Season 1「誕生」 #010
一気に時間軸が進みます。。。
第10話「三か月目の声」
帝政歴333年――。
ヴァルター・クロウ少尉が、
異界門の向こうへ取り残されてから、
三か月が経過していた。
*
朝。
ヴァルグラント帝国。
西部方面軍――異界門前前線基地。
「通信感度、正常」
「魔力観測値、基準内」
「門周辺、異常なし」
「了解」
いつも通りだった。
あまりにも、
いつも通りの朝だった。
*
巨大な異界門は、
基地の正面に鎮座している。
白く。
淡く。
絶えず揺らめく巨大な亀裂。
その周囲。
土嚢。
監視塔。
機関銃陣地。
観測機器。
無線通信設備。
武装した帝国兵。
三か月前と比べ、
警備は明らかに厳重になっていた。
門の向こうに、
何がいるのか。
帝国軍は、
もう知っている。
少なくとも――。
銃を向けなければならない相手が、
存在することだけは。
*
「……今日も何もなし、か」
通信兵が、
椅子へ深く腰掛けた。
「何もない方がいいだろ」
隣の兵士が答える。
「そうなんだけどな」
受信機。
周波数計。
記録装置。
雑音。
――ザァァァ……。
「……」
三か月。
毎日。
同じ音だった。
*
最初の一週間。
基地は、
ヴァルター・クロウ少尉の通信を待ち続けた。
二週間。
三週間。
一か月。
捜索隊も出された。
だが。
異界側の情勢。
敵性勢力。
門の不安定化。
そして、
相次ぐ負傷者。
捜索は、
次第に縮小されていった。
*
それでも。
通信設備だけは、
毎日同じ周波数を監視していた。
理由は単純だった。
ヴァルターが、
帝国軍の無線機を持ったまま、
消えたからだ。
*
――ザァァァ……。
「……」
通信兵が、
書類へ時刻を記入する。
〇七時一二分。
異常なし。
「コーヒー取ってくる」
「ああ」
椅子から立つ。
その時だった。
――ザッ。
「……?」
通信兵の猫耳が動いた。
「今……」
「どうした?」
「待て」
受話器へ手を伸ばす。
――ザザッ。
雑音。
そして。
『――……こちら……』
「……!」
通信兵の顔から、
眠気が消えた。
「音声!」
「何!?」
「静かに!」
*
――ザァァ。
『……こちら……C……』
「感度上げろ!」
「やってる!」
「録音開始!」
「開始!」
*
通信室に、
人が集まる。
誰も喋らない。
雑音。
途切れる電波。
そして。
『――こちら……CROW……0……』
「……」
一人の兵士が、
息を呑んだ。
「CROW……?」
*
――ザッ!
『こちら……CROW-0……』
今度は。
はっきり聞こえた。
*
「司令部!」
通信兵が叫ぶ。
「司令部を呼べ!」
「本人確認!」
「記録照合!」
「CROW-0は――」
兵士の手が、
止まる。
記録。
そこにある名前。
CROW-0
ヴァルター・クロウ少尉
「……クロウ少尉です」
*
「応答しろ!」
通信士官が、
受話器を掴む。
「CROW-0、こちら帝国西部方面軍異界門前基地!」
雑音。
「CROW-0、応答せよ!」
数秒。
長い。
そして。
『……聞こえて……いる』
「……!」
「本人だ……」
*
「CROW-0、現在位置を報告せよ!」
『……分からん』
「周囲の状況は!」
『森……』
咳。
『……南に……石造りの……街道』
「負傷状態!」
沈黙。
「CROW-0、負傷状態を報告!」
『……右腕……欠損』
「……」
通信室が、
静まり返った。
『……他……多数』
「歩行可能か!」
また。
沈黙。
『……一応な』
*
声だけで、
分かった。
弱っている。
いつものヴァルターではない。
息が浅い。
言葉が短い。
声も掠れている。
それでも。
その口調だけは。
三か月前と、
変わっていなかった。
*
「少尉」
通信士官が、
慎重に尋ねた。
「帰還できますか」
『……だから』
雑音。
『連絡してる』
「……」
『帰り方を……教えろ』
*
通信士官は、
僅かに笑った。
「了解しました」
そして。
声を張る。
「救出部隊を編成!」
「了解!」
「帰還誘導班!」
「護衛班!」
「衛生班!」
「全員完全武装!」
*
「それと――」
通信士官が、
受話器へ戻る。
「CROW-0」
『……何だ』
「そこから動かないでください」
『……』
「聞こえましたか」
『……善処する』
「動く気でしょう!」
『……』
「少尉!」
『早く来い』
――ザッ。
「CROW-0!」
通信断。
*
「……」
通信士官が、
受話器を見つめる。
「相変わらずだな……」
*
兵舎。
扉が、
勢いよく開いた。
「ラインハルト曹長!」
「何だ」
グスタフ・ラインハルト。
《BEAR-1》。
振り返る。
「クロウ少尉から通信!」
「……」
手にしていた布が、
床へ落ちた。
「もう一度言え」
「CROW-0から通信を受信!」
*
別室。
「ベルナー軍曹!」
「はい?」
「クロウ少尉が見つかった!」
「……」
カールの顔から、
表情が消える。
「……誰が?」
「クロウ少尉だ!」
「生きてる?」
「生存確認!」
「……」
一秒。
二秒。
「――っしゃあ!」
*
「アーベント兵長!」
「はい」
「再派遣だ!」
「目的は?」
「CROW-0の帰還誘導および護衛!」
リーゼの猫耳が、
ぴんと立った。
「……了解」
*
医務室。
「ハインケル伍長!」
「聞こえてます」
オットーは、
すでに衛生鞄へ器材を詰めていた。
「まだ何も言ってないぞ」
「廊下まで聞こえました」
「……」
「右腕欠損」
包帯。
止血具。
輸液。
薬剤。
「三か月」
衛生鞄を閉じる。
「……無茶しすぎです」
*
門前。
再派遣部隊。
グスタフ。
MG-38《アイゼン》。
カール。
StG-42《ヴォルフ》。
リーゼ。
G-27《ファルケ》。
オットー。
MP-31《ラッテ》。
そして、
追加の護衛兵。
通信兵。
衛生兵。
「目的は一つ!」
指揮官が叫ぶ。
「CROW-0を発見!」
「帰還経路を確保!」
「戦闘は必要最低限!」
「少尉を連れて帰れ!」
*
「三か月」
カールが、
《ヴォルフ》の弾倉を確認する。
「待たせすぎですよ」
グスタフが、
《アイゼン》を肩へ掛ける。
「文句は本人に言え」
「もちろん」
リーゼが、
《ファルケ》の薬室を確認。
「帰ってからにしてください」
「分かってる」
オットー。
《ラッテ》を身体へ吊るす。
「私は」
眼鏡を直す。
「説教します」
*
異界門。
白い光。
「進入!」
*
異界。
森。
通信で得た情報を基に、
部隊は進む。
石造りの街道。
南。
森。
「OWL-3」
「前方確認」
リーゼが先行。
「HOUND-2」
「左、異常なし」
「BEAR-1」
「後方、問題なし」
「DOC-4」
「……患者がいません」
「見つけるまで待て」
「三か月待ちました」
*
そして。
約四十分後。
『――全員停止』
リーゼの声。
「どうした」
『前方』
「敵か」
『……違います』
沈黙。
『一人』
*
木。
街道脇。
そこに。
一人の黒猫が、
座り込んでいた。
*
帝国軍服。
破れている。
泥。
血。
右袖。
空。
左肩には、
G-35《アードラー》。
7.62ミリ級帝国制式小銃弾を使用する、
半自動小銃。
だが。
銃口は、
地面へ向いている。
*
「……少尉?」
カールの声。
「……」
黒い猫耳が動く。
ゆっくり。
顔が上がった。
「……遅い」
*
「……」
カールの口が、
開いたまま止まる。
「少尉……」
「三か月も」
ヴァルターが、
掠れた声で続ける。
「何してた」
「それ」
カールの目が潤む。
「こっちの台詞ですよ……!」
*
「ヴァルター」
グスタフ。
「……」
「立てるか」
「立てる」
「そうか」
ヴァルターが、
左手を地面につく。
「……っ」
身体を起こす。
膝。
震える。
一歩。
「……」
崩れた。
*
「少尉!」
カールが支える。
「触るな」
「黙ってください!」
「歩ける」
「歩けてない!」
「今のは――」
「転んだんです!」
「地面が」
「地面のせいにしない!」
*
「どけ!」
オットーが、
二人の間へ入る。
「少尉」
「……オットー」
「三か月ぶりですね」
「ああ」
「言いたいことがあります」
「後にしろ」
「同感です」
オットーは、
ヴァルターの瞳を見る。
脈。
呼吸。
右肩。
包帯。
「……」
表情が、
険しくなる。
「誰が処置しました」
「向こうの住人」
「向こう?」
「話は後だ」
「その点だけは賛成します」
*
身体。
古い傷。
新しい傷。
打撲。
裂傷。
栄養状態。
疲労。
発熱。
「……よく」
オットーが呟く。
「何だ」
「何でもありません」
「言え」
「よく三か月動けましたね」
「……」
「今の少尉」
オットーが、
真っ直ぐ見る。
「戦闘能力、ほぼありませんよ」
「銃は撃てる」
「撃てることと戦えることは違います」
「……」
「反論は?」
「……ない」
カールが目を丸くした。
「少尉が負けた」
「黙れ」
「はい」
*
「担架!」
「いらん」
「担架!」
「オットー」
「患者は黙ってください」
「歩ける」
「歩けません」
「……」
「乗ってください」
「断る」
*
グスタフが、
ヴァルターを見る。
「ヴァルター」
「何だ」
「三か月ぶりに会ったんだ」
「ああ」
「最初の頼みくらい聞け」
「何だ」
「担架に乗れ」
「……」
「自分で乗るか」
グスタフが、
巨大な腕を組む。
「俺が載せるか」
「……」
ヴァルターは、
担架を見る。
「選択肢になってないぞ」
「知ってる」
*
「……分かった」
ヴァルターは、
ようやく横になった。
「最初からそうしてください」
オットーが言う。
*
帰還開始。
「OWL-3、前」
「了解」
「HOUND-2、左」
「了解」
「BEAR-1、後方」
「ああ」
「DOC-4」
「患者監視」
担架の上。
「CROW-0」
「……」
「少尉?」
「何だ」
「担当は?」
「……荷物」
カールが吹き出した。
「少尉、それ自分で言います?」
「うるさい」
*
だが。
数分後。
ヴァルターは、
もう喋らなくなった。
「少尉?」
「……」
「寝た?」
オットーが確認。
「意識低下です」
「大丈夫なのか」
「急ぎます」
*
「全員、速度上げろ!」
*
門。
白い光。
「見えた!」
「基地側へ通信!」
「帰還部隊、門へ接近!」
「CROW-0確保!」
*
ヴァルターの目が、
薄く開く。
「……」
白い門。
三か月。
探した。
戻れなかった。
そして。
ようやく。
「……帰るのか」
「はい」
カール。
「帰ります」
「……そうか」
*
門を、
越える。
*
光。
耳鳴り。
浮遊感。
そして――。
「帰還部隊確認!」
「衛生班!」
「担架!」
「道を開けろ!」
*
帝国。
空。
一つの太陽。
基地。
兵士。
鉄。
油。
排気。
無線。
「……」
ヴァルターの黒い耳が、
僅かに動いた。
「……臭いな」
「何がです?」
カール。
「帝国」
「帰ってきて最初の感想がそれですか」
「油臭い」
「三か月異世界にいた人が言うと説得力ありますね」
*
「クロウ少尉!」
軍医が駆け寄る。
「意識は!」
「あり。ただし低下傾向!」
「右上肢欠損!」
「発熱!」
「脱水!」
「複数外傷!」
「直ちに後送!」
*
担架が、
基地内を走る。
「……待て」
「少尉?」
ヴァルターが、
左手を動かした。
「家族」
「……」
「セレナ……」
呼吸。
「レイブンは」
*
カールが、
担架の横を走りながら答えた。
「無事です」
「……」
「二人とも」
ヴァルターの目が、
僅かに開く。
「本当か」
「はい」
「……そうか」
肩から、
力が抜けた。
*
「レイブン」
掠れた声。
「何歳に……」
「少尉」
カールが、
少しだけ笑った。
「六歳ですよ」
「……」
ヴァルターが、
天井を見る。
「六歳……」
*
頭の中。
小さな黒猫。
金と黒の瞳。
まだ幼い足。
『今度は十歩だ』
「……」
三か月。
たった三か月。
それでも。
父には、
長すぎた。
「……歩けるように」
ヴァルターが呟く。
「なったか」
「少尉」
「……何だ」
「六歳です」
「……」
「普通に走ります」
「……そうか」
カールは、
笑うべきか迷った。
*
基地正門。
軍用救急車。
後部扉が開く。
「収容!」
担架が入る。
オットーも乗る。
「少尉」
カールが、
外から呼びかける。
「……」
ヴァルターが、
薄く目を開ける。
「何だ」
「帰ってきましたね」
「……ああ」
*
その時。
ヴァルターは、
何かを思い出したように、
左肩を見る。
「……銃」
「え?」
「《アードラー》」
「回収してます」
グスタフが、
G-35《アードラー》を持ち上げた。
泥。
傷。
擦れた木製銃床。
三か月。
持ち主とともに、
異界を歩いた一挺。
「預かる」
「……頼む」
「病院に銃はいらん」
「分かってる」
「本当か?」
「……」
「ヴァルター」
「何だ」
「寝ろ」
*
救急車の扉が閉じる。
――バタン。
「出せ!」
*
エンジン。
車体が動き出す。
基地。
異界門。
仲間たち。
少しずつ、
遠ざかる。
*
車内。
オットーが、
ヴァルターの状態を確認している。
「少尉」
「……」
「眠って構いません」
「……」
「もう基地です」
「……」
「帝国です」
ヴァルターの黒い耳が、
僅かに動いた。
「……家」
「まず病院」
「セレナに」
「連絡します」
「レイブンにも」
「はい」
「……」
「必ず」
*
ヴァルターは、
目を閉じた。
三か月。
森。
村。
二つの月。
知らない言葉。
魔法。
銃声。
血。
それらが、
遠くなっていく。
*
最後に浮かんだのは。
異界ではなかった。
白い猫耳。
セレナ。
そして。
黒い猫耳。
金色と黒色の異色眼。
レイブン。
「……待ったか」
誰にも聞こえないほど、
小さく。
ヴァルターは呟いた。
*
帝国軍中央病院。
「救急搬送!」
「異界門前基地から!」
「患者、帝国陸軍少尉!」
「右上肢欠損!」
「複数外傷!」
「意識レベル低下!」
「処置室を開けろ!」
*
救急車の扉が開く。
光。
担架。
白衣。
無数の声。
「患者氏名!」
「ヴァルター・クロウ!」
「年齢!」
「記録確認!」
「家族への連絡は!」
「基地から実施中!」
*
担架が、
病院の廊下を走る。
天井の照明が、
一つ。
また一つ。
ヴァルターの視界を通り過ぎていく。
「クロウ少尉!」
軍医の声。
「聞こえますか!」
「……」
「クロウ少尉!」
黒い猫耳が、
僅かに動く。
「……聞こえてる」
「ここがどこか分かりますか!」
「……帝国」
「そうです!」
「病院です!」
「……」
ヴァルターは、
ほんの少しだけ眉を寄せた。
「……嫌いなんだ」
「何がです!」
「病院」
「元気ですね!」
*
処置室。
扉。
「入ります!」
担架が、
その向こうへ消えていく。
*
そして。
遠く離れたクロウ家。
朝。
「レイブン」
「うん?」
「靴、反対」
「……」
六歳になったレイブン・クロウが、
自分の足を見る。
右。
左。
「……ほんとだ」
「もう」
セレナが笑う。
「学校に遅れるよ」
「分かってる!」
黒い猫耳。
黒い尾。
金色と黒色の瞳。
いつも通りの朝。
*
――コンコン。
「……?」
セレナの白い猫耳が、
動いた。
玄関。
「誰だろう」
「ぼく出る!」
「待って」
レイブンより先に、
セレナが玄関へ向かう。
*
扉の向こう。
帝国軍の制服。
「……」
セレナの足が、
止まった。
*
「セレナ・クロウさんですね」
「……はい」
「西部方面軍より」
一呼吸。
「ヴァルター・クロウ少尉について」
白い猫耳が、
ゆっくり立った。
「……夫が」
声が震える。
「夫が、どうしたんですか」
*
兵士は、
はっきり告げた。
「本日早朝」
「……」
「異界より」
そして。
「生還されました」
*
セレナは、
何も言えなかった。
「……」
後ろ。
六歳のレイブンが、
母の服を掴む。
「お母さん?」
「……」
「誰?」
セレナの目から。
ようやく。
一滴。
涙が落ちた。
*
死亡通知ではない。
行方不明の継続でもない。
三か月。
ずっと待っていた。
たった一つの知らせ。
*
ヴァルター・クロウ。
生還。
*
ただし。
その帰還は。
何も失わなかった男の帰還ではなかった。
右腕を失い。
全身に傷を負い。
三か月分の異界を背負って。
黒猫の軍人は、
ようやく。
妻と。
六歳になった息子がいる世界へ――。
帰ってきた。




