第三章:夜明けのそら音
茉知のメッセージが続く。
「あ、でもさっき外で鳥の鳴き声がしたんだよね。もう朝も近いし、やっぱり迷惑かな」
鳥の鳴き声。なぎこは、胸を締め付けられていたはずなのに、ふっと小さな笑みが漏れた。まだ外は真っ暗だ。都会の真ん中で、午前三時に夜明けを告げる鳥など鳴くはずがない。彼女は来たいのだ。けれど、もし拒絶された時のために「朝が来たから仕方がなかった」という言い訳を用意している。茉知も、怖がっているのだ。その瞬間、なぎこの中で、向き合ってきたあの和歌の意味が鮮やかに反転した。
清少納言は、ただ冷たく男を拒絶したわけじゃない。「夜の闇」という曖昧な言い訳に紛れて、なし崩しに関係を進めようとする男の小細工を窘めたのだ。もし私と向き合う覚悟があるのなら、暗闇に逃げず、正々堂々と昼の光の中で私の前に立ちなさい、と。
生まれて初めて、心が「本気」で誰かを求めている。なぎこはノートPCのキーに指を置いた。茉知の心に、迅速に染み込んでいく自分の熱い鼓動に対して、境界線を引くように、けれど確かに繋ぎ止めるように打ち込んだ。
『その鳥、何かのそら音でしょ。夜はまだ、明けませんよ。』
あなからの返信は、一分ほど途絶えた。画面の向こうの沈黙が、深夜のオフィスにじわりと染み込んでいく。やがて、小さな降参の気配を帯びたメッセージが、静かに滑り込んできた。
「バレちゃった。函谷関の門番みたいに、なぎこは手強いね」文字の並びから、茉知の少し困ったような、愛おしむような声が聞こえる気がした。画家である彼女は、今どんな表情でこの画面を見つめているのだろう。




