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第14話「コンプラ担当、刺客に狙われる」

───


 襲撃から三日。


 誠は、いつも通り仕事をしていた。


 帳簿の集計。商会への記帳指導。月次報告の書式整備。——日常業務を、日常のペースで。


 マリーナが言った。


「……平気なの?」


「平気です」


「嘘ね」


「嘘じゃないです。——慣れただけです」


「三日で慣れる? 殺されかけたのに?」


「コンプラ担当は、精神的な殴打には強いんです。物理的な殴打はこれが初めてでしたけど」


「全然慣れてないじゃない」


 誠は苦笑した。——正直、夜道を歩くのが怖い。角を曲がるたびに体が強張る。足音が聞こえるだけで心拍が上がる。昨夜は宿の前で立ち止まった。ドアに手をかけたまま、三十秒。呼吸が浅くなって、膝の裏が冷たくなって——ようやく中に入れた。


 でも、それで足を止めるわけにはいかない。


「マリーナさん。襲撃者の件、何か掴めましたか」


「ハインツの周辺を探ったけど、直接の繋がりは出てこない。用心深いわよ、あの男。——というか、ハインツ自身が指示したかどうかもわからない」


「指示したのがハインツじゃないとすると——」


「もっと上。でしょうね」


 二人は、それ以上名前を言わなかった。


───


 その日の午後。


 ルカが、マリーナのオフィスに駆け込んできた。


「おっさん。おっさん!」


「ルカ、走らない」


「走る! だって大変なんだもん!」


 ルカの手に、一枚の紙が握られていた。契約監査局の書類だ。


「これ、見て。おかしいの」


「おかしい? どこが——」


 誠は書類を受け取った。契約監査局の月次支出報告。グリムが処理した書類。


 見慣れた書式だ。だが——


「……ルカ。これ、どうやって見つけたんですか」


「だって、あたし毎日帳簿の転記手伝ってるでしょ。数字覚えちゃったの。それで——この書類、先月と金額が同じなのに、支出先が違う。同じ金額を、毎月別の名前に払ってるの。おかしくない?」


 誠は書類を並べた。先月の支出報告と、今月の支出報告。


 ——金貨二枚。先月は「書記用品商ヴェルナー」。今月は「紙材商ブルクナー」。


「ルカ。ブルクナーという紙材商、知ってますか」


「知らない。マリーナさん、知ってる?」


 マリーナが、書類を覗き込んだ。


「……いいえ。聞いたことない名前ね。——まさか、また架空?」


「確認します」


───


 確認に、半日かかった。


 結果。紙材商ブルクナーは——実在した。ただし、三年前に閉業していた。


「……ヴェルナーと同じパターンですね。実在するが、すでに営業していない商人の名前を使って、架空の支出を作る」


「手口が同じ。グリムがまたやってるのね」


「はい。しかも——手口が進化してます。先月のヴェルナーは完全に架空だった。今月のブルクナーは、過去に実在した商人。調べれば記録が出てくるから、一見すると正当に見える」


「つまり、こちらが調べてることに気づいてる」


「気づいてます。だから、より巧妙な手口に切り替えた。——でも」


「でも?」


「ルカが気づいた。金額が同じことに」


 ルカが、胸を張った。


「えへん」


「——偉そうにしないの」


「だって見つけたのあたしだもん」


 マリーナが笑った。だが、すぐに表情が引き締まった。


「金貨二枚が毎月抜かれている。先月が三枚、今月が二枚。合計五枚。——少額に見えるけど、年間で金貨二十四枚。これ、うちのギルドの年間収益の——」


「約八パーセントです」


「……八パーセント。馬鹿にならないわね」


「しかも、これは発覚した分だけです。他にも見逃しているものがあるかもしれない」


───


 誠は、支出先の一覧を作り始めた。グリムが過去六ヶ月間に処理した全ての支出。支出先を一つずつ確認し、実在するかどうかを調べる。


 ルカが手伝った。帳簿の転記作業で覚えた数字のパターンで、異常値を見つけるのが上手い。


「おっさん。この支出も変だよ。『孤児保護基金への拠出』って書いてあるけど、金額が毎月バラバラ。他の定期支出は全部同じ金額なのに」


「孤児保護基金?」


「うん。ここ、ここ。三ヶ月分」


 誠は、ルカが指した数字を見た。


 一ヶ月目:銀貨二十五枚。二ヶ月目:銀貨三十八枚。三ヶ月目:銀貨四十二枚。


「……増えてる」


「毎月増えてるの。しかも端数が多い。普通、拠出金って切りのいい数字にしない?」


「ルカ、すごいですね。その通りです」


「普通でしょ。——あたし、ギルドで散々お金ごまかされてたから、こういうの勘が利くの」


 ルカの声は軽かった。だが、その言葉の裏にある経験を思うと、誠の胸が痛んだ。


───


 孤児保護基金。


 誠は、この名前に引っかかった。


「マリーナさん。孤児保護基金って、何ですか」


「王都にある慈善基金よ。戦災孤児や、身寄りのない子供を保護する施設を運営してる。——建前上は」


「建前上?」


「私の知り合いの商人が言ってたの。『孤児保護基金に寄付したけど、孤児の顔を一人も見たことがない』って。実態がよくわからないのよ。寄付は集まるのに、保護された子供の情報が全然出てこない」


「……その基金の管理者は?」


 マリーナが、窓辺に目をやった。


「——ルンゲ家よ。代々、ルンゲ家の当主が基金の理事を務めてる」


 沈黙が落ちた。


 誠は、メモに書き加えた。架空支出→孤児保護基金→ルンゲ家。


 金の流れが、一本の線で繋がった。


「資金洗浄ですね」


「資金洗浄?」


「汚い金を、綺麗な名目を通してロンダリングする手口です。商人ギルドから架空の名目で金を抜く。それを孤児保護基金に入れる。基金からルンゲ家に戻す。——基金を経由することで、出所がわからなくなる」


「……孤児の保護を、金の洗濯に使ってるってこと」


「はい」


 マリーナの目が、据わった。静かな怒り。


「最低ね」


「最低です」


───


 ルカが、テーブルの端で聞いていた。


 誠が気づいた時、ルカの手が震えていた。


「ルカ?」


「……孤児保護基金」


「はい」


「あたし、知ってる」


 ルカの声が小さくなった。


「あたしが両親を亡くした後——最初に連れて行かれたの、孤児保護基金の施設。でも——」


「でも?」


「……すぐに出された。『魔力が高い子は、ギルドの方が適切な環境を提供できる』って。それで冒険者ギルドに送られて——」


 ルカが、言葉を切った。


 誠は、パズルのピースが嵌まる感覚を覚えた。


 孤児保護基金の施設。魔力の高い子供は「適切な環境」に移される。——ギルドに送られ、高難度依頼に投入される。


 それは保護ではない。選別だ。


 使える子供を選び、使えない子供は——


「ルカ。使えないと判断された子供は、どうなったか知ってますか」


「……知らない。でも、あたしがいた時、何人かいなくなった子がいた。『別の施設に移った』って言われたけど——」


 ルカは、それ以上言わなかった。小さな拳が、膝の上で白くなっていた。


「……あたし、あそこには戻りたくない」


 声が、かすれていた。十一歳の声ではなかった。


 マリーナが、ルカの肩に手を置いた。


「——もういいわ。無理に思い出さなくていい」


「……ごめん」


「謝ることじゃないわ」


───


 誠は、一人でメモを整理した。


 孤児保護基金は、二重の機能を持っている。


 一つは、資金洗浄の窓口。商人ギルドや他の組織から抜いた金を、「慈善」の名目でルンゲ家に還流させる。


 もう一つは——人身売買の選別機関。保護を名目に孤児を集め、魔力や能力で選別し、使える子供はギルドや商人に「提供」する。使えない子供は——まだわからない。だが、碌な結末ではないだろう。


 制度を悪用するにも程がある。


 孤児の保護。弱者を守るための仕組み。それを——弱者を食い物にするために使う。


「……これは、単なる横領じゃない」


 誠は呟いた。


「構造的な搾取だ。金と人、両方を抜いてる。しかも全部、『善意』の看板の裏で」


 誠はペンを置いた。


 ——怒りが、腹の底から湧き上がってくる。


 だが。


 怒りで動いてはいけない。証拠で動く。それがコンプラのルールだ。


「……証拠を固めよう」


───


 エリーゼが来たのは、夕方だった。


「是永。——報告がある。悪い方の」


「悪い方?」


「お前を襲った三人。騎士団で素性を調べた。——うち一人が、ルンゲ家の元使用人だ」


「元?」


「半年前に辞めている。表向きは自己都合の退職。だが——退職後、急に羽振りがよくなっている」


「雇われた。ということですね」


「ほぼ確実だ。だが——」


「証拠としては弱い」


「ああ。元使用人というだけで、現在のルンゲとの関係は証明できない。しかも——」


 エリーゼの声が低くなった。


「——騎士団の上からの圧力がかかり始めている」


「圧力?」


「『些細な暴行事件に騎士団のリソースを割くな』。——上の判断だ」


「些細な——殺されかけたんですけど」


「わかっている。だが、騎士団の上層部にはルンゲと繋がっている者がいる。直接的な指示ではない。だが、空気が——」


「忖度、ですね」


「そんたく?」


「誰も明確な指示を出さない。でも、暗黙の了解で動く。——権力者の周りで最もよく見る現象です」


 エリーゼが、苦い顔をした。


「……お前の世界にも、騎士団の腐敗があるのか」


「騎士団とは呼びませんけど。構造は同じです」


───


 その夜。


 誠は宿への帰り道、エリーゼが隣を歩いていた。襲撃以来、エリーゼは毎晩、誠を宿まで送るようになっていた。「パトロールのついで」という名目で。


「エリーゼさん」


「何だ」


「迷惑をかけていますね」


「迷惑?」


「僕を守るために、騎士団の中で立場が悪くなっているんじゃないですか」


 エリーゼは、しばらく黙っていた。


「……立場は、元から良くない」


「え?」


「私は女で、平民出身で、口が悪い。騎士団では最初から異端だ。——今さら少し立場が悪くなったところで、大差ない」


「でも——」


「是永。お前は自分の仕事をしろ。私のことは私で決める」


「…………」


「お前が制度を作る。私が体を張る。——その約束は変わらない」


 誠は、横顔を見た。月明かりの中、エリーゼの横顔は——怒っているようにも、笑っているようにも見えた。


「ありがとうございます」


「礼を言うな。——気恥ずかしい」


───


 翌日。


 新しい事態が起きた。


 帳簿の試験運用に参加していた十二商会のうち、三つが——突然、運用を中止した。


「——何があったんですか」


 誠が駆けつけると、商会の主人は顔を伏せた。


「……すまない、是永さん。事情が変わったんだ」


「事情?」


「……言えない。ただ——うちは、もう帳簿の件から手を引く」


 二軒目も、三軒目も、同じだった。理由を言わない。ただ、「事情が変わった」の一点張り。


 共通しているのは——三つとも、ルンゲ家の領地と取引関係がある商会だった。


「圧力ね」


 マリーナが言った。


「ルンゲが取引先に圧力をかけたのよ。『帳簿の試験運用を続けるなら、取引を打ち切る』。商人にとって、大口の取引先を失うのは死活問題。——帳簿と天秤にかけたら、帳簿を捨てるわ」


「……卑怯な手を」


「卑怯じゃないわよ。合法。正当な取引の自由。——あんたが一番嫌いなタイプの手口でしょ」


「はい。合法的な圧力が、一番厄介です」


 誠は、テーブルに手をついた。


 試験運用の商会が十二から九に減った。小さな後退。だが——放置すれば、さらに減る。ルンゲの圧力は続く。


「……このままでは、じわじわ削られます」


「でしょうね。——対策は?」


「圧力に圧力で対抗しても勝てません。ルンゲの方が力が上だから。——別の方向から攻めます」


「別の方向?」


「帳簿の効果を、もっと広く知らしめる。試験運用の九商会で出た成果を、具体的な数字で公開するんです。二重請求の発見額、計算ミスの回収額、未払い金の回収額。——全部合わせたら、かなりの金額になるはずです」


「……なるほど。帳簿を使ったら得をする、という情報を広める」


「はい。圧力に怯えて離脱した商会も、損得が逆転すれば戻ってくる。——人は理念では動かなくても、損得では動きます」


「バルドの時と、同じね」


「……はい」


───


 だが、本題はそこではなかった。


 誠は、マリーナとルカに、孤児保護基金の件を説明した。


「資金洗浄の経路。そして——人の選別。金と人、両方がルンゲに流れている可能性があります」


「可能性じゃないわね」


 マリーナの声は、冷たかった。


「ルンゲ家が孤児保護基金の理事をやってるのは、この街では常識よ。『慈善家のルンゲ様』として知られてる。——あの男、慈善の看板が大好きなのよ。表では善人、裏では——」


「裏を証明するには、証拠が必要です」


「証拠ね。——あの男、証拠なんて残すタイプじゃないわよ」


「残してます」


 マリーナが、眉を上げた。


「帳簿ですよ。グリムが処理した支出記録。孤児保護基金への拠出金の明細。——金の流れは、必ず記録に残る。どんなに巧妙に隠しても、入と出が一致しなければ、そこに矛盾が生まれる」


「でも、ルンゲ側の帳簿は見られないでしょう」


「見られません。——でも、こちら側の帳簿は見られます。出した金と、受け取ったはずの側の記録を突き合わせればいい。そして——」


 誠は、ルカを見た。


「ルカ。一つ、お願いがあるんです」


「何」


「あなたの魔法——文書に残った魔力の痕跡を読む力。あれ、もう少し詳しく教えてもらえますか」


 ルカが首を傾げた。


「魔力の痕跡? ——ああ、あれね。文字を書いた人の魔力が、インクに微かに残るの。普通は気にならないくらい薄いんだけど、あたしは魔力感知が強いから——」


「その力で、文書の改ざん痕跡を検知できますか」


「改ざん?」


「誰かが後から文字を書き足したり、消して書き直したりした場合——元の魔力と、後から加えた魔力は違うはずです。その違いがわかりますか」


 ルカは、しばらく考えた。


「……やったことない。でも——理屈ではできるはず。同じ人が書いても、時間が違えば魔力の質が微妙に変わるし。別の人が書き足した場合は——もっとはっきりわかると思う」


「試してみてもらえますか。グリムが処理した書類で」


「——いいよ。やってみる」


───


 ルカの魔法が、書類の上で光った。


 淡い青色の光が、文字の上を這うように流れていく。ルカの目が細まった。


「……ここ。この金額。」


「わかりますか?」


「うん。元は違う数字だった。上から書き直してる。魔力の色が——ここだけ違う。新しいの。しかも——」


 ルカの声が、変わった。


「——書いたの、グリムじゃない。別の人」


「別の人?」


「魔力が全然違う。グリムの魔力は全体的にここにあるけど、この書き直しだけ——冷たい。すごく精密で、冷たい魔力」


「その魔力に、心当たりは——」


「ない。でも——」


 ルカが、書類から手を離した。


「あたし、この魔力、前に感じたことがある気がする」


「どこで?」


「……思い出せない。でも——ルンゲのおっさんに会った時、似た感じがした。あの人の周りの空気と、似てる」


 推測に過ぎない。だが——。


「……証拠としては使えません。魔力の痕跡に法的な証拠能力はないはずだから。でも——」


「でも、改ざんがあったことは確実でしょ」


 マリーナが言った。


「元の数字と、書き直された数字が違う。それは事実。——誰が書き直したかは後で突き止めればいい。まずは、改ざんの事実を固める」


「はい。ルカ、他の書類もお願いできますか」


「任せて」


───


 二日間かけて、ルカが全ての書類を検査した。


 結果。


 グリムが処理した支出書類のうち、十一件に改ざんの痕跡が見つかった。全て、金額の書き直し。元の数字より大きい金額に変更されている。差額の合計——金貨七枚と銀貨四十一枚。


「……半年で、これだけ抜かれてたのね」


 マリーナの声は、もう怒りを通り越して静かだった。


「しかも、改ざんは二種類。グリム本人の手による軽微なもの。そして——別の人物による精密な改ざん。金額が大きいのは、全部後者」


「グリムは小遣い稼ぎ。本命は、その『別の人物』ね」


「はい。グリムは実行犯で、指示役は別にいる。——そしてその指示役は、おそらく」


「言わなくていいわ。わかってる」


───


 証拠は揃い始めていた。


 だが——誠は、一つの壁に突き当たっていた。


「全部、状況証拠なんです」


 マリーナとエリーゼに、誠は言った。


「グリムの不正は証明できる。改ざんの事実も、ルカの魔法で検出できた。孤児保護基金への不自然な拠出も記録にある。——でも、全部をルンゲに結びつける直接の証拠がない」


「グリムを問い詰めれば——」


「口を割らないでしょう。ルンゲを裏切ったら、もっと怖いことが待ってると知っている。——人は、目の前の怖さと、もっと大きな怖さを天秤にかけた時、大きい方を避けます」


「じゃあ、どうする」


「内部からの証言が必要です。ルンゲの組織の中に、不満を持っている人間がいるはずです。——不正に加担させられて、逃げ出したい人間が」


「内部通報か」


「はい。でも——通報者を守る仕組みがない。このまま通報を募ったら、通報した人間が消される」


 エリーゼが拳を握った。


「私が守る——と言いたいところだが。物理的に四六時中守るのは不可能だ」


「だから、仕組みが必要なんです。匿名で、安全に、通報できる仕組み。——内部通報制度を作ります」


「……また制度か」


「また制度です。——でも、今回はもっと慎重に設計しないといけない。通報者の匿名性が破られたら、人が死にます」


 その言葉に、三人とも黙った。


───


 宿に帰る道。


 エリーゼが、いつものように隣を歩いている。


「是永」


「はい」


「ルカ。——あの子、すごいな」


「すごいですよ。帳簿の転記で鍛えた数字の勘と、魔法の感知能力。——二つが組み合わさって、誰にもできない仕事をしている」


「あの子、自分がすごいことをしてるって、わかってないだろう」


「わかってないでしょうね。本人は『普通のことをしてるだけ』と思ってる」


「……かつて搾取されていた子が、今は不正を暴く武器になっている。——皮肉か、それとも」


「正義です」


 エリーゼが、足を止めた。


「正義?」


「ルカは被害者でした。でも今、自分の能力で他の被害者を救う側に回ろうとしている。それは——ルカが選んだことです。誰にも強制されていない。自分の意思で」


「…………」


「あの保護契約で、ルカに保障した四つの権利。その中に『自分の意思で行動を選ぶ権利』があった。——ルカは今、その権利を使ってるんです」


「…………」


 エリーゼが、小さく笑った。


「……あの子が笑うようになった。前は——目が死んでいた。あたしが最初に会った時、この子は生きることを諦めてるんだと思った」


「今は?」


「今は——目が光ってる。帳簿の数字を追ってる時の目が、特に」


「……数字が人を救うって、信じてもらえますか」


「信じるさ。——目の前で見てるんだから」


───


 同じ夜。


 ルンゲの屋敷。


 グリムが、蒼白な顔で報告していた。


「ルンゲ様。先月の支出報告の改ざんが——検知された模様です」


「検知? どうやって」


「是永の側にいる少女。元冒険者ギルドのルカ。あの子の魔法で、インクの魔力痕跡を読み取ったようです」


 ルンゲの動きが、一瞬だけ止まった。


「……魔力痕跡の読み取り。そんな能力が」


「魔力感知に特化した希少な適性です。通常、その能力は戦闘では使い物にならないため——」


「戦闘では使えないが、調査では最高の武器になる。——なるほど」


 ルンゲは椅子から立ち上がった。暖炉の炎を見つめている。


「是永は思った以上に厄介だな。帳簿を整備し、会計を透明化し、魔法で改ざんを検知する。——一介のコンプラ担当に、ここまでやられるとは」


「対処を——」


「慌てるな」


 ルンゲの声は、静かだった。


「グリム。お前の不正は、もはや隠し通せない。そこは諦めろ」


「ルンゲ様——」


「だが、お前を切り捨てはしない。お前が口を開かない限りは、な」


 グリムの顔が、さらに蒼くなった。


「お前がやったのは、末端の小遣い稼ぎだ。書類の改ざん、架空支出。——全てお前の独断犯行ということにすれば、こちらの本丸には届かない」


「つまり——私が、全ての罪を——」


「引き受けてもらう。その代わり、お前の家族の面倒は見る。一生な」


 グリムは、唇を噛んだ。


「……承知、いたしました」


「よろしい。——そして」


 ルンゲは窓辺に歩いた。


「是永が次に何をするか、予想がつく。内部通報だ。私の組織の中から、裏切り者を引き出そうとする。——あの男は仕組みで攻めてくる。なら、仕組みで迎え撃てばいい」


「どのように」


「通報者が出る前に、通報されそうな事実を全て処理する。証拠を消すのではない。証拠を——書き換える。是永が帳簿を信用するなら、その帳簿に嘘を仕込めばいい」


 ルンゲは微笑んだ。


「数字は嘘をつかない。——だが、数字を作る人間は嘘をつける。あの男はまだ、この世界の深さを知らない」


 ルンゲは暖炉の火を見つめた。


「善意ほど扱いやすいものはない。——是永はそのことを、もうすぐ思い知るだろう」


───


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