表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/40

第4話「口約束の国で契約書を書く」

───


 契約書を作る。


 言うのは簡単だ。だが、やってみると壁だらけだった。


 マリーナのオフィスの一角を借りて三日目。誠の周囲には、書き損じの羊皮紙が山のように積まれていた。


「……駄目だ。また詰まった」


 誠は頭を抱えた。


 問題は三つあった。


───


 問題その一。識字率。


 マリーナが三年前に調べた識字率データによると、この街の住民のうち文字が読めるのは約三割。冒険者に限ると、二割を切る。


「二割……」


「驚いた? 商人はほぼ全員読み書きできるけど、冒険者は剣と魔法で生きてるからね。文字なんか覚える暇がないのよ」


 マリーナが書類仕事の合間に解説してくれた。


「つまり、契約書を作っても、八割の冒険者が読めない」


「そうなるわね」


「読めない契約書に署名させたら、それ自体がコンプラ違反です。説明義務を果たしていないことになる」


「こんぷら違反って、あんたの世界の基準でしょ」


「基準はこれから作るんです。だからこそ、最初から正しく作りたい」


 マリーナが肩をすくめた。


───


 問題その二。度量衡の不統一。


 この世界には統一された単位がなかった。距離は街によって違う歩幅で測り、重さは「大きな石一つ分」「小さな袋三つ分」。通貨は金貨・銀貨・銅貨があるが、地域によってレートが違う。


「報酬を契約書に明記しようにも、基準がない……」


「この街では銀貨が基本通貨よ。それで統一すればいいんじゃない?」


「この街ではそれでいいですが、依頼先が他の街だった場合は?」


「……面倒くさい男ね」


「面倒くさいのがコンプライアンスの仕事です」


───


 そして問題その三。これが一番深刻だった。


 「権利」という言葉が、存在しない。


 誠はマリーナの事務員に協力してもらい、この世界の語彙を一つずつ確認していた。


「『義務』に近い言葉はありますか」


「うーん……『務め』とか『課せられたこと』なら」


「では『権利』は」


「……『もらえるもの』? でも、それだと恩恵みたいな意味になっちゃうわ」


 誠はペンを置いた。


 権利がない。正確に言えば、「権利」という概念を表す語彙が存在しない。この世界の人々は、「自分が当然持っているもの」という発想を持っていない。与えられるか、奪われるか。その二択でしか物事を捉えていない。


「……権利という概念がないのに、契約書を作る」


 これは、ただの翻訳作業ではなかった。概念そのものを、この世界に輸入しなければならない。


「マリーナさん」


「何?」


「この世界の人に、『あなたにはこれを要求する権利がある』と伝えるには、どう言えばいいと思いますか」


 マリーナが顎に手を当てた。


「そうね……『あなたの取り分』、とか? 商人的に言えば」


「取り分……利益配分に近い発想ですね。なるほど」


「あとは『守られるべきもの』。騎士の言葉で言えば」


「守られるべきもの。それもいい」


 誠はメモを取った。「権利」を直接翻訳するのではなく、この世界の人々が持っている概念——「取り分」「守られるべきもの」——から逆算して権利の概念を構築する。


 思ったより面白い作業だ。制度を他国に導入するコンサルタントの仕事に似ている。


「でも、一番の問題は残ってるわよ」


「何ですか」


「読めない人、どうするの。識字率二割で契約書は成り立たないでしょう」


「…………」


 それは、確かにそうだった。


───


 その日の夕方、エリーゼがマリーナのオフィスを訪ねてきた。


 騎士のパトロールの帰りらしく、銀の鎧に夕陽が反射している。


「是永。ルカの件だが——」


「何かありましたか」


「明日の依頼は、別の冒険者を当てることになった。ルカの代わりがいないか、ギルド内で調整がついたらしい」


「……本当ですか」


「ああ。ギルド長は不機嫌だったが、治療師が『もう二日は安静にしろ』と強く言ったらしい。治療師には頭が上がらんようだ」


 誠は深く息を吐いた。根本的な解決ではない。だが、時間ができた。


「それで、お前の契約書とやらは進んでいるのか」


「進んでますが、壁にぶつかってます」


 誠は三つの問題を説明した。識字率、度量衡、そして「権利」の不在。


 エリーゼは腕を組んで聞いていた。


「……難しいことを考えているな」


「難しいんです。実際」


「識字率が問題なんだろう。読めない人間が八割」


「はい」


「なら——」


 エリーゼは、壁に貼られた冒険者ギルドの依頼書を指差した。マリーナが資料として持っていたもので、危険度に応じて色分けされている。赤が高難度、青が低難度。


「これ、読めなくても色でわかるだろう」


「……色分け」


「文字が読めなくても、絵ならわかる。剣の絵は戦闘依頼。薬草の絵は採取依頼。この世界の人間は、文字より絵に慣れている」


 誠は、しばらくエリーゼを見つめた。


「……エリーゼさん」


「何だ」


「天才ですか?」


「は?」


「アイコン契約だ。文字の代わりに絵記号を使う。依頼内容は絵で表す。報酬は数字と硬貨の絵。危険度は色で段階表示。署名の代わりに拇印。これなら識字率に関係なく機能する」


 誠はノートPCを開き、猛烈な勢いで図を描き始めた。


「しかも絵記号なら、度量衡の問題も緩和できる。『銀貨の絵×数字』で報酬を表せば、文字による誤解が減る。権利の概念も——」


 誠は手を止めた。


「盾の絵だ」


「盾?」


「権利を『守られるべきもの』として表す。盾のアイコン。盾の横に書かれた項目は、あなたが守られるべきこと。つまり、あなたの権利。剣のアイコンは、あなたが果たすべきこと。つまり、義務」


「盾と剣で、権利と義務を」


「騎士にとっては、直感的でしょう?」


 エリーゼが、ふっと笑った。珍しい表情だった。


「……悪くない。それなら、馬鹿な冒険者にもわかるだろう」


───


 その夜は、三人での作業になった。


 誠がロジックを組み、マリーナが現実的な調整を加え、エリーゼが「現場ではこうだ」と修正する。


 契約書のアイコン体系が、少しずつ形になっていった。


【依頼内容】剣=戦闘 薬草=採取 盾=護衛 巻物=調査

【報酬】銀貨の絵×数字(前払い/後払いを矢印で表示)

【危険度】赤=高 黄=中 青=低

【権利(盾)】報酬保証、危険度の事前説明、中途離脱権

【義務(剣)】依頼完遂、報告、仲間の安全配慮

【年齢制限】15歳未満は青(低危険度)のみ

【署名】拇印+ギルド印


「年齢制限、十五歳ですか」


 マリーナが確認した。


「本来は十八歳にしたい。でも、この世界の現実を考えると——」


「十五でも、かなり厳しい基準よ。今は年齢制限なんて概念自体がないんだから」


「わかってます。だから段階的に。まずは十五歳未満は高危険度の依頼を受けられない、というラインから」


 誠はルカの顔を思い浮かべた。十一歳。青ランクの依頼しか受けられなくなる。戦力としては大幅な制限だ。ギルド長は絶対に反発する。


「これ、冒険者ギルドに持ち込んだら揉めるわね」


「揉めるでしょうね」


「あのギルド長、まともに話が通じる相手じゃないわよ。前に契約の話を持ちかけた商人がいたけど、怒鳴りつけて追い返したって聞いたわ」


「……ですよね」


「どうするの?」


 誠は少し考えた。


「正面から行っても燃やされるだけですね。直接ギルド長に提案するんじゃなく、冒険者側から声を上げてもらう形を——」


「甘いわね」


 マリーナが遮った。


「冒険者は今の仕組みに慣れきってるのよ。不満はあっても、自分から変えようとはしない。だって変え方を知らないんだから」


「…………」


「ギルド長に話を通すなら、利害で攻めるしかない。あの男が恐れていることは一つ。冒険者が他の街のギルドに流出すること。この街のギルドが選ばれなくなることよ」


「競争原理、ですか」


「そう。『契約があるギルドの方が安全だ』と冒険者が思えば、契約なしのギルドは人が来なくなる。バルドはそれを恐れる」


 誠は頷いた。マリーナの分析は的確だ。正論では動かない。利害で動かす。


「ただし——」


 マリーナの目が鋭くなった。


「契約書を持ち込むなら、一発で通す覚悟でやりなさい。二度目のチャンスはないわよ。一度拒否されたら、冒険者たちも『やっぱり無理なんだ』と諦める。そうなったら終わり」


 マリーナの声が、少しだけ低くなった。


「——これが失敗したら、私も終わるわ。冒険者ギルドに公然と楯突いた商人ギルドマスター。ルンゲの……あの貴族の傘下にいる連中が黙ってない」


「マリーナさん……」


「同情はいらないわ。自分で選んだことよ。ただ、中途半端にやるなら最初からやらないで。やるなら、通して」


「……わかりました」


 誠は、完成しかけたアイコン契約書を見下ろした。


 盾と剣。権利と義務。


 この紙切れ一枚が、この世界の最初のルールになる。


───


 翌朝。冒険者ギルドの治療室。


 誠が試作品を持ってルカのところに行ったのは、約束を果たすためだった。


「ルカさん。契約書、できました」


 ルカは寝台の上で朝食の残りのパンを齧っていた。誠を見て、パンを咥えたまま言った。


「……もふはやいんだけど」


「すみません。でも、見てほしいんです。最初の読者になってください」


 ルカはパンを飲み込み、渋々ながら羊皮紙を受け取った。


 しばらく眺めていた。絵記号の並ぶ契約書を、指でなぞりながら。


「……これ、剣の絵が戦闘ってこと?」


「はい」


「で、盾が……守られるもの?」


「そうです。あなたの権利です」


「権利」


「あなたが当然受け取れるもの。報酬の保証、危険度の事前説明、途中で帰る権利」


「途中で帰っていいの?」


「はい。危険を感じたら逃げていい。それは権利です」


 ルカが、目を丸くした。


「……そんなの、聞いたことない」


「今日からあるんです」


「でも、逃げたらギルドに怒られる」


「この契約書がある限り、怒る方が間違いです」


 ルカが、もう一度契約書を見た。


 指が、「年齢制限:15歳未満は青ランクのみ」の項目で止まった。


「……これ、私のこと?」


「はい。十五歳未満の冒険者は、低危険度の依頼しか受けられません」


「じゃあ私、もう前線に出なくていいの」


「この契約書が採用されれば、そうなります」


 ルカの手が、わずかに震えた。


「……べ、別に。前線が嫌だったわけじゃないし。ただ——」


 言葉が詰まった。


「ただ?」


「……こんなの、紙切れ一枚じゃん」


「紙切れ一枚ですよ」


「こんな紙切れで、何が変わるの」


 誠は、ルカの目を見た。


「紙切れ一枚が、あなたを守る盾になる。僕は、そう信じてます」


 ルカは何も言わなかった。しばらくして、小さな声が落ちた。


「……ほんとに? ほんとに、この紙が守ってくれるの?」


 棘のない声だった。ツンデレでも、虚勢でもない。ただの、十一歳の子供の声。


「守ります」


「……前にもね、大丈夫って言った大人がいたの。でも、何もしてくれなかった」


「僕は、します。この紙がその証拠です」


 ルカは契約書を握る手に、少しだけ力を込めた。信じたい。でもまだ、信じきれない。その間で揺れているのが、指の震えに出ていた。


───


「——ところで一つ聞いていい、おっさん」


「はい」


「この『甲』と『乙』って何。読めないんだけど」


「あ——」


 それは、誠の世界の言葉がそのまま残っていた部分だった。


「……甲は依頼者、乙は受注者です。日本語なので——」


「にほんご?」


「僕の世界の言葉です。すみません、翻訳し忘れてました」


「っていうか、この字きもい」


「きもい言うな。由緒正しい漢字です」


「かんじ? なにそれ」


 マリーナの事務員に相談した結果、甲は「太陽」の記号、乙は「月」の記号に置き換えることになった。依頼者が太陽で、受注者が月。この世界の人にはしっくりくるらしい。


「……文化の違いって、こういうところに出ますね」


「おっさんの文字、ほんと変。ミミズみたい」


「日本語をミミズ呼ばわりしないでください」


───


 試作品は完成した。あとは、これを冒険者ギルドに持ち込むだけだ。


 マリーナのオフィスに戻ると、マリーナとエリーゼが待っていた。


「見せて」


 マリーナが契約書を受け取り、目を通す。エリーゼも横から覗き込む。


「……よくできてるわ。商人として言わせてもらえば、この項目設計は実務で回せる。これなら全員を同じ基準で回せる」


 誠はその言葉に、かすかな引っかかりを覚えた。同じ基準。同じ型。全員を同じルールにはめる。それは——公平であると同時に、窮屈でもある。


 だが今は、その引っかかりを押し込めた。まず作る。問題は後で考える。


「ただ——」


 エリーゼが腕を組んだ。


「問題は、バルドだ」


「ええ。一発で通す必要がある。失敗すれば二度目はない」


 三人の目が、互いに交わった。


「……明日、持ち込みましょう」


 誠は契約書を丁寧に巻いた。


「一発勝負です」


 マリーナが髪をかき上げた。


「バルドを動かす材料は、私が用意するわ。他の街のギルドとの比較データ。冒険者の流出率、依頼達成率、事故率。あの男が一番嫌がる数字よ」


「数字で攻めるんですか」


「金の話をすれば、あの男は絶対に聞く。聞かざるを得ないの。冒険者ギルドの収益が落ちてるのは事実だから」


 エリーゼが剣の柄に手を置いた。


「万が一荒れた場合は、私が場を収める」


「荒れる前提なんですね」


「あのギルド長相手だ。荒れない方が珍しい」


 誠は苦笑した。


 戦闘力ゼロのコンプライアンス担当。交渉の武器は紙切れ一枚。


 ——でも、この紙切れには、盾と剣が描かれている。


 明日。口約束の国で、最初の契約書が試される。


───


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ