第四十六話 今日から「私」
「るどるふにーちゃん、いなくなるのー!?」
当歳の一頭が、朝からいきなり核心を突いてきた。
そう、今日は二歳の春を迎えたルドルフが、入厩する日だ。
ついに、岡部さんのところへ行って、競走馬として、本格的なスタートを切るのである。
「いなくなるっていうか、修行に行くんだよ」
「しゅぎょー!?」
「なんかおいしそー!」
「いくー?」
「どこー?」
「おみやげー?」
「おいしいやつー?」
今年の当歳たちは、去年の当歳たちより少しだけお馬鹿な気がする。
いや、毎年そう思ってる気がしてきた。
お前らは毎年毎年、どうしてこう「生まれてきました!よろしくお願いします!!」の圧が強いんだ。
一方で、そんな当歳たちの注目の的は、今日も厩舎のテレビを見ていた。
「朔、今のところ巻き戻し」
「わかった。お前、本当にこれ好きだな」
俺が素直に答えてやってるのは、見てるのがバラエティ番組やグルメ番組ではないからである。
なんと、過去のレース集を見ているのだ。
特にお気に入りは、とある三冠馬のレースらしい。
先日は「参考になる」とか偉そうに言ってたが、絶対にクラウンの悪影響だ。
「朔さん、これで大丈夫ですか?」
そんなやり取りをしている隙に、弥生ちゃんは、送り出す確認をしてくれていた。
引き継ぎのメモ、普段食べ慣れている飼葉のこと、細かい注意点。
本当に頼りになるな。
「うん、ありがとう。助かる」
「いえ。でも、なんか、こう……」
「ん?」
「親が子どもを送り出す時って、こんな感じなんですかね」
「やめて」
情緒に刺さる。
◇
そんなこんなしているうちに、岡部さんのところの馬運車が来た。
何度見ても、馬運車ってやつは「今から日常じゃない場所へ行きます」感がすごい。
スタッフさんに挨拶をして、必要な確認をして、いよいよその時が近づいてくる。
ルドルフを馬運車の前まで連れて来る。
スロープが降ろされる。
「寂しがって暴れるなよ」
俺が何気なく言った瞬間だった。
ルドルフが、露骨に変な咳払いをした。
「俺……ゴホン。私がそんなことするはずがないでしょう」
「うわぁ」
なんか急に「私」とか言い出した。
「何ですか、その『うわぁ』は?」
「いや、だってお前、似合わな……いや、ちょっと面白くて」
「面白くない!」
ルドルフが本気で抗議してくる。
近くの馬房で見ていたストーンが、ぽかんとしたあと、ぶっと鼻を鳴らした。
「ははっ、何だいそれ」
ストーンが笑うのは珍しい。
ルドルフはそれが不服だったらしく、少し耳を伏せた。
「なんで、お母さんが笑うのさ」
「そりゃ、息子が急にお上品な言葉遣いに変えたら笑うさ」
クラウンが、なぜかやたら嬉しそうに割って入ってきた。
「いいじゃないかルドルフ!」
「何が!?」
「キャラ作りは大事だぞ!」
「キャラ作りじゃない!!」
傍から見ると、ルドルフとクラウンが「ブヒン!」「ヒヒヒン!」と言い合ってるだけなのに、面白すぎる。
「じゃあ、一体何してるんだよ、ルドルフ」
笑いがこらえきれなくなる前に素直に聞いてみる。
「岡部さんのところに行ったら、ちゃんとしようと思って」
あ。
「ちゃんとって、何をだよ」
「だから……ほら」
ルドルフが、妙に気まずそうに視線を逸らす。
「“俺”だと、その、ちょっと……」
「ちょっと?」
「ガキっぽいだろ」
「今さら!?」
そういうこと気にしてたのかよ!?
笑いがこらえきれなかった。
弥生ちゃんが、俺の隣でぽかんとした顔をする。
「何て言ってるんですか?」
「『俺だとガキっぽいから、あっち行ったら「私」って言う』んだってさ」
「あら、可愛いじゃないですか」
弥生ちゃんが微笑ましいと言わんばかりにルドルフを撫でてやる。
「ちゃんと頑張れたら、大好きなふじりんご用意しておいてあげますからね」
その一言に、ルドルフの目がぱっと輝いた。
「わーい」
言ったあとで、はっとした顔になる。
「あ、ゴホン」
「ダメだこいつ」
俺はもう諦めた。
「はは、まあ元気でやれよ」
ルドルフは、少しだけ気まずそうな顔で、でもちゃんと前を向いた。
「ふっ、任せておいてください。無敗の三冠馬になってみせましょう」
なんかすごいデジャヴなんだが。
クラウンが、ものすごく誇らしげに胸を張った。
「よし!!その心意気だ!!」
「本当に碌な教育しねぇな、クラウン」
「当然だ!」
「自慢するな」
横で静かに見ていた爺さんが、その騒ぎを全部まとめてぶった切った。
「そろそろ行け」
短い一言。
でも、その一言で空気が締まる。
ルドルフも、それがわかったらしく、キリっとした顔で馬運車の方を向いた。
でも、ルドルフが動かない。
いや、なんというか、もじもじしてる。
こういう時に言うこと聞かない奴ではないんだが…………
あ。
「爺さん」
「ん?」
「ルドルフ、一撫でしてやって」
「……甘やかしすぎだ」
爺さんはそんなことを言ってため息をついたが、近寄って、一撫でしてくれた。
「行ってこい」
「うん、爺ちゃん行ってきます!」
ルドルフがすごくうれしそうに返事をして、馬運車に乗り込んで行った。
……爺さんには聞こえてないけど、こういうとこはやっぱり敵わないなぁ。
乗り込んだルドルフは一度だけ振り返った。
爺さんと、俺と、弥生ちゃんと、ストーンと、クラウンと当歳と一歳と繁殖牝馬たちと、牧場みんなを見回している。
ルドルフは、ほんの少しだけ目を細めた。
「行ってきます」
やるじゃん、ルドルフ。
「いってらっしゃい」
俺が言う。
ぱたん、と扉が閉まる音。
その横で、当歳たちがわーわー騒いでいた。
「るどるふにーちゃん、いってらっしゃーい!」
「みやげー!」
「つよくなってかえってきてー!」
「おれもいくー!」
「おまえらはまだだ」
いや、ほんとにな。
お前らはまず転ばずに走れるようになれ。
馬運車が音を立てて遠くなっていく。
弥生ちゃんが、隣でぽつりと言った。
「うまくいくといいですね」
「うん」
うまくいくといい。
いや、たぶん、うまくいくだろ。
でも、たぶん。
ストーンが、ものすごく静かな声で言った。
「あの口調、何日持つと思う?」
「俺は三日」
「私は五日」
「夜には終わってると思うね」
「いや、意外と頑張るんじゃない?」
牧場古参組のルドルフに対する評価なんてこんなもんだ。
クラウンは、逆にすごく満足そうに胸を張っていた。
「よし!」
「何がよしなんだよ」
「意思は受け継がれている」
「余計なものも受け継がれてるんだよ」
ま、元気でやってくれたら、それでいい。
「黄昏てないで仕事しろ」
「はい」
まずは、爺さんの言うとおり、仕事しよ。




