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崩壊

三田の地獄から戻って三日。由紀は寝室のベッドで、死んだように眠り続けていた。

 全身の痣は黄色く変色し、鏡張りの部屋で張り上げた叫びのせいで、喉は焼けたように嗄れている。それでも彼女は、枕元に置いた「血と脂のついた札束」を時折確かめては、歪んだ安心感に浸っていた。

 昼過ぎ。重い体を引きずり、数日ぶりに玄関ポストを確認しに行った由紀の指先が、一通の封筒で止まった。

「……何、これ」

 それは、華やかなダイレクトメールとは明らかに異質な、事務的で冷徹な白い封筒。差出人は都内の法律事務所。表題には大きく『内容証明郵便』の文字が躍っていた。

 リビングに戻り、震える手で封を切る。中には、彼女が「ATM」として食い物にしてきた、ある既婚男性の妻の代理人弁護士からの文書が綴られていた。

『不貞行為に基づく慰謝料請求、並びに損害賠償請求について』

 綴られた金額は、五百万円。

 さらに読み進めると、由紀がその男から「マンションの更新料」や「ブランド品代」として詐取した金の流れが、克明に、冷酷なまでに記録されていた。

「嘘……なんで、バレてるのよ……」

 由紀の喉がヒクリと鳴った。

 彼女にとって、パパ活は「同意の上での自由貿易」だった。だが、法律という鏡を通せば、それは単なる「家庭破壊」と「不法利得」に成り下がる。

 追い打ちをかけるように、スマートフォンの通知が止まらなくなった。

 これまで優しかったパパたち。何人もの男に送った「会いたいな」のメッセージに、次々と拒絶の返信が来る。

『ごめん、家内にバレた。もう連絡しないでくれ』

『君にあげたカード、止めたから。あと、プレゼントしたバッグも返してほしいって言われてる』

 パニックに陥った由紀は、自分を「女王」として扱ってくれる唯一の場所――ホストクラブの担当、れんに電話をかけた。しかし、呼び出し音は虚しく鳴り響くだけだった。

「蓮……お願い、出てよ。今、私、すごく大変なの……!」

 十数回目。ようやく繋がった電話の向こうで、蓮の声は驚くほど冷淡だった。

「あー、由紀ちゃん? 今ちょっと忙しいんだよね。っていうかさ、ネット見た? 君のこと、結構書かれてるよ。あんなの出ちゃったら、うちの店もちょっと入れられないかなぁ」

 通話が切れる。由紀は震える指で、匿名掲示板の「港区女子・暴露スレ」を開いた。

 そこには、三田のパーティーで、男たちに蹂躙されながら笑っている由紀の無様な姿が、鮮明な動画でアップされていた。

『【悲報】自称モデルの由紀(25)、三田の乱交パティで完全終了www』

『この女、俺の知り合いからも三百万抜いてるクズだよ』

『顔パンパンじゃん、ヒアルロン酸打ちすぎw』

 由紀の視界がぐにゃりと歪んだ。

 画面をスクロールするたび、これまで彼女が構築してきた「完璧な自分」が、赤の他人の嘲笑によって剥ぎ取られていく。鏡張りの部屋での叫び以上に、この無機質な文字の羅列が、彼女の自尊心を深く、深く切り刻んだ。

 数時間後。由紀のスマホに、マンションの管理会社から着信が入る。

「……はい」

「九条由紀様でしょうか。家賃の引き落としが確認できません。本日中にご入金がない場合、契約書に基づき、契約解除の手続きに移行させていただきます」

 ポーチの中の札束を見る。三田で命を削って手に入れた金。

 だが、それは慰謝料の頭金にも、滞納した家賃にも、ましてやこれから彼女を襲う絶望を回避する盾にもなりはしなかった。

 由紀は、散らかった部屋の真ん中で立ち尽くした。

 エルメスのバッグ、シャネルの靴、数えきれないほどのブランド服。それらはすべて、男たちの「裏切り」の上に積み上げられた、泡の城だった。

 その時、インターホンが激しく鳴った。

 モニター越しに映ったのは、身なりの整った、しかし目が一切笑っていない数人の女たち。彼女たちが手にしているのは、花束でもシャンパンでもない。

 由紀の人生を、物理的に、そして精神的に「抹殺」するための証拠書類だった。

「開けなさいよ、泥棒猫」

 スピーカーから漏れる、地を這うような低い声。

 由紀は、玄関の鍵を閉める手が震えて止まらなかった。

 かつて自分が男たちを搾り取る時に浮かべていた、あの冷酷な笑み。それが今、巨大な鎌となって自分の首元に突きつけられている。

「……嫌。……嫌よ……っ!」

 由紀はバスルームに逃げ込み、浴槽の中で丸まった。

 暗闇の中、彼女の脳裏に浮かんだのは、三田の鏡に映った自分の無残な姿。

 捕食者の夜は終わり、今、彼女は自分より遥かに巨大な「社会」という名の怪物に、じりじりと食い荒らされようとしていた。

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