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就職先が倒産したので牧場を継いだら、俺だけ馬の声が聞こえるようになりました  作者: 萩原詩荻
第三章 ???

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第四十五話 牧場主やってると金銭感覚おかしくなりそう

「いやあ、去年も良い馬はいたが、今年も良さそうなのがいるねぇ」


 目の前にいるのは、時折来てくれる馬主さんだ。


 去年も、一歳牝馬を一頭買っていってくれた。


 隣で弥生ちゃんがお茶を出してくれている。


 もうすっかりこの手の来客対応にも慣れたものだ。


 頼もしすぎて、最近色んな面で頭が上がらないことがある。


「そう言ってもらえると本当に嬉しいです」


 これは本音。


 でも、この続きが既に読めて困るのも本音。


「特に、あの鹿毛の一歳馬。カスタードの子なんだってね。--------円でどうだい?」


 横で弥生ちゃんが、湯呑みを置く手を一瞬だけ止めた。


 そりゃそうだろうな。


 でも。


「すみません」


 俺は頭を下げた。


「あの子は、売るつもりないんです」



 そんな感じで、結局別の子を買ってくれた馬主さんをお見送りした俺は、頭を抱えていた。


「……怖い」


 金の話が。


「大丈夫ですか?」


 弥生ちゃんが、苦笑しながら麦茶を差し出してくれる。


「ありがとう……いや、普通にビビるな」


「わかります」


「わかる?」


「だって、--------円って……」


「うん……」


 二人でちょっとだけ遠い目になる。


 そう、一歳になったルドルフはどうやらプロの目から見て、イイらしい。


 骨格がいい。

 歩様もいい。

 走る姿も、なんか妙に堂々としてる。


 素人の俺ですら、「あ、なんか違うな」と思う。


 ましてや、プロが見ればそりゃもう色々と思うんだろう。


 結果。


「この馬、もし出すなら早めに声を」

「今のうちに押さえておきたいですね」

「かなり面白いと思いますよ」

「馬主名義はもう決まってるんですか?」


 となっている。


 全部笑顔でかわしてはいるが、精神状態には良くない。


 そりゃそうだろ、もー。


 その時、ブロロロロロロ、と、明らかに“いい車です”という音がして、俺は思わず額を押さえた。


「……来た気がする」


「誰です?」


 弥生ちゃんが聞いてくる。


「一番高値付けそうなやつ」


 外に出てみると、予想どおりだった。


「やあやあ、小さい牧場主君!元気にしているかね!」


「やっぱり来たか」


 金持である。


「ふん、君のところに“大物の匂いがする一歳牡馬がいる”と聞いてね」


「噂回るの早すぎるだろ」


「狭い世界だからね!」


 それを得意げに言うな。


 金持は、俺を押しのける勢いで放牧地の柵までずんずん歩いていき、そしてルドルフを見た。


 ぴたりと止まる。


 数秒。


「……ほう」


 お。


 これは本気の顔だ。


「どうだ」


 俺が聞くと、金持は視線を外さないまま答えた。


「あれがカスタードの子だね?」


「わかるのか」


「当たり前だろ」


 なるほど。


 金持はしばらく無言でルドルフを見ていたが、やがて振り返って俺に言った。


「売ってくれたまえ」


「嫌だ」


「値段は相談に乗る。かなり本気で出す」


「売らない」


「即答かね!?」


「即答だよ」


 金持は本気で悔しそうな顔をした。


「僕のところなら、環境も設備も最高だ。育成面では、君の牧場よりずっと上だ」


「そうかもな」


「認めるのかね!?」


「認めるけど、嫌だ」


 俺だってわかる。


 設備も、人も、情報も、全部向こうの方が上だ。


 でも、それとこれとは話が別だ。


「あいつは、うちの馬だから」


 それだけ言うと、金持は少しだけ黙った。


 それから、困ったように頭をかいた。


「……そういう顔をされると、少しやりにくいね」


「知るかよ」


「いいだろう、今回は引いてやる」


「助かる」


 こういうところ誠実だよなぁと思って、ふとルドルフを見ると……あ?


 なんで、あいつ柵に向かって走って、あ。


 とんだ。


 あ!?


 ルドルフが柵を飛び越えた。


「ルドルフーーーーーーーーー!!!!」


 弥生ちゃんが、めちゃくちゃ怒って走って行ってる。


 ルドルフが、明らかにビクッとした顔で慌てて助走を取り直して……あ、バカ。


 もう一回飛んで、牧場の内側に戻った。


 ……弥生ちゃんがあんなに怒るなんて珍しいから、逃げようとしたんだろうな。


 でも、もう一回飛んだから倍怒られるぞ、あいつ。


「……今の跳躍見たかね?」


「見てない」


「見てただろ!?」


「見てない」


 俺は精神衛生上悪いものは見ない。


 金持は、わざとらしくため息をついてから言った。


「たしかに、あの馬は君の牧場で走らせた方が面白いことになりそうだ」


「面白いって理由でいいのか」


「いいに決まってるだろう、競馬だぞ?」


 金持がニヤッと笑う。


 たしかに。


 それはそうかもしれない。



 ルドルフを怒るのは弥生ちゃんに任せて、仕事をしていると、


「やあ」


 天山さんが現れた。


「どうも……」


 みんな、アポイントメントって概念ないの?


 天山さんは、面白そうに目を細めた。


「見せてもらっても?」


「……どうぞ」


 もうどうにでもなれ。


 天山さんは、放牧地の外からしばらくルドルフを見ていた。


「ふむ」


 その一言だけで、なんか値段が五倍くらい上がりそうで嫌だな。


「売る気は?」


「ありません」


「即答だね」


「はい」


「なるほど」


 天山さんは頷いた。


「では、なぜ残すのか聞いても?」


「……他の人と馬には秘密にしてもらってもいいですか?」


「もちろん。君と私だけの秘密にすると約束しよう」


「見たいからです」


「何を?」


「こいつが、うちでどこまで行くか」


 天山さんは少しだけ笑った。


「気持ちはわかる」


 本当にわかってる顔で言うのが怖いんだよな、この人。


「金を積まれたら揺れますけど」


「正直だ」


 だってそうだろ。

 揺れはするよ。


 でも、それで売るかは別だ。


 天山さんは、しばらく考えてから言った。


「いいと思うよ」


「え?」


「君がそう決めたなら、それでいい」


 意外だった。

 もっとこう、「うちで見てやろう」とか、「私のところなら」みたいな話になるかと思ったのに。


 でも天山さんは、少しだけ笑っていた。


 それから、ぽつりと言った。


「その仔がどこまで行くかはわからない」


「はい」


「だが、“売らない”と決めるべき馬は、たしかにいる」


 その一言だけ残して、天山さんは去っていった。


 なんだ今の。

 すごく格好いいこと言って帰ったな。



 全部終わった夕方。


 俺は厩舎の前に座り込み、深く息を吐いていた。


「疲れた……」


 精神的に。


 その時、問題児がのこのこ近づいてきた。


「朔、弥生にめっちゃ怒られた。すっごい怖かった」


 ルドルフだ。当たり前だ。


「お前、なんで柵飛び越えたんだよ」


「売られるかと思ったから逃走ルート確保しようと思って」


「売らないよ」


「ほんと?」


「ほんと」


 ルドルフは、それを聞いて、妙に満足そうに頷いた。


「じゃあいい」


 そして、そのまま当然みたいな顔で俺の肩に鼻先を押しつけてきた。


 甘え方が雑。


 弥生ちゃんが、横で少しだけ笑う。


「ほんと、わがままですね」


「な」


「でも、ちゃんとわかってるんでしょうね」


「『弥生ちゃん怖かった』って言ってる」


「当たり前です!」


 弥生ちゃんが「ふんす!」としているが、

 ルドルフは、俺たちの会話など気にせず、むにむにと俺の肩を押している。


「朔」


「何」


「りんご」


「今日はやらない」


「けち」


「けちで結構」


 柵を飛び越えたことは、まあ俺は怒らないでおいてやろう。


 もっかいやったら怒るけど。


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