Season 8「継ぐ者、見守る者」 #162
第162話「第四週――見えないものを伝える」
第四週の初日、志願兵たちが訓練場へ集合した時、前週まで使われていた射撃区画には立入制限の表示が出されていた。
代わりに彼らを待っていたのは、訓練基地の外縁部に広がる複合演習区画だった。低い建物や林地、緩やかな起伏、舗装路と未舗装路が混在し、一つの場所に立って全体を見渡すことはできない。
レイブンは志願兵たちを前にすると、携行端末を一台掲げた。
「第三週まで、お前たちは自分の目で見ることを覚えた。今日からは、自分に見えないものを扱う」
後方に立つHoundが、周囲の地形を見ながら口を開いた。
「先に言っとくが、今回は全員で同じ景色を見られると思うなよ」
志願兵たちの間に僅かな緊張が走る。
レイブンは続けた。
「班を二つに分ける。同じ班の仲間でも、別々の場所へ行ってもらう。片方が得た情報を、もう片方へ伝える。それだけだ」
一人の志願兵が手を上げた。
「通信訓練でしょうか」
「通信機器の扱いも見る。ただ、今週の中心は機械じゃない。伝える側と受け取る側だ」
レイブンは演習区画の奥を見る。
「自分が見たものを、自分にしか分からない言葉で説明しても役には立たない。逆に、受け取った情報を勝手に補っても危険になる。見えていないなら、見えていないと言え。分からなければ聞き返せ」
第三週にSmartARの表示と実際の状況が一致しない課題を経験した志願兵たちは、その意味をすぐに理解したらしい。
「それと、もう一つ」
レイブンが付け加えた。
「通信があるからといって、常に繋がっているとは思うな」
Houndが横を見る。
「最初から嫌なこと言うなあ」
「現実だろ」
「新兵の顔を見ろよ」
「今のうちに知った方がいい」
レイブンは班分けを開始した。
最初の課題では、片方の組が演習区画を移動しながら指定された地点を確認し、離れた位置にいるもう一方の組へ情報を伝える。
受信側は現場を直接見ることができない。
渡された地図と通信内容だけを頼りに、どこで何が起きているのかを把握する。
単純に思えた課題は、開始から十分もしないうちに混乱した。
『大きな建物の右です』
通信から聞こえた報告に、受信側の志願兵が地図を見る。
『どの建物だ?』
『こっちから見て一番大きい建物です』
『こっちからは見えてない。特徴を言ってくれ』
少し間が空いた。
『窓があります』
受信側の数人が顔を見合わせる。
Houndがレイブンの隣で額を押さえた。
「ほとんどの建物にあるぞ」
「だから止めない」
「まあ、そうなるよな」
通信は続く。
『窓が多い建物です』
『何階?』
『……三階くらい』
『くらい?』
『三階です。たぶん』
受信側の班長役が困った顔をした。
それでも教官へ答えを求めることはせず、地図を広げたまま仲間と相談を始める。
やがて別の志願兵が通信へ入った。
『道路は見える?』
『見えます』
『舗装されてる?』
『はい』
『交差点は?』
『あります。建物は交差点の北側です』
そこで初めて候補が絞られた。
さらに周囲の特徴を確認し、ようやく双方が同じ地点を認識する。
課題終了後、レイブンは両組を一か所へ集めた。
「何が難しかった?」
最初に報告した志願兵が答える。
「自分には建物が見えていたので、それで伝わると思っていました」
「受け取る側は?」
「最初、相手が何を見ているのか想像で補いました」
「その結果?」
「違う建物だと思っていました」
レイブンは頷く。
「それが今週の最初の失敗だ。覚えておけ」
誰かを叱る口調ではなかった。
「伝える側は、自分と相手が同じものを見ていると思わない。受け取る側も、相手の言葉から勝手に完成した景色を作らない。確認できたことと、推測していることを混ぜるな」
志願兵たちは記録を取る。
レイブンはそこで止めた。
「書く前に、今の相手と話せ」
手が止まる。
「記録はあとでいい。まず、自分の説明のどこが分かりにくかったか聞け。受け取った側も、どこで勘違いしたか伝えろ」
すぐに会話が始まった。
第一週なら教官の正解を待っていた志願兵たちが、今は自分たちで失敗を分解しようとしている。
Houndがその様子を眺めた。
「四週間前とは違うな」
「まだ四週目だ」
「やっぱり言った」
レイブンは聞かなかったことにした。
午後の課題では、条件が少し変わった。
今度は同じ班の複数地点から情報が入る。
誰かが動きを見つけ、別の誰かが音を聞き、さらに別の場所ではSmartARに反応が表示される。
問題は、その情報が必ずしも同じ時点のものではないことだった。
最初の班は、すべての報告を一つの出来事として扱った。
その結果、実際には移動している一つの訓練目標を、三つの別々の対象だと判断してしまった。
班長役が地図上に三つの印を付けたところで、Houndが笑いを堪えながらレイブンを見る。
「増えたな」
「増えたね」
「本当は一つだろ?」
「教官は黙ってろ」
「お前も教官だろ」
「だから黙ってる」
やがて志願兵の一人が異変に気づいた。
「待ってください」
班長が振り返る。
「どうした?」
「この三つ、報告された時間が違います」
地図上の印を見る。
「最初がここ。その数分後にこっちで音がして、最後にSmartARの反応がここなら……別々じゃなくて、移動してる可能性はありませんか?」
班内の空気が変わった。
誰かが通信記録を確認し、別の者が距離を見積もる。
確定ではない。
だから班長は三つの印を消さず、その横へ「同一対象の可能性」と追記した。
レイブンの猫耳が僅かに動いた。
「今のはいいな」
Houndが小声で言う。
「ああ」
「正解したから?」
「違う」
レイブンは地図を見る。
「分からないものを、分かったことにしなかった」
課題終了後、そこが評価された。
「推測するなとは言わない」
レイブンは全員へ説明した。
「推測は必要だ。ただし、確認できた事実と同じ箱へ入れるな。『見た』『聞いた』『表示された』『たぶんこうだ』は、それぞれ意味が違う」
第三週までに学んだ観察が、ここで通信と結びつき始めていた。
自分が見る。
仲間が見る。
それぞれ違うものを見る。
そして言葉で一つの状況を組み立てる。
第四週の中盤、レイブンは通信条件をさらに変えた。
課題開始からしばらくは正常だった通信に、意図的な制限が入る。
完全に使えなくするのではない。
短時間だけ繋がりにくくなり、情報が遅れて届く。
志願兵たちはすぐに気づいた。
『教官、通信状態が不安定です』
「確認した」
『機器の故障でしょうか』
「自分たちで確認しろ」
班員が端末の状態を確認する。
故障表示はない。
別系統の通信も試す。
それでも安定しない。
以前なら、そこで教官へ次の指示を求めていたかもしれない。
今回は違った。
班長役が仲間を見る。
「通信が戻るまで、最後に共有した情報を基準にする。ただし状況が変わっている可能性を前提にしよう」
別の志願兵が応じる。
「再接続したら、まず現在位置と時間を確認した方がいい」
「そうしよう」
レイブンは離れた位置から聞いていた。
Houndが隣で小さく頷く。
「止まらなかったな」
「うん」
「第一週だったら?」
「教官を探しただろうな」
「成長してるじゃないか」
レイブンは答えず、記録端末へ短く入力した。
通信が回復すると、志願兵たちはいきなり大量の情報を送り合うことはしなかった。
まず現在の位置と状態を確認し、それから必要な情報を順番に更新する。
完璧ではない。
伝え忘れもあった。
言葉が曖昧になった者もいる。
それでも混乱は短かった。
第四週の最終日には、各班へ少し広い演習区画が与えられた。
今回は教官側から頻繁な指示を出さない。
志願兵たちは離れた仲間と連絡を取りながら複数の確認地点を巡り、最後に自分たちが把握した状況を一枚の地図へまとめる。
レイブンとHoundは監督側へ回った。
昼を過ぎた頃、一つの班で意見が割れた。
前方の組から、指定された場所に目標がないという報告が届いた。
後方の組が持つ情報では、そこにあるはずだった。
「見落としてない?」
後方の志願兵が通信で尋ねる。
『確認した。ない』
「SmartARには?」
『反応なし』
「じゃあ、移動した?」
『分からない』
以前なら、その「分からない」で止まっていた。
班長役は地図を見た。
「分かった。ないことは確認できたんだな?」
『それは確実』
「なら、その情報を使う。予定地点にないものを探す」
後方の仲間が周辺情報を確認する。
別の地点にいる志願兵が、少し前に聞いた音について報告した。
その情報だけで結論を出さず、時間と場所を照らし合わせる。
やがて班は、当初とは別の場所へ移された訓練目標を発見した。
課題を終えて戻ってきた彼らに、レイブンは尋ねた。
「最初の情報が間違ってたと思う?」
班長役が考える。
「いいえ。最初に置かれていたという情報は、その時点では正しかった可能性があります」
「じゃあ何が変わった?」
「状況です」
「そうだ」
レイブンは頷いた。
「情報は受け取った瞬間から古くなる可能性がある。だから、昔の情報を信じるなとは言わない。いつ得た情報なのかを忘れるな」
志願兵たちは静かに聞いている。
その日の夕方、第四週を終えた彼らは教室へ戻った。
レイブンは黒板に一枚の簡単な地図を映した。
「十三週目の話を少ししよう」
それまで疲れていた志願兵たちの顔が上がった。
Houndが壁際で苦笑する。
「この話になると元気になるな、お前ら」
レイブンは地図上に旧市街訓練区画の外形だけを表示した。
建物配置や開始地点、模擬目標の位置は伏せられている。
「最終日、お前たちは複数の班でこの中へ入る」
一人が手を上げる。
「教官の位置は最初から分かるのでしょうか」
「分からない」
「SmartARによる追跡は?」
「当日の条件次第だ」
「通信は?」
レイブンはそこで少し間を置いた。
「使える」
何人かが安心した。
「ただし、最後まで理想的な状態で使える保証はしない」
安心した顔がすぐに消えた。
Houndが吹き出す。
「今週やったこと、そのままだな」
「そのままじゃない」
レイブンは答えた。
「最終日は俺も考えるから」
教室が静まった。
一人の志願兵が慎重に尋ねる。
「教官も、我々の行動に合わせて変えるという意味ですか?」
「もちろん」
レイブンは旧市街の地図を消した。
「俺が最初に決めた行動を最後まで繰り返すと思うな。お前たちが学ぶなら、対抗側だって学ぶ。だから十三週間、教えた通りに動くだけでは俺には勝てない」
志願兵たちは互いを見る。
恐怖というより、考え始めた顔だった。
「でも、心配するな」
レイブンの声が少し柔らかくなる。
「俺にも、お前たち全員を同時に見ることはできない」
その一言で、何人かの表情が変わった。
第三週までなら、NoXという存在そのものを攻略不能の相手として考えていた者もいた。
今は違う。
教官にも見えない場所がある。
一人なら、なおさらだ。
その事実が、第四週で学んだ内容と結びつき始める。
「今日はそこまで」
レイブンが終了を告げる。
志願兵たちは教室を出ながらも、旧市街でどう動くかを話し始めていた。
Houndが最後まで残る。
「今の、かなり大きなヒントじゃないか?」
「そう?」
「一人じゃ全部見られないって、自分で教えただろ」
「事実だからな」
「十三週目、後悔するぞ」
レイブンは机の上の記録をまとめた。
「それなら成功だよ」
「負けても?」
「教官としてはな」
Houndが笑う。
「NoXとしては?」
レイブンはそこで手を止めた。
金と黒の瞳がHoundへ向く。
「別の話だ」
「そう来ると思った」
二人が教室を出る頃には、訓練場の照明が順番に落とされ始めていた。
十三週間のうち、四週間が終わった。
自分を知ることから始まった志願兵たちは、仲間を知り、武器を持っても周囲を見ることを覚え、今度は自分の目に映らないものを仲間から受け取ろうとしている。
誰か一人の視界では足りないからこそ、言葉を交わす。
確かなことと推測を分け、古くなった情報を疑い、分からないことを分からないまま共有する。
その積み重ねは、まだ小さい。
だが旧市街地でレイブン一人と向き合う日、彼らに必要になるのは、まさに自分一人では持てない視界だった。
残された九週間の中で、それを一つの部隊の目へ変えられるかどうか。
第四週を終えた時点で、レイブン自身にもまだ、その答えは分からなかった。




