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黒猫年代記  作者: @12
第二部 ~Ⅱ~ FENRIR ― 戦狼となった黒猫 ― Season 4 #067~
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123/189

Season 7「停戦線」 #123

第123話「境界の向こうから来た答え」

 東部戦線で銃声が途絶えてから、四日目の朝が訪れた。

 雨上がりの空はまだ薄い雲に覆われていたが、数日前まで大地を揺らしていた砲撃は聞こえず、代わりに発電機の低い駆動音や輸送車両の走行音、人々が交わす声が静かな前線を満たしている。停戦線を挟んで向かい合う連邦共和国軍、帝国軍、FENRIR、そして異界軍は、誰も武装を解いてはいなかったものの、夜を越えるたびに互いの銃口を意識する時間が少しずつ減っていた。

 撃たないことが異常だった最初の一日から、撃たないことを維持するために行動する段階へ移りつつある。

 もっとも、レイブン・S・クロウ〔無名(ノックス)〕にとって、戦争の終わりを実感できるほど状況は単純ではなかった。

「海上反応、まだ止まったままか」

「位置そのものは変わってない」

 ノア・ヴェルナー〔Cipher〕が観測資料を更新する。

「KRAKEN、SKY LANCER、STYX、それから異界軍側の観測情報を重ねても、昨夜から大きな移動はない。ただし反応強度が一定じゃない。弱くなったと思ったら戻る」

「消えかけてるわけじゃない?」

「そう判断する材料はない」

「了解」

 レイブンはそれ以上の答えを求めなかった。

 前進指揮所の机上には、東部海域を中心とした観測情報が広げられている。

 昨日、西へ移動していた空間異常はKRAKENと異界軍艦隊の中間海域よりやや東で停止した。

 固定型の門とは挙動が違う。

 異界軍が戦争で使用してきた門とも一致しない。

 ベルガで確認した反応とも完全には同じではなく、レイブンとルナが迷い込んだ紫空の世界に関係する現象とも部分的な類似しかない。

 分かっていることより、分からないことの方が圧倒的に多かった。

「海底物体は?」

「Nyxから定時報告が来てる。物体そのものに大きな移動なし。反応方向は依然として海上異常へ向いてる」

「日本側は?」

「監視と航路安全確認を継続。STYXと同じく接近せず、接触もしない」

 レイブンは頷いた。

 日本側支援部隊まで未知の物体へ近づける理由はない。

 分からないなら距離を置く。

 調べることと触ることは違う。

 その判断は、紫空の世界から戻って以来、以前にも増して彼の中へ根付いていた。

 エリシア・L・クロウ〔Valkyrie〕が窓際から振り返る。

「避難民側でも動きがあるわ」

「何か分かった?」

「昨日あなたたちが話していた、アーシェたちの集落を知っている人。もう少しこちらの言葉を話せるようになったみたい」

 レイブンの黒い猫耳が僅かに動く。

「会える?」

「Sageは短時間ならいいって。ただし尋問みたいにしないこと」

「しないよ」

「本当に?」

「最近みんな俺を何だと思ってるんだ」

「元教官」

「現役でもある」

「だから心配なのよ」

 エリシアの口元に小さな笑みが浮かぶ。

 レイブンは《RAVEN》を肩へ回し、指揮所を出た。

 その背後からHoundの声が聞こえる。

「NoX、優しく聞けよ!」

「お前も訓練対象に戻すぞ!」

「ほら怖い!」

 停戦線の向こう側から、意味までは分からなくても声色で何かを察した異界軍兵士たちの笑いが聞こえた。

 レイブンは一度だけ振り返った。

「……本当に覚えるの早いな、あいつら」

     ◇

 避難民の臨時滞在区域は、戦闘開始直後とは比べものにならないほど整えられていた。

 当初は負傷者を運び込むだけで精一杯だった場所に簡易居住区が作られ、IDUNNの救護設備とBIFROSTの物資集積区画が分離されている。EINHERJARは治安維持と避難民支援を担当しながら、異なる種族や文化を持つ者同士の間で問題が起きないよう調整を続けていた。

 レイブンがそこへ入ると、何人かの避難民が彼を見た。

 最初の頃のような強い恐怖はない。

 黒猫系亜人そのものが珍しいのか、子供たちの中には彼の黒い猫耳を見つめる者もいる。

 一人の小さな子供と目が合った。

 レイブンが軽く手を上げる。

 子供は母親らしき人物の後ろへ隠れた。

「逃げられた」

 隣のエリシアが笑う。

「子供には人気ないんだよ」

「顔が怖いからじゃない?」

「お前まで言う?」

 少し離れたところでSageが手を上げた。

「こっち」

 二人が向かう。

 簡易天幕の中には、以前レイブンとルナを知っていると話した人物が座っていた。

 顔色は前より良い。

 片腕の傷も処置されている。

 彼はレイブンを見ると、ゆっくり立ち上がろうとした。

「座ってていい」

 レイブンが手で示す。

 意味は伝わった。

「……レイブン」

「ああ」

「ノックス?」

 レイブンは少し驚いた。

「それも覚えたのか」

 相手は頷く。

「兵士たち、あなた……ノックス、呼ぶ」

「そう。軍ではNoXだ」

 レイブンは自分を示す。

「レイブン」

 次に胸元の部隊章を指す。

「NoX」

 相手は何度か繰り返す。

「レイブン。ノックス」

「そんな感じ」

 エリシアを見て、相手が考える。

「……ヴァルキリー」

 今度はエリシアが目を丸くした。

「私まで?」

「有名人夫婦だな」

「嬉しくない有名になり方ね」

 避難民は二人の会話を完全には理解できない。それでも悪い雰囲気ではないと分かったらしく、少し表情を緩めた。

 レイブンは向かいに座る。

「聞きたいことがある」

 ゆっくり話す。

「アーシェ」

 相手が反応する。

「セイル」

 さらに頷く。

「エルネ」

 その名前を出した瞬間、相手の表情が変わった。

 レイブンも気づいた。

「エルネを知ってる?」

「知る」

「どこにいる?」

 質問の意味を理解するまで少し時間がかかった。

 避難民は視線を落とす。

「分からない」

 レイブンは追及しなかった。

「最後に見たのは?」

 今度は言葉だけでは難しい。

 思念伝達を補助として使う。

 相手が目を閉じた。

 断片的な情景が流れ込む。

 紫色の空。

 黒い川。

 レイブンとルナが見たものと同じ世界。

 石造りの集落。

 人々が走っている。

 遠くで空が裂ける。

 だが、以前とは違う。

 裂け目が一つではない。

 空。

 地面。

 水面。

 複数の場所に、光の亀裂が現れている。

 エルネがいる。

 外套を纏った姿。

 手には、レイブンたちを帰還させたものと似た紫色の筋を持つ石。

 彼女は何かを見ている。

 門ではない。

 もっと遠く。

 空の裂け目の向こう。

 巨大な影。

 そこで思念が途切れた。

 レイブンはゆっくり息を吐いた。

「今のは……いつ?」

 相手が言葉を探す。

「あなた、帰る……あと」

「俺たちが帰還した後?」

「はい。あと」

 エリシアがレイブンを見る。

「じゃあ、あなたたちが帰った後から向こうでも異常が増えていた?」

「可能性はある」

 レイブンは避難民へ戻る。

「巨人はその後?」

「あと」

 相手は頷く。

「空、壊れる。門、多い。巨人、来る」

「どこから?」

「分からない」

 その言葉だけは、もう通訳を必要としなかった。

 分からない。

 それが今、三つの世界で共通している答えだった。

     ◇

 昼前、停戦線では別の変化が起きていた。

 異界軍側から、一台の車両がゆっくりと中央へ近づいてくる。

 武装車両ではある。

 しかし砲口は上げられておらず、前部には昨日まで存在しなかった白い布が取り付けられている。

 連邦共和国軍側に緊張が走った。

 レイブンが戻った時には、双方の監視兵がすでに車両を見つめていた。

「予定にあった?」

「ない」

 Houndが答える。

「ゲルハルトは?」

「向こうから来てる」

 異界軍側の陣地からゲルハルトが走ってくる。

 こちら側へ越える前に停戦線で止まり、大声を上げた。

「NoX!」

「聞こえてる!」

「撃たない!」

「それは見れば分かる! 何だあれ!」

 ゲルハルトは車両を指す。

「上から!」

「上?」

 言葉が足りない。

 ゲルハルトは頭上を指し、それから自分の肩を示す。

 Houndが首を傾げる。

「空から降ってきた?」

「違うだろ。上官だ」

「ああ」

「お前、本当に軍人か?」

「分かりにくいんだよ!」

 ゲルハルトも二人のやり取りを見て、ようやく言葉を見つけた。

「司令部。使者」

 レイブンの表情が変わった。

「異界軍司令部から?」

「はい」

 車両が停止する。

 後部扉が開く。

 数人の異界軍人が降りてきた。

 その中には、ゲルハルトより明らかに上位と思われる階級章を持つ人物がいる。

 レイブンは無意識に《RAVEN》の位置を確認したが、銃口を上げることはなかった。

 相手側も同じだった。

 高級将校らしき人物が停戦線の手前まで歩いてくる。

 ゲルハルトが何かを説明する。

 男はレイブンを見る。

 長い沈黙の後、こちらの言葉を使った。

「レイブン……S……クロウ」

 発音は不自然だった。

 だが、フルネームだった。

「そうだ」

「NoX」

「ああ」

 相手は一度頷く。

 それから自分を示し、名乗った。

 聞き慣れない名前だった。

 レイブンは一度で覚えようとせず、Cipherに記録を任せる。

 そして相手が差し出したのは武器ではなかった。

 封印された書類だった。

 ゲルハルトが補助する。

「司令部から。あなたたちの……司令部へ」

「内容は?」

 高級将校が答えようとする。

 言葉が出ない。

 ゲルハルトが代わった。

「戦争を……止める、話」

 周囲の空気が静まった。

 レイブンは書類をすぐには受け取らない。

「正式な停戦提案?」

 通訳が入る。

 思念伝達でも意味を補う。

 何度も確認する。

 やがて異界軍将校が頷いた。

 これは現地部隊だけの暗黙の戦闘停止ではない。

 異界軍上級司令部から、連邦共和国側を中心とする相手方指揮系統へ向けた、正式な停戦交渉開始の提案だった。

 レイブンは書類を受け取った。

「俺が決めるものじゃない」

 ゲルハルトが訳す。

 異界軍将校は頷く。

「届けるだけならできる」

 今度も頷いた。

「Cipher」

「もう連邦司令部へ連絡してる」

「帝国側にも」

「送った」

「早いな」

「誰と仕事してると思ってる」

 レイブンは少し笑った。

「WOLF PACKだな」

     ◇

 正式な回答が出るまでには時間が必要だった。

 その間にも海上異常は残っている。

 KRAKENと異界軍艦隊は、互いの存在を警戒しながら共同ではない並行観測を続けていた。

 ところが正午を過ぎた頃、海面の紫色の線に変化が現れた。

「反応増大!」

 KRAKEN艦橋に声が響く。

 エリック・ヴァルナー〔Leviathan〕は椅子から立ち上がった。

「動いたのか?」

「いえ、位置は同じです。ただし海面下へ反応が拡大!」

「深度方向?」

「はい!」

 エリックは海面を見る。

 遠く。

 水平線近くに紫色の光が見える。

 昨日までは線だった。

 今は、その周囲の海が円形に暗くなり始めている。

「異界軍艦隊は?」

「同じものを観測している模様。後退を開始!」

「こっちも距離を取る」

「調査は?」

「調べるために沈んだら意味ないだろ」

 KRAKENが後退する。

 異界軍艦隊も同じように距離を広げる。

 互いに示し合わせたわけではない。

 それでも判断は一致した。

 紫色の海面が膨らんだ。

 何かが下から押し上げている。

 巨大な波紋が広がる。

「また巨人じゃないだろうな」

 参謀が呟く。

 エリックは目を細めた。

「そういう縁起でもないことは、出てきてから言え」

 海面が割れた。

 しかし、黒い巨体は現れなかった。

 代わりに浮上したのは、石だった。

 正確には、石造建築の一部に見える。

 巨大な柱。

 水に濡れた黒灰色の構造物。

 表面には青白い光が走っている。

 さらに別の部分が浮かぶ。

 壁。

 屋根らしき構造。

 崩れた橋。

「……街?」

 誰かが呟いた。

 エリックは答えなかった。

 海の中から、一つの都市の一部が浮かび上がろうとしていた。

     ◇

 SKY LANCERから送られた映像を見た瞬間、レイブンは言葉を失った。

 停戦線の会談施設。

 隣にはエリシアとCipher。

 反対側にはゲルハルト。

 全員が同じ映像を見ている。

 海から浮上する石造構造物。

 その形には見覚えがあった。

「レイブン」

 エリシアが彼を見る。

「ああ」

 レイブンは画面へ近づいた。

「これ……」

 紫色の空の下。

 黒い川の向こう。

 あの世界で見た石造建築。

 完全に同じとは言えない。

 だが似ている。

 非常に似ている。

「Cipher」

「照合してる」

 ノアの指が止まらない。

「紫空世界で記録した映像との類似点あり。ただし同一都市、同一建築とは断定できない」

「それでいい」

 ゲルハルトが画面を見る。

「知る?」

 レイブンは頷いた。

「似たものを見たことがある」

「どこ?」

「別の世界」

 ゲルハルトの顔から表情が消えた。

「別……世界?」

「俺と妹が、一度そこへ飛ばされた」

 思念伝達を補助にして説明する。

 黒い川。

 紫色の空。

 アーシェ。

 セイル。

 エルネ。

 そして帰還。

 ゲルハルトは長い時間、黙っていた。

「NoX」

「何?」

「あなた……よく、生きている」

 Houndが後ろから言う。

「それは俺たちもずっと思ってる」

「聞こえてるぞ」

 レイブンは答えたものの、否定はできなかった。

     ◇

 夕方までに、海から浮上した構造物は小さな島ほどの規模になっていた。

 ただし本当に都市が海底から持ち上がったわけではない可能性もある。

 空間転移。

 部分的な世界接続。

 別空間の投影。

 既存の地形との重複。

 考えられる説明はいくつもあったが、どれにも証拠が足りない。

 KRAKENは近づかなかった。

 異界軍艦隊も近づかなかった。

 SKY LANCERは高空から監視を続ける。

 STYXは後方海域から海底物体の反応を記録し、日本側支援部隊も安全距離を維持していた。

 そして日没直前。

 石造構造物の上に、小さな光が現れた。

 青白い。

 規則的に点滅する。

 Cipherが映像を拡大する。

「信号?」

「自然現象じゃない?」

 エリシアが尋ねる。

「まだ分からない」

 レイブンは光を見続ける。

 一度。

 二度。

 間を置く。

 また二度。

 そして長く光る。

 レイブンの胸の奥に、妙な感覚が生まれた。

 魔力反応ではない。

 もっと曖昧なもの。

 以前、思念伝達を初めて受けた時に近い。

「……待って」

 エリシアも反応した。

「あなたも?」

「ああ」

 ゲルハルトには分からないらしい。

 Cipherも画面を見ている。

 その時、別の通信が割り込んだ。

『兄様!』

 ルナだった。

「Nyx?」

『聞こえました!』

「何が?」

 ルナの呼吸が少し乱れている。

『声じゃありません。思念です』

 レイブンの胸の奥に、再び何かが触れた。

 遠い。

 弱い。

 途切れ途切れ。

 それでも、以前より明確だった。

 暗い水。

 石。

 崩れた街。

 光。

 そして誰かの感情。

 恐怖ではない。

 助けを求める切迫感とも少し違う。

 誰かを探している。

 レイブンは目を閉じた。

 像が流れ込む。

 白い猫耳。

 青い瞳。

 黒い猫耳。

 金色と黒のオッドアイ。

 兄妹。

 その二人を探している。

「……俺たち?」

 ルナも同じものを受け取ったらしい。

『兄様』

「ああ」

『私たちを知ってます』

 次の像が来る。

 石造りの集落。

 黒い川。

 青白い光。

 外套。

 紫色の筋が走る石。

 レイブンは目を開いた。

「エルネ」

 エリシアが息を呑む。

 通信の向こうでルナも同じ名前を口にした。

『エルネ……』

 断定できるほど鮮明な姿ではない。

 それでも、送られてきた記憶の組み合わせは彼女を強く示している。

 レイブンはすぐに通信を開いた。

「KRAKENへ。接近するな」

 エリックから返答が来る。

『言われなくてもそのつもりだ』

「信号を受け取った。俺たちを知ってる可能性がある」

『だからって泳いで行くなよ』

「行かない」

『即答できるようになったな』

「成長したんだよ」

『遅い』

 通信が切れる。

 エリシアが笑いかけたが、その目は海上映像から離れていない。

「どうする?」

「まず観測する」

「その次は?」

「話せるか試す」

「誰と?」

 レイブンは画面の向こうにある、海から現れた石造都市を見る。

「向こうにいる誰かと」

     ◇

 夜になった。

 正式停戦提案に対する最終回答は、まだ出ていない。

 しかし戦闘停止は継続された。

 異界軍上級司令部から来た使者も帰らず、連邦共和国と帝国側の代表団との予備協議へ入っている。

 戦争を終わらせるための話し合いが進む一方で、そのすぐ東の海には別世界と関係している可能性のある都市構造が浮かんでいる。

 停戦線の中央で、レイブンはゲルハルトと並んで海の方角を見ていた。

「NoX」

「何?」

「我々、あれ……知らない」

「分かってる」

「信じる?」

 レイブンは少し考えた。

「今は信じる」

 ゲルハルトが彼を見る。

「なぜ?」

「お前らが知ってたら、あんな顔しないだろ」

「顔?」

「初めて映像見た時、俺と同じ顔してた」

「どんな?」

「面倒なものがまた増えたって顔」

 意味が伝わるまで少し時間がかかった。

 ゲルハルトが笑った。

「同じ」

「ああ」

 二人は再び東を見る。

「戦争」

 ゲルハルトが言う。

「終わる?」

 レイブンは昨日と同じように断定しなかった。

「終わらせる話は進んでる」

「終わったら……あれ、どうする?」

 レイブンは紫色に霞む遠い海を見る。

「調べる」

「一緒に?」

 今度はレイブンが黙った。

 少し前までなら考える必要すらない質問だった。

 異界軍と共同で門を調べる。

 敵だった軍と情報を共有する。

 同じ海へ出る。

 そんな未来を想像する理由がなかった。

 しかし今は違う。

 異界軍にも分からない。

 こちらにも分からない。

 そして、あの向こうには双方とは別の世界がある。

「その話は」

 レイブンはゲルハルトを見る。

「戦争を終わらせてからだ」

 ゲルハルトが頷いた。

「分かった」

 停戦線を挟んだ二つの陣地では、兵士たちがそれぞれの夜を過ごしている。

 まだ同じ食卓を囲んではいない。

 まだ互いの陣地へ自由に入ることもできない。

 武器も手放していない。

 それでも、双方の指揮所では明日の攻撃目標ではなく、明日の協議予定が確認されていた。

 レイブンの通信機に短い受信音が鳴る。

 Cipherからだった。

『NoX。連邦側上級司令部から返答』

「内容は?」

 一瞬の間。

『異界軍側が提示した正式停戦交渉開始の提案を受諾する』

 レイブンは目を閉じた。

 息を吐く。

 隣のゲルハルトが彼を見る。

「何?」

 レイブンは目を開けた。

「始まる」

「何が?」

「戦争を止める話だ」

 ゲルハルトは意味を理解すると、しばらく何も言わなかった。

 やがて、小さく頷く。

 レイブンは海を見る。

 第二次異界大戦はまだ終わっていない。

 だが、終戦へ向かうための正式な対話が、ようやく始まる。

 そして、その先には海から現れた見知らぬ街と、レイブンとルナを知る誰かからの思念が待っている。

 戦場だった東部には、二つの道が同時に開こうとしていた。

 一つは、敵だった者と戦争を終わらせるための道。

 もう一つは、世界の境界を越えてきた者たちが、もう一度帰る場所を探すための道だった。

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