第22話「決算報告会(異世界初の情報公開)」
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決算報告会。
この世界で、誰もやったことのないことを——やる。
商人ギルドと冒険者ギルドの会計を、市民に公開する。収入がいくらで、支出がいくらで、差額がどこに行ったか。全てを、数字で。誰にでもわかる形で。
「——あんた、本気でやるのね」
マリーナが、準備中のオフィスで言った。
「本気です。というか、もう招待状を配ってしまったので、今さら止められません」
「配った? いつ?」
「昨日。ルカと一緒に。——街の掲示板、酒場、市場の入口。全部に」
「…………あんた、事後報告の天才ね」
「事前に相談したら止められると思いまして」
「止めたわよ。——でも、もう遅いわね」
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準備には三日かかった。
問題は——資料の見せ方だった。
「帳簿をそのまま見せても、市民にはわかりません。数字の羅列は、読み方を知らない人には暗号と同じです」
「じゃあ、どうするのよ」
「わかりやすくします。——前の世界で、プレゼンテーションという技法がありました。情報を視覚的に整理して、見る人が一目で理解できるようにする」
「プレゼン……テーション?」
「要するに、絵で説明するんです。数字を棒の長さにしたり、円の大きさにしたり。——グラフ、と呼びます」
誠は羊皮紙に、棒グラフの見本を描いた。
「これが商人ギルドの年間収入。こっちが支出。この差額が——使途不明金。見てください、一目でわかるでしょう? 収入より支出が少ないのに、手元に金が残っていない。つまり、どこかに消えている」
「……確かに。数字で言われるより、これの方がわかりやすい」
「ですよね。——問題は、大勢の前でこれをどう見せるかです。羊皮紙を一枚ずつ回すわけにはいかない」
ルカが手を挙げた。
「あたし、できるかも」
「何が?」
「魔法で。——光を使って、壁に絵を映し出す魔法がある。照明魔法の応用で」
「壁に映す?」
「うん。色のついた光を操作して、文字や図形を壁面に投影する。——あたし、帳簿の文字を光で読み取る練習してたから、逆に書き出すこともできると思う」
「……それ、プロジェクターじゃないですか」
「ぷろじぇくたー?」
「前の世界で、同じことをする機械がありました。——ルカ、天才ですか?」
「天才だよ。知ってたでしょ」
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ルカの魔法投影を使ったリハーサル。
マリーナのオフィスの壁に、光のグラフが浮かび上がった。
棒グラフ。円グラフ。数字の一覧表。——全てが、色鮮やかに壁面に投影された。赤は赤字。青は正常。黄色は要注意。
「……すごい」
マリーナが、目を見開いた。
「これ、すごいわ。——数字が、絵になってる」
「でしょう? ——これなら、帳簿を読めない市民にも、何が起きているかが伝わります」
「色がついてるから、どこがおかしいか一目瞭然ね。——赤い部分が使途不明金?」
「はい。赤い部分が大きいほど、金の行方がわからないということです」
「……ルンゲ関連の取引、真っ赤じゃない」
「そうなんです」
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決算報告会の当日。
会場は、商人ギルドの集会場。市場広場に面した大きな建物で、通常はギルド集会や商談に使われている。今日は——開放された。
市民なら誰でも入れる。商人も、冒険者も、職人も、農家も、子供も。
入口で、エリーゼの騎士仲間カールが警備についていた。護衛は六名。マリーナの商会の雇い人が誘導を担当。
開場三十分前。——すでに、広場に列ができていた。
「……こんなに来るの」
「来ますね。——『ギルドの金の使い方を公開する』って書いたら、興味を持つ人は多いです。自分たちの金がどう使われているか、誰だって知りたい」
「でも、帳簿の数字なんか見て楽しいかしら」
「楽しくはないでしょう。——でも、怒りはすると思います」
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開会。
マリーナが壇上に立った。
「本日は、お集まりいただきありがとうございます。商人ギルドマスター、マリーナです。——今日は、商人ギルドと冒険者ギルドの会計を、皆さんに公開します」
ざわめき。市民たちは、何が始まるのかまだよくわかっていない。
「会計って何だ?」
「帳簿の話だろ? 商人の金の話なんか——」
「まぁ聞いてみようぜ」
マリーナが手を挙げると、ルカが魔法を発動した。
壁面に——光のグラフが浮かび上がった。
広間が、一瞬で静まった。
「…………おお」
「何だこれ……壁に絵が……」
「魔法か?」
色のついた光の棒が、壁いっぱいに並んでいる。数字が添えられている。——美しく、そしてわかりやすい。
「これが——商人ギルドの年間収入と支出です」
誠が、マリーナの横に立って説明を始めた。
「青い棒が収入。赤い棒が支出。——見てください。収入が金貨二百枚。支出が金貨百五十枚。差額の五十枚は——どこに行ったでしょうか」
広間が、ざわついた。
「五十枚? そんな大金が消えてるのか?」
「ギルドの金庫に残ってないのか?」
「残高は——金貨十二枚です。三十八枚が、使途不明金として記録されています」
壁面のグラフで、三十八枚分が赤く光った。
「三十八枚!」
「どこに消えたんだ!」
「それを——これから説明します」
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誠は、丁寧に説明した。
使途不明金の内訳。特定の商会への不自然な支払い。名目は「業務委託費」だが、具体的な成果物がない。委託先の商会を辿ると——ルンゲの領地内の企業に行き着く。
「……つまり、ギルドの金が——ルンゲ領の商会に流れていたと?」
市民の一人が、声を上げた。
「流れていた可能性がある、というのが正確な表現です。帳簿の記録からは、業務委託費として支払われたことはわかりますが、その対価として何が提供されたのかが——記録にありません」
「記録がない? なんでだ」
「それは——私たちにもわかりません。記録がないこと自体が、問題なのです」
次に、冒険者ギルドの会計。
ハンナが壇上に上がった。
「冒険者ギルドの会計を報告する。——前のギルド長の時代に、手数料の不正徴収があった。これは監査で発覚して、すでに公表済みだ。今日は——その先の話をする」
壁面に、新しいグラフが浮かんだ。
「不正に徴収された手数料の行き先を追跡した。——結果、一部が商人ギルドの使途不明金と同じ経路で、ルンゲ領の商会に流れていたことが判明した」
広間が、静まり返った。
「商人ギルドの金も、冒険者ギルドの金も——同じところに消えている。たまたまじゃないのか?」
「たまたまでしょうか。——皆さんがご自身で判断してください。数字は、全てここに出ています」
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報告会の後半は——質疑応答になった。
市民たちの質問は鋭かった。
「ルンゲ領の商会って、具体的にどこだ」
「帳簿に記載のある名前は——三社あります。ルンゲ商会直轄の事業部門と、関連する二社」
「ルンゲって……あのルンゲ伯爵か? 貴族の?」
「帳簿にはルンゲ伯爵の名前は直接出てきません。ただ、支払い先の商会がルンゲ伯爵の領地に所在し、ルンゲ伯爵の影響下にあることは——公知の事実です」
「つまり——ギルドの金が、貴族に吸い上げられてたってことか?」
「その可能性を示す数字が、ここにあります。——断定はしません。ただ、数字を見てください」
壁面に、金の流れを矢印で示した図が浮かんだ。
市民 → ギルド → 使途不明金 → ルンゲ領商会。
矢印は一方通行だった。上から下へ、ではなく——下から上へ。市民の金が、貴族に吸い上げられていく図。
「…………」
広間に、重い沈黙が落ちた。
それから——ざわめきが、じわじわと広がった。怒りの声ではなかった。もっと深い——認識の変化。自分たちの金がどう使われているか、初めて知った市民の、困惑と覚醒の混ざった声。
「……知らなかった」
「こんなに金が動いてたのか」
「俺たちの払った手数料が——」
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報告会が終わった後。
マリーナのオフィスで、チームが集まった。
「……やったわね。——大反響よ」
「はい。市民の反応は——予想以上でした」
「予想以上? あんた、予想してたの? あの反応を」
「ある程度は。——数字を見れば、怒るか困惑するかのどちらかです。でも、今日の市民は——怒りよりも、困惑の方が大きかった」
「困惑?」
「自分たちが何も知らなかったことへの困惑です。金の流れを知らなかった。知ろうとしなかった。——知る手段がなかったから」
「でも、今は知った」
「はい。知った市民は——もう、元には戻れません。数字を見た人間は、見る前の状態には戻れない。それが——情報公開の力です」
エリーゼが頷いた。
「報告会の後、街のあちこちで議論が起きている。酒場で、市場で、路上で。——市民が、政治の話をしている。この街で、そんなことは初めてだ」
「いい兆候です。——次は、この議論を制度的な要求に繋げる。市民が自分たちで、法の改正を求める。下からの圧力」
「法改正、か。——遠い道のりだな」
「遠いです。でも、一歩目は踏み出しました」
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その夜。
マリーナが、商会の裏口から外に出た時——人影があった。
「こんばんは、マリーナ殿」
声を聞いた瞬間——マリーナの背筋が凍った。
ルンゲだった。
暗い路地に、一人で立っている。護衛も連れずに。——それが、かえって不気味だった。
「……ルンゲ伯爵。こんな時間に——」
「素晴らしい報告会でしたな。壁に映る光の絵。——美しかった。商人としての手腕、さすがと言わざるを得ない」
「……何の用ですか」
「用? 用などない。——ただ、少し心配しているのですよ。あなたのことを」
「心配?」
「あなたは今日、市民の前で——私の商会に繋がる数字を公開した。直接の名指しは避けたが、誰でもわかる。——あなたは、私を敵に回した」
「…………」
「マリーナ殿。あなたは聡明な女性だ。——この先に何が起きるか、わかっているはずです」
「脅しですか」
「脅し? 私は脅しなどしない。ただ——事実を申し上げている。公開された数字は、両刃の剣です。市民はルンゲ商会を疑うでしょう。しかし同時に——マリーナ殿、あなたの帳簿にも、不整合がないとは言い切れないのでは?」
マリーナの目が、鋭くなった。
「十二年前の話ですか」
「私は何も言っていませんよ。——ただ、帳簿というのは面白いもので。古い記録が、ふとした拍子に出てくることがある。是永殿の監査チームが——あなたの過去の帳簿を見たら、どう思うでしょうね」
「…………」
「このままだと、あなたも困ることになる。——私は、あなたを守れる立場にある。以前のように」
「以前のように?」
「ええ。以前のように。——融資は不要でしょう。今のあなたには。ただ、少し——協力していただければ。是永殿の信用を、ほんの少し、揺らがせるだけで——」
「お断りします」
マリーナの声は——震えていなかった。
「ルンゲ伯爵。十二年前の私なら——たぶん、今の提案を受けていました。怖かったから。でも——今は違います」
「違う? 何が」
「私は、自分の過去を——もう隠していません。是永にも、エリーゼにも、ルカにも話しました。十二年前、あなたに帳簿を改ざんさせられたこと。全部」
ルンゲの表情が——初めて、わずかに変わった。
「……そうですか。——話した、と」
「話しました。脅しが効くのは、秘密がある時だけ。——是永に教わりました」
「…………」
「ルンゲ伯爵。もう帰ってください。——私には、もう、あなたに差し出すものがありません」
マリーナは、背を向けて商会の中に戻った。
扉が閉まった。
路地に残されたルンゲは——しばらく、扉を見つめていた。
「……教わった、か。是永に」
ルンゲの声は——静かだった。
「面白い。——だが、マリーナ。お前の帳簿は無事でも——是永の帳簿は、どうかな」
ルンゲは路地を歩き出した。
「決算報告会で公開された数字。あれが——全て正しいと、市民は信じている。是永も信じている。だが——私の仕込んだ数字が、あの中に紛れ込んでいたとしたら?」
暗い路地に、ルンゲの呟きが消えた。
「公開が武器なら——公開された嘘は、最強の毒だ」
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翌朝。
マリーナが商会に出勤した時——店の前に、人だかりができていた。
「何……?」
近づいて——足が、止まった。
足元でガラスの破片を踏む音がした。——ぱきり。乾いた、鋭い音。群衆のざわめきの中で、その小さな音だけが妙に鮮明に聞こえた。
店の窓が、全て割られていた。
壁に、赤い塗料で——文字。
「嘘つきギルドマスター」
「数字を捏造するな」
「市民の金を返せ」
マリーナの顔から、血の気が引いた。
「…………何よ、これ」
通りがかりの商人が言った。
「今朝、広場のビラで見たぞ。——お前のギルドの帳簿に嘘がある、って。決算報告会の数字が間違ってるって——」
「嘘? 間違い? 何のこと——」
マリーナは、走った。広場へ。
広場の掲示板に——ビラが貼られていた。
「決算報告会の虚偽について」。差出人不明。——帳簿の一部を引用し、数字の不整合を指摘している。
『商人ギルド第三四半期の業務委託費は金貨八枚と報告されたが、原本には金貨十二枚と記載されている。差額の四枚はどこに消えたのか? ギルドマスター自身が数字を改ざんしたのではないか?』
マリーナは、ビラを読んだ。
——数字が、違う。
昨日公開した帳簿の数字と、このビラに引用された数字が、一致しない。
「これは——帳簿の原本と違う。誰かが数字を——」
そこで。
マリーナの血が——凍った。
「まさか。帳簿の原本自体が——書き換えられている?」
ルンゲの言葉が蘇った。
「帳簿に嘘を仕込む」。
「是永が信じたものに裏切られる絶望」。
「公開された嘘は、最強の毒」。
——始まった。
ルンゲの、本当の反撃が。
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