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黒猫年代記  作者: @12
第一部 RAVEN ― 黒猫が戦場に立つまで ― Season 1 #01~Season 3 #037
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Season 3「志願兵」 #025

第25話「新兵レイブン・クロウ」


 帝国軍志願兵訓練基地。


 朝靄の向こうに、重厚な正門が立っていた。


 門柱には帝国軍の紋章。その奥には石造りの庁舎と宿舎、さらに遠くには広大な練兵場が見える。


 号令。


 軍靴。


 車両の駆動音。


 乾いた訓練銃声。


 どれもレイブンにとって聞き覚えのある音だった。


 父の仕事を手伝っていた頃、何度となく耳にした。


 だが今日は、その音の聞こえ方が違う。


「……ここからか」


 レイブンは肩に掛けた鞄を持ち直した。


 まだ軍服ではない。


 昨日までと変わらない私服姿だった。


 鞄の中に入っているのも、着替え、洗面用具、筆記具といった最低限の私物だけ。


 それから。


 古参兵たちに教わったことを書き続けてきた手帳。


 もう一つ。


 家族四人で撮った写真。


 ヴァルター。


 セレナ。


 ルナ。


 そして、自分。


 レイブンは鞄越しに写真の入った場所へ触れた。


 母との約束を思い出す。


 自分の命を軽く扱わない。


 怖い時は、怖いと言う。


 そして――帰る。


「……分かってる」


 小さく呟く。


 その声に答える者はいない。


 レイブンは一歩を踏み出した。


 正門をくぐる。


 今日からここでは、ヴァルター・クロウの息子ではない。


 志願者。


 レイブン・クロウだった。


◇


「次」


 受付官の声。


 列が一人分進む。


 レイブンの前には、帝国各地から集められた若者たちが並んでいた。


 猫系亜人。


 犬系亜人。


 狐系亜人。


 人間種。


 耳の長い種族もいれば、額に小さな角を持つ者もいる。


 学生服の者。


 作業着の者。


 農村部で使われる厚手の服を着た者。


 理由も、生まれた場所も違う。


 だが。


 今は全員が同じ列に並んでいた。


「次」


「はい」


 レイブンが受付へ進む。


「氏名」


「レイブン・クロウ」


「年齢」


 答える。


「志願区分」


「一般戦闘職志願です」


 担当官が書類を確認していく。


 一枚。


 二枚。


 そこで。


 指が止まった。


「……クロウ?」


「はい」


 担当官が顔を上げる。


「ヴァルター・クロウ予備役少尉との関係は」


「父です」


「なるほど」


 レイブンの黒い猫耳がわずかに横を向いた。


 またか。


 そんな気持ちが顔に出たらしい。


 担当官が鼻で笑う。


「安心しろ。ここでは父親の名前で成績は上がらん」


「その方が助かります」


「ほう?」


「父の息子だから通った、とは言われたくないので」


 担当官は少しだけレイブンを見る。


 やがて書類へ印を押した。


 乾いた音。


「第三新兵教育中隊、第二小隊」


 一枚の札が差し出される。


「指定宿舎へ向かえ」


「了解しました」


 レイブンが反射的に敬礼しようとする。


「まだするな」


「え?」


「正式な敬礼動作は教練で習う。それからだ」


「あ……はい」


「自己流は今日までにしておけ」


「分かりました」


「次!」


 後ろから人が来る。


 レイブンは慌てて受付を離れた。


◇


 第二小隊宿舎。


 扉を開ける。


 十数人分の寝台。


 簡素な机。


 個人用収納箱。


 必要最低限。


「お」


 声。


 茶色い犬耳の青年だった。


「新入り?」


 レイブンは周囲を見る。


「……全員新入りじゃないの?」


「細かいな」


 青年が笑う。


 右手を差し出す。


「ガイル・ベッカー」


 握手。


「レイブン・クロウ」


「クロウ?」


「レイブンでいい」


「じゃあ俺もガイルで」


「よろしく」


「よろしく」


 その横。


 銀灰色の猫耳を持った青年が、自分の荷物を整理していた。


 衣服。


 洗面道具。


 靴。


 すべての向きが揃っている。


「すごいな」


 レイブンが呟く。


 青年の耳がこちらを向いた。


「何が」


「いや。綺麗に並べてるから」


「必要な時、同じ位置にある方が早い」


「なるほど」


「ディートリヒ・ハーゼン」


「レイブン」


「よろしく」


 それだけ。


 再び整理へ戻る。


 ガイルがレイブンの耳元へ顔を寄せた。


「あいつ、さっきから靴下の角まで揃えてる」


「聞こえているぞ」


 ディートリヒが言った。


「……猫耳って便利だな」


「お前の声が大きいだけだ」


「それ俺も思った」


「レイブンまで!?」


 その時。


「そこ、邪魔」


 背後。


 女性の声。


「あ、ごめ――」


 レイブンが振り返る。


 少女が立っていた。


 灰褐色の髪。


 同色の猫耳。


 背丈はレイブンより少し低い。


 大きな鞄を両腕で抱えている。


「通路」


「ああ、ごめん」


 レイブンが身体を退ける。


 少女が通り過ぎる。


 数歩。


 止まった。


 振り返る。


「今、クロウって言った?」


「言ったけど」


「レイブン・クロウ?」


「そう」


 少女が目を細める。


「ヴァルター・クロウの息子?」


「……そうだけど」


「へえ」


 頭から足まで見られる。


「何?」


「思ったより普通」


「初対面でそれ言う?」


「もっとこう……筋肉の塊みたいなの想像してた」


「父さんを何だと思ってるんだ」


「《生きる伝説》」


「本人の前では言わない方がいいよ」


「嫌がるの?」


「すごく」


「じゃあ言ってみよう」


「何でだよ」


 少女が笑う。


 右手。


「ミレイア・フェルン」


「レイブン・クロウ」


「それは知ってる」


「じゃあ俺だけ名乗り損じゃん」


「細かい男」


「会って一分も経ってないよな?」


「たぶん」


 握手。


 レイブンは。


 一瞬だけ。


 彼女の手を見る。


「何?」


「手」


 掌には。


 工具を長く扱ってきた者特有の硬い部分がある。


「ああ」


 ミレイアは自分の手を見る。


「実家が工房なの」


「工房?」


「農機具。機械部品。銃器部品も少し」


「へえ」


「小さい頃から手伝わされてた」


 今度は。


 ミレイアがレイブンの手を見る。


「そっちも似たような手してる」


「父さんの仕事を手伝ってたから」


「じゃあお坊ちゃんじゃないんだ」


「誰もお坊ちゃんって言ってないだろ」


「今、私が言った」


「そういう意味じゃなくて」


「お前ら」


 ガイルが横から割り込む。


「もう仲いいな」


「よくない」


「よくない」


 二人の声が重なる。


「ほら」


「うるさい」


「うるさい」


 また重なった。


 ガイルが腹を抱えた。


◇


 時間が経つにつれ。


 第二小隊の顔ぶれが揃っていった。


 ガイル・ベッカー。


 犬系亜人。


 陽気で声が大きく、初対面でも遠慮がない。


 ディートリヒ・ハーゼン。


 銀灰色の猫系亜人。


 几帳面で口数が少ない。装具の配置を一センチ単位で揃えるほど細かい。


 ヨハン・リヒター。


 人間種。


 帝国南部の農村出身。


 大柄な身体に似合わず、声が小さい。


「……よろしく」


「聞こえない」


 ガイルが言う。


「よろしく」


「もう少し!」


「よろしく!」


「今度はうるさい!」


「どうしろっていうんだ!」


 ヨハンが初めて大声を出した。


 笑いが起きる。


 フィーナ・アルベル。


 狐系亜人。


 衛生兵志望。


「戦闘訓練、嫌なんだけどなあ」


「衛生兵でもやるの?」


 レイブンが聞く。


「母に言われたの。『衛生兵だから敵が撃たないと思ったら大間違い』って」


「お母さんは?」


「軍医」


「……説得力あるな」


「でしょ?」


 最後に。


 ノア・ヴェルナー。


 兎系亜人。


 長い耳が特徴的だった。


「俺、射撃には自信ある」


「軍用銃撃ったことある?」


 ミレイアが聞く。


「ない」


「じゃあ何で?」


「実家で狩猟してた」


「それ先に言いなよ」


「狙って撃つのは同じだろ?」


「たぶん教官に怒られると思う」


「何で!?」


 レイブンは彼らを見回した。


 六人。


 そこに自分を加えて七人。


 生まれた場所も。


 育った環境も。


 志願理由も違う。


 昨日まで。


 名前すら知らなかった。


 それでも。


 今日から同じ場所で眠り。


 同じものを食べ。


 同じ訓練を受ける。


 同期。


 その言葉の意味を。


 レイブンはまだ完全には知らなかった。


◇


 午後。


「整列!」


 練兵場。


 第三新兵教育中隊が集められていた。


「第二小隊、右へ詰めろ!」


「はい!」


「そこ! 一歩前!」


 列が曲がっている。


 肩が揃わない。


 姿勢もばらばら。


 レイブンも周囲を確認しながら位置を調整する。


 隣。


 ミレイア。


「……肩痛い」


 小声。


「まだ十分くらいしか経ってないぞ」


「聞こえるように言った」


「何で」


「暇だから」


「私語!」


「はい!」


 二人同時。


 前を見る。


 教官補佐が全員を睨む。


「教育主任、入場!」


 靴音。


 一歩。


 一歩。


 規則正しい。


 レイブンの耳が。


 無意識にその音へ向いた。


「……」


 聞き覚えがある。


 いや。


 ありすぎる。


 幼い頃から。


 家の中でも。


 訓練場でも。


 何度も聞いてきた。


「嘘だろ……」


 レイブンが小さく呟く。


「何?」


 ミレイア。


「いや」


 靴音。


 止まる。


 黒い猫耳。


 軍服。


 空になった右袖。


 左腰の軍用拳銃。


 左手には書類。


 ヴァルター・クロウ予備役少尉。


「……父さん」


 声が。


 漏れた。


 ヴァルターが列の前へ立つ。


 新兵たちを見渡す。


 レイブンのところでも。


 視線は止まらない。


「第三新兵教育中隊」


 低い声が練兵場へ響く。


 家で聞く声とは。


 まるで違う。


「本日より、貴様らの基礎戦闘教育を担当する」


 全員が前を見る。


「予備役少尉、ヴァルター・クロウだ」


 小さなざわめき。


「クロウ……?」


「《生きる伝説》?」


「マジかよ……」


 ガイルの顔色が変わった。


 レイブンを見る。


 口だけ。


 ――お前の親父?


 レイブンも。


 口だけ。


 ――知らなかった。


 その時。


「そこの新兵」


 ヴァルター。


「……はい」


「今、何と言った」


「何も」


「その前だ」


 レイブンの尻尾が固まる。


「……父さん、と」


 静かになった。


 ヴァルターが息子を見る。


「ここにお前の父親はいない」


 怒鳴ってはいない。


 だが。


 その場にいる全員へ聞こえた。


「ここにいるのは、教官と新兵だ」


 レイブンは父を見る。


 昨日。


 ルナを抱いていた男。


 母に料理を注意されていた男。


 志願を相談した夜。


 自分と一緒に帰ると言った男。


 同じ人物。


 けれど。


 今は違う。


「理解したか」


 ヴァルターの目。


「新兵クロウ」


 レイブンは背筋を伸ばした。


「はい、クロウ教官!」


「声が小さい!」


「はい、クロウ教官!」


「よし」


 ヴァルターは視線を戻す。


 隣。


 ミレイアが口だけ動かす。


 ――最悪。


 レイブンも返す。


 ――何が。


 ――親が教官。


 ――俺が一番そう思ってる。


 ミレイアの口元が。


 震えた。


「そこ!」


「はい!」


「今笑った新兵、前へ!」


 ミレイアの顔が固まる。


「……はい」


 前へ。


「氏名」


「ミレイア・フェルン!」


「フェルン新兵。何がおかしい」


「何でもありません!」


「なら走れるな」


「……はい?」


「練兵場五周」


「え」


「六周」


「五周行ってきます!」


「判断が早い。行け」


「はい!」


 走り出す。


 レイブンは必死に顔を動かさなかった。


「新兵クロウ」


「はい!」


「お前も行け」


「何で!?」


「七周」


「……はい!」


 走り出す。


 ミレイアへ追いつく。


「お前のせいだ!」


「笑わせたのそっちでしょ!」


「俺何もしてない!」


「顔!」


「顔!?」


「私語するな!」


 遠くから。


 ヴァルター。


「はい!」


 二人の返事まで。


 綺麗に重なった。


◇


 三周目。


「……レイブン」


「何」


「クロウ教官」


「うん」


「本当にお父さん?」


「家では」


「家では?」


「妹抱いて寝落ちする」


「嘘」


「本当」


「想像できない」


「俺も今はできない」


 四周目。


 呼吸が。


 少しずつ重くなる。


「ねえ」


 ミレイア。


「何?」


「どうして志願したの?」


「それ今聞く?」


「走ってるだけじゃ暇」


「訓練だぞ」


「じゃあいい」


「……護りたいから」


 ミレイアが横を見る。


「誰を?」


「家族」


「ふうん」


「そっちは?」


 今度は。


 ミレイアが少し黙った。


「工房」


「工房?」


「実家」


 走る。


「父さんと母さん。それから弟が二人」


「弟二人いるんだ」


「うるさいよ」


「何も言ってない」


「絶対『大変そう』って思った」


「思った」


「ほら」


 息。


 整える。


「異界門が開いてから」


 ミレイアの声が。


 少し変わる。


「近くの町が一つ襲われた」


 レイブンは。


 何も言わない。


「次がうちじゃないなんて、誰にも言えない」


「……うん」


「だから来た」


「怖くない?」


「怖い」


 即答だった。


「死にたくないし」


 ミレイアは。


 少しだけ笑った。


「だから、生きて帰る方法を覚えに来た」


 レイブンの足が。


 一瞬。


 遅くなった。


 ――生きて帰る。


 古参兵。


 父。


 母。


 全員から。


 何度も聞いた言葉。


「同じだな」


「何が?」


「俺も」


「そう?」


「うん」


 レイブンは前を見る。


「俺も帰るために来た」


「変なの」


「何が」


「普通、軍隊って戦うために来るところでしょ」


「戦ったあと帰らないと意味ないだろ」


 ミレイアは。


 少し考え。


「それもそうか」


 五周目。


 二人は。


 また笑った。


◇


 夜。


 宿舎。


「……死ぬ」


 ガイルが寝台へ倒れ込んだ。


「まだ初日だ」


 ディートリヒは平然と装具を整理している。


「初日だから言ってるんだよ! 明日以降どうなるんだ!」


 ヨハンも床へ座り込む。


「脚……重い」


「靴脱いで」


 フィーナ。


「何で?」


「足見るから」


「怪我してないぞ」


「靴擦れは早めに見た方がいいの」


 レイブンの耳が動く。


「それ正解」


 フィーナが振り返る。


「知ってるの?」


「古参兵に教わった」


「何て?」


「足が駄目になると、戦場でできることが一気に減る」


 ガイルが。


 むくりと起き上がる。


「ほかには?」


「水を一気に飲むな」


「ほか」


「装備は暗闇でも取れる場所に置け」


 ディートリヒが頷く。


「合理的だ」


「靴下は余分に持て」


「ほか!」


「眠れる時に寝ろ」


 ガイルが。


 即座に毛布へ潜った。


「おやすみ」


「早すぎる!」


「古参兵の教えだろ!」


「都合よく使うな!」


 笑い声。


 レイブンも。


 笑った。


 家ではない。


 ルナの声も。


 母の声も聞こえない。


 父はいる。


 だが。


 ここでは教官。


 少し。


 寂しい。


 レイブンは鞄を開ける。


 写真。


 取り出す。


「家族?」


 隣。


 ミレイア。


「うん」


「見せて」


「いいよ」


 写真。


「この白猫の子が妹?」


「ルナ」


「可愛い」


「だろ」


「急に顔変わった」


「何が?」


「兄の顔」


「どんな顔だよ」


「今の顔」


 ミレイアは自分の荷物から。


 一枚の写真を取り出した。


 両親。


 そして。


 二人の少年。


「弟?」


「うん」


「似てる」


「どっちに」


「全員」


「適当でしょ」


「ちょっと」


「ほら」


 二人。


 小さく笑う。


 ミレイアは写真を見る。


「帰らないとね」


「……うん」


「私も」


 レイブンは。


 写真を見た。


 母との約束。


 そして。


 父の言葉。


 ――帰りたい場所があったからだ。


「お互い」


 レイブンは。


 拳を出した。


「何?」


「約束」


「子供っぽい」


「嫌ならいい」


「嫌とは言ってない」


 ミレイアも拳を出す。


 こつん。


 軽い音。


「生きて帰る」


 レイブン。


「生きて帰る」


 ミレイア。


 それだけだった。


 まだ。


 二人は出会ったばかり。


 互いの好きなものも。


 嫌いなものも。


 癖も。


 過去も。


 何も知らない。


 ただ。


 帰りたい場所がある。


 それだけは。


 同じだった。


◇


 翌朝。


 起床ラッパが鳴る。


 その直前。


「総員起床!」


「――っ!」


 レイブンの目が開いた。


 聞き覚えのある声。


 隣。


 ガイルも起きる。


「……嘘だろ」


 ミレイア。


「まだ暗いんだけど」


 ディートリヒだけは。


 すでに着替え始めていた。


「おはよう」


「お前何時に起きた!?」


「十分前」


「化け物か!」


 扉の向こう。


「三分で整列!」


 ヴァルターの声。


 ガイルが。


 ゆっくり。


 レイブンを見る。


「お前の親父だろ」


「教官だ」


「何とかしてくれ」


「無理」


「息子だろ!」


「昨日聞いてなかったのか!」


 ミレイアが毛布を跳ね飛ばす。


「喋ってないで着替える!」


「お前まで教官みたいになってるぞ!」


「あと二分四十秒!」


「何で測ってんだよ!」


 宿舎が。


 一気に騒がしくなる。


 レイブンは。


 支給された軍服へ腕を通した。


 襟。


 装具。


 靴。


 まだ着慣れない。


 鏡を見る。


 黒い猫耳。


 金色と黒色の異色眼(オッドアイ)。


 軍服姿の少年が。


 こちらを見返している。


 兵士ではない。


 まだ。


 何者でもない。


 訓練を始めたばかりの新兵だ。


「レイブン!」


 廊下。


 ミレイア。


「置いてくよ!」


「待て!」


 レイブンは。


 家族写真を鞄の奥へ戻した。


 走る。


 廊下。


 階段。


 外。


 冷たい朝の空気。


 同期たち。


 ミレイアの隣へ並ぶ。


 その前には。


 父ではなく。


 教官として立つヴァルター。


「第二小隊!」


 声が響く。


「整列!」


「はい!」


 レイブンは。


 腹の底から声を出した。


 昨日までなら。


 家に帰れば。


 母がいた。


 ルナがいた。


 父がいた。


 今。


 父は目の前にいる。


 けれど。


 ここで呼ぶ名前は。


 もう違う。


「新兵クロウ!」


「はい、クロウ教官!」


「遅い!」


「はい!」


 ミレイアが隣で。


 ほんの少しだけ笑った。


 レイブンは前を向く。


 朝の練兵場。


 吐く息が白い。


 軍靴が土を踏む。


 号令が響く。


 そして。


 レイブン・クロウの。


 新兵としての一日が。


 静かに動き始めた。

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