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黒猫年代記  作者: @12
第一部 RAVEN ― 黒猫が戦場に立つまで ― Season 1 #01~Season 3 #037
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24/189

Season 2「父の背中」 #024

Season2の最後の話です。

第24話「帰るという約束」


 異界門が世界各地に出現してから、五日が経った。


 町から日常が消えたわけではない。


 朝になれば店は開く。


 人々は仕事へ向かい、子供たちは学校へ行く。


 パン屋からは焼きたての匂いが漂い、路面電車は決まった時刻に停留所へ滑り込んでくる。


 けれど、以前と同じではなかった。


 新聞の一面には、毎日のように異界門の写真が載っている。


 広場では軍用車両を見かけることが増えた。


 駅のホームには、装備を背負った兵士が並ぶ。


 夜になると灯火管制が敷かれ、窓から漏れる明かりさえ注意されるようになった。


 そして何より。


 帝国と連邦共和国。


 互いに銃口を向けていた二つの国は、異界軍の出現によって、自分たちだけを見ているわけにはいかなくなっていた。


 世界そのものが、少しずつ形を変え始めていた。


 そんな五日間。


 レイブンは考え続けていた。


 ――何のために志願したい。


 父から投げかけられた問いだった。


 答えは、まだ全部見つかっていない。


 それでも。


 半分くらいなら。


 ようやく。


 言葉にできる気がしていた。


◇


「……母さん」


 夕食が終わったあとだった。


 セレナはルナを抱き、食卓の椅子に座っていた。


「なあに?」


「話がある」


 皿を片づけていたヴァルターの黒い猫耳が動いた。


 父には分かったらしい。


 何の話なのか。


 だが、何も言わなかった。


 レイブンは母の向かいへ座る。


 ルナはセレナの膝の上で、小さな木製玩具を弄っている。


「母さん」


「うん」


「俺……」


 一度。


 言葉が止まった。


 五日間。


 何度も頭の中で練習した。


 もっと上手い言い方も考えた。


 母を安心させられる言葉も。


 反対された時の答えも。


 それなのに。


 母を目の前にすると。


 全部、消えた。


「軍に志願したい」


 結局。


 出てきたのは、それだけだった。


 セレナの表情から笑みが消えた。


「……駄目」


 即答だった。


 レイブンは俯きそうになる顔を、どうにか上げたままにした。


「母さん」


「駄目よ」


「理由を――」


「聞いても駄目」


 白い猫耳が伏せられている。


「あなたが軍へ行く必要なんてない」


「でも」


「駄目」


 三度目。


 声は怒っているというより。


 怖がっていた。


 レイブンにも。


 それくらいは分かった。


「今、世界中で何が起きてるか分かってるでしょう?」


「分かってる」


「分かってない」


 セレナの声が強くなる。


「連邦との戦争だけじゃないの。異界門まで開いたのよ。お父さんが腕を失った場所から、軍隊がこちらへ来ているの」


「……うん」


「そんな時に、どうしてあなたまで行かなきゃいけないの」


 ルナが。


 母の声に驚いたのか。


 玩具を動かす手を止めた。


 レイブンは膝の上で拳を握った。


「俺にもできることがある」


「だから何?」


「〔殺気看破(アタック・シールド)〕だって――」


「そんなもの!」


 セレナが言い切った。


 直後。


 自分でも声を上げすぎたと思ったらしい。


 ルナを抱く腕に力が入る。


「……そんなものがあるからって、あなたが行かなきゃいけない理由にはならないでしょう」


 レイブンは何も言えなかった。


 正しい。


 スキルがある。


 戦えるかもしれない。


 人より役に立つかもしれない。


 それだけなら。


 父に言われた通りだった。


 それは志願する理由ではない。


「あなたはまだ若いの」


「分かってる」


「分かってないわよ」


 また。


 同じ言葉。


「お父さんが帰ってこなかった三か月を、私は知ってる」


 レイブンの耳が伏せられた。


「毎日、待ったのよ」


 セレナの声が震えた。


「今日帰ってくるかもしれない。明日かもしれない。次の連絡かもしれないって」


「母さん……」


「やっと帰ってきたと思ったら」


 視線が。


 ヴァルターの右側へ向く。


 ない腕。


「今度は、あなた?」


 胸の奥が。


 痛かった。


「夫の次は息子を待てっていうの?」


「……」


「そんなの、嫌よ」


 何も。


 返せなかった。


 母を説得する言葉を探していたはずなのに。


 今は。


 口を開くことさえ苦しかった。


「俺……」


 やっと。


 声が出る。


「母さんを悲しませたいわけじゃない」


「なら行かないで」


 すぐに返ってきた。


 レイブンは黙った。


 その沈黙だけで。


 セレナには答えが分かったのだろう。


「……どうして」


 小さな声だった。


「どうして、そこまでして行きたいの」


 その時。


「セレナ」


 ヴァルターだった。


「あなたは黙ってて」


「それはできない」


「ヴァルター」


「こいつは俺にも相談した」


 セレナの目が夫へ向く。


「知ってたの?」


「ああ」


「どうして言わなかったの」


「レイブンが自分で言うべきだと思った」


「あなたは反対しなかったの?」


「した」


 ヴァルターは迷わず答えた。


「今でも、できるなら行かせたくない」


 レイブンが父を見る。


「だったら――」


「だが、俺たちがこいつの人生を全部決めるわけにもいかん」


「死ぬかもしれないのよ!」


「知ってる!」


 ヴァルターの声が響いた。


 今度は。


 ルナがびくりと身体を震わせた。


「……悪い」


 ヴァルターは声を落とす。


「知ってるんだ」


 左手で。


 右肩へ触れる。


「嫌というほどな」


 セレナは何も言わない。


「だから、俺もこいつに聞いた」


 父の視線がレイブンへ向く。


「何のために志願するのか」


 レイブンは。


 ゆっくり息を吸った。


 五日間。


 ずっと考えた。


 答えは。


 まだ半分しかない。


 それでも。


 今。


 言わなければならない。


「俺は……」


 両親を見る。


「父さんみたいになりたいと思ってた」


 ヴァルターの耳が動く。


「強くて。兵士に頼られて。戦える人になりたいって」


 少し。


 笑う。


「でも訓練場へ行ったら、父さんの愚痴ばっかり聞かされた」


「おい」


 セレナの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。


「新兵は父さんのこと怖いって言うし、古参兵は靴下を余分に持てとか、水を飲めとか、そんな話ばっかりだった」


「大事な話だ」


「分かってる」


 レイブンは父を見る。


「それで分かったことがある」


「何だ」


「父さんが教えてるのって」


 一度。


 言葉を探す。


「敵を倒す方法より、生きて帰る方法の方が多いんだ」


 ヴァルターは答えなかった。


「俺も」


 レイブンは続ける。


「敵を倒したいから行くんじゃない」


 母を見る。


「帝国に名前を残したいわけでもない」


「じゃあ……」


「護りたい」


 言葉にすると。


 思っていたより。


 単純だった。


「母さんを」


 セレナの瞳が揺れる。


「ルナを」


 妹を見る。


「父さんも」


「俺もか」


「当たり前だろ」


 そして。


「訓練場で知った人たちも。学校の友達も。この町の人も」


 レイブンは。


 窓の外を見る。


「全部なんて無理だと思う」


 自分でも分かっている。


「俺一人で戦争を終わらせられるとも思ってない」


 そんな力はない。


「でも」


 拳を開く。


「何もしないで、誰かが護ってくれるのを待つだけにはなりたくない」


 母を見る。


「それが今の答え」


「……」


「全部じゃない」


 正直に言った。


「父さんに聞かれた答えの、たぶん半分くらい」


 ヴァルターが小さく息を吐く。


「半分か」


「うん」


「残りは?」


「分からない」


「そうか」


「でも」


 レイブンは自分の胸へ手を置いた。


「この半分だけは、嘘じゃない」


 静かになった。


 時計の音。


 ルナが玩具を弄る音。


 遠く。


 軍用車両が道路を走る音。


 セレナは。


 ずっと息子を見ていた。


「……ずるいわ」


「え?」


「そんな言い方されたら」


 白い耳が。


 完全に伏せられる。


「反対しづらいじゃない」


「母さん」


「でも」


 すぐ。


 目が鋭くなる。


「許可するとは言ってない」


「……はい」


 ヴァルターが口を開く。


「セレナ」


「何」


「条件を出せ」


「条件?」


「ああ」


「あなた、最初からそのつもりだったの?」


「俺が決めることじゃない」


「本当にずるい人」


「知ってる」


「褒めてない」


 しばらく。


 セレナは考えていた。


 そして。


「三つ」


 指を一本立てる。


「一つ目」


 レイブンは背筋を伸ばした。


「自分の命を、他人の命より軽く扱わないこと」


 レイブンの表情が変わる。


「誰かを助けるためだからって、簡単に自分を捨てないで」


「……うん」


「返事」


「はい」


 二本目。


「二つ目。怖い時は怖いと言うこと」


「え?」


「逃げたい時は逃げたいと言っていい。苦しいなら助けを求めなさい」


「軍人なのに?」


「軍人になるからよ」


 セレナは迷わなかった。


「お父さんみたいに、何でも一人で背負おうとしない」


「俺?」


「あなたよ」


「俺は――」


「黙って」


「はい」


 レイブンは少しだけ笑った。


 そして。


 三本目。


 セレナは。


 なかなか言わなかった。


「母さん?」


「……三つ目」


 声が。


 少し震える。


「帰ってきなさい」


 レイブンの笑みが消えた。


「勝ってこいなんて言わない」


「……」


「勲章もいらない」


「母さん」


「英雄にならなくていい」


 セレナの目に。


 涙が浮かぶ。


「何も残せなくたっていい」


 ルナを抱く腕。


 少しだけ。


 強くなる。


「だから」


 母は。


 息子を見る。


「帰ってきて」


 レイブンの視界が。


 滲んだ。


「……はい」


「聞こえない」


「はい」


「ちゃんと」


「……はい!」


 声が震えた。


 涙が。


 一滴。


 頬を流れた。


「約束します」


 もう一滴。


 拭わなかった。


「絶対に」


 その時。


「にーちゃ」


 小さな声。


 全員が。


 ルナを見る。


「ルナ?」


「にーちゃ」


 白い猫耳。


 小さな手。


 兄へ伸びる。


「がん……ば」


 レイブンが。


 瞬きをする。


「今……」


 セレナも目を丸くしていた。


「ルナ」


「がんば……れ」


 途切れ途切れ。


 覚えたばかりの言葉。


 それでも。


 確かに。


 聞こえた。


「にーちゃ……がんばれ」


 レイブンの顔が。


 崩れた。


「……っ」


 堪えようとした。


 無理だった。


 涙が。


 次々と流れる。


「それは……ずるいだろ……」


 ルナは意味を全部理解しているわけではない。


 ただ。


 家族が何度か使っていた言葉を。


 覚えて。


 兄へ向けただけなのかもしれない。


 それでも。


 十分だった。


 レイブンは立ち上がった。


 涙を腕で拭う。


「レイブン?」


 セレナが見上げる。


 少年は。


 一歩下がった。


 足を揃える。


 背筋を伸ばす。


 右手を上げる。


 父が。


 何度もやっていた姿。


 兵士が。


 教官へ。


 上官へ。


 仲間へ。


 敬意を示す時の姿。


 まだ軍人ではない。


 正式な訓練さえ受けていない。


 だから。


 形は少し不格好だった。


 それでも。


 ヴァルターは直さなかった。


 レイブンは。


 父へ。


 母へ。


 そして。


 母の腕の中にいる妹へ。


 家族全員へ。


 敬礼した。


「レイブン・クロウ」


 声が。


 少し震える。


 息を吸う。


 もう一度。


「必ず」


 母を見る。


「絶対に」


 妹を見る。


「生きて」


 最後に。


 父を見る。


「戻ります!」


 静かになった。


 ヴァルターは。


 息子を見つめていた。


 やがて。


 椅子から立つ。


 左手。


 ゆっくりと。


 額へ。


 父も。


 敬礼を返した。


「……忘れるなよ」


「はい」


「今言ったこと」


「忘れません」


 セレナは。


 泣きながら笑っていた。


「本当に」


 涙を拭う。


「男二人して……」


 その腕の中。


 ルナだけが。


 何が起きているのかよく分からない顔で。


 兄を見ていた。


 やがて。


 小さな右手を。


 頭の横へ持っていく。


「……けーれー」


 一瞬。


 全員が黙った。


 ヴァルターが吹き出した。


「違う。こうだ」


「けーれー!」


「ルナまで教えないで!」


 セレナの声。


 レイブンは。


 涙を流したまま。


 笑った。


 狭いクロウ家に。


 久しぶりに。


 家族四人の笑い声が響いた。


◇


 その夜。


 レイブンは眠る前に。


 机の上へ。


 一枚の紙を置いた。


 帝国軍志願申請書。


 まだ。


 何も書いていない。


 椅子へ座る。


 ペンを持つ。


 最初。


 名前。


 レイブン・クロウ。


 次。


 生年月日。


 住所。


 家族構成。


 一つずつ。


 書いていく。


 そして。


 手が止まった。


 志望動機。


「……」


 五日前なら。


 何を書けばいいか分からなかった。


 今も。


 全部は分からない。


 レイブンは。


 しばらく空欄を見つめた。


 それから。


 ゆっくり。


 書き始める。


 長い文章ではなかった。


 書き終える。


 ペンを置く。


 窓の外。


 夜空。


 遠く。


 軍施設の照明。


 さらに遠く。


 異界門への警戒に向かう航空機の音が聞こえた。


 レイブンは申請書を折らなかった。


 机の上へ。


 そのまま置く。


 明日。


 これを持っていく。


 寝室へ向かおうとして。


 途中。


 ルナの眠る部屋を覗いた。


 小さな寝台。


 白い猫耳。


 静かな寝息。


 レイブンは扉の前に立ったまま。


 少しだけ。


 妹を見ていた。


「……おやすみ、ルナ」


 返事はない。


 当然だった。


 扉を。


 静かに閉める。


 自室へ戻る。


 机の上。


 志願申請書。


 その横には。


 訓練場で使い続けてきた、小さな手帳が置かれていた。


 最初の頃に書いた言葉。


 ――仲間を見る。


 ――残弾を見る。


 ――退路を見る。


 そして。


 ――生きて帰る。


 レイブンは。


 最後の一行を指でなぞった。


「……帰る」


 今度は。


 独り言ではなかった。


 約束だった。


 窓の向こう。


 遠い夜空が。


 一瞬だけ。


 青白く明滅した。


 異界門の魔力光だった。


 世界では。


 帝国と連邦共和国の戦争が続いている。


 そこへ異界軍まで現れた。


 訓練場で父の背中を見ていた日々とは。


 もう。


 同じではない。


 それでもレイブンは。


 机の上の申請書を片づけなかった。


 翌朝。


 それを持って。


 家を出るために。

次は、Season3になります。


公開は、この後を予定しております。

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