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就職先が倒産したので牧場を継いだら、俺だけ馬の声が聞こえるようになりました  作者: 萩原詩荻
第三章 ???

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第六十話 ちょっと相談がある

『朔くん、ちょっと相談があるから急いでトレセン来てほしいんだけど』


 昨日、そんな電話が岡部さんから入り、俺は朝一でバスと飛行機に乗ってトレセンに来た。


 岡部さんから「急いで」って言われたのは初めてなので、正直嫌な予感がしている。


 今は、菊花賞から二週間後。


 世間はまだ「三冠馬サクライルドルフ!!」みたいなテンションを引きずっている。


 この二週間、本当にすごかった。


 新聞。

 雑誌。

 ネット。

 電話。

 取材。

 花。

 見物客。

 お祝いの酒、菓子。

 お祝いの誰かわからん人。


 正直、スゴイ忙しいのだが、人と門を増やしたおかげで、

 俺がこうやって動き回る余裕くらいはあった。


「やあ、朔くん。急にごめんね、ちょっと早めに決めたいことがあって」


 岡部さんは、今日も穏やかな顔とやわらかい声だった。


「こんにちは……」


 俺は挨拶しつつ、少しだけ身構える。


「それで、相談って……」


「うん」


 岡部さんが、ちょっとだけ困ったように笑った。


「ジャパンカップ、どうしよう?」


「…………はい?」


 いや、単語の意味は分かる。


 ジャパンカップ。

 海外のすごい馬も来るすごいGⅠ。


 そして、世間は「ジャパンカップで世界と戦う皇帝!」みたいな空気になっている。


 でも。


「どうしようって……どういうことですか?」


「いやあ……言いにくいんだけど」


 岡部さんが言い淀んでいると、奥から別の声が飛んできた。


「あ、三冠馬主ボーイ、こっちこっちー」


 クロエさんである。


 ちょっと嫌な予感が濃くなる。


 いや、クロエさんがいること自体はありがたいんだけど、

 わざわざ二人揃ってるってことは、普通の相談ではない気がする。


「はい……」


 案内されて、ルドルフの馬房の前まで行く。


 そこで俺は、思わず真顔になった。


「……」


 覇気がない。


 なんか全体的にしょんぼりしている。


 いつもの偉そうな雰囲気成分が四割減っている。


「……どうしたお前」


 俺が真剣に聞くと、

 ルドルフは、微妙に気まずそうな顔で目を逸らした。


「おなかいたい」


「おなかいたい!?」


 そこへ岡部さんが、少しだけ疲れた顔で説明してくれる。


「えーとね、症状自体は深刻じゃないから安心して。

 獣医にも見せてるけど、腸捻転とかじゃなくてお腹下してるだけ」


「ありがとうございます!」


 よかったぁ!!

 深刻なケガとか病気じゃなくて本当に良かった!!

 マジで!!


「何か拾い食いでもしたのか?」


「してない!」


 ルドルフに聞くと、無駄に即答だった。


 でも良かった、本当に良かった。


 クロエさんもちょっと疲れた顔で肩をすくめる。


「君の三冠馬、お腹ぴーぴーだよー」


「ぴーぴーって……」


「でも事実だしー」


 いや、事実なんですが、もっとオブラートとかないんですか。


「心当たりは?」


 俺が向き直って聞くと、ルドルフは明らかに目を逸らした。


「…………」


「あるな?」


「…………」


「ルドルフ」


「……一昨日、水飲み過ぎたかも」


 俺は、ゆっくりと目を閉じた。


「『一昨日、水飲みすぎた』そうです」


 その通訳をした瞬間、岡部さんとクロエさんが揃って天を仰いだ。


「あーあ」

「やっぱりそれかあ」


 さすがプロたち。


 薄々わかってはいたんだな。


「なんで飲みすぎたんだよ」


「だって喉渇いてたし」


「限度ってもんがあるだろ」


「思ったより美味しかった」


「飲料レビューじゃないんだよ」


 岡部さんが、咳払いを一つして本題に戻した。


「で、ジャパンカップなんだけどね」


「はい」


「二週間あるから調整できなくもない」


「そうなんですね」


「けど、今、体重ががっつり落ちてるから厳しくはある」


「うわぁ……」


 つまり、出せる。


 けど、万全は難しいかもね?ということだ。


 岡部さんは、そのまま真面目な顔でこちらを見る。


「どうするか、決めて」


 その一言で、空気が締まる。


 ああ、そういうことか。


 やっぱりこれ、軽い相談じゃなかった。


 ジャパンカップに出すか、回避するか。


 馬主として決めろ、って話だ。


 うわあ。


 俺は、まず一番大事なことをルドルフに聞いた。


「ルドルフはどうしたい?」


 俺がそう言うと、ルドルフは少しだけ考えるような顔をした。


 その顔が、ちょっとだけ牧場にいた頃の顔に見えた。


「朔と爺ちゃんが出てほしいなら」


「うん」


「がんばって出て、勝つ」


 いや、言い切るな。


「だから、朔が決めて」


 それは、まっすぐな答えだった。


 こいつらしいとも思う。


 自分自身を信じてるし、爺さんや弥生ちゃん、岡部さんやクロエさんを信じている答え。


「うーん……」


 ジャパンカップ。


 出したい気持ちはある。


 当然ある。


 俺が考え込んでいると、クロエさんがやわらかい声で言った。


「正直僕は出るのも“アリ”だとは思うけど、悩むよね」


「はい……」


「こういう選択は、夢と現実の真ん中にあるやつだから」


 ……そういうレースを俺は知っている。


 体調が万全ではない中でも強さを見せつけて。


 逆に「敗北を語りたくなる馬」とまで言わせたかっこいい馬を。


 そして、そのレースで勝った馬もとても、めちゃくちゃ、すっごくかっこよかったレースを。


「……あ」


 そこで、ふと思ったことがあった。


「ゴールデンビールは出るんですか?」


 ルドルフのやる気は、それも結構でかい。


 するとクロエさんが、首を横に振った。


「出ないよー」


「え?」


 出ない?


 なんで?


 岡部さんが、少しだけ気の毒そうな顔をする。


「明日の新聞に載るんだけどね」


「はい」


「ケガしたから、ジャパンカップと有馬記念は回避して、冬はのんびりするって」


「ケガしたんですか!?」


 俺の声が少し大きくなる。


 その横で、ルドルフもぴくっと耳を立てた。


「あいつ大丈夫なのか!?」


 そりゃそうなる。


 こいつ、なんだかんだでビールのこと大好きだからな。


 岡部さんはすぐに頷いた。


「うん、本当に軽いもので、深刻ではないから大丈夫だって」


「よかった……」


 思わず息が漏れる。


 クロエさんが、少しだけ肩をすくめた。


「噂だけどね、ビール自身が練習に熱を入れすぎたらしいよー」


「ビール自身が!?」


「凱旋門賞二着が相当悔しかったんだろうね」


 凱旋門賞二着。

 はっきり言って超すごい。

 めちゃくちゃすごい。マジで。


 でも、ビールからしたら悔しかったんだろうな。


 その説明に、ルドルフが低く言った。


「……あの馬鹿」


 ちょっとだけ胸がきゅっとした。


 絶対、金持も頭抱えてるぞ。


 だって、凱旋門賞二着馬が練習しすぎて怪我ってマジで洒落にならん。


 でも、それを聞いて俺の中で整理がついた。


「ルドルフ」


「ん?」


「本当に俺が決めていいんだな?」


「うん」


 俺は、岡部さんとクロエさんに向き直った。


「じゃあ、岡部さん、クロエさん」


「うん」

「はーい」


「ジャパンカップ回避して、有馬記念に専念、でどうでしょう?」


 そう言った瞬間、空気がほんの少しだけ静かになった気がした。


 岡部さんが、すぐに頷く。


「うん、異論はない。有馬目指して調整しよう」


 クロエさんも、柔らかく笑う。


「僕もそれならそれで頑張るよー」


 その返答を聞いて、俺は少しだけ肩の力を抜いた。


 ああ、この二人がその顔なら、たぶん少なくともあり得ない選択ではないのだ。


「よろしくお願いします」


 有馬記念。

 年末の総決算。

 ファン投票で選ばれたすごい馬たちのレース。


 今さら気付いたが、当たり前のように出る前提で会話してるのすごいな?


 クロエさんが、にやっと笑った。


「じゃあ、ルドルフくん。しばらくはお腹を大事にしようね」


「はい」


「その代わり、有馬はちゃんと勝ちに行こう」


「……はい」


 素直だな。


 こういう時だけ。


 ルドルフが俺にちょっと近寄って、こっそり少しだけ甘えた声を出してきた。


「朔」


「ん?」


「怒ってる?」


「怒ってないよ」


「じゃあ、ちゃんとお腹治して有馬記念勝ったら褒めて」


「ああ、ちゃんとお腹治したら牧場でりんご買っておく」


「わーい」


 ……りんご食べすぎてお腹壊したら弥生ちゃんに叱ってもらおう。

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― 新着の感想 ―
こうなると金持君視点でのゴールデンビールのヨーロッパ遠征の話も見たくなってきたな 競馬はライバル馬が居るからこそ熱くなれるのでね
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