Season 6「門の彼方へ」 #112
第112話「奪還の果てに」
日本から届いた派遣申請に対する回答は、無条件の受け入れにはならなかった。
ベルガのFJTF前進指揮所で行われた最終協議では、日本側が提示した「機雷掃海および航路安全化を目的とする後方支援」という原則そのものに異論は出なかったものの、門のこちら側に広がる環境が、日本側の常識だけでは処理できないことが改めて確認された。
連邦共和国東部の沿岸には、通常の機雷や沈没船だけが存在するわけではない。
異界軍が残した魔力反応を持つ構造物、海中で長期間活動を続ける魔導装置、そして船体より大きな身体を持つ海洋魔獣までが、同じ海の中に潜んでいる。
レイブン・S・クロウ〔無名〕は会議卓に置かれた受け入れ条件を読み終えると、向かいに座るルナ・S・クロウ〔夜〕へ視線を向けた。
「これなら?」
「最低限は」
ルナは書類を引き寄せた。
「日本側の指揮系統は維持する。FENRIRへ編入しない。任務は回復地域と後方海域での掃海、航路調査、港湾復旧支援を基本とする。前線への投入は双方の追加合意なしには行わない。それから、異界環境への適応訓練を終えるまでは単独行動を認めない」
「最後が重要ね」
エリシア・L・クロウ〔戦乙女〕が言った。
「向こうで優秀な人間だったとしても、こちらへ来た瞬間から未知環境の新人になる。そこを勘違いさせない方がいい」
「教える側もな」
レイブンが書類を閉じる。
「日本のやり方が間違ってるんじゃない。前提が違うだけだ。こっちの常識を押しつけても駄目だし、日本側の常識だけで海へ出てもらうのも駄目だ」
こうして、条件付き受け入れは正式に了承された。
門を越えて日本側の派遣要員が到着したのは、それから間もなくのことだった。
最初に彼らを待っていたのは海ではない。
訓練場だった。
◇
「最初に覚えてください。魔獣は、見た目だけで能力を判断しないこと」
ベルガ西方の仮設訓練区域で、ルナの声が響いていた。
目の前には日本側の掃海・航路安全化要員、技術要員、衛生・通信担当者たちが並んでいる。
その多くは軍事や海洋任務の経験者だったが、魔獣との接触経験を持つ者はいない。
ルナの後方にはSTYXの隊員が控え、さらに離れた場所ではIDUNNの医療要員が待機していた。
「こちらの世界では、大型だから危険、小型だから安全という判断は成立しません。身体が小さくても魔力を外へ放出する種がいますし、逆に巨大でも刺激しなければ接近してこない種も確認されています。重要なのは、知らないものへ勝手に近づかないことです」
一人が手を挙げた。
「魔力は目視できますか?」
「できる場合もあります。でも、それを前提にしないでください」
ルナは答えながら、訓練区域の端に置かれた魔導観測具を示した。
「光るとは限りません。音がするとも限りません。魔力感知ができない人が劣っているわけでもありません。だから複数の観測手段と現地要員を組み合わせます」
その少し離れた場所では、レイブンが別班を担当していた。
こちらは魔法攻撃に遭遇した場合の基礎教育だった。
「一番やってほしくないのは、映画みたいな光が飛んできたからって立ったまま見物すること」
通訳を介して伝えられると、日本側要員の何人かが苦笑した。
「魔法だから特別だと思わなくていい。危険なものは危険です。分からなければ遮蔽物と距離を使う。分からない現象へ触らない。魔導装置を見つけても土産にしない」
後ろからHoundが口を挟んだ。
「特に最後は重要だぞ。うちにも拾いたがる奴がいる」
「誰のことだ」
「黒猫」
「教官への私怨を訓練へ持ち込むな」
日本側から笑いが漏れた。
緊張が少し抜ける。
レイブンもそれを止めなかった。
未知の世界について教える時、恐怖だけを植えつければ身体が固まる。必要なのは、恐れるべきものと、恐れる必要のないものを区別できる程度の知識だった。
午後にはエリシアの担当する訓練へ移った。
魔法そのものより、人間を教える時間だった。
「こちらの兵士が全員魔法を使えると思わないでください。そして魔法を使える人間が、必ず軍人だとも思わないでください」
エリシアは集落の写真を表示する。
「農民が生活魔法を使うこともあります。医療従事者が治癒魔法を使うこともある。逆に軍人でも銃器しか使わない者はいます。魔力反応があるから敵、という判断は絶対にしないこと」
異界に来た日本側要員にとって、最初の数日は海へ出るより長く感じられた。
猫耳を持つ兵士が普通に歩き、魔導具が通信装置の隣に置かれ、銃器と魔法が同じ補給拠点で管理されている。
しかし日を追うごとに驚きは減っていった。
日本側の技術者がDVERGRと工具を囲み、STYXの隊員が日本側の海洋観測機器を覗き込み、IDUNNと日本側衛生要員が互いの救護思想の違いについて議論する。
異世界という言葉で隔てられていた二つの世界が、現場では少しずつ「隣の部署」に近い距離まで縮まっていた。
レイブンはその光景を見ながら呟いた。
「慣れるもんだな」
エリシアが隣で答える。
「あなたが日本へ行った時も、向こうから見れば同じだったと思う」
「黒猫が銃背負って門から出てきたからな」
「第一印象は最悪ね」
「撃ってないだろ」
「基準が低い」
ルナが後ろから二人の間へ顔を出した。
「ちなみに日本側の人、兄様の耳が動くたびに最初は見てましたよ」
「言うな」
「気づいてたんですね」
「気づくよ」
◇
訓練が続く一方で、東部戦線は一日として静かにならなかった。
ベルガ以東で防衛線を押し戻した連邦共和国軍は、帝国軍およびFENRIRの支援を受けながら、失われていた都市と交通路を一つずつ回復していった。
しかし、それは一直線の進撃ではなかった。
ある日には数キロ進み、翌日には異界軍の反撃で一部を失う。
橋を確保したと思えば、次の河川で進路を止められる。
町を取り戻しても、地下や山地に残った部隊が補給路を脅かし、前進部隊が一度引き返さなければならないこともあった。
レイブンたちも何度となく東へ向かった。
WOLF PACKが道を開き、EINHERJARが住民を安全な区域へ移し、GUNGNIRとTYRが前線を支え、DVERGRが壊された道路を繋ぐ。
STYXは河川を進み、BIFROSTがその後ろへ物資を運ぶ。
戦闘で得た土地を、翌日も保持できる状態へ変えていく。
それこそが長い時間を必要とした。
そして、三人の身体に発現した不老不死は、その戦いの中でも静かに証明され続けた。
レイブンは負傷した。
エリシアも負傷した。
ルナも水上任務で魔力障害を受け、数日間まともに身体を動かせなくなったことがある。
それでも三人は戻った。
治癒魔法だけでは説明できない速度で組織が修復され、時間を置けば身体状態は以前の水準へ戻る。
だが痛みまで消えるわけではなかった。
レイブンが肩を撃ち抜かれれば、その瞬間には倒れる。
エリシアが魔力を使い切れば意識を失う。
ルナも重傷を負えば救助されなければならない。
不死だから戦えるのではなく、死ななかったから次の戦場にも立てる。
その違いを三人は忘れなかった。
そして、季節が変わる頃。
連邦共和国東部最後の大規模占領地域から、異界軍の主力が後退した。
前線から入った報告を聞いた時、ベルガの指揮所に歓声は起こらなかった。
誰もが地図を見ていた。
何度も奪われた線。
何度も書き直された線。
その上から、連邦共和国の行政境界が再び一本に繋がっている。
「確認を」
エリシアが言った。
Cipherが複数の報告を照合する。
「北東方面、主要都市確認。東部山岳交通路確認。南東部沿岸地域、連邦側部隊が到達。残存敵部隊はありますが、組織的な領土占領能力を持つ地上主力は国境および沿岸部から後退しています」
連邦軍の将校が目を閉じた。
長く息を吐く。
「……全土だ」
誰かが呟いた。
その言葉が室内へ広がった。
連邦共和国領土の全土回復。
それは第二次異界大戦の終結を意味してはいなかった。
しかし、国土の四分の三近くを失うところまで追い込まれた連邦共和国が、自らの地図を再び繋いだ瞬間だった。
レイブンは地図を見ていた。
隣ではエリシアが静かに息を吐き、ルナは何も言わず東部沿岸を見ている。
「終わったと思う?」
エリシアが尋ねた。
レイブンは首を横へ振った。
「地上はな」
ルナが東の海へ視線を落とす。
「海が残っています」
答えを待つように、警報が鳴った。
Cipherが通信へ飛びつく。
「東部沿岸、複数地点で敵性艦隊を確認。沖合から上陸部隊を伴っています!」
別の通信が重なる。
「航空警戒網からも報告! 海上部隊上空に大型飛行魔獣および敵性航空戦力!」
レイブンが小さく息を吐いた。
「やっぱり終わらせてくれないか」
◇
異界軍は陸を失っても、戦争を諦めなかった。
次に彼らが選んだのは海だった。
連邦共和国東岸へ艦隊を送り、沿岸へ再上陸する。
同時に空から航空戦力と飛行魔獣を送り込み、沿岸防衛を分断する。
取り戻したばかりの国土へ、今度は海と空から穴を開けようとしていた。
その最前線となった東方海域では、FENRIRの陸上部隊とは異なる大規模な戦力が動き始めていた。
海上の指揮を執る男の名は、エリック・ヴァルナー。
コールサイン〔Leviathan〕。
彼が率いる独立海上作戦群《KRAKEN》は、単なる護衛艦隊ではなかった。
大型戦闘艦、対空・対魔導防御艦、補給艦、航空運用艦、偵察艦艇などを束ね、広大な海域そのものを一つの戦場として扱うために編成された独立作戦群だった。
旗艦の艦橋で、エリックは海面の彼方を見ていた。
水平線が黒く染まっている。
敵艦隊だ。
そのさらに手前では、海そのものが盛り上がっていた。
巨大な背が水面を割る。
続いて長大な尾が現れ、周囲の波を押し退けた。
海洋巨大魔獣。
一体ではない。
「敵艦隊の後ろに隠れてるわけじゃないな」
参謀が答える。
「むしろ並走しています」
「なら連中も艦隊の一部として扱ってるつもりか」
エリックは椅子から立ち上がった。
「面白くはないが、分かりやすい」
KRAKEN各艦から情報が集まる。
敵艦の位置。
巨大魔獣の進路。
海流。
天候。
魔力密度。
そして後方には、取り戻したばかりの連邦共和国沿岸都市がある。
エリックが守るのは艦隊ではない。
その後ろにある海岸だった。
「KRAKEN全艦へ。敵の目的は俺たちじゃない。後ろの陸だ」
艦橋の空気が変わる。
「だからここを通すな。ただし、沈むために残る馬鹿も要らん。生きて次も塞げ」
命令が艦隊へ流れた。
やがて海面の彼方で光が走った。
魔導砲撃。
それに応じるようにKRAKEN側の艦隊も動く。
海上へ幾重もの航跡が伸び、空には対空防御の光が広がり、海中では巨大魔獣の動きに合わせて水面が不自然に盛り上がる。
艦と艦だけの海戦ではなかった。
鋼鉄の船と魔導艦、航空戦力、海洋魔獣、そして海そのものが衝突する大規模艦隊戦が始まった。
◇
その上空では、別の戦争が続いていた。
独立特殊作戦航空団《SKY LANCER》。
指揮官、アメリア・ローゼン。
コールサイン〔Artemis〕。
彼女の周囲には戦闘機だけが飛んでいるわけではない。
攻撃機。
電子戦機。
早期警戒機。
偵察・救難支援機。
それぞれが異なる高度と距離で動き、巨大な一つの航空作戦を構成していた。
敵もまた単純ではない。
魔導飛行騎。
大型飛行魔獣。
遠距離から術式を放つ空中魔導部隊。
そしてKRAKENを狙う対艦戦力。
「Artemisより全機。下ばかり見るな。KRAKENは自分で海を守れる」
アメリアの声が無線へ流れた。
「私たちは空を守る」
警戒情報が更新される。
複数の敵影が高度を変える。
別方向からさらに新しい反応。
電子戦機が妨害を開始し、早期警戒機が散らばった友軍機へ情報を送り続ける。
戦闘機群が迎撃へ向かう。
攻撃機は敵上陸戦力へ近づく機会を待つ。
誰か一機が全てを決める空戦ではない。
見つける者。
繋ぐ者。
妨害する者。
守る者。
攻撃する者。
そして帰還する者。
その全てが揃って初めて空域を維持できる。
「敵飛行魔獣群、進路変更!」
「海面へ降りる!」
「KRAKENを狙ってるわね」
アメリアは操縦桿を握り直した。
「なら、その前に横切る」
SKY LANCERの一部が高度を変えた。
機体は魔導補助を受けながら急激に姿勢を変える。
重力偏向機構が機体の動きを支え、通常の航空力学だけでは説明できない軌道へ導いていく。
〔魔導重力偏向機動〕。
しかし、それは無敵の機動ではない。
搭乗員の負担は残る。
機体にも限界がある。
魔力環境が乱れれば補助そのものが不安定になる。
だからアメリアは派手な機動を見せるために使わない。
必要な時だけ使う。
「SKY LANCER、セクター東へ。KRAKEN上空を空けるな」
複数の返答が重なった。
その直後、夜空の一角が白く染まった。
敵の魔法攻撃と航空戦力が交差し、電子妨害の中で光が歪む。
戦闘は昼夜を選ばなかった。
着陸した機体が整備される間に別の編隊が上がり、戻った搭乗員が仮眠を取る頃には次の警報が鳴る。
連日連夜。
取り戻した国土の上空を再び奪わせないために、SKY LANCERは飛び続けた。
◇
ベルガの作戦室で、レイブンたちは海と空の戦況を同時に見ていた。
地上の地図から敵の占領色が消えたというのに、戦争そのものは小さくなるどころか広がっている。
エリシアが海図を見る。
「敵も理解したのね。地上で占領を維持できないなら、海から何度でも戻ればいい」
「空から防衛線を崩して、海から上陸する」
ルナが続ける。
「そして私たちは、そのたびに沿岸を守ることになる」
レイブンは日本側掃海支援部隊の配置予定区域を見た。
そこはKRAKENが戦っている海域より遥か後方だった。
だが無関係ではない。
前で艦隊が敵を止める。
その後ろで安全な海路を作る。
さらに後ろから補給船と民間船が戻る。
戦争は最前線だけで成立しているのではない。
「日本側の派遣、タイミングとしてはギリギリだったな」
「ええ」
ルナが答える。
「KRAKENが前を押さえている間に、後ろの航路を戻せます。掃海が進めば港湾輸送も再開できる」
「日本側には無理させるな」
レイブンが言った。
「分かっています」
「魔獣を見つけても掃海任務の延長で追わせない。専門外ならSTYXかKRAKENへ回す」
「兄様」
「何?」
「私が説明した内容を、そのまま私に説明しています」
レイブンが黙る。
エリシアが横で笑った。
「教官癖ね」
「百年後が怖いな」
「もう始まってますよ」
レイブンはため息をつきながら椅子へ背を預けた。
死なない身体になったというのに、周囲からの扱いは何一つ変わらない。
そのことが今はありがたかった。
不老不死である前に、レイブンはNoXだった。
エリシアはValkyrieであり、ルナはNyxだった。
そして三人とも、戦争を一人で終わらせる存在ではない。
海ではLeviathanがKRAKENを率いている。
空ではArtemisがSKY LANCERを率いている。
陸では連邦共和国軍が自国の土地へ戻った。
後方では日本から来た人々が、見たこともなかった魔獣と魔力について学びながら、海を安全な道へ戻す準備を進めている。
レイブンは海図と航空図、その下に重ねられた連邦共和国の地図を見つめた。
領土は取り戻した。
しかし、人々が安心して帰れる国を取り戻す戦いは終わっていない。
「結局、同じだな」
レイブンが呟いた。
エリシアが尋ねる。
「何が?」
「陸でも、海でも、空でも」
彼は東の海へ続く補給線を指でなぞった。
「帰る道を切らせた方が負ける」
ルナはその線の先、KRAKENが戦う海域を見た。
「なら、切らせなければいいんです」
エリシアも静かに頷く。
「何度来ても?」
ルナは迷わなかった。
「何度でも」
レイブンは二人を見て、わずかに笑った。
「俺たちが言うと洒落にならないな」
不老不死となった三人の前で、海図上の敵艦隊を示す光点がまた増えた。
同じ頃、東方海域ではKRAKENの艦列が荒れた海を進み、その頭上ではSKY LANCERの機影が夜空を横切っていた。
取り戻された連邦共和国の海岸では、避難していた住民たちが遠い水平線の閃光を見つめている。
その背後の港では、日本から来た掃海支援要員とSTYXの隊員が、まだ暗い海へ出るための準備を続けていた。
地上を取り戻したことで、戦争は終わらなかった。
戦場が、海と空へ移っただけだった。




