Season 8「継ぐ者、見守る者」 #134
第134話「違う身体、同じ戦列」
レイブンがWOLF PACKへ段階的に復帰してから、一週間が過ぎた。
朝のFENRIR訓練区画には、まだ夜の冷気が残っていた。舗装面には前夜の湿気が薄く浮かび、遠くの格納庫では整備班が大型扉を開く低い機械音が響いている。
レイブンは訓練区画へ入る前に一度だけ振り返った。
数時間前までいたクロウ家はここから見えない。それでも家を出る直前に聞いたリリアの声と、眠ったまま自分の指を握っていたルークの感触は残っていた。
今朝もエリシアから言われた。
「仕事中まで子供のことを考えて集中を切らさないでね」
その直後に、
「でも忘れろとは言ってないから」
とも付け加えられた。
難しい注文だと思ったが、今なら意味は分かる。
家族を持ったことを戦場から切り離す必要はない。
だからといって家族への思いを理由に、任務中の判断を鈍らせてもいけない。
レイブンはSmart-Visorを装着した。
視界の端へ時刻、訓練区域、味方識別、装備状態が表示される。
同時にUAESとの接続状態も確認した。
モーフィング・アーマーの状態は正常。
モジュラー・ハーネスの荷重偏りも許容範囲。
バイオ・タクティカル・ウェアも問題ない。
表示を確認した後、レイブンは一度Smart ARとの接続を切った。
情報表示が消える。
その状態で肩を回し、身体を沈め、左右へ重心を移す。
装備は形状を維持した。
猫耳も動く。
尾にも干渉はない。
レイブンは再び接続を戻した。
「相変わらず疑り深いな」
後ろからHoundの声がした。
「確認してるだけだ」
「昨日もやったろ」
「昨日動いた装備が今日も動く保証にはならない」
「お前のそういうところ、親父さんそっくりになってきたぞ」
レイブンの動きが止まった。
「……それ、父さんの前で言ってみろ」
「嫌だね。教官時代の目で見られたくねえ」
Houndは笑いながら隣へ並んだ。
犬系亜人である彼のUAESも、レイブンの装備と基本規格こそ共通しているものの、輪郭は明確に異なる。頭部装備は犬系の耳とマズルに合わせて構成され、頸部の可動を妨げないよう支持位置も調整されている。
胸部の装備配置も同じではない。
前衛を担当するHoundは頻繁に身体を捻る。以前の共通装具では、その動作を繰り返すうちに側腹部の装備が腕と干渉することがあった。
今はモジュラー・ハーネスが身体と任務の双方へ合わせて配置を変えている。
Houndが肩を回した。
「昨日の調整よりマシだ」
「首は?」
「右いっぱいまで振っても引っ張られねえ」
「マズル周り」
「問題なし。耳も聞こえる」
レイブンは頷く。
「なら今日の動作試験で見る」
「はいはい、教官殿」
「茶化すな」
「復帰して一週間で完全に戻ったな」
「何が?」
「仕事の顔」
Houndが横目で見る。
「家じゃ違うんだろ?」
「普通だよ」
「双子相手に?」
「普通だ」
「エリシアに聞いてみるか」
「やめろ」
「即答じゃねえか」
Houndが笑った。
その声を聞きながら、レイブンは訓練場へ向かった。
今日の試験はWOLF PACKだけではなかった。
UAESの目的は一つの部隊を便利にすることではない。
FENRIRを構成する多様な兵士たちが、それぞれの身体を維持したまま共同任務へ参加できることにある。
訓練区画には複数の専門任務部隊から評価要員が集められていた。
人間種。
猫系亜人。
犬狼系。
狐系。
爬虫類系。
翼を持つ鳥系。
角を持つ者。
体格そのものが人間種より遥かに大きい者。
腕を二本以上持つ者もいる。
レイブンは隊列を見渡した。
同じ軍服を無理に着せた光景ではない。
装備の設計思想は共通していても、その形は一人ずつ異なっている。
鳥系亜人の背部は翼の基部を塞がないよう開かれ、通常なら背負う装備が腰部と側腹部へ分散されている。角を持つ兵士のスマート・セル・ヘルメットは角の根元へ荷重を集中させず、外殻がその周囲へ沿う形で構成されていた。
大柄な兵士の装備は単純に人間用を拡大したものではない。
骨格と接地荷重を考慮した支持構造が追加されている。
一方、多腕型の兵士は複数の腕が交差する範囲を空け、携行装備が動線を塞がない位置へ分散されていた。
同じではない。
だからこそ、同じ戦列へ立てる。
「NoX」
Cipherが端末を持って近づいてきた。
「全員のSmart AR接続を確認しました。ただし鳥系評価班の一名で、翼展開時に荷重表示が不安定になります」
「原因は?」
「姿勢推定が翼を装備の一部として誤認する瞬間があります」
レイブンの眉が動く。
「身体を装備扱いしてるのか」
「瞬間的にですが」
「優先修正だな」
「同意します」
「本人には?」
「伝達済みです。今日は該当表示を補助扱いに落とし、本人の感覚と外部観測を優先します」
「それでいい」
レイブンは鳥系兵士を見る。
「システムの間違いに身体を合わせさせるな」
「記録します」
Cipherは端末へ入力した。
少し離れた場所ではSageが狐系の耳を動かしながら、救護装備の位置を確認している。
「Sage」
「はい」
「医療側は?」
「問題が一つあります」
「聞く」
「負傷者搬送時です。UAESそのものは個人へ適合しますが、救護側が相手の身体構造を理解していないと、装備を外す判断を誤る可能性があります」
レイブンはすぐに意味を理解した。
「装備が対応しても、人間側の知識が追いつかなきゃ意味がない」
「そういうことです」
「訓練体系へ入れる必要があるな」
「私はそう考えています。特に翼、角、尾、複数腕については、負傷時にどこまで動かしてよいかが種族や個人で違います」
「一括手順にしない方がいい」
「はい」
Sageは小さく頷いた。
「UAESは救護を楽にする部分もあります。でも、装備が賢くなったから救護員が考えなくていい、という話ではありません」
「Smart ARと同じだな」
「ええ」
便利になるほど、使う側の判断が不要になるわけではない。
レイブンはそれを覚えておいた。
訓練開始の合図が入った。
今日の課題は、市街地を模した区画を複数種族混成班で移動し、指定地点まで到達することだった。
敵役との模擬交戦はある。
だが勝敗そのものが目的ではない。
身体構造の違う兵士たちが同じ地形を移動した時、装備がどこで問題を起こすかを確認する。
レイブンはWOLF PACK側の指揮位置へ入った。
「全員、今日見るのは速さだけじゃない。装備に違和感が出たら報告しろ。我慢して最後まで走る試験じゃない」
Houndが横から続ける。
「痛ぇのに根性で黙ってた奴は、終わった後Sageに怒られるぞ」
「あなたも含みます」
即座にSageが返した。
「俺も?」
「一番心当たりがあるでしょう」
周囲から笑いが起きた。
緊張が少し抜ける。
レイブンはその変化を確認してから手を上げた。
「開始」
混成班が動き出した。
レイブンも進む。
最初の狭い通路では人間種と猫系に問題はなかったが、大柄な兵士は肩幅のため通過速度を落とした。UAESは装甲面を可能な範囲で身体へ寄せたものの、骨格そのものを小さくすることはできない。
レイブンはそれを見て経路を変えた。
「右へ回す。狭路を全員に通らせる必要はない」
Houndが応じる。
「了解。大柄組、俺と右」
装備が適合しているからといって、地形まで適合するわけではない。
身体差は残る。
それでいい。
問題は、その差を無視して全員へ同じ動きを要求することだった。
次の区画で模擬射撃音が響いた。
レイブンの身体は反射的に低くなる。
猫耳が音源を捉え、Smart-Visorには味方観測を統合した推定位置が表示された。
だが確定情報ではない。
「左上、可能性あり。表示を鵜呑みにするな」
Lynxが別角度から確認する。
「視認。左上で合ってる」
「前進継続」
レイブンが姿勢を変える。
モーフィング・アーマーが動きへ追従し、肩周辺の装甲が射撃姿勢を妨げない位置へ落ち着いた。
その直後だった。
「NoX、後方!」
声に振り向く。
鳥系兵士が着地した瞬間、腰部へ移されていた装備の一部が大きく振られた。
本人が姿勢を崩す。
転倒する前に隣の隊員が支えた。
「停止!」
レイブンが訓練を止める。
鳥系兵士のところへ向かう。
「怪我は?」
「ありません。ただ、着地した瞬間に左へ引かれました」
「翼は?」
「問題ありません」
レイブンは装備を見る。
背部を翼のために空けた結果、荷重の多くが腰へ逃がされている。
飛行中は問題がない。
だが着地時の衝撃で重量が一方向へ振られた。
UAESが姿勢変化へ追従しようとしたものの、再配置が衝撃より遅かったらしい。
Cipherが到着する。
「ログ確認。形状追従が約一拍遅れています」
「空中で再配置を始めなかった?」
「安全制御が働いています。飛行中の大きな形状変更を抑制した結果、着地後へ処理が集中しました」
レイブンは頷いた。
「安全制御そのものは間違ってない」
「はい」
「だからって解除すれば別の危険が出る」
「同意します」
鳥系兵士が自分の腰部を見る。
「なら私の着地姿勢を変えますか?」
レイブンはすぐに首を振った。
「先に装備を直す」
相手がレイブンを見る。
「あなたの飛び方をUAESの都合で変えたら、何のための装備か分からない。ただし装備側で解決できない部分があるなら、その時は一緒に運用方法を考える」
「了解」
「今日は重量を減らす。無理に同じ構成で続けない」
レイブンはCipherへ視線を向けた。
「専用モジュール候補として記録。ただし今ここで仕様は決めない」
「了解しました」
訓練を再開する。
今度は鳥系兵士の携行重量を減らし、一部を別の隊員へ分散した。
Houndが荷物を受け取りながらぼやく。
「こういう時だけ犬は荷物持ちか?」
「嫌なら俺が持つ」
「冗談だよ。お前は指揮しろ」
レイブンは一瞬だけHoundを見る。
「助かる」
「素直に礼言うな。調子狂う」
「じゃあ返せ」
「それは嫌だ」
Houndが笑い、隊列へ戻る。
違う身体を持つ者同士が、同じ動きをする必要はない。
必要なのは、同じ目的へ到達することだった。
訓練終了後、評価室には大量の記録が集まった。
レイブンは椅子へ座り、Smart-Visorを外す。
黒い猫耳が解放され、軽く動いた。
「疲れた?」
Lynxが尋ねる。
「頭が」
「身体じゃなくて?」
「考えることが多い」
「UAES導入前より増えたわね」
「ああ」
Lynxは自分のハーネスを外しながら笑う。
「でも、私はこっちの方が好き」
「理由は?」
「装備に『お前の身体が特殊だ』って言われてる感じがしないから」
レイブンは黙った。
Lynxは猫耳を動かした。
「昔の装具って、人間用を少し直しただけのものも多かったでしょう? 耳がある、尾がある、身体が柔らかい。その全部が追加条件みたいだった」
「……そうだな」
「UAESは最初から違う身体がいる前提で作ってる。まだ不具合だらけだけど、そこは好き」
レイブンは端末に残る記録を見る。
「なら、その前提を壊さないようにしないとな」
「お願い、指揮官」
「俺一人じゃ無理」
「知ってる」
Lynxはそう言って立ち上がった。
「だから全員で文句を言ってるんでしょう?」
レイブンは小さく笑った。
「ああ」
夕方、クロウ家へ帰ると、玄関を開ける前から声が聞こえた。
リリアだった。
レイブンの黒い猫耳が扉の向こうへ向く。
鍵を開ける。
「ただいま」
「おかえり」
エリシアの声が返ってくる。
居間へ入ると、エリシアがリリアを抱いていた。
ルークは近くで眠っている。
「今日はリリア?」
「夕方からずっと元気」
「元気って泣いてるけど」
「元気に泣いてるの」
「なるほど」
レイブンは手を洗ってから戻り、娘を受け取った。
「ただいま、リリア」
抱き方にも少しずつ慣れてきた。
以前のように腕全体を硬くすることはない。
「今日はどうだった?」
エリシアが尋ねる。
「問題がいっぱい見つかった」
「嬉しそうに言うこと?」
「試験だからな。問題が出ない方が怖い」
「何か大きいのは?」
「鳥系の着地時に荷重移動が遅れた。安全制御との兼ね合いがあるから、単純に速度を上げればいいわけでもない」
「怪我は?」
「なし。そこは最初に確認した」
「ならよかった」
レイブンはリリアを抱きながら椅子へ座る。
「Lynxが面白いこと言ってた」
「何て?」
「昔の装備は、自分の身体が特殊だと言われてる感じがしたって」
エリシアは少し考える。
「分かる気がする」
「お前も?」
「猫系だからね。耳をどうするか、尾をどうするかって、いつも後から考えられることが多かったでしょう?」
「ああ」
「人間種が普通で、私たちが例外みたいに」
レイブンは娘を見る。
リリアは母寄りの特徴を持つ猫系亜人として生まれた。
ルークは父寄りの黒猫系亜人。
成長すれば二人の身体にも、それぞれ違いが現れるだろう。
同じ両親から生まれた姉弟であっても、完全に同じにはならない。
「この子たちが大きくなる頃には」
レイブンが言いかける。
「また未来のこと?」
エリシアが笑う。
「少しくらいいいだろ」
「どうぞ」
「自分の身体が『普通から外れてる』なんて考えなくていい世界になってるといいな」
エリシアはリリアの小さな猫耳を見る。
「そのためにUAESを?」
「UAESだけじゃ無理だよ」
レイブンは即答した。
「装備が変わっても、人が変わらなきゃ意味がない。Sageも似たようなこと言ってた。救護員が相手の身体を知らなければ、装備だけ対応しても駄目だって」
「珍しく大きな話をするのね」
「今日そういう訓練だったから」
レイブンは少し笑った。
「でも、家でも同じかもしれない」
「何が?」
「リリアとルークを、俺たちに合わせようとしすぎないこと」
エリシアは夫を見る。
「昨日も似たようなこと考えてなかった?」
「考えた」
「今日は?」
「確信が少し増えた」
「そう」
エリシアは眠っているルークへ目を向ける。
「でも親だから、合わせてもらうこともあるわよ。生活の決まりとか」
「それはそうだな」
「何でも好きにしなさい、が尊重することとは限らないもの」
レイブンは頷く。
「装備も同じか」
「どういう意味?」
「身体に合わせるからって、防護を捨てたら意味がない。安全のために譲れない部分もある」
「そういうところ、あなたらしいわね」
「悪い?」
「いいえ」
エリシアは笑った。
「私たち二人でちょうどいいのかも」
「どういう意味?」
「あなたが規律を考えて、私が間を繋ぐ」
「俺が堅いみたいじゃないか」
「違うの?」
レイブンは答えなかった。
エリシアが笑う。
その時、レイブンの腕の中でリリアの泣き声が弱くなった。
「寝そう」
「そのまま動かないで」
「また?」
「起こしたくないでしょう?」
「分かった」
レイブンは身体を止めた。
戦場では、同じ場所に留まり続けることを嫌う。
遮蔽も状況も変化するからだ。
だが今は違う。
娘が眠るまで動かないことが、最も合理的な判断だった。
エリシアがそんな夫を見ながら微笑む。
「NoX、完全停止ね」
「任務が違う」
「どんな任務?」
「リリアを寝かせる」
「成功率は?」
「今のところ五分五分」
「低いわね」
「改善中」
二人は声を抑えて笑った。
夜が深くなった頃、レイブンは一度だけ任務端末を開いた。
今日のUAES評価記録が届いている。
その中に、鳥系兵士の着地時データがあった。
原因解析は継続中。
装備側での改善案もまだ確定していない。
レイブンはそれを見て、すぐに閉じようとした。
だが一件だけ、別の通知がある。
FJMG装備評価部門からだった。
次回試験では、より身体構造の異なる複数種族を同時参加させたいという内容だった。
レイブンは詳細を読む。
まだ参加者も試験内容も確定していない。
正式命令でもない。
ただ、最後の一文だけで意図は分かった。
UAESを個人装備の適合試験から、多種族混成部隊としての運用評価へ進めたい。
レイブンはしばらく画面を見つめた。
今日まで見ていたのは、一人の身体に一つの装備がどう適応するかという問題だった。
その次に来るのは、違う身体を持つ者同士が、違う動き方をしたまま一つの部隊としてどう戦うかという問題になる。
簡単ではない。
むしろ、ここからが本番なのだろう。
レイブンは返信欄を開いた。
『受領。参加可否は部隊状況確認後に回答する。身体差を均一化する試験にはしないこと』
送信する。
端末を閉じた。
隣の部屋からルークの小さな声が聞こえる。
レイブンの耳が動いた。
「今度はルークか」
立ち上がる。
任務端末は机へ置いたままにした。
違う身体を持つ者たちを、一つの形へ押し込めない。
それでも同じ場所へ立ち、互いの違いを弱点として切り捨てず、一つの目的へ進める仕組みを作る。
それはUAESだけで完成するものではなかった。
そして、おそらく家族も同じだった。
レイブンは寝室へ向かう。
扉の向こうには、エリシアと、リリアと、ルークがいる。
明日になれば再びFENRIRへ向かう。
そこで待っているのは、今日よりさらに複雑な多種族混成運用の課題かもしれない。
だが今夜、彼が最初に向き合うべき相手は、眠りから目を覚ました一人の息子だった。
「どうした、ルーク」
レイブンは声を落としながら抱き上げた。
その黒い猫耳が父の声へ反応するように、ほんのわずかに動く。
同じ黒猫系亜人であっても、父と息子は同じ存在ではない。
同じ家族でも、同じ身体でも、同じ道を歩く必要はない。
それでも、互いの違いを抱えたまま同じ場所へ帰ることはできる。
レイブンは腕の中のルークをあやしながら、今日の訓練場で見た光景を思い出していた。
異なる耳を持ち、異なる翼を持ち、異なる骨格を持つ兵士たちが、誰かの身体を「標準」と決めることなく、同じ戦列へ立とうとしていた。
それはまだ完成した光景ではない。
だからこそ、続きを作る価値があった。




