第六十二話 馬主パーティって、たぶん慣れることはない
東京某所。
たぶんすごく高いホテルの会場前で、俺はネクタイをいじっていた。
「苦しい……」
別に首が締まっているわけではない。
ちゃんと弥生ちゃんが「それ以上締めると死にますよ」と適切な位置に直してくれた。
つまり、原因は服ではない。
これから入る会場の方だ。
年末の馬主パーティ。
去年までも来てはいた。
でも、今年は意味が違うことくらいわかっている。
今年の俺は、無敗の三冠+有馬記念勝ち馬の馬主だ。
冷静に考えると頭おかしくなりそうだな?
でも、だからこそ、逃げ場がない。
会場に入ると同時に何人もの馬主さんに声をかけられた。
「やあ、桜井さん」
「このたびはおめでとうございます」
「サクライルドルフ、すごい馬ですねえ」
「有馬記念も取ってしまいましたし、来年はどうするんです?」
「種牡馬価値まで含めると、どこまで走らせるか難しいでしょう?」
昨年までも話しかけられはした。
でも、明らかに違う。
みんな、笑顔だ。
でも、ビシビシ伝わってくる。
――悔しい。
――羨ましい。
――来年は負けない。
――次はこっちの番だ。
――無敗を破るのはうちの馬だ。
要するに――こわい。
会釈して、当たり障りのないことを返す。
「ありがとうございます、岡部さんやクロエ騎手、ルドルフが頑張ってくれただけです」
「そういう言い方ができるのはいいことだよ」
「そういうものでしょうか」
「その『ルドルフが頑張ってくれただけ』を言えるのは、サクライルドルフの馬主だけなんだよ?」
その言葉に、一瞬だけ返事が詰まった。
なるほど。
そういう見方をされるのか。
笑いながら、その人は去っていく。
去り際の目が、笑っているのに笑ってない。
ちゃんと「次は負けない」って顔に書いてある。
「こわ……」
思わず漏れた本音は、幸い誰にも聞こえなかったと思う。
いや、たぶん聞こえても、みんな聞こえなかったふりをする場なんだとは思うけど。
「君」
そんなことを考えていたら、こそこそと近づいてきた人物がいた。
この感じはもうわかる。
「金持」
金持は相変わらず、金持だった。
「どうだね!」
「何が」
「皆の視線が違うだろう!」
何でお前が誇らしげなんだよ。
「君、去年よりちゃんと“敵”として見られてるぞ!」
「言い方」
「だってそうだろう!?」
まあ、そうなんだけど。
「今年はルドルフがいっぱい勝ってくれたからな」
「そのとおり!今年のルドルフは強かった!」
金持は、ものすごく満足げに頷いた。
「だがしかし!君とルドルフは!!」
「うん」
「僕とビールが!!」
「うん」
「絶対絶対ぜーったい!!倒してやるからな!!」
「うわ、直球」
あまりにも真っ直ぐだった。
周囲の馬主さんが、ちょっとだけ笑っている。
「若いねえ」
「いいじゃないか」
「そのくらいわかりやすい方が、むしろ気持ちいい」
「私たちも負けてられませんわね」
うん。
癒しだわー、こいつ。
「ルドルフに伝えてくれ給え!『秋まで負けるんじゃないぞ』と!」
「秋なの?」
てっきり春からバチバチやるもんかと。
「ビールは春はドバイだからな!」
「おお、すげえ」
でもそれ言ってよかったのか?
後であの執事さんに拳骨されない?
「決着は秋だ!!」
この男、ほんとに漫画みたいな台詞言うな。
ちょっと羨ましい。
「ビールはどうしてる?」
俺が聞くと、金持の表情が、少しだけやわらいだ。
「元気だよ。怪我の程度も心配ない」
「それは良かった」
「ただ、ルドルフに負けっぱなしのまま終わる気はない」
「でもビールは、キングジョージと凱旋門二着だったろ」
これは正直超すごい。
ルドルフとぶっちゃけどっちがすごいの?ってレベルで強さを証明してる。
「それはそれ!!これはこれ!!」
「まあ、わかるけど」
気持ちはわかる。
「ルドルフに負けたままではビールも終われないからね!!」
「ルドルフも喜ぶ」
「だろうね!!」
金持が、やたら嬉しそうに笑った。
「やっぱりライバルは強くなくちゃ面白くない!」
「それはそうかもな」
俺も少し笑った。
帰ったらルドルフに教えてやろう。
◇
人の波を抜けて、食べ物のテーブルの近くへ移動した。
逃げたのではない。
戦略的転進である。
そこへ、静かに声をかけられた。
「少しは慣れたかい」
天山さんだった。
相変わらず、隙のない格好だ。
この人、たぶん寝起きでも隙ないんだろうな。
「天山さん。
去年までより……そうですね。見られてる感じがします」
天山さんは、小さく頷いた。
「可愛がられる側は、もう終わりだ」
「怖いこと言いますね」
「でも、嬉しいだろう?」
「……まあ、少しは」
それも本音だった。
ストーンが、クラウンが、テンザンサクラが、ルドルフが認められた気がして嬉しい。
天山さんが少しだけ目を細める。
「私も、君に負けないように頑張らなければね」
ぞわっ、とした。
「さらっと怖いこと言うのやめてもらっていいですか」
「怖いかい?」
「かなり」
「それは失礼」
そう言って笑うけど、全然失礼だと思ってなさそうなのがこの人である。
「でも、本音だよ」
天山さんは、会場の奥の方に目を向けて言う。
「無敗の三冠に有馬記念まで取られると、さすがに腹も立つ」
言い方はやわらかい。
でも、そこに込められた熱量は本物なのがわかる。
「でも」
そのまま、ほんの少し面白がる声になった。
「そういう相手がいないと、この世界はつまらない」
「……光栄です」
俺がそう言うと、天山さんはほんの少しだけ頷いた。
「みんな楽しみなんだよ。来年、君の皇帝がどこまで行くのか」
「俺もです」
「そして、みんな『自分が倒してやる』と思っている」
「どっちなんですか」
「両方だよ」
その言い方が、あまりにも自然で、思わず笑ってしまった。
この人たち、本当に馬が好きなんだな。
勝ちたいし。
負けると悔しいし。
でも、強い馬が出てくるとちゃんと面白い。
「……とはいえ、ずっと気を張っていても腹は減るだけだ。美味しいものでも食べようじゃないか」
一気に雰囲気を緩めて、ニヤリとこちらに笑顔を向けてくる。
「はい。喜んで」
内に秘めた熱はそのまま。
それでも、こうやって気遣ってくれるところも、この人かっこいいんだよなぁ。
「……ところで、これ何ですか?」
なので、素直に甘えて、ずっと疑問だった肉っぽいやつを指さす。
「実は私もわからん」
「そうなんですか」
マジか。
「わからなくても美味しければ良いのだ。こっちの透明なのも美味しかったぞ」
「あ、じゃあ」
美味しかった。
バチバチしてても、腹は減る。
そしてここの飯はうまい。
たぶん、これは何度馬主パーティに参加しても同じだ。




