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就職先が倒産したので牧場を継いだら、俺だけ馬の声が聞こえるようになりました  作者: 萩原詩荻
第三章 ???

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第六十五話 大阪杯は兵庫県で行われています

『これは強い!サクライルドルフ先頭!!鞍上持ったまま!!桜の皇帝、今年も危なげなし!!一着でゴールイン!!!』


「……うわぁ」


 とだけ、言った。


 それが一番しっくりくる気持ちだった。


 強すぎて、ちょっと引く時のやつだ。


 馬主席のあちこちでも、ざわめきが広がっていた。


「やはり、強い」

「今年に入っても安定してますね」

「……ルドルフを倒すには、やはり……」


 嬉しい。


 普通にめちゃくちゃ嬉しい。


 でも、皐月賞の時みたいに頭の中が真っ白になる感じではなかった。


 それが、少しだけ怖かった。


「……慣れるの、ちょっと嫌だな」


 ルドルフがGⅠを勝つことに、当たり前みたいに慣れていくのは、なんか違う気がした。


 当たり前じゃない。


 幸せなことだ。


 すごく、ありがたいことだ。


 でも、だからこそ、変に慣れちゃいけない気がした。


「……よし」


 俺は一度だけ深呼吸をした。


 落ち着け。


 まずは、「今日がんばったな」ってルドルフを褒めに行こう。



「あ、桜井さん」


 馬主席を出たところで、さっき鼻の違和感があった馬の馬主さんと出会った。


 ……これ、もしかしなくても待っててくれた感じ?


「まずは、おめでとうございます」


「あ、いえ。ありがとうございます……その、どうでしたか?」


 俺がドキドキしながら聞くと、馬主さんは少しだけ表情を引き締めて頷いた。


「はい、軽い鼻出血を起こしてました。パドックの前後あたりでどこかに軽くぶつけたようです」


「……ああ」


 思わず息が漏れた。


「おかげ様で大事には至りませんでした。本当にありがとうございます」


「いえいえいえ!!」


 俺は慌てて首を振る。


「そんな!むしろ信じてくださってありがとうございます」


 今思い返しても、よく信じてくれたな。


 馬主さんは、少しだけ笑った。


「お礼に、今度一席ご馳走させてください」


「本当に気にしないでください!というか、むしろこっちが変なこと言ったのにちゃんと対応してもらって……」


「桜井さん」


 馬主さんは、ちょっとだけ笑って俺の言葉を止めた。


「異常に気づいたとしても、言いに来るのは簡単なことじゃありません」


「……」


「競馬の関係者は、そういうところをちゃんと見ていますよ」


 その言い方が、やわらかいのに妙に真っ直ぐで、少し照れくさくなった。


「ありがとうございます……」


 頭を下げる。


 馬主さんも頷いて、そのまま穏やかに去っていった。


 俺はその背中を見送りながら、少しだけ息を吐く。


「……よかった」


 ルドルフを褒めてやらないとな。



 検量室の近くまで来ると、もう空気が違っていた。


 えーと、あ、いた。


 レース直後だというのに、なんかもう、「当然ですが?」みたいな顔をしている。


 あいつ、本当にそういうとこすごいよな。


「ルドルフ」


 俺が声をかけると、ルドルフがぴくっと耳を動かしてこっちを見た。


 そのまま近づいて、首筋を撫でた。


「すごかったぞ、ルドルフ」


 その瞬間、ルドルフの表情がゆるんだ。


「当然です」


 外面の返事だが、明らかにドヤ顔である。


「今日もカッコよかったぞ」


「ふっ」


 クロエさんが、ルドルフの首筋をぽんと叩く。


「うん、えらいえらい。今日は完璧だった」


「ふふん」


 まあ、なんか「完勝!」って感じのレースだったもんなぁ。


 岡部さんも、穏やかな顔で頷いた。


「うん。今日は理想にかなり近かったね」


「え?近かったってことは未だ上があるんです?」


「うん」


 岡部さんがさらっと言う。


 さらっと言うなぁ。


 やっぱりすごいな、この人たち。


「ねえ、朔」


「ん?」


 ルドルフは少しだけ顔を寄せてきた。


 声の温度が、だいぶ身内寄りだ。


「爺ちゃんはもう見に来てくれないの?」


 その一言に、俺は一瞬だけ言葉に詰まった。


「あー……」


 んー。


 ダービーと菊花賞と有馬記念は爺さんが見に行った。


 でも、やっぱり、昔と違って体調が万全とは言えない。


 普通に働こうとするけど。


 そして何より、頑固爺なので、自分から「行きたい」とは絶対言わない。


 だから、俺はちょっとだけ笑って答えた。


「そうなぁ、まあ、夏になったら牧場に帰ってきて甘えるといい」


「むぅ」


 本当にむぅって顔だった。


「なんだよ、その顔」


「だってぇ……」


 ルドルフは少しだけ耳を伏せた。


 相変わらずわがままな皇帝である。


 とは言っても、毎回爺さん来るわけにもいかないし……あ、そうだ。


「じゃあ、次回は弥生ちゃんに見に来てもらうか?」


 俺がなんとなく言うと、ルドルフの顔がぱっと変わった。


「あ、じゃあ『写真撮るから可愛い恰好して来い』って弥生に言っておいて」


「ホントにすごいな、お前」


「だって、勝つから」


 当たり前のように勝つ前提で言ってやがる。


 ルドルフの声がわからずとも、何となくやり取りの内容がわかったのだろう。


 横で岡部さんが、穏やかな声で言った。


「次回、は今のところ天皇賞春の予定かな」


「あ、そうなるんですね」


「うん、朔くんとルドルフとクロエさんが良ければ、だけど」


 天皇賞春、芝3200mのGⅠ。


 いや、長すぎるだろ。


 爺さんが昔「天皇賞はやっぱり特別だ」と言っていたくらい凄いレースだ。


 クロエさんは、そんな空気をふわっと崩した。


「まあまあ、気が早いよ」


 そう言って笑い、ルドルフの首筋をぽんと叩く。


「まずは今回の口取りと表彰式行こう」


「あ、そうですね」


 俺は素直に頷いた。


 そうして、クロエさんが空気を緩めてくれたおかげか、ぽろっと本音が出てしまった。


「……感覚が麻痺しそうで怖いです」


 俺がぽろっとそう言うと、一瞬、静かになる。


 ルドルフは「?」って顔だ。


 たぶんこいつにはなんのことかわからないだろうな。


 勝つのが当然だと思ってるから。


 でも、岡部さんとクロエさんにはちゃんと伝わったらしい。


 岡部さんが、いつもの穏やかな声で言った。


「怖がっていられるうちは大丈夫だよ」


「……そうですかね」


「うん。慣れたと思って雑になる方がよっぽど危ない」


 その言葉は、すごくしっくり来た。


 クロエさんが、そんなやり取りを笑顔で見たまま、軽く手を動かした。


「さ、行こうか」


「はい」


 その声に合わせて、俺も一歩前に出る。


 あ、ルドルフにも教えてやらないと。


「ルドルフ」


「ん?」


「さっきの馬、軽い鼻出血で大事にならずに済みそうだって」


 ルドルフは小さく頷いた。


「良かった」


 その一言が、妙にまっすぐだった。


 うん、そういうところ偉いぞ、と軽く撫でてやったら頬を少しだけ寄せてきた。


 こういうところ見ると少し安心するなぁ。



 ……ちなみに。


 俺は帰りに悩みに悩んだ末に、結構頑張って調べたお店でたこ焼きを食べた。


 自分自身に「俺は慣れてない」、「これは贅沢だ」と言い聞かせながら。


 とてもおいしかったです。


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