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就職先が倒産したので牧場を継いだら、俺だけ馬の声が聞こえるようになりました  作者: 萩原詩荻
第三章 ???

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第七十一話 独りじゃない

 煙突から、煙が出ていた。


 白い、とは言い切れない。


 薄い灰色で、空に溶けるみたいに伸びていく。


 火葬場の敷地の外れ。


 誰もいない場所に立って、俺はそれをぼんやり眺めていた。


 何を考えているのか、自分でもよくわからない。


 いや、たぶん何も考えていなかったのかもしれない。


 ただ、煙を見ていた。


 現実感がない。


 この二日、ずっとそうだった。


 朝、部屋の扉を開けて。


 布団の中の爺さんを見て。


 見た瞬間に全部わかってしまって。


 でも、どこかでずっと「いや、まだ何か違うんじゃないか」と思っていた。


 思っていたまま、気づいたら色んなことが進んでいた。


 弥生ちゃんがいて。


 いくつか電話をして。


 気づいたら、天山さんが来ていた。


 あの人、本当に物凄い早さで来た。


 いつもと同じように隙のない格好で。


 でも、いつもより少しだけ低い声で。


『私と、周りの大人を使いなさい』


 そう言って、何から何まで手回ししてくれた。


 俺はその横で、ずっと「はい」とか「ありがとうございます」とか、そんなことしか言えなかった気がする。


 ただ、本当に助かった。


 弥生ちゃんは、ずっと俺の横にいた。


「今は仕事のことはいいですから、とにかく休んでください」


 何回もそう言ってきた。


 俺がちょっとだけでも動こうとすると気づいたら現れて座らされた。


 大丈夫じゃないのはやよいちゃんも同じはずなのに。


 金持からも連絡が来た。


 あいつにしては、びっくりするくらい短かった。


『事情は聞いた。人手が足りなければ言いたまえ』


 それだけ。


 余計な冗談も、自慢も、煽りもなかった。


 「お悔やみ申し上げる」みたいなきちんとした言葉だって、本当は言えたはずだ。


 でも、あえてそれをしなかった。


 うるさくない金持は逆に怖い。


 岡部さんからも電話があった。


 クロエさんからもメッセージが来た。


 いろんな人が来た。


 何度も「明人さんには世話になった」と繰り返す人。

 若い頃の爺さんを知っているらしい人。

 最近ようやく知り合った人。

 町内会の人。

 業者さん。

 馬主さん。


 みんな、それぞれの言葉を口にした。


 俺は――俺は、何をしてたっけ。


「……」


 煙は、相変わらず空へ上がっていた。


 火葬場の中では、みんなが待っている。


 控室というか、そういう場所に集まって、静かにしている。


 俺もさっきまではそこにいた。


 本来なら、残って誰かと話しているべきだったのかもしれない。


 でも、外に出てきてしまった。


 誰かに何か言われたわけじゃない。


 ただ、なんとなく煙を見ていたかった。



 火葬が終わって、骨になって、そこから先の流れも、やっぱり現実感がなかった。


 骨壺が用意されて。

 箸を持って。

 順番に拾っていく。


 そのひとつひとつに意味があるのはわかる。


 わかるけど、頭が追いつかなかった。


 夕方、牧場に戻った頃には、空の色がだいぶ変わっていた。


 夏の終わりの夕暮れは、長いようで短い。


 門をくぐった時、牧場はいつもの牧場のままだった。


 建物も。

 厩舎も。

 放牧地も。


 何も変わっていないように見える。


 母屋の中では、スタッフのみんなが静かに動いていた。


 松さんも、竹さんも、梅さんも俺の分まで働いてくれている。


 ありがたい。

 本当に、ありがたい。


 なのに、逆に息が詰まりそうだった。


「朔さん」


 弥生ちゃんが気づいて近づいてくる。


「お茶、入れますか」


「……うん、ありがとう」


 そう答えたものの、結局湯呑みを受け取って一口飲んで、すぐに立ち上がってしまった。


「ちょっと、厩舎見てくる」


 俺が言うと、弥生ちゃんは止めなかった。


「はい」


 それだけだった。


 たぶん、わかってくれたんだろう。


 仕事じゃなくて、落ち着かないだけだって。


 本当にありがたいと思う。



 厩舎の扉を開ける。


「坊主、来たよ」

「来たねえ」

「遅いんだよ」

「いや、今日は許してやりな」

「人間はやっぱり面倒だねえ」


 古参の繁殖牝馬たちの、勝手な声。


 その声を聞いた瞬間、胸が少しだけ痛んだ。


 ……ああ。


 ここは、いつもの厩舎だ。


 爺さんがいなくても、馬はいる。


 当たり前だ。


 少し奥で、ストーンが顔を上げた。


「坊主」


 いつも通りみたいな声音で、でも少しだけやわらかい。


「……ん?」


 ストーンは、少しだけ間を置いて言った。


「爺さんの伝言、預かってる」


 一瞬、息が止まった。


「……は?」


「爺さんが亡くなる直前の夜中に来た」


 俺は、足元が揺れた気がした。


 ストーンが続ける。


「『困ったら天山を頼れ。それから部屋の金庫の番号は1028だ』って」


 1028。


 俺の婆さん、つまり爺さんの奥さんの誕生日じゃねえか。


「それから、『なんだかんだ朔はお前を頼りにしてる。頼むな』って言ってた」


 ストーンが、ふん、と鼻を鳴らす。


「当たり前だろう?」


 言い方がストーンらしすぎて、そこでやっと言葉の意味が飲み込めた。


 爺さんが、死ぬ前に来てたって?


 クラウンが、小さめの声で言う。


「俺にも言ってた。『朔が泣いてたら、落ち込んでる暇があれば働けって言え』って」


 思わず、変な息が漏れた。


 ああ。


 爺さんだ。


 それは、たしかに爺さんが言いそうなことだった。


 他の馬房からも、次々に声が飛んできた。


「私には『飯を残すな。朔に配合を変えてもらえ』だってさ」

「俺には『怪我だけはするな』」

「わたしには『桜坂に甘えすぎるな。困っているぞ』って」

「僕には『他の馬に怯えないよう頑張れ』って言ってたー」

「じいちゃん、いっぱいしゃべってたー」

「みんなにいってたー」


 頭の中で、情景が勝手に浮かぶ。


 爺さんが、ひとりで厩舎に来て。


 ひとつひとつの馬房を回って。


 みんなに声をかけて。


 誰にも言わずに。


 たぶん、最後のつもりで。


「……なんで」


 声が、ひどく掠れた。


 寝藁の上で伏せていたルドルフが、ゆっくり立ち上がった。


「俺には『俺のおかげで、朔はだいぶ助かってる』って」


「……うん」


「『これからも頼む』って」


「……うん」


 返事をしながら、胸の奥がぐちゃぐちゃになっていくのがわかった。


 言葉が一つずつ、ちゃんと爺さんの声で聞こえてくる気がした。


 古参の牝馬が、少しだけ笑うように鼻を鳴らした。


「最後まで牧場主だったねえ」


「ほんとに」


 別の繁殖牝馬たちも、静かに言った。


「なんだかんだ、あの人は毎日ここにいたから」


「最後まで不器用な人間だったねえ」


 厩舎の空気が、少しだけやわらかく揺れる。


 何かが喉の奥までせり上がってきて、もう押し戻せなかった。


 爺さんは、本当に最後まで厩舎を回ったんだ。


 最後まで、いつもの夜の見回りみたいに。


 馬に声をかけて。


 俺のことを頼んで。


 全部終えてから、眠ったんだ。


「……っ」


 喉が、勝手に鳴った。


 視界が急に滲む。


 まずい、と思った時にはもう遅かった。


 涙が、一気に落ちた。


「あ、……」


 情けない声が出る。


 止めようとしても止まらない。


「……っ、く……っ」


 肩が震える。


 情けないくらいに、子どもみたいな泣き方だった。


「さくー」


 当歳の一頭が、おろおろした声を出す。


「だいじょーぶー?」

「かなしいのー?」

「おなかいたいのー?」

「にんじんわけてあげるー?」

「やだねえ、ちびども、人間にはそういう時もあるんだよ」

「よしよししてやんな」

「鼻先出しときな」


 柵の隙間から、いくつかの鼻先が伸びてくる。


 当歳の、小さいやつ。

 一歳の、ちょっと生意気なやつ。

 繁殖牝馬の、大きくて温かいやつ。


 変な光景だなと思った。


 俺は、人に見られずに泣いていた。


 馬にだけ見られていた。


 それが、妙にこの牧場らしかった。


「……みっともないな」


 かすれた声で言うと、ストーンがすぐに返した。


「何がだい」


 クラウンも言う。


「そういう日もある」


 一歳馬が小さく鼻を鳴らす。


「人間、たまにすぐ泣く」

「人間はしょーがないよなー」

「でも、泣くのも必要なんじゃない?」

「賢いこと言うじゃん、お前」

「おれ、三冠馬になるから賢いんだよ」


 そのやり取りに、少しだけ笑えた。


 本当に少しだけ。


 でも、笑えた。


 ルドルフが、そっと鼻先を俺の肩に押しつけてくる。


 いつもみたいな雑な甘え方じゃない。


 静かな、重い甘え方だった。


「朔」


「ん?」


「これからも頑張るから」


「うん」


「だから」


 少しだけ言い淀んでから、ルドルフは続けた。


「……俺のこと、いっぱい撫でて」


 こんな時まで、甘えん坊かよ。


 でも、俺は手を伸ばした。


 ルドルフの首筋を撫でる。


 温かい。


 生きている。


 ルドルフが鼻を鳴らした。


 ストーンが、ふん、と短く息を吐いた。


 クラウンが、変に真面目な声で言った。


「朔、落ち込んでる暇があれば働け」


「……それ今言う?」


「爺ちゃんの伝言だ」


「……じゃあ、しょうがねぇな」


 そう呟くと、厩舎の奥から、当歳ののんきな声がした。


「さくー?」


「なんだ」


「おなかすいたー」


「お前ら、ほんと変わんねぇな」


 でも、その変わらなさが救いだった。


 爺さんはいなくなった。


 たぶん、明日もいない。


 その次の日も、ずっといない。


 それでも朝になれば、馬は飯を待っていて、仕事はある。


 爺さんが何十年もそうしてきたみたいに。


 俺もまた、明日長靴を履くんだろう。


 牧場主を継ぐって、そういうことなんだと思った。


「よし、俺も飯食うか」


「ごはんー!?」


「お前らはもう食っただろ」


「えー!!さくだけずるーい!!」


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