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黒猫年代記  作者: @12
第一部 RAVEN ― 黒猫が戦場に立つまで ― Season 1 #01~Season 3 #037
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20/189

Season 2「父の背中」 #020

より小説らしく改善させました(笑)


なんだか、ヴァルターみたいな厳しさになってきている自分に戸惑いを感じます笑

第20話「護るための手」


 母から返事をもらうまで、三日かかった。


 反対されたわけではない。


 むしろセレナは、レイブンがヴァルターの仕事に興味を持つこと自体については何も言わなかった。ただし、十二歳の少年が軍の訓練施設へ出入りするとなれば話は別だった。


 学校から帰ったレイブンが居間へ入ると、白猫系亜人である母は食卓の向こう側に座っていた。


「レイブン、そこへ座って」


「……怒ってる?」


「まだ怒ってないわ」


「まだ?」


「座って」


「はい」


 向かいへ座る。


 隣ではヴァルターが新聞を読んでいた。


 その黒い猫耳が、紙面とは無関係な方向――こちらへ向いている。


「父さん」


「何だ」


「聞いてる?」


「新聞を読んでいる」


「耳、こっち向いてるけど」


「猫系亜人だから仕方ない」


「ヴァルター」


 セレナに名前を呼ばれ、ヴァルターは新聞を畳んだ。


「……はい」


 レイブンは思わず笑いそうになったが、母の視線を感じて口元を引き締める。


 セレナは二人を交互に見てから、指を一本立てた。


「学校を最優先すること。宿題を放り出さないこと。成績を落とさないこと。軍の施設で見聞きしたことを、学校で面白半分に話さないこと」


「うん」


「返事」


「はい」


「それから、銃と弾薬には、お父さんか担当者の許可なしに絶対に触らない」


「はい」


 そこまではレイブンも予想していた。


 だが、セレナはそこで言葉を切った。


「最後に一つ」


 白い耳が、ほんの少し横へ開く。


「十二歳であることを忘れないで」


 レイブンは首を傾げた。


「どういうこと?」


「お父さんの仕事を手伝うからって、急に大人にならなくていいってことよ」


「でも、仕事なんでしょ?」


「そうね。でも、あなたの仕事は学校へ行くこと。それから、友達と遊んだり、失敗したり、ときどき馬鹿なことをしたりすること」


「馬鹿なことも?」


「限度はあるわよ」


 横からヴァルターが口を挟んだ。


「母さん。俺が十二歳の頃は――」


「あなたの十二歳を基準にしたら駄目でしょう」


「まだ何も言ってないぞ」


「聞かなくても分かります」


「……理不尽だ」


 レイブンはとうとう吹き出した。


 セレナも困ったように笑ってから、息子へ視線を戻す。


「休日だけ。それでいい?」


「うん。……じゃなくて、はい」


「よろしい」


「ってことは?」


「許可します」


 黒い猫耳が、ぴんと立った。


「やった!」


「レイブン」


「はい!」


 勢いよく座り直した息子を見て、ヴァルターが肩を揺らした。


 こうして、レイブンの休日に新しい予定が加わった。


 父の仕事を手伝う。


 ただ、それだけだった。


 少なくとも、最初は。


◇


 休日の朝。


 帝国軍の訓練施設は、学校とはまるで違う匂いがした。


 土と汗。機械油。革製装具。射撃場から流れてくる火薬の残り香。


 レイブンに任された仕事は、拍子抜けするほど地味だった。


 訓練記録を運び、標的の交換を手伝い、使用済みの備品を所定の場所へ戻す。水筒を運ぶこともあれば、射撃訓練後の薬莢を拾うこともあった。


 銃には触れない。


 弾薬にも触れない。


 だが、目と耳まで塞ぐようには言われていなかった。


「第二班、前へ!」


 ヴァルターの声が訓練場を走る。


 兵士たちが遮蔽物から飛び出した。前方へ走り、一人が膝をつき、もう一人がその脇を抜ける。


「遅い! 前ばかり見るな!」


 最後尾の兵士が慌てて振り返った。


「後ろを見るだけでもない! 仲間を見ろ!」


 ヴァルターは右腕のない身体で訓練場を歩いていた。銃を握っていなくても、声だけで兵士たちを動かしている。


「前の奴が撃っている間、お前は何をする!」


「索敵!」


「他には!」


「残弾確認!」


「それから!」


「退路を確認します!」


「そうだ。撃つことだけが戦闘じゃない!」


 少し離れた場所で、レイブンは木箱を抱えたまま足を止めた。


 作業を終えると、ポケットから小さな手帳を取り出す。


 ――仲間を見る。


 ――残弾を見る。


 ――退路を見る。


 鉛筆の先が、そこで止まった。


 少し考える。


 最後に一行だけ書き加えた。


 ――生きて帰る。


 手帳を閉じる。


「レイブン!」


「はい!」


「終わったか!」


「今持っていきます!」


 少年は木箱を抱え直し、父のいる訓練場へ駆けていった。


◇


 その夜。


 クロウ家の明かりが消えてから、しばらく経った。


 レイブンは布団の中で目を開けた。


 耳を澄ませる。


 父と母の寝室から物音はしない。


 そっと起きると、寝間着のまま床へ手をついた。


「……一」


 腕を曲げる。


「二……」


 父が新兵に教えていた姿勢を思い出す。


 腰を落としすぎない。


 背中を曲げない。


 呼吸を止めない。


「十三……十四……」


 腕が震え始めた。


「十五……!」


 潰れた。


 床へ頬がつく。


「痛っ……」


 しばらくそのまま寝転がり、息を整える。


 十五。


 覚えておく。


 次は十六。


 立ち上がると、部屋の隅に置かれた箒を取った。


 肩へ当ててみる。


 違う。


 父はそんなふうに構えていなかった。


 左足を少し前へ。


 身体を真正面に晒さない。


 もう一度。


 それでも違う気がした。


 レイブンは箒を下ろした。


 ふと、あの日の街道が頭をよぎった。


 乾いた銃声。


 母を地面へ押し倒した感触。


 どこから狙われているのか、見えていないのに分かった奇妙な感覚。


 〔殺気看破(アタック・シールド)〕。


 あれがなければ。


 レイブンは自分の手を見た。


 小さい。


 父の手とは違う。


 まだ、何かを背負えるような手には見えなかった。


「……もう一回」


 箒を置く。


 床へ両手をつく。


「一」


 誰かを倒したいわけではなかった。


「二」


 父のような軍人になりたいのかも、まだ分からない。


「三……」


 ただ。


 次に何かが起きた時、母の手を引いてもらうだけの自分ではいたくなかった。


「四……!」


 今度は。


 自分が誰かの手を掴めるようになりたかった。


◇


 秋も深まった頃。


 帝国軍兵器技術試験場の一角で、一挺の銃が作業台へ置かれた。


 SG-44。


 長い試験を繰り返してきた帝国新式散弾銃(ショットガン)である。


 ヴァルターは試験記録を最初から最後まで読み、最後の一枚を机へ置いた。


「……よし」


 向かいにいた技術士官が身構える。


「何かありました?」


「試作銃としては合格だ」


 数秒。


 誰も動かなかった。


「……もう一度お願いします」


「合格」


「本当に?」


「俺は同じことを三度言うのが嫌いだ」


「生産許可ですか!?」


「試験生産の許可だ。本格生産はまだ早い」


「それでも前進ですよ!」


 技術士官が椅子から立ち上がった。


「長かった……!」


「大袈裟だ」


「誰のせいだと思ってるんですか!」


 ヴァルターは返事をせず、SG-44を眺めた。


 初期試作型より銃身(バレル)は軽くなっている。強度を保てる部分には肉抜きが施され、銃床(ストック)も折り畳み式へ変更された。


 引き金(トリガー)近くには射撃機構を切り替える操作部が収められている。


 通常の先台往復式(ポンプアクション)と、機構による単発自動装填(セミオート)。


 どちらを使う場合でも、兵士が大きく手を持ち替えずに済むことが重視されていた。


 ヴァルターが先台(フォアエンド)を引く。


 ガシャン。


 機関部が開く。


 戻す。


 ガシャン。


 何度か繰り返してから、左手だけで扱いづらそうにSG-44を作業台へ戻した。


「俺の意見ばかり聞いても仕方ないな」


「え?」


「レイブン!」


 扉の向こうから、ぱたぱたと足音が近づいてきた。


「何、父さん?」


 学校帰りらしく、制服姿のレイブンが顔を覗かせる。


「鞄を置いて、手を洗ってこい」


「仕事?」


「仕事と言えば仕事だ」


「分かった」


 数分後。


 戻ってきたレイブンへ、ヴァルターは作業用の手袋を渡した。


「つけろ」


「これ?」


「ああ」


 レイブンが手袋をはめる。


 ヴァルターはSG-44を持ち上げた。


「受け取れ」


「……僕が?」


「弾は入っていない。引き金(トリガー)には指を掛けるな」


「うん」


「返事」


「はい」


 父から銃を受け取る。


 ずしり、と両腕が沈んだ。


「……重っ」


 思わず出た。


 技術士官の顔が引きつる。


「待て。これでも相当軽くなったんだぞ」


「でも重いです」


「君は十二歳だろう!」


「だから呼んだ」


 ヴァルターが平然と言う。


「レイブン。遠慮するな。持ってみて、使いにくいと思ったところを全部言え」


「全部?」


「全部だ」


「怒られない?」


「俺が許可する」


 技術士官が嫌な予感のする顔をした。


「クロウ少尉、その言い方は――」


「まず構えてみろ」


「はい」


 レイブンはSG-44の銃床(ストック)を肩へ当てた。


 少し腕を伸ばす。


 眉を寄せる。


「長い」


「……何が?」


「ここ」


 銃床(ストック)を指す。


「僕だと長い」


「十二歳用に設計した銃じゃないからな」


「でも」


 レイブンは一度銃を下ろし、折り畳んでみた。


「厚い服を着たら、大人でもちょっと構えにくくならない?」


 技術士官の顔から反論が消えた。


 ヴァルターの耳がわずかに動く。


「冬季装備か」


「冬?」


「いや、続けろ」


 もう一度構える。


 十秒。


 二十秒。


 銃口が少しずつ下がってきた。


「前も重い」


「銃身(バレル)は肉抜きしてあるぞ」


「それでも重い」


「どれくらいなら持てそうだ?」


 父に聞かれ、レイブンはしばらく考えた。


「今なら……十分くらい?」


「走ったあとなら?」


「もっと嫌」


 技術士官が額を押さえた。


「辛口だな……」


「父さんが全部言えって」


「続けろ」


「父さん、楽しんでない?」


「気のせいだ」


 レイブンは先台(フォアエンド)へ左手を添えた。


 引く。


 ガシャン。


 戻す。


 もう一度。


 ガシャン。


「ちょっと硬い」


「新品だからだ。使っていけば馴染む」


「じゃあ泥が入ったら?」


 技術士官が黙った。


 ヴァルターも息子を見る。


「なぜ泥が出てきた?」


「父さんが訓練で言ってた」


「俺?」


「銃は綺麗な場所だけで使うものじゃないって」


 レイブンはSG-44を眺めながら続ける。


「雨が降るかもしれないし、泥に落とすかもしれない。寒かったら手が動かしにくいかもしれないし……」


 もう一度、先台(フォアエンド)を動かした。


「兵士の人が怖くて手を震わせてたら、もっと動かしにくいと思う」


 ヴァルターの表情が、ほんの少し変わった。


 レイブンは気づかない。


「だから、もっと雑に扱っても動く方がいいんじゃない?」


 しばらく、作業場には何も聞こえなかった。


 やがて技術士官が椅子へ座り、設計図を引き寄せた。


「……記録します」


 鉛筆が走り始める。


 ヴァルターがSG-44を受け取ろうとしたが、レイブンは「あ」と声を上げた。


「まだある」


「まだ!?」


「切り替えのボタン」


 引き金(トリガー)付近を見る。


「押しやすい」


「そこは何度も直したからな」


「でも、急いでたら間違えて押しそう」


「……」


「あと、折り畳むところの角。服に引っかかりそう」


「……」


「それと――」


「クロウ少尉」


 技術士官が静かに顔を上げた。


「何だ」


「息子さん、もう連れてこないでもらえます?」


「どうして?」


 レイブンが尋ねる。


「クロウ少尉が二人に増えた気分になる」


 レイブンは父を見上げた。


「父さん、嫌われてるの?」


「違う。技術者からの信頼が厚いんだ」


「物は言いようですね」


「聞こえてるぞ」


 レイブンが吹き出した。


 ヴァルターも僅かに口元を緩める。


 SG-44が作業台へ戻された。


 その横では、技術士官が新しい線を書き加えている。


 レイブンはそれを覗き込んだ。


 自分が口にしたことが、一本の線になり、数字になり、設計図へ残っていく。


 それが妙に嬉しかった。


「父さん」


「何だ」


「また見てもいい?」


「母さんの許可がある日に限る」


「そこ父さんじゃないの?」


「家庭内の最高司令官は母さんだ」


「やっぱり父さん弱い」


「戦略的撤退と言え」


 作業場に、また笑い声が落ちた。


◇


 冬になると、避難先の町にも雪が積もった。


 以前暮らしていた家よりずっと狭い集合住宅だったが、数か月も暮らせば、どこに何があるのかを暗闇でも探せるようになる。


 学校から戻ったレイブンは、玄関を開けた。


「ただいま」


 返事がない。


 靴を見る。


 父も母もいるはずだった。


「母さん?」


 奥から物音がした。


 続いて、椅子を引きずるような音。


「セレナ!」


 父の声だった。


 レイブンの耳が一気に立つ。


 鞄を玄関へ落とし、廊下を走った。


「母さん!」


 台所。


 床にセレナが横たわっていた。


 ヴァルターが左腕で妻の身体を支えている。


「レイブン、そこで止まれ」


「でも!」


「意識はある」


「母さん!」


 セレナがゆっくり目を開けた。


「……大丈夫よ」


「大丈夫な奴は床で寝ない」


「少し眩暈がしただけ」


「医者へ行く」


「ちょっと休めば――」


「駄目だ」


「ヴァルター」


「駄目」


「まだ何も言ってないでしょう」


「言うことは分かる」


 普段なら笑えたかもしれない。


 けれどレイブンは笑えなかった。


 母の白い耳が力なく伏せられている。


 それを見ているだけで、胸の奥が落ち着かなかった。


◇


 診療所の待合室。


 時計の秒針が、やけに大きく聞こえた。


 レイブンは椅子に座り、膝の上で両手を握っていた。


 足が動く。


 止める。


 しばらくすると、また動く。


 診察室の扉が開いた。


「父さん」


 ヴァルターが出てきた。


「母さんは?」


「大丈夫だ」


「本当に?」


「ああ」


 それだけで、身体から力が抜けた。


 椅子の背へもたれる。


「よかった……」


「ただな」


 父が妙な顔をしている。


「何?」


「医師の話では、まだ検査が必要だが……」


「うん」


「妊娠している可能性が高いらしい」


「……」


 レイブンの耳が動いた。


「妊娠?」


「ああ」


「母さんが?」


「他に誰がいる」


「それって……」


 学校で聞いたことはある。


 意味も、まったく知らないわけではない。


 けれど。


 自分の母親。


 自分の家。


 そう考えると、言葉の意味が急に違って聞こえた。


「家族が増えるってこと?」


「可能性が高い、という段階だ」


「弟?」


「まだ分からん」


「妹?」


「それも分からん」


 レイブンは少し考えた。


「じゃあ……俺」


「ん?」


「兄になるの?」


 ヴァルターは答えるまで少しだけ間を置いた。


「そうなるかもしれないな」


「……兄」


 自分で口にしてみる。


 妙な感じだった。


 嬉しいのか。


 驚いているのか。


 不安なのか。


 自分でもよく分からない。


 ただ。


 診察室の扉を見る目だけは、先ほどまでとは少し違っていた。


◇


 帰り道。


 雪は細かく降り続いていた。


 セレナはヴァルターから「今日は絶対に荷物を持つな」と言われ、少し不満そうに歩いている。


 その横。


 レイブンは母の買い物袋へ手を伸ばした。


「あら?」


「持つ」


「軽いわよ」


「いいから」


「でも――」


「母さん」


 レイブンは袋を受け取った。


「今日は俺が持つ」


 セレナは何か言おうとして、やめた。


「……ありがとう」


「うん」


 少し重かった。


 持ち手が指へ食い込む。


 けれどレイブンは持ち直しただけで、母へ返さなかった。


 ヴァルターは何も言わない。


 ただ、息子の横顔を一度だけ見た。


 三人は雪道を歩いていく。


 レイブンは途中で母の歩幅が少し遅くなったことに気づき、自分も足を緩めた。


 父も同じだった。


 誰も「ゆっくり歩こう」とは言わなかった。


 それでも三人の歩幅は、いつの間にか揃っていた。


 レイブンは手の中の袋を握り直す。


 訓練場で見た兵士。


 設計図の上のSG-44。


 夜中に震えた腕。


 あの日、自分と母を逃がすために残った父。


 どれも頭の片隅にはあった。


 けれど今は。


 母の隣を歩くことだけを考えた。


 雪の上には、三人分の足跡が続いていた。


 レイブンはそれを一度だけ振り返り、また前を向いた。

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