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再会

黄金のタイルに頬を押し付け、由紀は主人の起床を待っていた。

 首に食い込む黄金の首輪は、今や彼女の肉体の一部と化していた。わずかでも首を動かせば内側の針が頸動脈を突き、粗相をすれば高圧の電流が全身を焼く。その激痛さえも、今の彼女にとっては「自分という肉体がまだ存在している」ことを実感させる唯一のよすがとなっていた。

「……あ、あ……」

 鏡に映る自分を見る。肋骨が浮き出た身体に、無数の電流の火傷痕。かつて港区で「最高級の獲物」と称えられた美貌は、今や恐怖と屈辱によって完成された、歪な調度品へと成り下がっていた。

 その日、老人の屋敷に「新しい客」が招かれた。

 老人は、自慢のコレクションである由紀を広間の真ん中に四つん這いで待機させ、高価なペルシャ絨毯の代わりに、彼女の背中に汚れた靴のまま足を乗せていた。

「どうだ。日本から仕入れた最高級の『牝犬』だ。かつては六本木で、一晩で数百万を動かしていた女だというぞ」

 老人の自慢げな声に、客が低く、粘りつくような笑い声を上げた。その声を聞いた瞬間、由紀の背筋に氷柱を突き立てられたような戦慄が走った。忘れるはずのない、あの脂ぎった、そして執念深い男の笑い声。

「……ほう。これは驚いた。ドバイの砂漠で、まさか君に再会できるとは。……久しぶりだね、由紀ちゃん」

 視界の端に映ったのは、かつて由紀が「下ぶくれのブルドッグ」と嘲笑い、マンションの更新料を詐取した挙句、一文無しにして捨てた不動産会社元社長・佐藤だった。

 かつては由紀の足元に跪き、エルメスのバッグを捧げていた男が、今は老人の対面に座り、冷酷な勝者の目で由紀を見下ろしている。

「ひっ……! あ、ああああああ……っ!」

 由紀はパニックに陥り、主人の足を振り払って逃げ出そうとした。だが、即座に老人の指がリモコンのボタンを深く押し込む。

「あああああぁぁぁぁっ!! ひぎっ、あああ!! 許して、許してえええ!!」

 首筋を貫く雷光。由紀は泡を吹きながら黄金の床にのたうち回り、鏡に自分の無様な痙攣を幾重にも反射させた。

「躾がなっていないな。……佐藤、君はこの女を知っているのかね?」

 老人の問いに、佐藤は立ち上がり、由紀の髪を乱暴に掴み上げた。床に溜まった彼女自身の涙と涎に、その美しいはずの顔を叩きつける。

「知っているどころか、私の『すべて』を奪った女ですよ。……由紀、君に捨てられた後、私は会社を追われ、妻にも逃げられ、自殺しようとしたよ。だがね、死ぬ直前に思い直したんだ。君のようなゴミに人生を終わらされるのはしゃくだとね。……今の私は、ドバイの建設利権で以前より稼いでいる。君が欲しがっていた金、今の私なら山ほど持っているぞ?」

 佐藤はポケットから一束の札束を取り出し、由紀の口の中に無理やりねじ込んだ。

「ほら、食えよ。君の大好きな金だぞ! 港区の女王様が、今は砂漠の犬か。最高に似合っているじゃないか!」

「……ぁ、ふぐ……ごめんな……さ、い……。許して……っ!!」

 由紀は札束を吐き出しながら、鏡の中の、醜く顔を歪めた自分に許しを乞うた。だが、佐藤の瞳に宿っているのは、慈悲ではなく、数年かけて煮詰められた黒い復讐心だけだった。

「老人。この女を、私に一晩だけ貸してくれないか。……彼女が日本で、どれほど多くの人間を『ATM』として扱ってきたか、その身体にじっくりと教えてやりたいんだ」

 老人は愉悦に目を細め、首輪のリモコンを佐藤に手渡した。

「いいだろう。壊さない程度に、存分に楽しみたまえ。……由紀、お前の『パパ』だ。精一杯、もてなしてやるがいい」

 佐藤は、震えて泣き叫ぶ由紀の首輪を掴み、犬のように廊下を引きずっていった。

 たどり着いたのは、砂漠の熱風が吹き込む、窓のない地下の「処刑室」。そこには、彼女がかつて男たちを品定めするために使っていた「電卓」や「ブランド品のカタログ」、そして、彼女が最も嫌悪していた「安物のビール」が置かれていた。

「さて、由紀ちゃん。まずは君に『清算』という言葉を教えてあげよう」

 佐藤は、かつて自分が由紀に振り込んだ、そして騙し取られた正確な「金額」が書かれたリストを彼女の目の前に突きつけた。

「三百万の更新料。五十万のバッグ。十万のディナー……。この一円一円が、私の血であり、涙だったんだ。……それをお前は、笑いながらゴミ箱に捨てたな?」

 佐藤の手が、リモコンの「最大」ボタンを弄ぶ。

「い、いやあああああ! お願い、やめて! お金は返すから! 身体で払うからあああ!!」

 由紀の必死の懇願を、佐藤は鼻で笑った。

「身体? ああ、そうだな。……だが、君の身体には、もう一円の価値もない。ただの『肉のサンドバッグ』だ」

 バチリ、という不吉な音とともに、極大の電流が由紀の身体を貫いた。

「あああああああああああああああああああああああ!!」

 喉が裂け、声が完全に潰れるほどの絶叫。由紀の背中は弓なりに反り、目玉は白濁し、黄金の首輪の針が皮膚を貫いて鮮血が吹き出した。激しい痙攣の衝撃で、由紀は自分の舌を噛み切りそうになりながら、汚れた床の上をのたうち回る。

「まだ終わらない。次は、この三百万の『利息』だ」

 佐藤は、沸騰した熱いビールを、由紀の敏感な粘膜へと流し込んだ。

「ぎゃああああああああああ!! 痛い! 熱い! 助けてえええ!! パパ! 誰でもいいから助けてえええ!!」

 かつて自分が「高い酒しか飲まない」と見下した、安いビールの匂い。それが今、自分の内側を焼き焦がし、屈辱とともに身体を侵食していく。

 佐藤は容赦しなかった。彼女が男を「査定」するように、彼は由紀の肉体に「傷の刻印」を付けていく。一万円を騙し取った分には一か所の火傷。十万円の分には一か所の裂傷。

「由紀、お前が欲しがっていた『キラキラした日常』は、こんな味だったか?」

「はぁっ、はぁっ……。ぁ、ああ……っ」

 由紀はもはや、言葉を紡ぐ力すら失っていた。全身は酒と体液と血にまみれ、かつての「港区女子」の面影は微塵もない。

 佐藤は、彼女の首輪を掴んで鏡の前へと引きずっていった。

「見ろよ。これが、お前の本当の姿だ。金にまみれ、嘘にまみれ、最後は砂漠の端っこで虫のように死んでいく。……なあ、由紀。幸せか?」

 鏡に映った自分の顔。

 そこには、眼窩が落ち窪み、唇は裂け、希望の欠片も失った「肉塊」が映っていた。

 由紀は、その鏡の中の怪物を見つめ、ひっ、ひっ、と短い呼吸を繰り返す。

「……ぁ、あは。……ふふふ……」

 絶望が閾値いきうちを超えた。由紀の精神の最後の一線が、不気味な音を立てて断ち切られた。

 彼女は、血に汚れた指先で、鏡に映る自分をなぞった。

「私は……きれい……。私は……みんなが欲しがる……由紀……。……あ、あははははは!!」

 砂漠の地下室に、由紀の狂ったような笑い声が響き渡る。

 佐藤は、その壊れた女の姿を見て、初めて冷淡な満足感を覚えた。

「……ああ、そうだ。お前はもう、人間ですらない。ただの『思い出』だよ」

 夜が明ける頃。

 由紀は、砂にまみれた汚れた床の上で、もはや涙も枯れ果てて横たわっていた。

 黄金の首輪は重く彼女の喉を圧迫し続け、彼女の脳裏には、もはやシャンパンの泡も、西麻布の夜景も浮かばない。

 ただ、自分が踏みにじってきた男たちの、底知れない「怒り」の重みだけが、彼女を奈落の底へと引きずり込み続けていた。

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