Season 6「門の彼方へ」 #115
第115話「水平線を越えさせるな」
最後の避難車両が西へ消えた時、レイブン・S・クロウ〔無名〕はようやく海岸へ身体を向けた。
住民を逃がすために確保していた道路には、WOLF PACKとEINHERJARだけが残っている。
商店の割れた窓には灯りがなく、戻ってきた住民が修理したばかりの家々も静まり返っていた。潮の匂いに砲煙が混じり、沖から届く低い轟音が建物の壁を震わせるたび、屋根に残った細かな瓦礫がぱらぱらと路上へ落ちる。
海上ではKRAKENの阻止線を抜けた敵船が接近している。
空ではSKY LANCERと異界軍航空戦力が交戦を続けている。
だが、街から人が消えたことでFENRIR側の判断には一つだけ余裕が生まれていた。
「Hound」
「いる」
「住民の取り残しは?」
「EINHERJARとBIFROSTが二重確認中。今のところゼロ」
「病院?」
「空」
「港湾労働者?」
「退避済み」
レイブンは短く頷いた。
「なら、この街で一番守らなきゃならないものは人じゃなくなった」
隣にいたエリシア・L・クロウ〔戦乙女〕が彼を見る。
「建物を守る?」
「できるだけな。人が戻った時に、家まで全部なくなってたら笑えない」
「あなたがそれを言うようになったのね」
「昔の俺なら?」
「敵が上陸する前に海へ行こうとしてた」
否定できなかった。
レイブンは鼻から息を吐いた。
「成長したってことにしといてくれ」
「そうしておく」
海岸線で白い光が走った。
魔力の弾道が夜気を裂き、防潮壁の向こうで爆ぜる。
衝撃が街路へ入り、レイブンの黒い猫耳が反射的に伏せられた。
視界は途切れない。
〔不転〕が強烈な閃光に対する瞬きを抑えていたが、それで見えないものまで見えるようになるわけではない。
煙がある。
夜がある。
建物がある。
敵船の位置も絶えず変わっている。
「Hawk、見える?」
『一部だけ。先頭船は減速。後続二隻が左右へ分かれた』
「上陸地点を広げる気か」
『たぶん。ただし確定じゃない』
「それでいい。見えたものだけくれ」
レイブンは《RAVEN》を構えたまま、撃たなかった。
まだ距離がある。
有限の弾薬を、暗闇の向こうにいるかもしれない相手へ浪費する理由はない。
敵がこちらを見ているのなら、こちらも敵を見ている。
その均衡を最初に崩したのは海ではなかった。
空だった。
◇
「Artemis、下方に敵影!」
「見えてる!」
アメリア・ローゼン〔Artemis〕の機体が夜雲を抜けた瞬間、眼下に連邦共和国東岸の灯りが広がった。
その手前に海。
さらに沖ではKRAKENと異界軍艦隊がぶつかっている。
海面に走る砲火が下から雲を照らし、空そのものが明滅しているように見えた。
アメリアは視線を戻す。
正面には大型飛行魔獣。
その周囲には魔導航空戦力。
そしてさらに上には、別の敵群がいる。
戦場が立体的に重なっていた。
『早期警戒よりArtemis。北側群が再分散』
「数は?」
『判別中。魔力ノイズが強い』
「分からないなら分からないままでいい。推定を確定情報に混ぜないで」
『了解』
アメリアは操縦桿を僅かに引く。
敵の一部がKRAKENを狙って高度を下げた。
別の一部はそのまま沿岸方向へ向かっている。
「地上へ行かせるつもり?」
『沿岸都市上空へ向かう可能性あり』
「NoXたちがいる場所ね」
電子戦機から妨害開始の報告が入る。
だが敵側も対策していた。
魔力通信を一つに頼らず、光や編隊運動、飛行魔獣の鳴き声まで組み合わせている。
昨日効いた手段が今日も同じように効くとは限らない。
「本当に面倒ね」
『敵を褒めてます?』
「今日二回目よ、その質問」
『答えは?』
「戦争が終わったら褒める」
アメリアの口元が僅かに上がる。
直後、正面が青白く光った。
魔法攻撃。
機体が警告を発する。
アメリアは敵の射線から外れるために機体を傾け、必要な瞬間だけ〔魔導重力偏向機動〕を重ねた。
通常の旋回より鋭く機首が移る。
身体へ圧力が掛かる。
視野の端が僅かに暗くなる。
「っ……」
補助があっても、人間の身体まで機械にはならない。
アメリアは呼吸を維持し、機体の姿勢を戻した。
『Artemis!』
「生きてる。騒がない」
『機体は?』
「たぶん整備班に怒られる」
『それはいつものことです』
「あとで名前教えなさい」
通信に短い笑いが混じる。
しかし、すぐに別の警告が入った。
『大型魔獣一体、沿岸方向へ突破!』
アメリアが視線を動かす。
雲の切れ間を巨大な翼が通過した。
KRAKENではない。
街へ向かっている。
「地上へ警告!」
◇
レイブンの通信へSKY LANCERから警告が届いたのは、その数秒後だった。
『大型飛行魔獣一、そちらへ接近!』
「方向!」
『東北東、高度低下中!』
レイブンが空を見上げる。
最初は雲しか見えなかった。
だが猫系亜人の夜目が、雲の下を動く巨大な輪郭を捉えた。
「……見えた」
エリシアも振り向く。
「大きいわね」
「感想が冷静すぎない?」
「慣れた」
「嫌な慣れ方だな」
大型魔獣が翼を広げる。
街へ直接降りるのか、上空を通過するのかはまだ分からない。
レイブンは《RAVEN》を向けなかった。
この距離と高度で撃つ意味はない。
「対空担当へ共有。WOLF PACKは海岸線を維持する」
Houndが驚いた顔をする。
「追わないのか?」
「空には空の連中がいる」
レイブンは上空を横切る機影を見る。
SKY LANCERの迎撃機だった。
「俺たちが全員上を向いた瞬間、海から来る」
その言葉を証明するように、Hawkから通信が入った。
『NoX、先頭船動いた。海岸へ寄せてくる』
「ほらな」
Houndが苦笑する。
「性格悪いな、敵も」
「学習してるだけだ」
レイブンの声には怒りより警戒があった。
敵は愚かではない。
空へ意識を向けさせ、その隙に海から上がる。
以前なら魔法や巨大魔獣の迫力に圧倒されていた異界軍も、今は複数の戦力を組み合わせている。
「WOLF PACK、海を見ろ。EINHERJARは空と市街地の両方を」
エリシアが頷く。
「了解」
大型飛行魔獣の影が街の上へ差しかかった。
その直後、上空から複数の機影が降りてくる。
魔獣が進路を変えた。
SKY LANCERが押し返している。
地上からは詳細まで見えない。
それでいい。
レイブンは海へ視線を戻した。
先頭の敵船が防潮壁へ近づいている。
その背後にも二隻。
さらに沖では別の光。
「Hawk」
『見えてる』
「上がってくる人数は?」
『まだ数えられない。船内に残ってる』
「なら待つ」
Houndがレイブンを見る。
「珍しい言葉だな」
「帰ったら訓練倍にするぞ」
「不老不死になった教官がそれ言うと怖いんだよ」
「お前は不老不死じゃないから安心しろ」
「何に安心すればいい?」
レイブンの口元が僅かに動いた。
その時、敵船の船首から影が跳んだ。
海岸へ。
一人。
続いて複数。
人型の兵士だった。
防潮壁の向こうへ着地し、すぐに散開する。
レイブンの〔殺気看破〕が強く反応した。
「来るぞ」
冗談が消えた。
「接敵」
◇
同じ時間、KRAKENの旗艦ではエリック・ヴァルナー〔Leviathan〕が別の敵を見ていた。
海洋巨大魔獣が艦隊中央へ向けて進路を変えたのだ。
水面から露出している部分だけでも小型艦を圧倒する。
その周囲を敵艦艇が移動し、KRAKENの視界と射線を乱している。
「上陸船団の一部、沿岸到達との報告」
参謀が告げる。
エリックは舌打ちしなかった。
完全阻止できると思っていたわけではない。
「地上は?」
「FENRIRが対応中」
「なら任せる」
即答だった。
「こっちが焦って艦列を崩したら、次は一部じゃ済まない」
海洋巨大魔獣が水面を叩いた。
巨大な波が生まれる。
KRAKENの複数艦が揺れ、艦橋の固定物が軋む。
エリックは手すりを掴んだまま、魔獣ではなく敵艦隊を見る。
「こいつを盾にしてるな」
「そのようです」
「なら魔獣だけ見てたら負ける」
敵が使えるものを使うなら、こちらも同じだった。
空にはSKY LANCER。
後方にはSTYX。
さらに後ろには日本側掃海支援部隊。
沿岸にはFENRIR地上部隊。
KRAKENだけで戦争を終わらせる必要はない。
「Leviathanより全艦。巨大なのがいるからって見惚れるな。敵艦隊を忘れるなよ」
通信の向こうから返答が続く。
エリックは水平線を見る。
「こっちは海を守る。それだけだ」
◇
ルナ・S・クロウ〔夜〕は、そのKRAKENより遥か後方で海底の異変を追っていた。
日本側掃海支援部隊との共同任務は一時中断され、第一航路は閉鎖されたままだ。
青黒い小型魔獣たちは、海底に増えた未確認物体の周囲を泳いでいる。
攻撃性は見せない。
だが、その行動には明らかな規則性があった。
「また一つ動きました」
日本側観測員が報告する。
「魔獣が接触したもの?」
「はい」
海図上で反応が移動する。
魔獣が未確認物体を咥えているのか、押しているのかまでは分からない。
ただ、海底に固定されているわけではなかった。
Drakeが腕を組む。
「機雷なら嫌な話だな」
「機雷と決めないでください」
「分かってる」
ルナは海面を見た。
青黒い魔獣の一体が浮上する。
発光模様が一度強くなる。
その直後、別の個体も同じように光った。
「通信?」
日本側の一人が呟く。
「可能性はあります」
ルナは答えた。
異界で出会った思念伝達。
魔力を媒介とした情報交換。
この世界の生物が似た原理を自然に使っていても不思議ではない。
だが、それも仮説にすぎない。
「観測を続けます。ただし近づきません」
「了解」
その時、日本側の観測員が別の反応を捉えた。
「待ってください」
「どうしました?」
「海底物体の一つから周期的な反応が出ています」
ルナが表示を見る。
一定間隔。
弱い。
だが確かに繰り返している。
その周期に合わせるように、小型魔獣の発光模様も変化していた。
ルナの表情が険しくなる。
「これ……魔獣を呼んでる?」
誰も答えられない。
その必要もなかった。
今は可能性として扱えばいい。
ルナは通信を開いた。
「STYXからHUGINN、Cipherへ。第一航路海底の未確認物体について追加情報。魔獣の発光周期と物体の魔力反応に相関の可能性あり。解析をお願いします」
『Cipher了解。生データを送って』
「送ります」
『Nyx、一つ確認。日本側の観測データも共有可能?』
日本側指揮担当者がすぐに頷いた。
「共同任務範囲のデータは共有します」
「聞こえました?」
『ばっちり』
ルナが少し笑う。
「ではお願いします」
通信を切ろうとした時、Cipherが続けた。
『Nyx』
「はい?」
『NoXたちの沿岸都市で敵上陸を確認した』
ルナの表情が止まった。
「規模は?」
『まだ小規模。ただし戦闘開始』
白い猫耳が僅かに伏せられる。
「……分かりました」
『戻る?』
ルナは海を見る。
一瞬だけ迷った。
兄が戦っている。
エリシアもいる。
なら、自分も。
そう思った。
しかし、海底には正体不明の物体がある。
日本側要員もいる。
第一航路が閉じれば、今後の輸送にも影響する。
そして兄なら、何と言うか分かっていた。
「戻りません」
ルナは答えた。
「私はここをやります」
Cipherの声が少し柔らかくなる。
『了解。NoXにもそう伝える』
「余計なことは言わなくていいです」
『もう送った』
「ノアさん」
『通信終わり』
切られた。
Drakeが笑っている。
「いい仲間だな」
「時々腹が立ちます」
「それも含めてだろ」
ルナは否定しなかった。
◇
海岸道路へ魔法の光が飛び込んだ。
レイブンは壁の陰へ身体を寄せ、衝撃が通り過ぎるのを待った。
耳の奥が鳴る。
粉塵が頬へ当たる。
アタック・シールドが複数の敵意を捉えているが、数が増えるほど情報は粗くなる。
全てを正確に教えてくれる能力ではない。
だから目で見る。
耳で聞く。
仲間から情報をもらう。
『NoX、右路地に二!』
Lynxの声。
「Hound、右を見る。追うな」
『了解!』
『海岸側、追加上陸!』
Hawk。
「Grizzly、そっちは?」
『見えている』
重い射撃音が遠くで響く。
レイブンは《RAVEN》を構えたまま角から状況を確認する。
敵兵が一人、防潮壁を越える。
その後ろにもう一人。
レイブンが一発撃つ。
爆発的な銃声が狭い街路へ反響した。
敵が身を引く。
レイブンは倒したかどうかを確認するために前へ出なかった。
目的は撃破数ではない。
この道路を使わせないことだ。
「NoX!」
エリシアの声。
左側から別の敵が入る。
レイブンが振り向いた瞬間、青白い閃光が走った。
〔不転〕が視界の断絶を抑える。
それでも眩しさそのものが消えるわけではない。
視界の中央に残光が残る。
レイブンは一歩下がった。
エリシアが前へ出る。
EINHERJARの兵士が彼女を支える。
「見える?」
「輪郭は」
「十分」
「無茶するなよ」
「あなたに言われたくない」
エリシアは味方と動きを合わせ、敵を海岸側へ押し返していく。
レイブンも追わない。
住民避難が終わったとはいえ、街の奥まで敵を通す理由はない。
通信へCipherの声が入った。
『NoX、Nyxから連絡』
「今?」
『第一航路の調査継続。そっちには戻らないって』
レイブンは一瞬だけ黙った。
そして笑った。
「そうか」
『意外じゃない?』
「いや」
海岸の向こうで敵船が動く。
レイブンは《RAVEN》を握り直した。
「それでいい」
妹には妹の戦場がある。
自分が死なないからといって、全ての戦場へ駆けつけることはできない。
エリシアにも役割がある。
Leviathanにも。
Artemisにも。
日本から来た人々にも。
戦争は、一人の英雄が世界中を走り回ることで成立しているのではない。
それぞれが自分の場所を守るから、線になる。
「WOLF PACK」
レイブンが通信へ呼びかける。
「押し返すぞ。ただし海へ追うな」
『了解!』
「EINHERJAR」
エリシアが続ける。
「市街地への侵入を止める。孤立する敵が出ても深追いしない」
各所から返答が重なる。
その時、海上から聞こえていた砲撃音が一段大きくなった。
KRAKENが動いた。
上空でも複数の航空機が西から東へ抜ける。
SKY LANCERが敵航空群を押し戻し始めている。
海岸へ到達した敵兵たちにも変化が現れた。
後続が来ない。
沖へ視線を向ける者が増える。
自分たちが孤立し始めていることに気づいたのだ。
レイブンはその変化を見逃さなかった。
「今だ」
だが突撃はしない。
WOLF PACKが圧力を強め、EINHERJARが市街地側の逃げ道を塞ぐ。
敵が選べる方向を海側へ限定する。
追い詰めて死闘にする必要はない。
戻るなら戻らせる。
それで街から敵が消えるなら目的は達成できる。
やがて一人が後退した。
続いて二人。
敵兵が防潮壁の向こうへ戻り始める。
海岸近くに残った船へ乗り込む者もいる。
Houndがレイブンを見る。
「撃つ?」
レイブンは首を横へ振った。
「帰る奴まで追う必要はない」
「了解」
敵船が岸を離れる。
その向こうではKRAKENの戦闘が続いている。
安全に帰れる保証などない。
それでもレイブンは撃たなかった。
街を守るという目的は達成された。
それ以上を求めれば、戦争の目的そのものが変わる。
◇
夜明け前。
東の水平線が薄く明るくなり始めた頃、異界軍の上陸船団は沖へ後退した。
KRAKENは追撃を限定した。
SKY LANCERも敵航空戦力を深く追わず、連邦共和国沿岸上空へ戻った。
海洋巨大魔獣の一部は敵艦隊とともに東へ離れ、別の個体は海中へ姿を消した。
勝利と呼ぶには、あまりにも多くのものが壊れていた。
KRAKENにも損傷艦が出た。
SKY LANCERにも帰還できなかった機体があった。
沿岸都市では建物がいくつも破損し、道路には戦闘の跡が残った。
それでも避難した住民に大きな被害は出なかった。
レイブンは夜明けの海岸に立っていた。
《RAVEN》を背へ回し、潮風を受ける。
エリシアが隣へ来た。
「終わった?」
「今日の分は」
「正しい答えね」
「明日また来るかもしれない」
「来週かもしれない」
「一か月後かも」
二人は海を見る。
不老不死となった彼らにとって、一か月という時間はこれまで以上に短いものになるのかもしれない。
だが、街の人々にとっては違う。
一日平和なら、一日家を直せる。
一週間あれば店を開ける。
一か月あれば学校を再開できるかもしれない。
戦争の中では、その時間に意味がある。
通信端末が鳴った。
ルナだった。
『兄様』
「生きてる」
『まだ聞いてません』
「先に答えた」
『エリシア姉様は?』
エリシアが端末へ顔を寄せる。
「生きてるわ」
『よかった……』
その一言だけは、Nyxではなく妹の声だった。
「そっちは?」
レイブンが尋ねる。
『全員戻れます。日本側も負傷者なし。ただし第一航路は閉鎖継続です』
「未確認物体?」
『はい。それと、少し気になることがあります』
「何?」
ルナの声が低くなる。
『あの小型魔獣たち、物体を食べていたわけではないかもしれません』
レイブンとエリシアが顔を見合わせる。
「じゃあ何を?」
『移動させていました』
「どこへ?」
通信の向こうで短い沈黙があった。
『沖です』
レイブンの表情が変わる。
『しかも全部、ほぼ同じ方向へ運んでいます』
「方角は?」
『東』
そこは異界軍艦隊が後退した方向だった。
だがルナは続ける。
『ただし、敵との関係はまだ分かりません。物体が敵のものなのか、魔獣が敵へ運んでいるのか、それとも全く別の理由なのかも』
「それでいい」
レイブンは海を見る。
「分からないまま持って帰ってこい」
『はい』
「ルナ」
『何です?』
「よく戻らなかったな」
通信の向こうが静かになる。
『……兄様のところへ、ですか』
「ああ」
『行きたかったですよ』
「だろうな」
『でも私が戻ったら、日本側の人たちを置いていくことになるので』
レイブンは目を細めた。
「正解」
『兄様に言われると少し腹が立ちます』
「何でだよ」
『昔の兄様なら絶対に戻ってきたからです』
エリシアが笑い出した。
レイブンは何も言えなかった。
『では、帰港します』
「ああ。帰ってこい」
『はい』
通信が切れる。
朝日が水平線の向こうから昇り始めた。
海面には夜の戦闘で生まれた煙がまだ薄く残っている。
その向こうには後退する異界軍艦隊がいる。
さらに遠くには、まだ誰も知らない海がある。
レイブンはエリシアと並んで、その水平線を見続けた。
連邦共和国の領土は取り戻した。
最初の再上陸も退けた。
だが敵は消えていない。
海洋魔獣の生態も分からない。
海底の未確認物体も分からない。
異界で見た紫色の空と、塔と、門についても分からないことばかりだった。
不老不死になったからといって、世界の答えまで手に入ったわけではない。
むしろ時間だけが増え、知らなければならないものまで増えたように思えた。
「長くなりそうだな」
レイブンが言った。
「戦争?」
エリシアが尋ねる。
「全部」
彼女は少し考え、レイブンの手を握った。
「なら、急がなくていいんじゃない?」
レイブンは握られた手を見る。
あの門で一度離れた手だった。
今度はしっかり握り返す。
「ああ」
沖合ではKRAKENの艦艇が損傷した仲間を守りながら帰投を始め、その上空ではSKY LANCERの残存機が護衛するように旋回していた。
後方の海では、STYXと日本側掃海支援部隊が閉鎖した航路から慎重に離れ、全員を連れて港へ戻ろうとしている。
誰も戦場に置いていかない。
船も、航空機も、人も。
そして道そのものも。
夜を越えた東の海に、いくつもの帰還航路が伸び始めていた。




