Season 8「継ぐ者、見守る者」 #161
第161話「第三週――撃つ前に見る」
第三週の朝、志願兵たちが射撃訓練場へ到着すると、そこには彼らが待ち望んでいた光景が広がっていた。
整然と区画された射撃位置には訓練用火器が準備され、その脇には各人の身体特性へ合わせて調整可能な装具が並んでいる。第二週の終わりにレイブンが「射撃も入る」と告げて以来、宿舎ではどんな訓練が始まるのかという話題が絶えなかったらしい。
だが、志願兵たちの期待は、訓練場へ入って数分もしないうちに別の方向へ向けられることになった。
レイブンは銃に触れさせなかった。
「装備の前に集合」
号令を受けた志願兵たちは、準備された火器を横目に見ながらレイブンの前へ集まった。その後方ではHoundが腕を組み、彼らの反応を面白そうに眺めている。
レイブンは訓練場を示した。
「見えているものを教えてくれ」
問いの意味を測りかねた志願兵たちは、しばらく互いの顔を見た。
一人が手を上げる。
「標的があります」
「他には?」
「射撃位置と、訓練用の火器があります」
「それから?」
別の志願兵が周囲を見る。
「安全管理の教官がいます。観測機器もあります」
「他には?」
質問が続くたびに、志願兵たちの視線が広がっていった。
風がある。
光の向きが変わっている。
隣の射撃区画は使われていない。
標的の一部は距離が違う。
訓練場の端には、射撃とは直接関係がなさそうな遮蔽物が置かれている。
誰かが答えるたび、別の誰かが自分の見落としに気づいた。
「今、何発撃った?」
レイブンが尋ねた。
「まだ撃っていません」
「それでいい」
レイブンは頷いた。
「第三週では射撃を扱う。ただし、最初に覚えてほしいのは引き金の扱いだけじゃない。撃つ前に、自分が何を見ているのか確認することだ」
志願兵の一人が、標的へ目を向けた。
「標的を確認するという意味ですか?」
「それも含む。でも標的だけじゃない」
レイブンは訓練場全体へ視線を巡らせる。
「自分の位置、仲間の位置、装備の状態、周囲の変化。必要なものを見ないまま撃ち始めれば、射撃が上手くても班にとって危険になる。だから今週は、撃つ技術と同じくらい、撃つ前の判断を見る」
Houndが後方から声を飛ばした。
「つまり、早く撃てば褒めてもらえると思ってる奴は、その考えを今のうちに捨てとけ」
何人かが僅かに目を逸らす。
Houndはすぐに見つけた。
「いたな?」
「Hound」
「何だよ」
「脅すな」
「事実を言っただけだろ」
レイブンは小さく息を吐き、志願兵たちへ向き直った。
「まず装備確認から始める。分からないことがあったら、その場で聞け」
ようやく志願兵たちは訓練用火器の前へ移動した。
最初に行われたのは、それぞれの身体へ装備を合わせる作業だった。
同じ規格の装備でも、使う者の身体は同じではない。肩幅や腕の長さだけでなく、猫系や犬系の耳、尾を持つ者の重心、体格差による姿勢の違いまで考慮する必要がある。UAES対応装具はそうした差を吸収するために存在するが、自動調整された結果を本人が確認しなくていいという意味ではなかった。
レイブンは列の間を歩きながら、志願兵たちの動きを見ていた。
第一週なら、教官が近づくだけで姿勢を硬くしていた者も多かった。
今は違う。
「教官、確認をお願いします」
猫系亜人の志願兵が自分から声を掛けた。
「どこが気になる?」
「肩の位置です。表示では適正になっていますが、動かした時に少し引っ掛かる感じがあります」
レイブンは本人に何度か無理のない範囲で動かしてもらい、補助教官にも状態を確認させた。
「その違和感は覚えておけ。表示が正常でも、自分の身体がそう言ってないなら確認する。今みたいに申告していい」
「はい」
「調整してから続けよう」
志願兵が頷く。
少し離れたところでHoundがその様子を見ていた。
「第一週の成果、出てるな」
「まだ三週目だよ」
「毎回それ言うつもりか?」
「十三週目までは」
「長いぞ」
基礎確認を終えると、ようやく射撃が始まった。
最初の課題は複雑なものではない。
安全が管理された訓練環境の中で、教官の指示に従って標的を確認し、自分の状態と周囲を把握してから訓練用火器を使用する。結果だけではなく、射撃前後に何を見ていたのかも記録される。
射撃経験のある志願兵は、すぐに目立った。
着弾結果も安定している。
初めて本格的に火器を扱う者は時間がかかる。
だがレイブンは、命中結果だけを順位として並べなかった。
一回目が終わると、全員を射撃位置から離した。
「自分の結果を確認しろ。それから隣の人間と話せ」
志願兵たちが記録を見る。
「何を話すんですか?」
「自分が何を見て、何を見落としたと思うか。相手から見てどうだったかも聞け」
射撃訓練の途中で話し合いを求められるとは思っていなかったらしく、何人かが戸惑った。
それでも第二週までの経験がある。
すぐに会話が始まった。
「撃つ直前、標的しか見てなかった」
「俺も。教官の合図が聞こえてから周り見た」
「私は逆に確認し過ぎて遅れた」
「遅れたって、何に?」
「周りが撃ち始めたから」
「でも時間制限には間に合ってるだろ?」
「……じゃあ、遅れてない?」
そんな会話が各所から聞こえてくる。
レイブンは口を挟まなかった。
志願兵が自分たちで気づける間は待つ。
その中で、一人だけ射撃結果を見つめたまま動かない志願兵がいた。
第一週から比較的高い身体能力を示し、第二週には仕事を任され過ぎて疲労した猫系亜人だった。
射撃結果は良い。
班の中でも上位だった。
「不満?」
レイブンが隣へ来ると、志願兵は姿勢を正した。
「いえ」
「じゃあ何を見てる?」
「命中しています」
「してるな」
「でも、教官はあまり見ていませんでした」
レイブンは僅かに眉を上げた。
「俺を?」
「はい。射撃結果が良ければ、もっと評価されると思っていました」
「なるほど」
レイブンは標的を見る。
「上手いよ」
志願兵の猫耳が僅かに動いた。
「ただ、俺が見てたのはそこだけじゃない」
「何を?」
「最初の射撃で、お前は隣がまだ準備を終えてないのに気づいてなかった」
志願兵の表情が変わる。
「二回目は?」
「……確認しました」
「そう。だから二回目の方を高く評価してる」
レイブンは記録端末を見せる。
命中結果だけなら一回目も二回目も大きな差はない。
しかし観察項目には変化が記録されていた。
「撃つのが上手いことは強みだ。捨てる必要はない。でも、それだけで自分の価値を決めるな」
「はい」
「第二週で、一人に頼り過ぎた班がどうなったか覚えてるだろ」
志願兵は苦笑した。
「自分の班ですから」
「なら今度は、お前自身が自分の強みに頼り過ぎるな」
「分かりました」
午後になると、射撃訓練の形が変わった。
標的のすべてが撃つべき対象ではなくなった。
志願兵は射撃位置へ入る前に状況説明を受け、その内容に従って判断する。表示される情報も補助として使えるが、実際に見えるものとの整合を確認しなければならない。
最初の班が課題へ入った。
班長役が周囲を確認する。
SmartAR上には複数の情報が示されている。
しかし、一人の志願兵が手を上げた。
「教官」
「何?」
「表示と実際の配置が違います」
「どこが?」
志願兵が説明する。
レイブンは答えを教えなかった。
「班で確認しろ」
四人が互いに見えるものを伝える。
全員が同じ違和感に気づく。
班長役が判断し、表示情報を絶対視せず、目視と仲間からの報告を優先することを決めた。
課題終了後、Houndが笑った。
「気づいたな」
「第一週だったら、そのまま表示を追ってたかもしれない」
レイブンが答える。
「わざと間違った表示にしたんですか?」
志願兵が尋ねる。
「訓練上の不一致を用意した。SmartARを疑えって意味じゃない。何かがおかしい時に確認する癖をつけるためだ」
「実戦でも間違うことが?」
「機械である以上、情報が欠けることも、遅れることもある。だから便利なものほど、正しく使え」
志願兵は頷いた。
Houndが小声でレイブンへ言う。
「十三週目にも使う気だろ」
「何を?」
「こういう情報のズレ」
「条件はまだ決めてない」
「嘘つけ。顔に書いてある」
「書いてない」
「長い付き合いだから分かるんだよ」
レイブンは返事をせず、次の班へ開始準備を命じた。
第三週の後半になると、志願兵たちの射撃結果そのものも少しずつ安定してきた。
しかし、教官側が最も注目したのは別の変化だった。
誰かが射撃位置へ入ると、隣の者が自然にその状態を見る。
装備に違和感があれば本人が申告する。
表示と目視が違えば確認する。
焦っている同期がいれば、一度声を掛ける。
その一つ一つは小さい。
戦史に残るような技術でもない。
だが、レイブンはそうした動きを見逃さなかった。
第三週最終日の夕方、訓練場には使い終えた装備を返却する音が続いていた。
全員の返却が終わったところで、レイブンは志願兵たちを集めた。
「今週、一番命中結果が良かった奴は自分で分かってると思う」
数人の視線が、あの猫系亜人へ向く。
本人も気づいている。
「でも、第三週の最高評価は別の奴だ」
ざわめきが起こる。
名前を呼ばれたのは、第二週の映像でHoundが見つけた人間種の志願兵だった。
本人が最も驚いている。
「前へ」
志願兵が出る。
「理由、分かる?」
「分かりません」
「だろうな」
レイブンは全員にも聞こえるよう続けた。
「この一週間、自分の結果は平均的だった。でも、隣の装備の異常を二回見つけた。射撃前に班員の準備不足へ気づいたのが三回。情報の不一致を最初に口にしたのが一回。それから、焦った同期へ声を掛けて訓練を続けられる状態へ戻した」
志願兵本人が驚いていた。
「そんなこと、評価されるんですか」
「する」
「でも、自分は射撃が特別上手いわけではありません」
「第一週、自分に目立った長所がないって書いてたな」
志願兵が息を止める。
レイブンは笑わなかった。
「周りを見てる。それがお前の長所だ」
志願兵はしばらく何も言えなかった。
「ただし、そこで満足するな。気づいても伝えなきゃ意味がないし、見ているだけで自分の仕事を忘れても困る。今週は、それができていた」
「……はい」
「戻っていい」
志願兵が列へ戻る。
隣にいた同期が小さく肩を叩いた。
レイブンは全員を見渡した。
「撃てることは大事だ。必要な時に撃てない兵士では困る。でも、火器を持った瞬間に視野が標的だけになる兵士も困る」
夕日が射撃場の端へ差し込んでいる。
「第三週で覚えてほしかったのは、撃つ前に見ることだ。撃った後も見る。状況が変われば、撃たない判断もある。仲間が何を見ているのか聞くこともある」
一人の志願兵が手を上げた。
「教官。最終日の旧市街でも、同じことが必要になりますか?」
レイブンはすぐには答えなかった。
Houndが横で笑っている。
「さあな」
「教えていただけないんですね」
「十三週目まで全部教えたら、エキシビションにならないだろ」
志願兵たちから不満とも笑いともつかない声が上がった。
レイブンは腕を組む。
「でも一つだけ言っておく」
空気が静まる。
「旧市街で俺を見つけても、それだけで勝ったと思うな」
志願兵たちの表情が変わった。
レイブンはそれ以上説明しなかった。
「第三週終了。装備返却を確認した者から解散」
志願兵たちが動き始める。
その背中を見ながら、Houndがレイブンの隣へ立った。
「今ので全員、十三週目までずっと考えるぞ」
「考えればいい」
「性格悪いな」
「父さんにも言われた」
「それだけはヴァルター教官から完璧に継承したんじゃないか?」
レイブンはHoundを横目で見た。
「来週の補助、外すぞ」
「悪かった。教官殿」
Houndは笑いながら逃げるように歩き出した。
レイブンも訓練場を出ようとして、最後に一度だけ振り返った。
十三週間のうち、三週間が終わった。
志願兵たちはようやく武器を扱い始めたばかりだったが、彼が見ているのは命中結果だけではない。
自分を知り、仲間を知り、武器を持っても周囲を見る。
それらが別々の教訓として終われば意味がない。十三週目に必要なのは、教わった項目を思い出して順番に実行することではなく、状況の中で自然に組み合わせられることだった。
旧市街地に立つ時、彼らの目の前には標的だけが存在するわけではない。
そして対抗側に立つレイブン自身も、ただ追われるだけの標的になるつもりはなかった。
その答えへ辿り着くまで、残された時間はあと十週間だった。




