第七十二話 いっぱい勝ってくるから
爺ちゃんがいなくなって二週間くらいが経った。
朔は時折静かになるけど、ちょっとずつ元気になってる気がする。
牧場の空気は全体としてはそんなに悪くない。
最近は働く人も増えたし、前ほど朔や弥生がいっぱいいっぱいな感じもない。
俺たち馬は……まあ、古くからいる馬ほど少し静かになった。
「じーちゃんさいきんこなーい」
「じーちゃんもうこないのー?」
「じゃあ、さくにごはんもらうー!」
当歳たちはわかってないようでわかってる感じだ。
でも、俺は今それどころじゃない。
今日からトレセンに戻るからだ。
「ルドルフルドルフ!!知ってるか!?この時期のトレセンはまだ暑いぜ!?」
「知ってるよ」
クラウンは相変わらず元気だ。
相変わらずというか、最近逆に口数が増えた気がする。
たぶん、牧場のムードメーカーでも自認してるんだろう。
「ルドルフ!」
「なにさ、クラウン」
「……まず何より健康第一だぜ!」
「わかってるって」
……わかってるよ、うるさいな。
爺ちゃんに「朔を頼む」って言われたんだ。
怪我なんてしてる場合じゃないことくらいわかってる。
「クラウンにーちゃんのくせにちゃんとしたこと言ってる」
「いや、でもこないだ朔が言ってたけど、クラウンにーちゃんマジで怪我も病気もしなかったらしいよ」
「じゃあ、えらいね」
「うるさいけど」
「うーん、じゃあ、えらくないね」
「おい!なんだそれ!?」
一歳とクラウンが同レベルで喧嘩をしている。
もう、古参の牝馬も止めない見慣れた光景だ。
その時、柵のあたりから声がした。
「ルドルフー、あなた最近飼い葉食いが細いから、岡部さんへのお手紙に書いておいたからねー」
弥生だ。
相変わらず弱っちいくせに。
弥生も泣いてたの、俺たちは知ってるんだからな。
「ヒヒン」
「ん?なーに?岡部さんに伝えて欲しいことあったら、朔さんに言っておいてねー」
俺の言ってることもわからないくせに。
今のは別に何も言ってないよーだ。
「アンタね、弥生に意地悪するのやめな」
「してないもーん」
お母さんに怒られた。
お母さんだって、爺さんいなくなってからちょっと静かになってるくせに。
「おーい、馬運車来たぞー。ルドルフ準備できてるかー?」
朔だ。
「遅いよ、朔」
「遅いったって、馬運車待ちはどうしようもないだろ」
「でも、遅い」
フン、と言うと、朔が「しょうがないなぁ」という顔で鼻先を撫でてくれる。
それでいいんだよ。
任せて、朔。
俺がもっと稼いでくるから。
朔を助けてやるから。
「準備は出来てるか?何か岡部さんに言ってほしいことあるか?」
「賞金の高いレースに出たいって言っておいて」
「……ルドルフ?」
「大丈夫、たぶん予定では秋の天皇賞から、ジャパンカップ、有馬記念でしょ?」
「……一応、そういう話を岡部さんとはしてるけど」
「わかった」
それならとりあえずは十分だ。
どのレースの賞金が高いかはさすがに知らないけど、GⅠの方が高いってことくらいはわかる。
「ルドルフ!!俺が知ってるぜ!一番賞金が高いのは世界のダートのレースなんだぜ!!」
クラウン、うるさい。
……でも、ダートか。
走ったことないけど、走れるかな。
「あー……ルドルフ、予定もあるけど、まず何より無事に過ごすことだからな?」
「わかってるよ」
なんだよ、クラウンも朔も。
そんなことくらいわかってるって。
もう、去年のジャパンカップ前みたいに体調崩したりはしない。
そんな暇はない。
朔に引かれて、馬運車へ歩く。
戻ったら、出来るだけ急いで身体を作り直さないと。
早く身体を作れば、天皇賞前にもう一レースくらい出れるかも。
そうしたら、その分稼げる。
「ルドルフ」
そんなことを考えていると、朔が心配げな顔でこっちを見ていた。
「なに?」
「……春はたくさん勝ったからな。きっと、秋はみんな打倒ルドルフで燃えてくるぞ」
なんだ、そんなことか。
「大丈夫」
全部勝つから。
「……そっか。強いやつといっぱい楽しく走れるといいな」
うん、いっぱい走って、いっぱい勝つよ。
そうしたら、いっぱい稼げるよな。
なんでそんな顔してるんだ、朔?
大丈夫だって。
安心させるように「ブフン」と鳴いて、馬運車に乗り込む。
「ルドルフゥゥゥゥゥゥゥ!!!しんどくなったら帰ってこいよぉぉぉぉぉ!!」
放牧地の方からクラウンの叫び声が聞こえた。
一体何を言ってるんだ。
帰ってきている暇なんてない。
俺はもう負けている暇もないんだから。
朔を助けるんだ。
爺ちゃんに頼まれたんだ。
馬運車の扉が閉まっていく。
朔の表情がいつもと違う。
爺ちゃんがいなくなったからに違いない。
待ってて、朔。
いっぱい勝ってくるから。




