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黒猫年代記  作者: @12
第一部 RAVEN ― 黒猫が戦場に立つまで ― Season 1 #01~Season 3 #037
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Season 1「誕生」 #011

第11話「まだ紙の上の銃」


帝政歴333年――。


 異界から生還したヴァルター・クロウが、長い入院生活を終えてから、しばらくの時間が過ぎていた。


 失った右腕は戻らない。


 軍服の右袖は肩口で整えられ、食事も、着替えも、書類を書くことさえ、左腕だけでやり直さなければならなかった。


「お父さん」


「ん?」


「また落とした」


「……見れば分かる」


 床には食事用具(フォーク)。


 六歳のレイブンが椅子から降り、それを拾い上げる。


「はい」


「ありがとう」


「今日、三回目」


「数えなくていい」


「四回目になったら、お母さんに――」


「レイブン」


「なに?」


「それだけはやめてくれ」


 台所から笑い声。


「もう聞こえてるわよ」


「……」


 ヴァルターの黒い猫耳が、ぺたりと伏せた。


     *


 戦場とは程遠い。


 銃声もない。


 爆発もない。


 あるのは、妻と息子の声。


 そんな暮らしを、ヴァルターは少しずつ取り戻していた。


 だが――。


 帝国軍は彼を忘れてはいなかった。


     *


 ある日の午後。


 クロウ家の前に、一台の軍用車両が停車した。


 訪ねてきたのは、帝国陸軍兵器技術本部の士官だった。


「ヴァルター・クロウ少尉」


「はい」


「兵器開発計画への技術協力をお願いしたい」


 ヴァルターは空になった右袖を見る。


「俺に銃を撃て、と?」


「いいえ」


 士官は資料袋を取り出した。


「撃てる物は、まだありません」


「……?」


「現在は」


 資料袋を軽く叩く。


「紙の上だけです」


     *


 数日後。


 帝国陸軍兵器技術本部。


 広い会議室。


 製図台を囲んでいるのは、


 主任技師。


 機関部設計担当。


 材料技師。


 弾薬技師。


 試験担当官。


 そして――。


 右腕を失った黒猫の軍人。


「では、始めましょう」


     *


 最初に机へ置かれたのは、


 銃ではなかった。


 木箱。


 ――カチャ。


 蓋が開く。


「……」


 ヴァルターが覗き込む。


 太い薬莢。


 見慣れた帝国制式小銃弾とは、形状も大きさもまるで違う。


「これが?」


「先行して開発が完了した新式弾薬です」


 弾薬技師が一発を取り出した。


「帝国軍需規格上の正式名称は――」


 一枚の仕様書が置かれる。


《帝国新式十二番径散弾》


「……十二番径?」


「はい」


 ヴァルターは左手で受け取った。


 太い。


 重い。


「中身は?」


「複数の球形弾体」


「散弾か」


「その通りです」


     *


 断面図が広げられる。


 薬莢。


 火薬。


 中間材。


 そして、複数の散弾。


「種類は?」


「現在はこれだけです」


「一種類?」


「通常散弾のみ」


「徹甲用は?」


「ありません」


「一粒弾は?」


「ありません」


「特殊用途弾も?」


「計画されていません」


「……」


 ヴァルターは、


 《十二番径》を机へ戻した。


「それでいい」


「意外ですね」


「弾だけ増やしても、撃つ銃がなければ意味がない」


     *


「その銃について」


 主任技師が、


 一枚の大型設計図を広げた。


「少尉の意見をいただきたい」


「……」


 長い銃身(バレル)。


 固定式銃床(ストック)。


 銃身下には管状弾倉(チューブマガジン)。


「想定重量は?」


「約四・八キログラム」


「重い」


「即答ですか」


「即答だ」


 ヴァルターは設計図を引き寄せる。


「兵士は射撃場で銃を撃っているだけじゃない」


 左手で鉛筆を握る。


「走る」


 一つ。


「伏せる」


 二つ。


「壁を越える」


 三つ。


「車両に乗り込む」


 そして。


「負傷した仲間を担ぐ」


 鉛筆が止まった。


     *


 空の右袖が、


 小さく揺れた。


「腕を失うことだってある」


 誰も言葉を挟まなかった。


「撃っている時間より」


 ヴァルターは図面を見る。


「銃を持って移動している時間の方が長い」


「つまり?」


「軽くする」


     *


 最初に指したのは、


 銃身(バレル)。


「外周部を削れないか」


「肉抜き加工?」


「ああ」


 材料技師が計算を始める。


「強度低下が懸念されます」


「精密射撃用じゃないだろ」


「ええ」


「十二番径の散弾を近距離へ撃ち込むための銃だ」


 主任技師が頷く。


「強度限界を計算した上で検討しましょう」


 設計図へ、


《銃身外周肉抜き――軽量化/放熱性向上》


 の文字が加わる。


     *


「次」


 銃床(ストック)。


「長い」


「反動対策です」


「折り畳めるようにする」


「十二番径の反動を受け止める折り畳み機構ですか」


「そうだ」


「固定部分が弱点になります」


「二重ロック」


「重くなります」


「材質を変える」


「簡単に言いますね」


 ヴァルターは少し笑った。


「俺は使う側だからな」


「……設計者泣かせですよ」


     *


 次は装填機構。


「現行案は管状弾倉(チューブマガジン)五発です」


「少ない」


「十二番径ですよ?」


「分かってる」


 ヴァルターは図面を見る。


「一発ずつ直接装填できる構造は残す」


「はい」


「それとは別に」


 紙へ大きな円を描く。


「交換できる弾倉をつける」


「箱型?」


「回転式弾倉(ドラムマガジン)」


 技師たちの視線が集まる。


「目標装弾数は?」


「二十五」


「……」


「どうした」


「二十五発?」


「ああ」


「《十二番径》を?」


「そうだ」


「少尉」


「何だ」


「重くなるから軽量化する、という話をしていたはずですが」


「本体は軽くする」


「弾薬で重くなります」


「……」


「……」


「そこは」


 ヴァルターが鉛筆を置いた。


「お前たちに任せる」


「逃げましたね?」


「適材適所だ」


     *


 設計室に、


 小さな笑いが起きた。


     *


「作動方式については?」


「確実性を優先して」


 機関部担当が図面を指す。


「手動装填式(ポンプアクション)を考えています」


「それは残そう」


「異論なし?」


「ない」


 泥。


 砂。


 雨。


 異界。


 ヴァルター自身、


 兵器に必要なものを嫌というほど知っている。


 複雑さより。


 確実に撃てること。


「ただし」


「……まだありますか」


「ああ」


 ヴァルターは、


 引き金(トリガー)の近くへ小さな四角を描いた。


「切替装置をここへ」


「何を切り替えるんです?」


「通常時はポンプアクション」


 鉛筆が動く。


「必要な時だけ、自動装填」


「……まさか」


「撃つ」


 机を指で叩く。


 ――トン。


「次弾が入る」


 もう一度。


 ――トン。


「また撃つ」


「単発(セミオート)……」


「そうだ」


     *


 技師たちが、


 一斉に設計図を覗き込んだ。


「手動機構と自動機構の併設……」


「切替時にガス系統を遮断すれば」


「部品点数が増える」


「汚損に弱くなるぞ」


「機関部そのものを大型化する必要が――」


「それでは重量目標を超える」


「なら配置を変える」


     *


 ヴァルターは黙って聞いていた。


 議論が続く。


 線が消える。


 新しい線が引かれる。


 数字が変わる。


 余白が、


 文字で埋まっていく。


     *


 数時間後。


 製図台の中央。


 一挺の銃が、


 紙の上に姿を現していた。


帝国陸軍新式散弾銃・第一次設計案


SG-44《シュヴァルツ・カッツェ》


分類

散弾銃(ショットガン)


使用弾薬

《帝国新式十二番径散弾》


現行弾種

通常散弾のみ


想定全長

約900ミリ


銃床折り畳み時

約670ミリ


本体目標重量

3.6〜3.9キログラム

※弾薬・弾倉を除く


銃身(バレル)

軽量肉抜き構造

放熱性と強度の両立を検討


銃床(ストック)

折り畳み式

高反動対応二重固定機構


基本作動方式

手動装填式(ポンプアクション)


次世代作動機構案

単発(セミオート)射撃への切替機構


切替操作部

引き金(トリガー)付近への配置を検討


基本装填

一発ずつの手動装填に対応


拡張給弾方式

着脱式回転式弾倉(ドラムマガジン)


目標装弾数

25発


想定用途

近距離戦闘/市街地戦闘/塹壕戦/屋内戦闘/異界門周辺戦闘


重点改善項目

本体軽量化

反動制御

片手操作性

泥・砂塵への耐久性

弾倉装着時の重量配分

手動・自動切替機構の信頼性


     *


「ところで」


 主任技師が顔を上げる。


「この銃の名前ですが」


「決まってないのか?」


「開発名称ならあります」


 書類が置かれる。


 そこには――。


SG-44《SCHWARZE KATZE》


「……《シュヴァルツ・カッツェ》?」


「《黒猫》です」


 ヴァルターの黒い耳が動いた。


「俺から取ったのか」


 若い技師が目を逸らした。


「……半分ほど」


「残り半分は?」


「語感です」


「却下」


「では代案を」


「……」


「あります?」


「……ない」


「採用ですね」


「おい」


     *


 会議が終わる頃。


 ヴァルターは、


 もう一度設計図を見た。


 SG-44《シュヴァルツ・カッツェ》。


 だが。


 まだ銃ではない。


 試作品さえ、


 存在していない。


 紙の上の線。


 数字。


 理論。


 そして。


 大量の改善点。


     *


 ヴァルターは、


 左手で鉛筆を握った。


 設計図の一番下へ、


 一文を書く。


《兵士が銃に合わせるのではなく、銃が兵士に合わせること》


「……少尉」


「何だ」


「それが、この銃の設計思想ですか?」


 ヴァルターは、


 空になった右袖を見る。


「俺みたいな奴でも扱えるなら」


 紙の中の銃を見る。


「普通の兵士なら、もっと扱いやすい」


     *


 夕方。


 クロウ家。


「ただいま」


「おかえり!」


 レイブンが玄関まで走ってくる。


「今日は何してたの?」


「新しい銃を作ってた」


「見たい!」


「無理だ」


「なんで?」


「まだ紙だから」


「……紙?」


「ああ」


 ヴァルターは左手で、


 息子の頭を撫でた。


「まだ撃てない」


「じゃあ銃じゃないじゃん」


「……」


 ヴァルターが止まる。


「確かに」


 奥からセレナが笑った。


「六歳に負けたわね」


「うるさい」


     *


 夜。


 帝国陸軍兵器技術本部。


 灯りの消えた設計室。


 製図台には、


 一枚の設計図だけが残っていた。


 SG-44《シュヴァルツ・カッツェ》。


 帝国が新たに開発した、


 《帝国新式十二番径散弾》を使用する、


 新型散弾銃(ショットガン)。


 肉抜きされた銃身(バレル)。


 折り畳み式銃床(ストック)。


 手動装填式(ポンプアクション)。


 25発回転式弾倉(ドラムマガジン)。


 そして。


 単発(セミオート)へ切り替えるための、


 小さな切替装置。


 どれも。


 まだ存在しない。


 銃声も。


 反動も。


 火薬の匂いもない。


 あるのは、


 一本一本の線だけ。


     *


 その設計図の下には、


 右腕を失った軍人が、


 慣れない左手で残した文字。


《銃が兵士に合わせること》


 それが、


 《シュヴァルツ・カッツェ》の、


 最初の思想となった。


     *


 一方。


 異界門を巡る帝国軍の報告書は、


 日を追うごとに増えていた。


 異界から戻った兵士。


 戻らなかった兵士。


 門の向こうで確認された魔法。


 未知の国家。


 そして。


 帝国の西方では、


 連邦共和国との関係にも、


 小さな軋みが生まれ始めていた。


 それはまだ。


 新聞の一面を埋め尽くすほどの出来事ではない。


 六歳のレイブンが、


 気に留めるような話でもない。


 クロウ家の夕食も。


 学校へ向かう朝も。


 いつも通り続いている。


 ただ――。


 帝国の外側で。


 いくつもの歯車が、


 ほんの少しずつ。


 回り始めていた。

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