Season 8「継ぐ者、見守る者」 #166
第166話「第八週――守るものを選ぶ」
第八週の初日、志願兵たちは訓練基地の講義棟へ集められた。
これまでなら、週の始まりには射撃場や複合演習区画、屋内訓練棟のいずれかが指定されていた。ところが今回は全員が教室へ座らされ、机の上には装備も地図も置かれていない。正面にいるレイブンも教官用の制服姿で、隣にはHoundさえいなかった。
七週間を経験した志願兵たちは、むしろ警戒した。
何もない時ほど、レイブンは別のものを持ち出してくる。
そんな認識が、いつの間にか共有されていた。
「おはよう」
レイブンは彼らの表情を見て、僅かに眉を上げた。
「何でそんなに警戒してる?」
前列の志願兵が答える。
「何も準備されていないからです」
「いいことじゃないか」
「教官の場合は、そうとも限らないと七週間で学びました」
教室に笑いが起きた。
レイブンは一瞬黙ったあと、肩をすくめる。
「学習成果が出てるなら何よりだ」
そう言って、背後の大型表示板を起動した。
映し出されたのは一枚の写真だった。
戦場ではない。
古い市街地でもない。
人々が行き交う、ごく普通の街角だった。
「今日はここから始める」
志願兵たちの顔から笑みが消えた。
「これまで、お前たちは自分を知り、仲間を知り、周囲を見て、情報を伝え、動きながら判断し、近い距離で接触しても目的を失わないための訓練をしてきた。でも、一つ足りない」
レイブンは写真へ視線を向ける。
「何のためにそれをするのか、だ」
一人の志願兵が手を上げた。
「任務達成のためでは?」
「そうだ。でも、その任務は誰かが理由もなく作るものじゃない」
表示が切り替わる。
避難所。
橋。
医療施設。
港。
生活道路。
どれも軍事目標として説明されるものではなく、そこに暮らす者にとって必要な場所として映し出されている。
「兵士は戦う。でも、戦うことそのものが目的になったら、何を守っていたのか分からなくなる」
レイブンは教卓へ両手を置いた。
「第八週の課題は、優先順位だ」
そこで扉が開き、Houndが入ってきた。
「悪い、準備に時間かかった」
志願兵たちが振り返る。
「ちょうどいい。始めるぞ」
「説明した?」
「今終わった」
「じゃあ移動だな」
Houndが入ってきた扉を、そのまま開けて待つ。
志願兵たちは何が始まるのか分からないまま席を立った。
連れて行かれた先は、第五週から使ってきた複合演習区画だった。
ただし、景色が変わっている。
これまで単なる障害物だった建物には役割が与えられ、通路には民間区域を示す表示がある。複数の訓練用人形が配置され、救助対象や一般人を模した存在として扱われる。
その一方で、訓練用の目標も存在していた。
「最初の課題は簡単だ」
レイブンは班ごとに状況資料を渡した。
「指定地点まで行って戻ってこい」
それだけだった。
志願兵たちは資料を確認する。
経路上には複数の選択肢がある。
第一班が出発した。
ここまで七週間を積み上げてきた者たちである。移動は以前より滑らかになり、先頭だけが先走ることもない。前後で情報を共有し、SmartARの表示と実際の環境を照合しながら進んでいく。
途中、訓練用の対抗役を発見した。
班長はすぐに止まらなかった。
「迂回できる?」
「できる。ただ少し遠い」
「接触する必要は?」
「今のところない」
「なら迂回する」
第七週の成果が出ている。
レイブンは監督室で映像を見ながら何も言わなかった。
Houndが隣で腕を組む。
「悪くない」
「ああ」
班は対抗役を避けた。
そのまま指定地点へ向かおうとした時だった。
建物の一つから救助要請を示す訓練信号が出た。
班が止まる。
「課題にないぞ」
一人が言う。
「でも救助要請だ」
「指定地点への到着が遅れる」
班長役が迷った。
第六週で学んだように、迷っている間にも時間は進む。
それでも、今回はすぐに決めなかった。
「状況を確認しよう。今すぐ危険なのか、それとも別の支援が来るのか」
情報を集める。
救助対象は一名。
自力での移動が難しい。
他の支援班がすぐに来られる保証はない。
「行こう」
班長が決めた。
予定していた経路を変える。
救助対象を確保し、班員の一部が支えながら移動することになったため、速度は大きく落ちた。
指定地点への到着も遅れた。
課題終了後、班長役は自分からレイブンへ言った。
「時間を超過しました」
「そうだな」
「評価は下がりますか?」
「その前に聞く。なぜ救助した?」
「放置すれば危険になると判断しました」
「指定地点へ行く任務は?」
「続行できると判断しました。ただ、遅れました」
「なら、その判断を説明できてる」
志願兵が少し驚く。
「正解だったんでしょうか」
レイブンは首を横へ振った。
「その聞き方はやめた方がいい。条件が変われば答えも変わる。今回は救助対象を連れても任務を継続できた。でも、別の状況なら他の班へ引き継ぐ判断もあるし、まず別の危険を処理しなきゃならない場合もある」
「では、何を評価するんですか?」
「優先順位を変えた理由と、その結果を班で引き受けたことだ」
レイブンは資料を閉じた。
「予定を守ることだけが任務じゃない。でも、何かを守りたいからって全部を捨てていいわけでもない。その間で決めるのが指揮だ」
午後、別の班には違う状況が与えられた。
今度は複数の問題がほぼ同時に発生する。
一方では救助対象。
別方向では、放置すると後続班の移動に影響する訓練上の障害。
さらに指定地点への到着にも時間条件がある。
すべてを同時には処理できない。
班員たちは、そこで初めて第八週の難しさを理解した。
「分ける?」
「人数が足りない」
「救助を先にしたら、こっちが遅れる」
「でも後続班が来るなら障害を放置できない」
「情報を送ろう。後続班に別経路を取ってもらえないか確認する」
第四週で学んだ通信が戻ってくる。
後続班へ状況を共有し、別経路が使用可能だと確認する。
すると一つの問題を自分たちで処理する必要がなくなった。
班長が決める。
「救助を優先する。後続には迂回を頼む。指定地点へはそのあと向かう」
課題終了後、Houndが彼らを迎えた。
「全部自分たちで片づけなかったな」
「はい」
「悔しい?」
志願兵の一人が少し考える。
「前なら、そう思ったかもしれません」
「今は?」
「他の班ができることなら、頼んだ方が全体として早いと思いました」
Houndは笑った。
「いい答えだ」
少し離れた場所でレイブンも聞いていた。
第一週から教えてきた「全部自分でやるな」という考え方が、個人から班へ、そして班から複数班の関係へ広がり始めている。
第八週の二日目、レイブンは課題へ別の要素を加えた。
模擬爆発物だった。
実物の爆発物ではない。安全な訓練装置で、設置地点や状態が管理され、起動した場合には光と音、判定システムによって影響範囲が記録される。十三週目のエキシビションマッチでも使われる予定のものと同系列だったが、この時点では用途を限定している。
志願兵たちが装置を見た瞬間、空気が変わった。
「最終日と同じものですか?」
一人が尋ねる。
「同系列。ただし今日の課題は設置方法を競うことじゃない」
レイブンは訓練装置を手に取った。
「これを武器としてだけ考えるな」
志願兵たちは黙って聞く。
「訓練上では、特定の地点を一定時間使えなくする、接近を知らせる、相手の行動を変えさせるといった役割を持たせられる。重要なのは、何のために置いたのかだ」
Houndが補足する。
「置けるから置く、はなしだ。自分たちの移動まで邪魔したら笑えないからな」
実際、最初の班がそれをやった。
後方から対抗役が来る可能性を考え、訓練装置を使用したところまではよかった。
ところが状況が変わり、自分たちがその方向へ戻る必要が生じた。
「通れません」
先頭の志願兵が呟いた。
班長が自分たちの配置した訓練装置を見る。
「……自分たちで塞いだ」
監督映像を見ていたHoundが吹き出した。
「やったな」
「笑うな」
「お前も笑いそうじゃないか」
「笑ってない」
レイブンの猫耳が僅かに動いていた。
班は迂回した。
課題終了後、レイブンは装置の設置そのものを責めなかった。
「置いた時の判断は?」
「後方から対抗役が来る可能性を考えました」
「その時点では?」
「必要だと思いました」
「じゃあ、その判断自体は理解できる。問題は?」
班長役が答える。
「置いた後、その場所を自分たちも使えなくなることを十分に考えていませんでした」
「そうだな」
レイブンは頷く。
「何かを相手に使う時、自分たちだけ都合よく影響を受けないなんてことはない。地形を塞げば、自分にも塞がれる。煙で視界を遮れば、自分からも見えにくくなる。だから、使った後の状況まで考えろ」
十三週目へ向けた最初の模擬爆発物訓練は、派手な攻防ではなく、自分の選択が後から自分たちへ返ってくることを学ぶところから始まった。
第三日になると、レイブンは志願兵たちへ異なる役割を与えた。
ある班には救助対象を守りながら移動する課題が与えられ、別の班は複数地点の確認を担当する。さらに別の班は、直接目標へ向かわず、他班へ情報を提供する役割を担った。
すると、これまで目立たなかった志願兵が力を発揮した。
第一週から周囲を見る能力を評価されてきた人間種の志願兵だった。
彼女は速くない。
近接訓練でも突出した成績は残していない。
射撃も平均的だった。
だが複数班の情報が集まる状況では、誰が何を必要としているのかを整理するのが早かった。
「第二班、北側を使わない方がいいです。第一班が救助対象を連れて移動しています」
「第三班の情報では?」
「南側は今のところ使用可能です。ただし数分前の情報なので、進入前に再確認を」
班長役が頷く。
レイブンは少し離れた位置でその様子を見ていた。
Houndが隣へ来る。
「あの子、完全に自分の長所を使い始めたな」
「ああ」
「最初は『目立った長所がない』だったっけ?」
「そう」
「本人、もう覚えてないんじゃないか?」
「それならいい」
レイブンは彼女だけを見続けなかった。
別の場所では、身体能力に優れた猫系亜人の志願兵が、自分から速度を落として救助対象を運ぶ仲間へ歩調を合わせている。
以前なら、先へ出ていた。
さらに別の班では、近接距離を苦手としていた人間種の志願兵が、対抗役との接触を避けるため早めに位置を変え、その判断を班長へ報告していた。
苦手が消えたわけではない。
扱い方を覚え始めている。
第八週後半、レイブンは一つの課題で志願兵たちを大きく迷わせた。
目的地点の近くに、二つの対象を置いたのである。
一つは訓練上の重要情報。
もう一つは救助を必要とする民間人役。
両方へ向かう時間はない。
班長は立ち止まった。
「分ければ?」
「危険が分からない。二人ずつになる」
「情報を取らないと後続が困る」
「でも救助対象を放置するのか?」
議論が続く。
第六週なら、レイブンは時間経過によって状況を変えただろう。
今回は変えなかった。
彼らが何を優先するのかを見るためだった。
やがて班長が決めた。
「救助を優先する。重要情報は取得できないと後続へ伝える」
班員の一人が聞く。
「いいのか?」
「分からない。でも、今ここで助けられる人を置いていく理由を俺は説明できない」
班は救助対象へ向かった。
課題終了後、志願兵たちはレイブンの評価を待った。
「情報を取れなかったな」
「はい」
「そのせいで後続班は別の判断をすることになった」
「はい」
「救助対象は確保した」
「はい」
班長の顔には、自分たちが正しかったのかを知りたい気持ちがはっきり出ている。
レイブンはしばらく黙ってから言った。
「今日の条件なら、俺も同じ判断をした可能性が高い」
班長が僅かに息を吐いた。
「でも、それを正解として覚えるな」
表情が引き締まる。
「条件が違えば、俺は情報を取りに行くかもしれない。別の支援が来ているなら救助を任せるかもしれない。大勢を守るために、目の前の一人へすぐ行けない状況だってある」
レイブンの声から、訓練中の軽さが消えていた。
「指揮をするなら、選ばなかった方も覚えておけ」
誰も口を挟まなかった。
「何かを優先するっていうのは、他を消すことじゃない。助けられなかったもの、取れなかった情報、守れなかった場所が残ることもある。その結果まで含めて、自分の判断だ」
Houndも黙って聞いていた。
レイブンは戦場で何度も選んできた。
すべてを救えるという前提では考えない。
だからこそ、救えなかったものを数字だけに変えて忘れることもしなかった。
志願兵へその重さを背負わせるには、まだ早い。
それでも、選択には結果が伴うという事実だけは、訓練のうちから知っておいてほしかった。
第八週最終日、複数班による統合課題が行われた。
各班には異なる役割があり、持っている情報も違う。途中で救助要請が発生し、対抗役が移動し、使用できる経路が変わる。模擬爆発物も配置可能だが、使う義務はない。
レイブンとHoundは監督室から見守った。
開始直後、志願兵たちはすべてを自分たちで処理しようとはしなかった。
情報を回す。
必要なら別班へ頼む。
救助を担当する班の経路を他班が空ける。
対抗役を見つけても、任務と関係が薄ければ追わない。
模擬爆発物を持っている班も、使う必要がなければ保持したまま移動した。
「使わないな」
Houndが言った。
「うん」
「せっかく渡したのに」
「いいんじゃない?」
「教官としては?」
「使う必要がないのに使った方が困る」
Houndは笑った。
「それもそうか」
途中、一つの班が判断を誤った。
救助要請へ人数を割き過ぎ、別の担当区域が手薄になった。
そこを別班が補った。
後から通信で事情を知った班長は、自分の判断を修正し、人員を戻した。
失敗は消えない。
しかし全体は止まらない。
最後の班が終了地点へ戻った時、予定時刻は少し超過していた。
全課題を完全に達成したわけでもなかった。
それでもレイブンは、第一週の頃よりはるかに長く記録を見ていた。
数字だけでは評価できないものが増えている。
全員が集まると、レイブンは前へ出た。
「第八週終了」
疲れた志願兵たちが姿勢を整える。
「今日、できなかったことを覚えてる?」
複数の返事が返る。
救助の遅れ。
取得できなかった情報。
判断の重複。
通信の遅れ。
レイブンは全部聞いた。
「それでいい。できたことだけ覚えて帰るな」
そして少し間を置いた。
「今週、お前たちは初めて模擬爆発物を使った。十三週目にも同系列の訓練装置を使う。ただし、あの日に俺が評価するのは何個使ったかじゃない」
一人が尋ねる。
「何を評価するんですか?」
「何のために使ったか」
レイブンは即答した。
「それと、使わないと決めた理由も見る」
志願兵たちの中に、十三週目の旧市街を思い浮かべる者がいる。
「最終日の勝利条件は、教官を倒すことではないんですよね」
以前なら答えを避けていた問いだった。
レイブンは、その志願兵を見る。
「やっとそこまで来たか」
教室ではないのに、空気が静まった。
「正式な勝利条件は十三週目に提示する。でも一つだけ確定させておく」
レイブンは金と黒の瞳を彼らへ向けた。
「俺を見つけることも、俺を倒すことも、それだけでは勝利にならない」
志願兵たちは誰も声を上げなかった。
ただ、その意味を考えている。
Houndが横から尋ねる。
「逆にNoX、お前は何をすれば勝ちなんだ?」
「それも本番まで秘密」
「俺にも?」
「補助教官だから駄目」
「七週間手伝ってそれかよ」
「八週間目だぞ」
「余計ひどいな」
張り詰めた空気が少し緩んだ。
解散の指示が出ると、志願兵たちは班ごとに宿舎へ戻り始めた。
その途中でも会話は続いている。
誰を倒すかではなく、何を守るか。
どこへ進むかではなく、なぜそこへ進むのか。
使える装備があるから使うのではなく、それを使うことで何が変わるのか。
八週間前、彼らは自分自身の能力さえ正確には知らなかった。
今では、自分の選択が仲間だけでなく、別の班や救助対象、その場にいない者へまで影響することを考え始めている。
レイブンは最後の志願兵が演習区画を出るまで見送った。
Houndが隣へ立つ。
「残り五週間だな」
「ああ」
「そろそろ、あいつら本気で旧市街の作戦を考え始めるぞ」
「考えていいよ」
「対策する?」
「する」
「教官なのに?」
レイブンはHoundを見る。
「相手が成長したのに、俺だけ八週間前のまま待ってたら訓練にならないだろ」
Houndはしばらく黙ったあと、楽しそうに口元を上げた。
「なるほど。ようやくエキシビションらしくなってきたな」
レイブンも旧市街地の方角へ視線を向けた。
志願兵たちは十三週目へ向けて学んでいる。
ならば、対抗側に立つ自分も彼らを観察し、考え、変わらなければならない。
ただ一人で多数を相手にするためではない。
十三週間かけて育てた彼らが、本当に自分の判断で目的を選び、仲間を使い、状況へ適応できるのかを確かめるために。
第八週は、その問いを初めて「何を守るのか」という形で彼らへ突きつけていた。




