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黒猫年代記  作者: @12
第二部 ~Ⅱ~ FENRIR ― 戦狼となった黒猫 ― Season 4 #067~
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164/189

Season 8「継ぐ者、見守る者」 #164

第164話「第六週――迷う時間」

 第六週の初日、志願兵たちは前週と同じ複合演習区画へ集められた。

 見覚えのある壁や段差が並び、建物を模した構造物も配置されたままである。第五週を終えた彼らなら、どの経路が通りやすく、どの場所で視界が狭くなるのか、おおよその特徴を覚えている。何人かは集合前から区画を眺め、前週の失敗を同期と確認していた。

 レイブンは、その様子を止めなかった。

 やがて全員が揃うと、彼は簡単な状況説明を行い、班ごとに開始位置へ向かわせた。Houndはその隣で端末を確認していたが、志願兵たちが離れたところで不思議そうに顔を上げた。

「説明、それだけか?」

「ああ」

「今日の目的を言ってないぞ」

「言わないから」

 レイブンは訓練区画へ目を向けた。

「先週の終わりに、判断する時間を減らすって言っただろ」

「だから?」

「時間制限を短くするだけなら、急がせて終わりだ。今日は、迷っている間にも状況が変わることを覚えてもらう」

 Houndは納得したように端末へ視線を戻した。

「なるほど。時間を奪うんじゃなくて、時間そのものに意味を持たせるのか」

「そういうこと」

「性格悪いな」

「六週間ずっと言ってない?」

「毎週更新されてるからな」

 最初の班が動き始めた。

 課題は単純だった。演習区画内の複数地点を確認し、指定された模擬対象を発見して必要な情報を持ち帰る。第五週までなら、班員たちはまず地図を確認し、それぞれの得意分野を考慮しながら経路を選んだだろう。

 今回も同じように始まった。

 班長役が二つの経路を比較し、仲間から意見を集める。片方は短いが視界が狭く、もう片方は遠回りになるものの移動しやすい。どちらにも明確な利点と欠点があるため、議論は自然と長くなった。

 その間に、教官側の監督員が訓練状況を更新した。

 志願兵たちがようやく短い方の経路を選んで進み始めた時には、その先が使用不能になっていた。

「変更されています」

 先頭の志願兵から報告が入る。

 班長役は一瞬黙った。

「さっきまでは通れたはずだ」

「その通り」

 レイブンの声が監督用通信から返ってきた。

「教官、途中で条件が変わったのですか?」

「変わった」

「我々が決める前に?」

「お前たちが決めている間に、だ」

 班員たちは顔を見合わせた。

 レイブンは答えを与えず、そのまま通信を切った。

 彼らは遠回りの経路へ移るしかなかった。

 課題そのものは達成したものの、終了後の志願兵たちには納得できない表情が残っている。

「教官、質問があります」

 班長役が言った。

「どうぞ」

「最初から、短い方を塞ぐ予定だったのでしょうか」

「違う」

「では、我々が早く決めていれば通れた?」

「通れた」

 その答えで、班の空気が変わった。

 レイブンは彼らを責めることなく、地図を開いた。

「判断そのものが間違っていたわけじゃない。二つの経路を比較したのも、班員の意見を聞いたのも正しい。ただし、お前たちは正しい答えを出そうとして時間を使い過ぎた」

 班長役が地図を見る。

「もっと早く決めるべきだった、ということですか」

「場合によってはな。ただ、何でも早く決めればいいわけでもない。そこを勘違いすると、今度は確認不足になる」

「では、どのくらい考えればいいんでしょうか」

 レイブンは少しだけ間を置いた。

「それを今週考えてもらう」

 志願兵が困った顔をした。

「教官が基準を決めるのではなく?」

「安全に関わる基準は決める。でも、戦場で起きること全部に『何秒以内に正解を出せ』なんて基準は作れない。情報が足りない時もあれば、考える時間がある時もある。大事なのは、自分たちが今どれくらい迷っていい状況なのかを判断することだ」

 第一週から第五週まで、志願兵たちは多くのことを確認するよう教えられてきた。

 自分の状態を見る。

 仲間を見る。

 周囲を見る。

 情報を確かめる。

 SmartARと実際の景色に違いがあれば確認し、通信内容が曖昧なら聞き返す。

 それらは何一つ間違っていない。

 だが現実の状況は、彼らが確認を終えるまで止まってはくれない。

 第六週でレイブンが加えたのは、その事実だった。

 午後の訓練では、別の班が逆の失敗をした。

 午前中の課題を見ていたため、今度は判断を急ぎ過ぎたのである。

 班長役は新しい情報が入るたび、ほとんど即座に進路を決めた。最初の数回はうまくいき、班全体の動きも速かった。

 ところが途中で、前方の志願兵から曖昧な報告が届いた。

 何かがある。

 しかし、それが訓練目標なのか、単なる環境上の変化なのかは確認できていない。

 班長役は時間を失うことを嫌い、その情報を目標だと仮定して進路を変えた。

 結果として、班は必要のない場所へ向かった。

 戻ってきた彼らを待っていたレイブンは、午前中の班と同じように地図を開いた。

「どうして進路を変えた?」

「判断が遅れると状況が変わると思ったからです」

「午前の訓練を見て?」

「はい」

「じゃあ、午前の班から何を学んだ?」

 志願兵は答えに詰まった。

「早く決めること、だと思いました」

「違う」

 レイブンの声は厳しかったが、怒鳴ることはなかった。

「午前の班が学んだのは、考える時間にも代価があるってことだ。早く決めれば正しい、という話じゃない」

 班員たちも地図を覗き込む。

「今回の報告で確認できていたのは?」

「何かが見えたことです」

「それが目標だと確認できていた?」

「いいえ」

「なら、何をした?」

「推測を事実として扱いました」

 第四週で学んだ言葉だった。

 レイブンは頷く。

「その通り。前に教えたことは消えてない。新しい課題が加わったからって、古い課題を捨てるな」

 少し離れたところで聞いていたHoundが、腕を組み直した。

「積み上げ式か」

「十三週間全部そうするつもりだよ」

「最終週、あいつら頭から煙出るんじゃないか?」

「出たらSageを呼ぶ」

「そういう治療はできないと思うぞ」

 第六週の二日目から、訓練にはさらに変化が加わった。

 班長だけが判断する方式を崩したのである。

 先頭の志願兵が、班長より早く状況を把握することがある。後方の志願兵だけが、別方向の変化に気づくこともある。そのたびに班長へすべてを集め、班長の判断を待っていれば、情報が一か所へ集中する。

 そこでレイブンは、班員自身にも一定範囲の判断を求め始めた。

 勝手に行動することとは違う。

 自分が何を見て、何を判断し、何をしたのかを仲間へ伝えられることを条件に、細かな判断をその場にいる者へ任せる。

 最初は戸惑いが大きかった。

「教官、これは班長へ確認してからでは?」

 一人が尋ねた時、レイブンは逆に聞いた。

「今、班長は何をしてる?」

「別の組との通信を確認しています」

「お前が見つけたものは、今すぐ危険になる?」

「いいえ」

「じゃあ、待てる?」

「……待てます」

「なら待ってもいい。ただし、自分でそこまで判断できたなら、『班長に聞かなきゃ何も分からない』状態ではないだろ」

 志願兵は考え込んだ。

 別の場面では反対だった。

 ある志願兵が変化を見つけたにもかかわらず、班長へ報告して指示を待った。

 ところが、その変化は時間とともに移動していた。

 班長が応答した時には、すでに状況が違っている。

 訓練終了後、レイブンは本人へ尋ねた。

「なぜ待った?」

「自分で判断して間違えるのが怖かったからです」

「分かる」

 その返答は、志願兵が予想していなかったものだった。

「俺だって間違える。Houndも間違える」

「おい」

「事実だろ」

「まあ、そうだけどさ」

 レイブンは志願兵へ視線を戻す。

「間違えないことを目標にすると、何も決められなくなる。だから必要なのは、間違った時に修正できることだ。もちろん、取り返しのつかない判断を軽くしろって意味じゃない。今のお前たちは訓練中で、安全管理もある。その中で、自分の判断を試せ」

「もし失敗したら?」

「終わったあと一緒に考える」

「評価は下がりますか?」

「失敗の内容による。でも、失敗したという事実だけで落とすことはしない」

 志願兵はしばらく考えたあと、頷いた。

 第三日になると、レイブン自身も訓練区画へ入った。

 対抗役としてではない。

 志願兵たちの班に、一時的な同行者として加わったのである。

 ただし指揮はしない。

「教官が班員?」

 班長役が困惑した。

「そう」

「指示を出しても?」

「班長はお前だろ」

「ですが……」

「今週の課題を忘れた?」

 志願兵は息を整えた。

「分かりました」

 訓練が始まった。

 レイブンは必要以上に先へ出ない。

 周囲を見る。

 聞く。

 指示があれば従う。

 気づいたことがあれば、他の班員と同じように報告する。

 それだけだった。

 だが、班長役の志願兵には大きな負担になった。

 隣にいるのがNoXだからである。

 何かを決めるたびに、無意識にレイブンの顔を見る。

 最初の二回、レイブンは何も言わなかった。

 三回目で止めた。

「俺を見るな」

「すみません」

「謝ることじゃない。何を確認したかった?」

「自分の判断が正しいかどうかを……」

「俺の顔を見たら分かる?」

「……分かりません」

「だろ?」

 レイブンは少し笑った。

「今ここでは、お前が班長だ。俺の階級も経歴も関係ない。必要なら俺にも仕事を振れ」

 班長役は緊張したまま頷いた。

 しばらくして、経路上で複数の情報が入った。

 班長は考える。

 レイブンを見そうになり、途中で止めた。

 仲間を見る。

「意見をくれ」

 すぐに二つの案が出た。

 班長はそのうち一つを選んだ。

「クロウ教官」

「何?」

「後方の確認をお願いします」

「了解」

 レイブンは素直に従った。

 Houndは監督映像を見ながら笑っていた。

「NoXに後ろ見てろって言えるようになったか」

 補助教官の一人が尋ねる。

「問題ないんですか?」

「今の訓練じゃ、あいつは班員だからな。それに本人が一番喜んでるだろ」

 映像の中のレイブンは笑ってはいない。

 だがHoundには分かっていた。

 志願兵が教官の顔色ではなく、自分たちの情報を使って決めた。

 それこそレイブンが待っていた変化だった。

 第六週の後半には、疲労も判断へ影響し始めた。

 身体を動かし続ければ、同じ問題でも答えを出すまでに時間がかかる。焦れば言葉が短くなり、報告から必要な情報が抜ける。普段なら気づく変化を見落とす者も出た。

 レイブンは、その失敗を根性論で押し切らせなかった。

 休息を取った後に同じ映像を見せると、志願兵たちは自分たちの変化に驚いた。

「ここ、報告を聞いてない……」

「聞いてる。でも返事だけして、内容が頭に入ってない」

「俺、この時かなり疲れてた」

「俺もだ。だから誰も止めなかったのか」

 教室の後方でHoundがレイブンへ囁く。

「こうやって見ると分かりやすいな」

「ああ。疲れてる本人には分かりにくいけど」

「お前も覚えとけよ」

「何が?」

「教官業で寝不足になった時のために」

「……気をつけます」

「素直でよろしい」

 第六週最終日、志願兵たちは開始前に一つだけ指示された。

 課題を完璧に終わらせようとするな。

 その意味を説明されないまま、各班は訓練区画へ入った。

 状況は何度も変わった。

 通れるはずの経路が変わり、必要だと思っていた情報の価値が下がり、逆に無関係に見えた報告が重要になる。すべてを確認しようとすれば時間を失い、急げば見落とす。

 最初の頃のように、班員全員が一つの答えを出すまで立ち止まることは減った。

「今分かってる範囲で進もう」

「こっちはまだ確認できてない」

「なら未確認のまま共有してくれ」

「了解。あとで更新する」

「前の経路は?」

「使える。ただ、古い情報だ」

「現地で確認し直そう」

 短いやり取りが自然に続いていく。

 途中で判断が外れることもあった。

 その時は戻る。

 別の情報が入れば変える。

 誰かが迷えば、近くの者が補う。

 教官へ正解を尋ねる班はなかった。

 全班が戻った頃には、午後の日差しが訓練区画の建物の影を長く伸ばしていた。

 レイブンは疲れた志願兵たちの前に立つ。

「今日、完璧にできたと思う班は?」

 手は上がらない。

「じゃあ、失敗した班は?」

 今度は全員が互いを見る。

 やがて一人が手を上げた。

「全班だと思います」

 何人かが笑った。

 レイブンも頷いた。

「俺もそう思う」

 別の志願兵が尋ねる。

「それでいいんでしょうか」

「いい」

 レイブンは即答した。

「今日の課題は、間違えないことじゃない。状況が変わって、自分たちの判断が外れた時に止まらないことだった」

 志願兵たちは静かに聞いている。

「戦場で、最初から最後まで正しい情報だけが揃うとは限らない。時間が十分にあるとも限らない。だからといって、何も考えずに急げばいいわけでもない」

 レイブンは第五週まで使ってきた訓練区画へ目を向けた。

「迷うこと自体は悪くない。迷っていると自覚できるなら、何が足りないのか考えられる。問題は、迷っていることに気づかないまま時間だけ使うことだ」

 列の中から質問が上がった。

「十三週目にも、判断する時間は限られますか?」

「当然」

「教官が時間を奪う?」

 レイブンは少し考えた。

「俺が何もしなくても、旧市街の中で状況は動く。お前たち自身が動けば、それだけでも状況は変わる」

「では、教官自身も?」

「対抗側だからな。待っていてやる理由はない」

 志願兵たちの顔に、これまでとは違う理解が浮かんだ。

 十三週目のレイブンは、彼らが作戦会議を終えるまで同じ場所に立っている標的ではない。

 自分たちが考えている間にも動く。

 自分たちを観察し、判断し、行動を変える。

 しかし同時に、それはレイブン自身にも当てはまる。

 一人である以上、すべてを見ることはできない。

 志願兵たちが何を選ぶのか、事前にすべて知ることもできない。

「教官」

「何?」

「十三週目、教官も判断を間違えることはありますか?」

 周囲が静かになった。

 Houndだけが、少し離れた場所で面白そうにレイブンを見る。

 レイブンは迷わなかった。

「あるよ」

 志願兵の何人かが驚く。

「俺は未来が見えるわけじゃない。情報が足りなければ判断を外すこともあるし、お前たちが俺の予想と違う動きをすれば対応を変えなきゃならない」

 レイブンは金と黒の瞳で彼らを見渡した。

「だから勝ちたいなら、俺が間違えるのを祈るんじゃなくて、俺に間違った判断をさせるくらい上手く動け」

 その言葉に、志願兵たちの空気が変わった。

 恐れよりも先に、考える表情が現れる。

 Houndが小さく笑った。

「また大きなヒントやったな」

「いいんだよ」

「本番で泣くなよ」

「それは十三週目に決める」

 第六週の終了が告げられたあとも、志願兵たちはすぐには宿舎へ戻らなかった。何人かが地図を囲み、今日自分たちが判断を変えた地点について話している。別の班では、判断が遅れた理由を班長だけの責任にせず、必要な情報を渡せなかった側からも意見が出ていた。

 十三週間の訓練は、ほぼ半分まで来ていた。

 レイブンが新しい教育課程で作ろうとしているのは、すべての状況に正解を持つ兵士ではない。

 そんな兵士は存在しない。

 必要なのは、限られた情報と限られた時間の中で一度決め、それでも自分の判断を絶対視せず、状況が変われば仲間とともに修正できることだった。

 訓練区画から戻る志願兵たちの背中を眺めながら、Houndが隣で口を開いた。

「六週間か」

「ああ」

「最初の頃なら、あいつらNoX一人を全員で追いかけただろうな」

「たぶんね」

「今なら?」

 レイブンは少し考えた。

「俺を追う必要があるのか、そこから考えるんじゃない?」

 Houndは楽しそうに笑った。

「本当に十三週目、危ないんじゃないか?」

 レイブンも否定しなかった。

 それは教官として望んでいた変化だった。

 自分を倒す方法を教えるのではなく、自分を倒すことさえ目的の一つに過ぎないと気づかせる。

 旧市街地で約束された非対称戦まで、残り七週間。

 レイブンはその日を待つ側でありながら、同時に、そこで志願兵たちに試される側へ少しずつ近づいていた。

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