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黒猫年代記  作者: @12
第一部 RAVEN ― 黒猫が戦場に立つまで ― Season 1 #01~Season 3 #037
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23/189

Season 2「父の背中」 #023

第23話「何のために」


 ルナ・クロウが生まれた日。


 その日のことを、レイブンはよく覚えていた。


 病院の廊下は静かだった。


 消毒薬の匂い。


 忙しそうに行き交う看護師。


 閉ざされた扉。


 そして、その前を何度も往復する父。


「父さん」


「何だ」


「さっきから同じところ歩いてる」


「歩いてない」


「歩いてるよ」


「……落ち着かん」


 ヴァルターは左手で頭を掻いた。


 いつもならぴんと立っている黒い猫耳も、今日は落ち着きなく動いている。


 戦場から片腕を失って帰ってきた男。


 新兵を怒鳴り声一つで黙らせる教官。


 そんな父が、何もできず廊下を行ったり来たりしている。


 レイブンには、それが少し不思議だった。


「父さんでも緊張するんだ」


「する」


「戦場より?」


「比べるな」


「どっち?」


「レイブン」


「はい」


「黙って待て」


「はい」


 レイブンは椅子へ戻った。


 けれど数分もしないうちに、今度は自分の脚が動き始めた。


 膝が上下する。


 止める。


 また動く。


 ヴァルターが横目で見る。


「お前も同じじゃないか」


「うるさい」


「父親に向かって」


「父さんもさっき俺に言われてたじゃん」


 そんなやり取りをしているうちだった。


 扉の向こうから。


 小さな声が聞こえた。


「……?」


 レイブンの耳が立つ。


 ヴァルターも同時だった。


 もう一度。


 今度は、はっきりと。


 赤ん坊の泣き声。


 レイブンは立ち上がった。


「父さん」


「ああ」


 ヴァルターはそれだけ答えた。


 左手が、強く握られていた。


◇


「おめでとうございます。女の子ですよ」


 その言葉を聞いた時。


 レイブンは最初、何と返せばいいのか分からなかった。


 女の子。


 つまり。


「……妹?」


「そうなるな」


 ヴァルターが答える。


「俺の?」


「俺たち家族の、だ」


「……そっか」


 しばらくして。


 レイブンは母のいる病室へ入った。


 セレナは疲れ切った顔をしていた。


 それでも。


 笑っていた。


「レイブン」


「母さん」


「おいで」


 ベッド。


 その腕の中。


 小さな毛布。


 白い耳が見えた。


 レイブンは足を止める。


「……小さい」


「生まれたばかりだもの」


「本当に白猫なんだ」


「私に似たのね」


 ヴァルターが横から覗く。


「俺には似なかったか」


「まだ分からないわよ」


「耳は完全に母さんじゃん」


「お前だって黒猫なのに目は変わっただろ」


 金色と黒色。


 レイブンの異色眼(オッドアイ)。


「それはそうだけど」


 セレナが微笑んだ。


「抱いてみる?」


「え?」


「ルナ」


 初めて。


 その名前を聞いた。


「……ルナ?」


「ルナ・クロウ」


 レイブンは妹を見る。


「いい名前」


「でしょう?」


「うん」


 そして。


 母がルナを持ち上げようとした瞬間。


 レイブンは後ろへ下がった。


「待って」


「どうしたの?」


「俺が?」


「お兄ちゃんでしょう?」


「でも」


 自分の両手を見る。


「落としたら?」


「落とさないわ」


「どうして分かるの」


「私が横にいるもの」


「でも――」


「レイブン」


 父の声。


「座れ」


 珍しく。


 優しい声だった。


 レイブンは椅子へ座る。


「腕をこうしろ」


 ヴァルターが左腕だけで形を作って見せた。


「首を支える。力を入れすぎるな」


「……こう?」


「そうだ」


 セレナが。


 ゆっくり。


 ルナを渡した。


 重さが。


 腕へ乗る。


「……」


 軽い。


 あまりにも軽い。


 SG-44を初めて受け取った時とは、まるで違った。


 なのに。


 あの銃より。


 ずっと重く感じた。


「母さん」


「なあに?」


「怖い」


 正直に言った。


「それでいいのよ」


「動いた」


「赤ちゃんだからね」


「首、大丈夫?」


「大丈夫」


「苦しくない?」


「大丈夫よ」


「本当に?」


「大丈夫」


 何度も確認する。


 ルナの白い猫耳が小さく動いた。


 目。


 少しだけ開く。


 兄と妹。


 初めて。


 視線が合った。


「……」


 何も起きなかった。


 笑いもしない。


 手を伸ばしてもこない。


 ただ。


 ルナはレイブンの腕の中にいた。


「俺が兄か……」


 小さく呟く。


 すると。


 ルナの小さな手が動いた。


 レイブンの指。


 握る。


「……父さん」


「何だ」


「握った」


「ああ」


「結構強い」


「元気なんだろ」


 レイブンは動けなくなった。


 指一本。


 それだけ。


 小さな妹は。


 それを握って離さない。


 この手を。


 離したくない。


 なぜか。


 そう思った。


 理由は。


 まだ言葉にできなかった。


◇


 それから、時間は進んだ。


 学校を卒業したレイブンは進学を選ばなかった。


 朝。


 掃除。


 洗濯。


 買い物。


 ルナの世話。


 父が訓練場へ行っている日は母を手伝い、父が家にいる日は訓練施設へ顔を出す。


 そんな生活が続いていた。


「レイブン」


「ん?」


「買い物お願いできる?」


「いいよ」


 セレナから紙を受け取る。


「牛乳。パン。芋。あと石鹸」


「ルナのは?」


「今日は大丈夫」


「分かった」


 玄関。


「行ってきます」


「あぅ!」


 床で遊んでいたルナが手を上げる。


 レイブンも手を振る。


「行ってくる」


◇


 町は。


 以前より軍服が増えていた。


 駅。


 広場。


 商店街。


 腕や脚に包帯を巻いた兵士も珍しくない。


 店先には。


 物資節約を呼びかける紙。


 軍への協力。


 献血。


 配給。


 戦争は。


 遠くにあるものではなくなっていた。


 レイブンは買い物袋を抱え、中央広場を横切った。


 そこで。


 足が止まる。


 掲示板。


 何枚もの紙。


 その中に。


 一枚だけ。


 目を引くものがあった。


 帝国軍志願兵募集。


 レイブンは。


 しばらく。


 そこから動かなかった。


 兵士。


 何度も見てきた。


 父。


 古参兵。


 新兵。


 負傷兵。


 帰ってきた者。


 帰ってこなかった者。


 〔殺気看破(アタック・シールド)〕。


 自分だけが持っている力。


 頭に浮かぶ。


「……」


 紙へ。


 手を伸ばしかけた。


 止めた。


 買い物袋を持ち直す。


 そのまま。


 家へ帰った。


◇


「ただいま」


「おかえり」


 母。


 ルナ。


 いつもの家。


 レイブンは買ったものを台所へ置いた。


「お兄ちゃ」


 まだ上手く言えない声。


 振り返る。


「今、兄ちゃんって言った?」


「にー……ちゃ」


「母さん!」


「最近練習してるのよ」


「もう一回!」


「にーちゃ」


「……」


 レイブンはしゃがんだ。


「もう一回」


「にーちゃ!」


「よし!」


「何が『よし』なの」


 セレナが笑う。


 レイブンも笑った。


 なのに。


 広場で見た紙が。


 頭から離れなかった。


◇


 夜。


 眠れなかった。


 志願したい。


 そう思う。


 では。


 なぜ?


 帝国のため。


 それだけなのか。


 父のようになりたい。


 それだけなのか。


 自分にはスキルがある。


 だから?


 戦争で役に立てる。


 だから?


 敵を倒したいのか。


 違う。


 なら。


 何のために。


「……分かんない」


 布団の中。


 天井を見る。


 答えは。


 出なかった。


◇


 翌晩。


 ヴァルターは一人で外にいた。


 家の裏。


 簡素な椅子。


 湯気の立つ飲み物。


 レイブンは扉を開けた。


「父さん」


「何だ」


「少しいい?」


「いいぞ」


 隣へ座る。


 しばらく。


 何も言えなかった。


「……父さん」


「二回目だぞ」


「分かってる」


「話があるんだろ」


「うん」


 レイブンは。


 自分の手を見る。


「町で」


「ああ」


「志願兵募集の紙を見た」


 ヴァルターの手が。


 止まった。


「そうか」


 それだけ。


「……怒らないの?」


「まだ何も聞いてない」


「俺」


 喉が。


 少し乾く。


「志願しようかと思ってる」


 父は。


 すぐには答えなかった。


 湯気。


 夜。


 遠くから列車の音が聞こえる。


「理由は?」


「……」


「なぜ志願する」


「帝国が戦争してるから」


「それは帝国の事情だ」


「俺にも〔殺気看破(アタック・シールド)〕がある」


「それはお前の能力だ」


「役に立てる」


「何のために」


「……」


 答えられない。


 ヴァルターは息子を見なかった。


 前を向いたまま。


「自分が何をして、何を残すかなんてのは、あとで考えろ」


「父さん」


「英雄になりたいとか。国に名前を残したいとか。そんなものも今はどうでもいい」


 左手。


 カップを置く。


「まず考えろ」


 ヴァルターが。


 初めて息子を見る。


「何のために志願したい」


 レイブンは黙った。


「答えが出ないなら?」


「急ぐな」


「でも戦争は――」


「戦争は、お前の答えが出るまで待っちゃくれない」


「じゃあ」


「だからって、答えがないまま銃を持っていい理由にもならん」


 厳しい言葉だった。


 だが。


 怒ってはいなかった。


「父さんは」


 レイブンが聞く。


「俺が志願したら、止める?」


「止めたい」


 即答だった。


「……やっぱり」


「親だからな」


「じゃあ」


「だが」


 ヴァルターが遮った。


「お前が自分で考えて、それでも志願すると決めたなら」


 父は。


 家を見る。


 窓。


 灯り。


 その向こうに。


 セレナ。


 ルナ。


「俺は服役してでも、お前と一緒にセレナのもとへ帰る」


 レイブンは目を見開いた。


「父さん」


「軍規に引っかかろうが、命令違反で牢屋に放り込まれようが構わん」


「それ駄目でしょ」


「例えだ」


「本当に?」


「半分は」


「半分本気じゃん」


 ヴァルターが鼻で笑った。


「俺が教官としてお前に教えられるのは、戦い方までだ」


 そして。


 父として。


「帰ってくる理由までは、俺が決めることじゃない」


 レイブンは。


 家を見る。


 窓の向こう。


 白い影が動いた。


 ルナだろうか。


「何のために……」


「ああ」


「父さんは何のためだった?」


 ヴァルターは。


 少しだけ考えた。


「帰りたい場所があったからだ」


 それだけだった。


◇


 その頃。


 帝国と連邦共和国の戦争は、さらに規模を拡大していた。


 国境沿いでは砲撃が続き。


 鉄道は兵員と物資を運び。


 病院には負傷兵が増え。


 双方が。


 双方を押し返すため。


 さらに多くの人間を戦場へ送り込んでいた。


 そして。


 その日。


 戦争とは無関係だったはずの場所で。


 最初の異常が起きた。


 農村。


 海上。


 砂漠。


 都市郊外。


 山岳地帯。


 帝国領。


 連邦領。


 さらに。


 二国から遠く離れた国々。


 世界各地で。


 空間が。


 歪んだ。


 最初は。


 蜃気楼だと思われた。


 次に。


 自然現象。


 その次。


 魔力異常。


 だが。


 違った。


 巨大な輪郭。


 空間を切り抜くような門。


 それが。


 世界中で。


 次々と開いた。


◇


 帝国軍訓練場。


 警報。


「総員、屋内へ!」


 兵士たちが走る。


 ヴァルターは司令棟から出てきた士官を捕まえた。


「何があった」


「異界門です!」


 ヴァルターの表情が変わった。


「どこだ」


「帝国領内だけで現在確認できているものが複数! 連邦領でも同時発生!」


「同時?」


「それだけじゃありません!」


 士官の声が震えていた。


「他国からも報告が来ています。世界中です!」


 ヴァルターの黒い猫耳が。


 ゆっくり。


 伏せられた。


「……世界中?」


「はい」


 通信室。


 怒鳴り声。


 無線。


 警報。


 情報が。


 次々と入る。


『第三区画、門内部に反応!』


『こちら西方観測所! 人影を確認!』


『武装しています!』


『繰り返す、門の向こうに武装集団!』


 ヴァルターの顔から。


 血の気が引いた。


 知っている。


 あの門を。


 知っている。


 向こう側を。


 三か月。


 帰れなかった場所。


 右腕を。


 置いてきた世界。


『門より部隊が出現!』


 ヴァルターは。


 通信機へ近づいた。


「映像は」


「今、出します!」


 画面。


 乱れる。


 砂嵐。


 そして。


 映った。


 門。


 その前。


 列を作る兵士。


 異界側の装備。


 魔力反応。


 旗。


 ヴァルターの左手が。


 机の端を掴んだ。


「……まさか」


 忘れていない。


 あの装備。


 あの術式。


 あの軍装。


「教官?」


 若い兵士が声を掛ける。


 ヴァルターは答えなかった。


 画面の向こう。


 異界軍が。


 こちら側へ。


 一歩。


 また一歩。


 進んでくる。


「……同じだ」


「何がです?」


「あいつらだ」


 ヴァルターの声が低くなる。


「俺が向こうで戦った連中だ」


 兵士たちが黙った。


 ヴァルターは画面から目を離さない。


 三か月。


 異界漂流。


 戦闘。


 逃走。


 右腕。


 そして。


 帰還。


 記憶の中でしかなかったものが。


 今。


 画面の向こうにいる。


「報復……」


 ヴァルターが呟いた。


「教官?」


「俺たちが門を開いた」


 声は。


 ほとんど独り言だった。


「向こうへ兵を送った。向こうで戦った。そして今度は――」


 異界軍の先頭が。


 武器を構えた。


「向こうが来た」


 直後。


 画面の中で。


 閃光。


 観測所。


 爆発。


 映像が乱れる。


『攻撃を受けています!』


『異界軍、侵攻開始!』


『各地で同時に――』


 通信が途切れた。


 訓練場に。


 緊急警報が響き渡る。


 帝国。


 連邦共和国。


 その二国が争っていた戦争へ。


 突然。


 世界の外側から。


 もう一つの軍隊が。


 足を踏み入れた。


 そして同じ頃。


 クロウ家。


 レイブンは。


 眠っているルナを抱いていた。


 窓の外から。


 遠く。


 警報が聞こえる。


「……?」


 黒い猫耳が立つ。


 腕の中。


 妹は眠っている。


 レイブンは窓へ近づいた。


 町の灯り。


 その向こう。


 軍施設の方角。


 警報。


 次々と。


 増えていく。


「何だ……?」


 ルナが。


 眠ったまま。


 レイブンの服を握った。


 その小さな手に気づき。


 レイブンは。


 妹を抱く腕を少しだけ強くした。


 そして。


 父に問われた言葉が。


 もう一度。


 頭に浮かんだ。


 ――何のために志願したい。


 まだ。


 答えは出ていなかった。

ここから徐々に、連邦との戦争ではなく異界軍との戦闘に変わっていきます。そして、レイブンは何のために入隊するのか。


お楽しみに

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