第四十八話 あいつ、絶対「当然ですが?」って顔してる
「うおおおおお、始まるぞ!!」
いつもどおり無駄にテンションが高いのはクラウンである。
昼過ぎ、俺はクラウンをスルーして厩舎の小さいテレビの前に陣取った。
「でびゅーせんってなーにー!」
「おいしいやつー!?」
「ちょうちょよりつよいー!?」
「ぼくはでびゅーしたー!」
既に何かにでびゅーした当歳もいるようだが、今日はルドルフのデビュー戦だ。
あのわがまま皇帝が、ついにレースに出る。
七月、新潟の新馬戦。
芝千六。
今回はちょっと見に行けなかったけど、
なんだかんだでみんながテレビを覗き込んでいた。
人間は俺と弥生ちゃん。
馬はストーンとクラウン、それから繁殖牝馬と一歳たちと、面白そうだから集まってる当歳たち。
この光景だけ見ると、かなり意味がわからない。
……厩舎に置くテレビ大きくしようかな。
「爺さんは見ないのか!?」
クラウンが急に聞いてきた。
「今日は体調イマイチだから自分の部屋で見るってさ」
俺が答えると、クラウンはちょっとだけ不満そうに鼻を鳴らした。
「大事な日だぞ!?」
「だからこそ、部屋で静かに見たいんじゃないのか」
爺さんは最近、年相応にちょっとだけ体調が揺れるようになってきた。
いや、牧場の仕事してる時点でだいぶ元気なんだが、
それでも今日は「うるさくない場所で見たい」とのことだった。
爺さん、昔から競馬中継見る時も静かなんだよな。
声を出さずに、湯呑みを置く音がちょっと強くなったり、腕組みがほどけたり、そういうところでしか感情が出ない人だ。
なお、うるさい場所というのは、たぶん俺やクラウンの隣だ。
正しい判断である。
◇
テレビではちょうどゲートインが始まるところだった。
その時、当歳の一頭がテレビを見ながら首を傾げた。
「これ、るどるふにーちゃん?」
「そうだよ」
「ちっちゃくない?」
「画面の中だからな」
「しんちょうのびた?」
「伸びるよ、たぶん今後も」
「すごーい!」
当歳たちは、ほんとうに何でもすごいで済ませる。
それはそれで可愛いから困る。
弥生ちゃんが、俺の隣に座りながらテレビの音量を少し上げる。
「朔さん、今回の騎手さんって、クロエさんなんですよね?」
「うん」
「部屋にサイン飾ってる人ですか?」
「そう」
俺はちょっとだけ胸を張って言った。
クロエさんのサイン。
自慢である。
後ろで、ストーンが少しだけ得意げに鼻を鳴らした。
「ああ、アイツか。上手かったね」
「あの時も言ったろ。日本で一、二を争うくらい上手い人だぞ」
これは誇張じゃない。
たぶん本当にそうだ。
弥生ちゃんが感心したように頷く。
「ルドルフすごいですね。デビュー戦からそんな騎手さんが乗ってくれるなんて」
するとクラウンが負けじと首を突っ込んできた。
「俺にいっぱい乗ってくれた奴も上手かったぞ!!」
「うん、それも知ってる」
「俺が『今だ!』って思うところで、ちゃんと『今だ!』ってしてくれた!」
「語彙が雑」
そんな話をしているうちに、全馬のゲートインが終わる。
俺は、知らないうちに拳を握っていた。
弥生ちゃんも、口を閉じてじっと見ている。
ガシャン。
ゲートが開く。
「おっ」
スタートは悪くない。
普通に出て、普通に前を見る。
偉い。
「よしよし」
俺が思わず声を出すと、クラウンが興奮した声で言う。
「ちゃんと出たぞ!!えらい!!」
「保護者みたいな感想だな」
「デビュー戦ってそれ大事だからな!!」
それはそう。
クラウンの時も思ったが、新馬戦なんて、だいたい短い。
始まるとあっという間だから、考える暇もあまりない。
三コーナー。
四コーナー。
ここからが、早かった。
え?、と思った時には、ルドルフがすっと前へ出る。
なんか、するっと。
「抜けた?」
そのまま、ルドルフは、抜けた。
後ろの馬が食らいつこうとする。
でも、差が詰まらない。
そして直線。
クロエさんは鞭もいれない。
なのに。
「え」
「えー?」
「るどるふにーちゃん、はやーい!」
『サクライルドルフ、デビュー戦快勝!!』
ゴール板を、先頭で抜けた。
「……」
厩舎の空気が、一瞬、止まった。
いや、当歳は止まってない。
「かったー!」
「るどるふにーちゃんかったー!」
「わーい!」
「おやつー!?」
うるさい。
でも、大人組というか、理解してる側だけが少しだけ止まっていた。
そこへ、クラウンがようやく沈黙から復活した。
「ルドルフううううううううううう!?!?」
声がでかい。
「あいつデビューから強すぎんだろおおおおおおおおおおお!?」
「クラウンうっさい」
「俺なんかデビュー戦でゴールデンウイングにぬるっとやられたんだぞ!?」
「それは見てたよ」
「なのにあいつ、なんか普通に勝った!」
「そうだな」
「しかも余裕ありそう!」
「そうだな」
クラウンの気持ちはわかる。
俺もちょっと同じ気分だ。
弥生ちゃんが、画面を見ながら静かに聞いてくる。
「……ルドルフ強いんじゃないですか?」
「いや、正直、井の中の蛙かと……」
思っていたのだ。
外へ出たら「まあ、いい馬だけど普通だね」くらいの可能性は十分あると思ってた。
クラウンだって、ものすごく頑張った。
テンザンサクラだって、朝日杯の後は思い通りに行かなかった。
ゴールデンウイングだって、ダービーは取れなかった。
競馬は、そういう世界だ。
そう思ってた。
思ってたんだけど。
後ろでストーンがぽつりと言った。
「ああいう顔、知ってるよ」
「ん?」
「ルドルフの父親がしてたのをテレビで見た」
「カスタード?」
「そう」
ストーンは、なんかちょっと嫌そうだった。
「GⅠ勝っても『当たり前ですが?』って顔」
あー。
ストーンとしては、それは嫌だろうな。
「……やれやれ」
そのままため息までついている。
「嬉しくないのか?」
「嬉しいよ」
ストーンは、わざとらしく半眼になった。
「でも、あの顔で帰ってくると思うとちょっとムカつく」
それはわかる。
絶対今ごろ、向こうで「当然ですが?」みたいな顔してるもんな、ルドルフ。
そしてその時、母屋の方から、固定電話のベルが鳴った。
ジリリリリリ。
俺と弥生ちゃんが顔を見合わせる。
「……誰だと思う?」
「金持さんか、天山さんか、岡部さんじゃないですか」
「たぶんそのへんだよなあ」
「誰だと思います?」
「金持」
それが一番うるさそうだ。




