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【書籍化】就職先が倒産したので牧場を継いだら、俺だけ馬の声が聞こえるようになりました  作者: 萩原梓荻(旧:萩原詩荻)
第三章 サクライルドルフ

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第四十四話 人間はしょーがないなー

 夜の馬房ってのは外に出れないから退屈だ。


 人間は寝ろというけど、俺たちは意外と喋ってたりする。


 俺も暇だから、お母さんに話しかけることが多い。


「ねえ、お母さん」


 ストーンブレイク――俺のお母さんは、半分眠そうな顔でこっちを向いた。


 俺の母親であり、この牧場の重賞勝ち馬であり、普段は偉そうで口が悪いくせに、なんだかんだ俺が近寄ると許してくれる女傑である。


「ん?」


 低くて、ちょっと気の抜けた返事。


「俺も早くレースに出たい」


 そう言うと、母さんは一拍置いてから、ふっと鼻を鳴らした。


「早くても二年後だよ」


「えー」


 理不尽だ。


「でも俺、牧場で一番速いよ」


 これは事実だ。


 産まれて四か月くらい経ったが、放牧地を走れば、他の当歳はすぐ置いていける。


 というか、最近は一歳のやつにも勝てる。


 たまに向こうが本気出すと負けるけど、それは向こうがズルいだけだ。


 するとお母さんは、少しだけ笑うみたいに鼻を鳴らした。


「はは。大きい牧場には、速いのがもっとたくさんいるよ」


「そうなの!?」


 俺は思わず身を乗り出した。


 知らんかった。


「競馬ってのは、そういう場所だ」


 お母さんは、まるで当たり前みたいに言った。


「ぐぬぬ」


 なんか、ちょっとだけびっくりした。


 ……いや、待てよ。


 じゃあ、そいつら全員に勝てば、俺がすごいことが証明される。


 簡単だな。


 だが、その時、ふと思った。


「ねえ、お母さん」


「んー?」


「母さんは、なんで走ってたの?」


 この牧場のことは、だいたい知ってる。


 爺ちゃんとか朔とか弥生とか。


 でも、外の走る場所のことはあまり知らない。


 お母さんは少しだけ黙った。


 寝てるのかと思ったけど、違った。


 考えてる。


「そうだね」


 それから、ゆっくり言った。


「本能と、ほんの少しの“義理”かな」


「ぎり?」


 なんだそれ。


 食えるのか?


 お母さんは少しだけ笑って続けた。


「この牧場を、少しばかり大きくしてやろうって気持ちかな」


 俺はすぐに頷いた。


「それはわかる!」


 すごくわかる。


 この牧場、ちょっと狭いのだ。


 たしかに走れるし転がれるし寝られるし、悪くはない。


 でも、もっとこう、どーんと広いところを、ばーんと走りたい。


「それと」


 お母さんが、少しだけ真面目な声になった。


「ついでに、朔をえらくしてやろうってのもほんのちょっとだけあったね」


「えー、なんでー?」


 俺は本気でわからなくて聞き返した。


 朔は飯持ってきたり、ブラシしたり、すぐ怒ったりする人間だ。


 たしかに便利だけど、なんで母さんがそこまで考えてやる必要があるんだ?


 お母さんは、やれやれって顔をした。


「私たち馬の言葉が聞こえる人間って、朔くらいなんだよ」


「そうなの!?」


 俺はびっくりした。


 本気でびっくりした。


 思わず寝藁の上でぴょこんと跳ねてしまった。


「弥生ちゃんが変なだけで、爺ちゃんもみんなも聞こえてるのかと思ってた!」


「弥生が変なのは否定しないけど、聞こえちゃいないよ」


「ええー……」


 俺が本気で困惑していると、隣の馬房の繁殖牝馬が、眠そうな声で口を挟んできた。


「人間ってのはねえ、不便な生き物なんだよ」


「そうそう、だからこっちがだいぶ気を遣ってやってるのさ」


「でも、気を遣っても伝わらないんだよねえ」


 人間ってそんなに駄目なのか。


「まったく、人間って馬の言葉もわからないのか!!」


「だいたいわかんないね」


「俺たちは人間の言葉わかるのに!!」


「そうだねえ」


「人間はしょーがないなー」


 人間、だいぶ終わってるな。


 そりゃ、たまに変なこともするわけだ。


「だからさ」


 お母さんの声が、夜の空気に少しだけまっすぐ通った。


「ご飯の好き嫌いとか、病気っぽい時とか、怪我しそうな時とか、朔が皆に言ってくれたら、私たちも助かるだろう?」


「それはそう!!」


 俺は勢いよく頷いた。


 俺は普通のリンゴじゃなくてふじリンゴがいい!


「じゃあ、朔にえらくなってもらわないとダメじゃん!」


「そういうこと」


 お母さんは、小さく鼻を鳴らした。


「だから、あんたたちが頑張れば、朔は『あの馬の馬主が言うことなら』ってなるはずさ」


「なるほど!!」


 俺はかなり理解した。


 すごく理解した。


 つまり、こういうことだ。


 俺たちが強くなる。


 みんなが「うわ、あの馬すげえ」となる。


 その馬の馬主である朔が何か言う。


 すると人間どもが「おお、あの名馬の馬主が言うなら」となる。


 爺ちゃんも喜ぶ。弥生も喜ぶ。


 完璧だ。


「しょーがないなー」


 俺は寝藁の上で、わざとらしく大きく息を吐いてやった。


「じゃあ、任せてよ、お母さん!!」


 それくらいなら、簡単だ!


 お母さんは、少しだけ笑うみたいな声音で返した。


「ま、ケガしない程度に頑張んな」


「うん!まずは無敗の三冠馬だね!」


 俺がきっぱり言った、その直後。


 厩舎の空気が、ぴたりと止まった。


「……」


「……」


「……」


 え?

 なんだよその間。


 俺がすごすぎて、みんな感動してるのか?


 すると、向かいの馬房の繁殖牝馬が、やけに静かな声で言った。


「……あー」


 別の牝馬も続く。


「それ、絶対クラウンだ」


「完全にクラウンだねえ」


「三冠って単語をそんな得意げに使うの、あのガキくらいだよ」


「わたしもさんかんばになるー」


 なんか急に、全員の視線が、俺ではなく別の方向を見始めた。


 俺が首を傾げると、お母さんが、心底嫌そうな顔をした。


「……クラウン、後で怒る」


 え、なんで?


 こないだ、「ルドルフ、お前は無敗の三冠馬になるぞ!!」って言ってただけなのに怒られるの?


 まあ、いいや。

 怒られるの俺じゃないみたいだし。

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