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黒猫年代記  作者: @12
第二部 ~Ⅱ~ FENRIR ― 戦狼となった黒猫 ― Season 4 #067~
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116/189

Season 6「門の彼方へ」  #116

第116話「進みながら守れ」

 連邦共和国東部の全土回復が確認された後も、東部戦線という呼び名は消えなかった。

 地図上では国土を取り戻している。

 しかし現実の戦場では、国境線や海岸線を越えて侵入する異界軍との接触が続き、沿岸部では再上陸を狙う艦隊が現れ、空ではSKY LANCERが連日の迎撃を繰り返していた。

 地上でも同じだった。

 海から上陸した敵部隊が沿岸へ足場を築こうとし、山岳部では撤退しきれなかった部隊が交通路を狙い、東部平原では何度押し返しても小規模な攻撃が続く。

 それに対し、連邦共和国軍、帝国軍、FENRIR各部隊は、奪還した土地を守るため防衛線へ張り付いていた。

 守れば止められる。

 止めれば住民を守れる。

 だが、レイブン・S・クロウ〔無名(ノックス)〕は、その状態が長く続くほど違和感を覚えるようになっていた。

 敵の圧力が、少しずつ変わっている。

 最初に気づいたのは砲撃だった。

 東部沿岸から内陸へ十数キロ入った旧工業地帯。

 夜明け前から降っていた冷たい雨が廃工場の屋根を叩き、崩れた煙突の周囲には白い霧が漂っている。

 WOLF PACKは前線観測のため、連邦軍部隊とともにその一角へ入っていた。

 レイブンは半壊した建物の窓際から双眼鏡を下ろした。

「Hawk」

『見えてる』

「昨日と比べてどう?」

 少し間があった。

『前面の数が減ってる』

「やっぱりか」

『ただしゼロじゃない。後ろにも動きがある』

「どっち向き?」

『東』

 レイブンの黒い猫耳が僅かに前へ向いた。

 雨音の向こうで、敵側から散発的な魔導砲撃が続いている。

 派手だ。

 だが密度がない。

 昨日までなら、こちらが頭を上げるだけで複数方向から反応が返ってきた。

 今は違う。

 撃っている。

 存在を示している。

 しかし、その後ろでは人員も物資も東へ動いている。

 レイブンは壁際にしゃがんでいたHoundを見る。

「どう思う?」

「俺に聞く?」

「副指揮官だろ」

「お前がもう答え持ってる顔してるから嫌なんだよ」

 Houndは窓の外を一度確認した。

「前に残してる連中は時間稼ぎ。後ろは下がってる」

「俺もそう見える」

「罠の可能性は?」

「ある」

「じゃあ追う?」

 レイブンはすぐには答えなかった。

 遠くで青白い光が上がる。

 遅れて衝撃音。

 敵の攻撃は続いている。

 だが、こちらの防衛線を本気で崩そうとしている動きではない。

 レイブンは通信を開いた。

「Lynx」

『いる』

「北側は?」

『接触は続いてる。でも昨日確認した陣地の一部が空。残ってる痕跡も撤収した後みたい』

「南?」

『連邦軍から同じ報告。夜の間に下がった部隊がある』

 レイブンは目を閉じた。

 点だった情報が線になる。

 正面だけではない。

 北でも。

 南でも。

 敵は少しずつ離れている。

「Cipher」

『聞いてる』

「HUGINNの広域情報と合わせてくれ。敵の前面戦力じゃなく、後方の移動を見たい」

『もうやってる。ちょっと待って』

 数十秒後、端末へ簡略化された戦況図が送られてきた。

 異界軍の前線配置。

 その後方で確認された移動。

 昨日。

 今朝。

 重ねると傾向が見える。

 東へ。

 海へ。

 あるいは、さらに向こうへ。

『NoX』

「見てる」

『撤退と断定する?』

「まだしない」

 レイブンは即答した。

「でも、前線を薄くしてるのは間違いない」

『同意』

 通信を切る。

 Houndが彼を見る。

「頃合い?」

 レイブンはもう一度窓の外を見た。

 守るだけなら、このままでいい。

 敵が来れば撃退する。

 引けば追わない。

 防衛線を維持し、街と住民を守る。

 それは間違っていない。

 だが、敵が前線を薄くしながら撤退しているのに、こちらが同じ場所へ張りつき続ければどうなる。

 異界軍は時間を得る。

 次の防衛線を作る時間。

 次の上陸地点を選ぶ時間。

 魔獣を集める時間。

 海と空の戦力を再編する時間。

 そして、こちらは「守っている」という安心の中で動きを止める。

「頃合いだな」

 レイブンは立ち上がった。

     ◇

 最初に呼び出されたのはエリシアだった。

 彼女はEINHERJARとともに数キロ西の避難拠点を確認していたが、レイブンから送られた戦況図を見ると、すぐに意図を理解した。

『追撃するつもり?』

「違う」

 レイブンは廃工場の壁へ背を預けながら答えた。

「前へ出る」

『同じに聞こえるけど』

「追撃は敵を追う。俺がやりたいのは、敵が下がった分だけ防衛線を前へ出すことだ」

 エリシアは少し黙った。

『つまり、敵を倒すための進軍じゃない』

「そう」

 レイブンは端末上の地図を拡大した。

「今の防衛線は、敵が一番強かった時の位置を基準にしてる。でも敵はもうそこにいない。だったら空いた土地まで俺たちが先に使う」

『住民をすぐ戻すわけじゃないでしょうね』

「戻さない。安全確認が先だ」

『補給線は?』

「BIFROSTとDVERGRに確認する。伸ばせない場所まで行かない」

『敵が反転したら?』

「止まる」

『罠だったら?』

「下がる」

 エリシアの声に僅かな笑みが混じった。

『昔のあなたなら最後の二つ、言わなかったわね』

「俺だって成長するんだよ」

『不老不死になってから成長を主張するの、少し面白いわ』

「そこ関係ある?」

『ある気がする』

 レイブンはため息をついた。

「で、どう思う?」

 今度はエリシアも真剣に答えた。

『賛成。ただし、EINHERJARは前進する部隊の後ろで避難路と救護経路を確保する。前線が動けば民間人も勝手に戻ろうとする可能性がある』

「頼む」

『それと、これはNoX個人の命令にしないで』

「ああ」

『FJTF全体と連邦軍、帝国軍を通す』

「そのつもりだ」

 戦争の規模は、もうWOLF PACKの判断だけで動かせるものではない。

 レイブンはCipherへ通信を繋いだ。

「全軍指揮系統へ提案を上げる」

『内容は?』

 レイブンは一度だけ息を吸った。

「防衛方針の変更だ」

     ◇

 東部戦線の各指揮所へ送られた提案は、単純な全面攻勢ではなかった。

 現在の固定防衛線を絶対視しない。

 敵の撤退が確認された区域では、偵察、補給、救護、工兵、航空・水上支援を連動させながら防衛区域そのものを前へ動かす。

 敵が残っていれば無理に突破しない。

 反撃が強ければ止まる。

 後方が追いつかなければ待つ。

 だが、敵が退いた土地を空白のまま放置しない。

 レイブンが口にした言葉は、前線の兵士たちの間で急速に広がった。

 膠着する防衛から、進軍する防衛へ。

 連邦軍側の指揮官の一人は、最初にその言葉を聞いた時、眉を寄せた。

「攻勢防御ということか?」

 通信越しのレイブンは少し考えた。

『近いですが、敵陣深くへ突っ込むことを目的にはしていません』

「では何をもって前進終了とする?」

『帰還線を維持できなくなった場所です』

「帰還線?」

『補給、救護、撤収、情報。そのどれかが繋がらなくなるなら、そこから先は防衛じゃなく賭けになります』

 連邦軍指揮官は黙った。

 レイブンは続ける。

『前へ出ることが目的じゃありません。敵に次の攻撃準備をする余地を与えないことと、こちらが守れる土地を少しずつ増やすことが目的です』

「敵が逃げれば?」

『追える範囲だけ進みます』

「壊走したら?」

『なおさら深追いしません』

「なぜだ?」

 レイブンは雨に濡れた東の地平線を見た。

『壊走している敵ほど、追う側に判断を急がせるからです』

 短い沈黙。

 やがて返答が来た。

「……理解した。こちらでも検討する」

 同じ議論が帝国軍でも行われた。

 FJTF内部でも異論は出た。

 今こそ敵を一気に押し出すべきだという声。

 海まで追い詰めるべきだという声。

 逆に、せっかく取り戻した国土を再び危険に晒す必要はないという慎重論。

 レイブンはどちらも否定しなかった。

 どちらにも理由がある。

 だから必要なのは勢いではなく条件だった。

 やがて、連邦共和国軍を主体とする東部方面部隊から条件付きの承認が届いた。

 帝国軍も同調する。

 FENRIRは突破部隊ではなく、前進する防衛線の接続役として動くことになった。

 命令が前線へ流れ始める。

     ◇

「やっと動けるな」

 Houndが言った。

「走るなよ」

 レイブンが返す。

「まだ何もしてないだろ」

「お前、顔が走ってる」

「どういう顔だよ」

 WOLF PACKは最初の前進部隊とともに旧工業地帯を出た。

 雨は弱くなっていた。

 道路の先には、昨日まで異界軍が使っていた陣地がある。

 しかし銃声はない。

 HawkとLynxから確認が入る。

 人影なし。

 魔力反応は残る。

 罠の可能性は消えない。

 レイブンは部隊の速度を落とした。

「敵がいないからって安全じゃない。急ぐな」

 Grizzlyが周囲を見ながら答える。

「珍しく慎重だな」

「全員今日どうした?」

 Houndが笑う。

「昔のお前を知ってるからだよ」

「忘れてくれ」

「無理」

 道路脇には敵が放棄した資材が残っていた。

 壊れた荷車。

 魔導具の破片。

 燃やされた書類。

 食料を運んでいたらしい木箱。

 撤退の跡はある。

 だが、慌てて逃げた形跡ではない。

 必要なものを持ち、不要なものを処分しながら下がっている。

 レイブンはそれを見て表情を硬くした。

「やっぱり敗走じゃない」

 Lynxが頷く。

「計画的」

「だな」

 だからこそ追いすぎてはいけない。

 敵は逃げているのではなく、場所を選び直している可能性がある。

 前進部隊は旧陣地を越え、その先の小さな集落まで到達した。

 住民はいない。

 建物の多くは残っている。

 井戸もある。

 道路も使える。

 レイブンはそこで止まった。

「ここまで」

 Houndが東を見る。

「まだ行けるぞ」

「俺たちはな」

 レイブンは後ろを指した。

 DVERGRの工兵車両はまだ旧陣地を確認している。

 BIFROSTの補給車列はさらに後方。

 IDUNNの救護拠点も移動途中だ。

「後ろが来てない」

「なるほど」

「前に立ってるだけなら進軍じゃない。孤立だ」

 WOLF PACKは集落を確保し、そこで待った。

 数時間後、DVERGRが道路の確認を終えた。

 BIFROSTが物資を運び込む。

 IDUNNの救護班が到着する。

 EINHERJARが後方から住民の有無を確認しながら入ってくる。

 それを見届けてから、レイブンは次の地点を見た。

「これでここは防衛線だ」

 Houndが笑う。

「で、次は?」

「明日」

「今日じゃないのか?」

「後ろの連中を寝かせろ」

「お前もな」

「俺は不老不死」

 Houndの顔から笑みが消えた。

「それ、便利な言い訳に使うな」

 レイブンは言葉を止めた。

 Houndは冗談ではなかった。

「お前が死なないとしても、疲れて判断を間違えたら俺たちが死ぬ」

 雨の残る集落で、二人の視線が合う。

 レイブンは数秒黙った後、素直に頷いた。

「……その通りだ」

「なら寝ろ、隊長」

「了解、副隊長」

     ◇

 前進する防衛線は、一か所だけではなかった。

 北部では連邦軍が放棄された敵陣地へ入り、その後をDVERGRが繋いだ。

 南部では河川沿いにSTYXが安全を確認し、日本側掃海支援部隊が後方水域の調査を続けることで、水上輸送路を少しずつ東へ伸ばした。

 海岸部ではKRAKENが敵艦隊の再接近を牽制し、SKY LANCERがその上空を守る。

 進軍は陸だけの話ではなかった。

 補給船が一つ先の港へ入れるようになれば、海の防衛線も前へ出る。

 航空警戒の範囲が広がれば、空の防衛線も前へ出る。

 情報拠点が移ればHUGINNの目も前へ出る。

 翌朝、ルナから通信が入った。

『兄様、そちらも動き始めたそうですね』

「そっちも?」

『第一航路はまだ閉鎖しています。でも別経路の調査を始めました』

「例の物体は?」

『追跡中です。小型魔獣が沖へ運んだものの一部は見失いました』

「敵艦隊方向?」

『結果的には。でも関係はまだ不明です』

「分かった」

 ルナが少し間を置く。

『進軍する防衛、ですか』

「変?」

『いいえ。兄様らしいと思います』

「どういう意味だよ」

『昔から守ると言いながら前に出るので』

「それ褒めてないだろ」

『今回は後ろを待ってるんでしょう?』

 レイブンは集落へ入ってくるBIFROSTの車両を見る。

「ああ」

『なら成長してます』

「妹に評価される兄って何なんだろうな」

『長生きすると、そういうこともありますよ』

「まだ不老不死になって数日だぞ」

 ルナの笑い声が通信から聞こえた。

 その後ろでは水音と船の機関音が響いている。

『兄様』

「ん?」

『前に出ても、帰れる距離で』

「ああ」

『約束ですよ』

「分かってる」

 通信が切れた。

     ◇

 三日後。

 東部戦線の地図は再び変わっていた。

 大きくではない。

 数キロ。

 場所によっては数百メートル。

 それでも防衛線は確実に東へ動いている。

 異界軍は接触すれば抵抗した。

 しかし以前ほど長く陣地を維持しない。

 圧力を受ければ下がる。

 その後ろで次の場所へ移る。

 レイブンはその繰り返しを見ながら、ますます確信を深めていた。

 敵は戦意を失っていない。

 何かのために戦力を温存している。

 問題は、その「何か」がどこにあるかだった。

 前線指揮所で、Cipherが広域情報を更新する。

「NoX。ちょっと嫌なものが見えてきた」

「何?」

「地上部隊の後退先を重ねた」

 地図上に複数の線が現れる。

 北。

 中央。

 南。

 異なる場所から下がっているはずの異界軍部隊。

 その移動方向を延ばしていく。

 レイブンの表情が消えた。

「……集まってる?」

「完全に一点じゃない。でも傾向はある」

 エリシアも画面へ近づく。

「東部沿岸」

「そう」

 Cipherが別の情報を重ねた。

「KRAKENが確認している敵艦隊の活動海域。それからSKY LANCERが遭遇している敵航空群の進入方向」

 三つが重なる。

 地上。

 海上。

 空。

 異界軍の動きは、ばらばらではなかった。

「撤退じゃない」

 エリシアが呟く。

 レイブンは地図を見たまま答えた。

「再編だ」

 その言葉とほぼ同時に、前線から緊急通信が入った。

『東方観測所より全軍! 遠距離に大規模魔力反応!』

 別の報告が重なる。

『沿岸監視からKRAKENへ! 沖合に新規艦影多数!』

 さらに空。

『SKY LANCERより警戒! 東方高空に複数の大型反応!』

 指揮所の空気が一変した。

 レイブンは地図から目を離さなかった。

 異界軍が少しずつ退いていた理由。

 それがようやく形になろうとしている。

「NoX」

 エリシアが呼ぶ。

「ああ」

 レイブンは立ち上がった。

「全軍に伝えろ」

 Cipherが通信を開く。

 レイブンは一度、前へ進んだ防衛線を見る。

 数日かけて繋いだ道路。

 救護拠点。

 補給所。

 河川路。

 後方航路。

 それらは前へ出るためだけに作ったものではない。

 反撃された時、全員が戻れるように作った線でもある。

「進軍停止じゃない」

 レイブンの声が各部隊へ流れる。

「前進速度を落とせ。後方との接続を再確認。敵が集まってるなら、こっちは散らばったまま受けない」

 通信の向こうで各部隊が応答する。

「膠着に戻るな。ただし勢いだけで進むな。守れる場所まで前へ出て、そこで次を受ける」

 Houndが隣で《RAVEN》を見る。

「来ると思う?」

 レイブンは東を見た。

 雨雲の向こう。

 海の向こう。

 空の向こう。

 そこに異界軍が集まり始めている。

「来る」

 迷いはなかった。

「だから、こっちも前で待つ」

 固定された壁としてではない。

 後ろへ帰る道を繋いだまま、自分たちから距離を詰める防衛線として。

 東部戦線は、その日から再び動き始めた。

 守るために止まる時代から、守るために進む戦いへ。

 そしてその先では、異界軍が地上と海と空の戦力を集め、第二次異界大戦でも最大規模となる新たな衝突の準備を始めていた。

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