


「はい!」


 ノアの顔に一瞬だけ期待が浮かんだ。


 だが、続いた言葉は褒め言葉ではなかった。


「経験者ほど、自分の経験を信用しすぎる」


「……はい?」


「家で使っていた狩猟銃と、ここにある軍用小銃は違う。操作も違えば、想定される状況も違う。自分は知っている――そう思った瞬間が一番危ない」


 ノアの耳が、少しだけ下がる。


「今日のお前は経験者じゃない。ほかの新兵と同じだ」


 ノアは一度口を閉じ、それから真っ直ぐ前を向いた。


「はい、クロウ教官!」


「それでいい」


 ヴァルターは実包を弾薬箱へ戻した。


「全員同じだ。今日は何も知らないつもりで覚えろ」


 返事が射撃場へ響いた。


◇


 だが、すぐに撃たせてもらえるわけではなかった。


「肩が逃げている」


「はい!」


「違う。そこじゃない」


 ミレイアが銃を構え直す。


 ヴァルターは片腕で直接姿勢を直すことが難しいため、隣にいた教官補佐へ顎を向けた。


 補佐官がミレイアの銃床位置を修正する。


「ここだ。肩へ密着させろ」


「はい」


「浮かせれば反動が全部そこへ来るぞ」


 ヴァルターが言う。


「痛いですか?」


「試したければ止めん」


「……ちゃんと構えます」


「賢明だ」


 少し離れたところでは、ガイルがノアへ小声で尋ねていた。


「これで合ってるか?」


「もうちょっと上じゃ――」


「ヴェルナー新兵」


「はい!」


「教官は誰だ」


「クロウ教官です!」


「ならベッカー新兵を教える前に、自分の姿勢を完成させろ」


「はい!」


「ベッカー」


「はい!」


「分からなければ勝手に真似せず聞け」


「はい!」


 レイブンも小銃を肩へ当てる。


 父から教わった経験がある。


 だから、同期より多少は早く構えられる。


 そう思っていた。


「クロウ新兵」


「はい」


「頬付けが浅い」


「……はい」


 直す。


「今度は肩が逃げた」


「こうですか?」


「力みすぎだ」


「……難しいな」


「何か言ったか」


「難しいです!」


「だから訓練している」


「はい」


 レイブンはもう一度構え直した。


「銃と喧嘩するな。身体へ合わせろ」


 その言葉に、レイブンは聞き覚えがあった。


「昔と教え方、変わりました?」


 一瞬。


 ヴァルターが息子を見る。


「昔のお前は今より小さかった」


「ああ……」


「身体が変われば構えも変わる。昔教わった形をそのまま使えると思うな」


「はい」


「分かったなら前を向け」


「はい!」


 横から、押し殺した笑い声が聞こえた。


 ミレイアだった。


「フェルン新兵」


「はい!」


「何か面白いか」


「いいえ!」


「なら、なぜ笑った」


「笑ってません!」


「そうか。では構えを十回やり直せ」


「えっ」


「十一回」


「はい!」


 レイブンは唇を噛んだ。


 ここで笑えば自分も巻き込まれる。


 だが、ミレイアが恨めしそうにこちらを見るものだから、余計に危なかった。


◇


 姿勢確認が終わった頃。


 ようやく、一人につき一発の実弾が配られた。


 たった一発。


 それなのに、レイブンの掌へ置かれた小さな実包は、妙に重く感じられた。


「……一発だけなんだな」


 ガイルが言う。


 フィーナは手元の実包を見ながら答えた。


「最初だからじゃない? 一発なら、その一発だけ考えればいいし」


「外したら?」


「もう一回練習するだけでしょ」


「簡単に言うなあ」


 レイブンは二人の会話を聞きながら、手の中の実包を見つめた。


 怖くない。


 そう思おうとした。


 だが、昨日の夜に自分で手帳へ書いた言葉を思い出す。


 母との約束も。


 ――怖い時は、怖いと言うこと。


「……やっぱり怖いな」


 声に出した。


「え?」


 隣のミレイアが振り返った。


「怖いって言った」


「レイブンでも怖いの?」


「俺を何だと思ってるんだよ」


「クロウ教官の息子」


「それ、何でも平気になる魔法じゃないからな」


「まあ……そうか」


 ミレイアは自分の手に載った実包を見る。


 しばらくして、彼女も小さく息を吐いた。


「私も怖い」


「うん」


「撃ったら、本当に弾が出るんだよね」


「そのための銃だからな」


「分かってるけど」


 レイブンは少し笑った。


「分かってることと、実際にやるのは違うんだろ」


「……そうかも」


 やがて、第一射群が呼ばれた。


 レイブン。


 ノア。


 ディートリヒ。


 三人だった。


◇


 射座へ伏せる。


 土の匂いが近い。


 レイブンは小銃を構えた。


「装填!」


 実包が薬室へ入る。


 金属音。


 たったそれだけで。


 銃が昨日までとは違うものに感じられた。


「安全装置解除!」


 レイブンは操作する。


 指はまだ引き金(トリガー)へ置かない。


「射撃準備!」


 照準器の向こう。


 標的。


 小さい。


 呼吸するたび、照準がわずかに揺れる。


 ――落ち着け。


 〔殺気看破(アタック・シールド)〕は何も告げてこない。


 当たり前だった。


 目の前にあるのは紙の標的だ。


 殺意などない。


 こちらを狙う敵もいない。


 あの力が教えてくれるものは、射撃の上手さではない。


 今頼れるのは、自分の身体と、教えられたことだけだった。


「射撃開始!」


 息を吸う。


 吐く。


 照準。


 指を引き金(トリガー)へ。


 急がない。


 ゆっくり。


 絞る。


 次の瞬間。


 銃声が、胸の奥まで叩いた。


「――っ!」


 肩へ衝撃。


 銃口が跳ねる。


 鼻の奥へ火薬の匂いが流れ込んだ。


 排出された薬莢が地面へ落ち、硬質な音を立てる。


 ほんの一瞬だった。


 レイブンは自分が撃ったことを理解するまで、わずかに時間がかかった。


「……これが」


 自分で撃つということ。


 聞いていた銃声とは違う。


 見ていた射撃とも違う。


 肩へ残る反動。


 指先に残る感触。


 自分が撃った。


 その事実だけが身体に残る。


 横からノアの銃声。


 続いてディートリヒ。


「安全装置!」


 レイブンは我に返り、操作した。


「銃口確認! 待機!」


 言われた通りに動く。


 心臓はまだ速かった。


◇


 標的を確認すると、ノアの一発は中心から少し右へ入っていた。


「悪くない」


 ヴァルターが言う。


 ノアの長い耳が嬉しそうに立った。


「ありがとうございます!」


 ディートリヒも中心から少し下へ命中していた。


 そして。


「クロウ」


「はい」


 レイブンは自分の標的を見る。


 中心からかなり左上。


 外してはいない。


 だが、自分が想像していた場所とも違う。


「……遠いな」


「中心からはな」


 ヴァルターが隣へ立つ。


「悔しいか」


「少し」


「なら覚えておけ」


「何をです?」


「今の一発をだ」


 レイブンが父を見る。


「外した理由を全部すぐ理解できる奴なんていない。だから一発ずつ覚える。構え、呼吸、引き金を引いた瞬間、自分が何をしたか」


 ヴァルターは標的を見たまま続ける。


「次の一発で、一つだけ直せ」


「一つ?」


「全部いっぺんに直そうとするな。余計に崩れる」


「……はい」


「次だ」


 レイブンはもう一度、標的に開いた穴を見る。


 失敗。


 そう呼ぶには、少し違う気がした。


 これは。


 最初の基準だ。


 ここから、どこまで変えられるのか。


 そう考えると。


 少しだけ怖さが薄れた。


◇


 第二射群では、ミレイアたちが射座へ入った。


 ミレイアの銃声が響く。


「痛っ!」


「前を見ろ!」


「はい!」


 ヴァルターに言われた通りだったらしい。


 反動を受けた肩を気にしながらも、銃口だけは標的方向から外さない。


 ガイルは撃った直後、「うおっ」と声を上げ、フィーナは身体を小さく震わせながらも安全操作まで確実に終えた。


 最後に残ったのはヨハンだった。


 構えている。


 だが。


 撃たない。


 レイブンは後方からそれを見ていた。


 ヨハンの大きな身体が、ほんのわずかに震えている。


「リヒター新兵」


 ヴァルターの声。


「はい」


「どうした」


 長い沈黙。


 やがて。


「……怖いです」


 ガイルも。


 ミレイアも。


 誰も笑わなかった。


 昨日までなら、ヨハンは自分の声が小さいことをからかわれていた。


 だが今は違う。


 ヴァルターも怒鳴らなかった。


「そうか」


「……はい」


「なら、まだ撃つな」


 ヨハンが驚いたように教官を見る。


「え?」


「撃つなと言っただけだ。銃を置けとは言っていない」


 ヴァルターは彼の横へ立つ。


「呼吸しろ」


 ヨハンが吸う。


「吐け」


 ゆっくり吐く。


「もう一度」


 繰り返す。


「今、目の前に敵はいない」


「はい」


「お前を撃とうとしている奴もいない」


「はい」


「急ぐ必要はない」


 ヨハンの肩から。


 ほんの少し力が抜ける。


「怖いなら、怖いままでいい」


「……」


「怖くなくなるまで待つ必要もない。自分で撃てると思った時に撃て」


「はい」


 呼吸。


 また一回。


 標的。


 照準。


 指。


 しばらくして。


 銃声が響いた。


 ヨハンの身体が反動を受ける。


 それでも。


 撃ち終えた。


「安全装置」


「はい!」


「よし」


 ヴァルターはそれ以上何も言わなかった。


 だが射座から戻ってきたヨハンの顔には、ほんの少しだけ笑みがあった。


「撃てたな」


 ガイルが言う。


「……うん」


「俺より落ち着いてたぞ」


「それはガイルが騒ぎすぎ」


 フィーナ。


「俺そんなに?」


「『うおっ』って言ってた」


「聞こえてた?」


「全員に」


 ヨハンが。


 小さく笑った。


◇


 午後からは一発ずつではなく、五発を使った射撃へ移った。


 レイブンは再び伏せる。


 朝よりも、銃が少しだけ近く感じる。


 一発目。


 銃声。


 反動。


 二発目。


 呼吸を戻す。


 三発目。


 少し早く撃った。


 撃った直後に分かった。


 ――今のは急いだ。


 四発目。


 意識して間を取る。


 五発目。


 最後まで撃ち終える。


 標的を確認すると、予想通り三発目だけが大きく離れていた。


「分かりやすいな」


 レイブンが呟く。


「三発目」


 いつの間にか、ヴァルターが後ろに立っていた。


「はい」


「撃つこと自体が目的になったな」


「……分かりますか」


「着弾が教えてくれる」


 ヴァルターが離れた一発を示す。


「お前の〔殺気看破(アタック・シールド)〕は、射撃を上手くしてくれるのか」


「いいえ」


「照準を合わせてくれるか」


「いいえ」


「反動を消してくれるか」


「……いいえ」


「なら」


 ヴァルターはレイブンを見る。


「練習しろ」


 あまりにも単純な答えだった。


 レイブンは一瞬だけ目を丸くし。


 それから。


「はい」


 笑った。


 不思議と。


 その答えが嬉しかった。


 この世界で、自分しか持っていないかもしれない能力。


 それでも。


 銃を握れば。


 失敗する。


 同期と同じように。


 撃って。


 外して。


 原因を考え。


 また撃つ。


 そこに近道はない。


 なら。


 追いつけばいい。


◇


 その日の射撃で最も安定していたのはノアだった。


 五発が比較的狭い範囲へまとまっている。


 完全に中心というわけではないが、狩猟経験は確かに無駄ではなかった。


「だから言っただろ」


 ノアが少し得意げに言う。


「耳がすごい立ってる」


 ミレイアが指摘した。


「耳は関係ない!」


「分かりやすい」


 レイブンも笑う。


 そこへヴァルターが来た。


「ヴェルナー新兵」


「はい!」


「悪くない」


「ありがとうございます!」


「次から射距離を伸ばす」


「……え」


「経験者なんだろう」


「はい……」


「期待している」


 ノアの耳が。


 ゆっくり下がった。


 レイブンが肩を震わせる。


「言わなきゃよかったな」


「うるさい」


「聞こえてる?」


「兎系だからな!」


「元気じゃん」


◇


 夕刻。


 訓練が終わっても、すぐ宿舎へ帰れるわけではなかった。


 使った小銃を分解し、火薬の汚れを落とし、異常がないか確認してから返却する。


「撃つより長くない?」


 ガイルがぼやいた。


 ディートリヒは手を止めない。


「整備していない銃を次も使いたいか」


「嫌だ」


「なら磨け」


「お前、本当に新兵?」


「お前と同期だ」


「絶対嘘だろ……」


 少し離れたところでは、ミレイアが分解した部品を睨んでいた。


「レイブン」


「何」


「ここ」


「汚れ?」


「取れない」


 レイブンが覗き込む。


「貸して」


「自分でやる」


「何で呼んだんだよ」


「取り方を聞こうと思って」


「じゃあ最初からそう言え」


「細かい」


「ほら、布をこう通して――」


「ああ」


 ミレイアが自分でやってみる。


「取れた」


「工房育ちなのに?」


「銃器専門じゃないの」


「なるほど」


「その顔やめて」


「どんな顔」


「得意そうな顔」


「してない」


「してる」


 そんな会話をしながら。


 彼らは少しずつ。


 銃を。


 特別なものではなく。


 自分たちが責任を持って扱う道具として覚えていった。


◇


 同じ頃。


 教官室では、ヴァルターが一人、今日の射撃結果に目を通していた。


 紙をめくる。


 ガイル。


 ディートリヒ。


 ヨハン。


 フィーナ。


 ノア。


 ミレイア。


 そして。


 レイブン・クロウ。


 ヴァルターの手は、息子の名前だからといって長く止まることはなかった。


 初回としては悪くない。


 基礎知識がある分、操作も早い。


 反面、知っているがゆえに身体が先走る癖がある。


 特に三発目。


「急ぐなと言っただろうが」


 誰もいない部屋で。


 父としての声が、ほんの少しだけ漏れた。


 その時。


 机の端に置かれていた封筒へ目が留まる。


 帝国軍兵器開発局。


 ヴァルターは左手だけで封を開いた。


 中から現れたのは、一挺の銃を横から描いた設計図と、数枚の試験報告書だった。


 図面の上部には。


 SG-44試作散弾銃。


 そう記されている。


「……また持ってきたか」


 数年前。


 右腕を失って帰還した後。


 開発局から意見を求められたことをきっかけに、ヴァルター自身も設計へ関わるようになった新型散弾銃。


 最初は紙の上だけだった。


 それが今では、何度目か分からない試作品にまで進んでいる。


 報告書へ目を走らせる。


 従来試作型より銃身(バレル)周辺が肉抜きされ、重量は落とされている。


 銃床(ストック)も固定式ではなく折り畳めるよう改修され、狭い場所での取り回しは改善したらしい。


 だが。


「数字だけなら、な」


 ヴァルターは赤鉛筆を取った。


 設計図へ線を引く。


「ここまで削ったら熱はどう逃がす」


 書き込む。


 別の箇所。


 折り畳み式の銃床(ストック)。


「接合部が弱い」


 さらに。


 引き金(トリガー)付近。


 そこには、ポンプアクションによる手動作動と単発(セミオート)作動を素早く切り替えるための操作部が設けられていた。


 ヴァルターは図面を睨む。


「大きい」


 赤鉛筆。


「手袋をしたまま押せるようにしたんだろうが……逆に引っ掛ける」


 紙をめくる。


 試験では帝国新式散弾実包を使用。


 通常の一発ずつの装填に加え、大容量ドラム式弾倉を使った給弾試験も実施されている。


 作動結果。


 良好。


 命中精度。


 基準内。


 耐久性。


 基準内。


 ヴァルターは最後まで読んだ。


 そして。


 生産承認欄へ視線を落とす。


 しばらく。


 左手が止まる。


 だが。


 印鑑は取らなかった。


「まだだ」


 扉が叩かれた。


「入れ」


 兵器開発局から来た技術士官が入室する。


「クロウ少尉。試験結果をご確認いただけましたか」


「ああ」


「今回は要求値を満たしています」


「射撃場ではな」


 技術士官が少し眉を寄せた。


「……何が不足していますか」


 ヴァルターは図面を返した。


「この銃を試した連中は、全員万全だったのか」


「はい?」


「怪我は」


「ありません」


「疲労は」


「試験前には十分な休息を」


「雨は」


「晴天時の試験です」


「泥は」


「……通常環境での作動試験です」


「なら足りん」


 ヴァルターは自分の空になった右袖を見る。


「戦場じゃ、両腕揃ってる保証すらない」


 技術士官が黙る。


「雨の中で撃て。泥へ落としてから撃て。手袋を使え。疲れ切った兵士にも持たせろ。一発ずつ装填させて、次にドラムを交換させろ。切替操作も何度もやらせろ」


「そこまで必要でしょうか」


「必要だ」


 即答だった。


「兵士は試験場で戦争するんじゃない」


 しばらく。


 沈黙。


 技術士官は図面を見下ろした。


「……承知しました」


 踵を返しかける。


「待て」


「はい」


「次の試験」


 ヴァルターは少し考えた。


 今日。


 射撃場で銃を構えていた新兵たち。


 ガイル。


 ミレイア。


 ノア。


 フィーナ。


 そして。


 まだ身体の出来上がっていない若い志願兵たち。


「大柄な兵士だけで試すな」


「と、言いますと」


「小柄な兵士も混ぜろ。腕力の弱い者にも使わせろ」


「ですが散弾銃です。ある程度の体格は――」


「だからだ」


 ヴァルターは設計図を指で叩いた。


「使える人間を銃が選ぶなら、軍用としては半端だ」


「……了解しました」


 今度こそ。


 技術士官は部屋を出ていった。


 残された机。


 一枚は。


 SG-44の設計図。


 もう一枚は。


 レイブン・クロウの射撃成績表。


 ヴァルターは。


 その二枚を見比べることなく。


 それぞれ別の書類束へ戻した。


 まだ。


 二つは関係のないものだった。


◇


 夜。


 宿舎。


 レイブンは手帳を開いていた。


 今日のことを書く。


 最初の一発を撃った時。


 肩へ来た衝撃。


 火薬の匂い。


 指先に残った感触。


 そして。


 怖かったこと。


 そこだけは。


 消さずに書いた。


 次に。


 自分の〔殺気看破(アタック・シールド)〕について。


 少し考えてから。


 文章にする。


 ――この力は、射撃を上手くしてくれるわけじゃない。


 続ける。


 ――だったら、練習するしかない。


「……よし」


「何が?」


「うわっ!」


 隣からミレイアが覗き込んでいた。


「勝手に見るなよ!」


「見えてない」


「じゃあ何で聞いた」


「『よし』って言ったから」


「独り言」


「多いね」


「ほっとけ」


 ミレイアは自分の肩を揉む。


「まだ痛い」


「銃床浮かせたから」


「それ以上言ったら殴る」


「教官に言われてたのに」


「レイブン」


「はい」


「親睦する?」


「その言い方で殴ろうとするな」


 ミレイアが笑う。


 レイブンも。


 笑った。


「明日も射撃かな」


「多分」


「今度は肩にちゃんと当てる」


「俺も三発目で急がないようにする」


「競争する?」


「何を」


「どっちが先に中心へ寄せられるか」


 レイブンの黒い猫耳が立つ。


「いいよ」


「負けた方は?」


「何かいる?」


「食堂の甘いパン」


「いいね」


「決まり」


 ミレイアが拳を出す。


 レイブンも。


 軽く合わせた。


「負けないから」


「俺も」


「消灯後だぞ」


 暗闇の向こう。


 ディートリヒ。


「寝ろ」


「……はい」


 レイブンとミレイアが同時に答える。


 ガイルの寝台から。


「教官が二人いる……」


「お前も起きてるじゃん」


「うるさい……」


 また。


 小さな笑い声。


 やがて。


 宿舎は静かになった。


 レイブンは目を閉じる。


 耳の奥には。


 まだ。


 朝の銃声が残っていた。


 初めて撃った一発。


 中心には届かなかった。


 けれど。


 あれでいい。


 次は。


 ほんの少しだけ。


 近づける。


 その次は。


 もう少し。


 兵士になるということは。


 何か特別な力を突然手に入れることではないのかもしれない。


 昨日できなかったことを。


 今日。


 一つだけできるようにする。


 そして。


 明日もまた。


 一つ。


 レイブンはそんなことを考えながら。


 ゆっくりと。


 眠りへ落ちていった。

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