第四十三話 クソわがままな皇帝様
流星群の夜から、二か月ほど経った。
俺は、放牧地の端で、どうしていいかわからなくなっていた。
「……おい」
目の前では、生後二か月の牡馬が、ありえない勢いで走り回っている。
いや、走り回るだけならまだいい。
問題はそいつが、
「どけどけどけーーー!!遅いやつは踏むぞーーー!!」
と、他の当歳たちを散らしながら、ものすごい勢いで放牧地を一周していたことだ。
「……うるせぇな」
俺が呟くと、横で藁をまとめていた弥生ちゃんが首を傾げた。
「どうしました?」
「いや、別に」
言えない。
まさか「生後二か月の仔馬が、他の当歳に向かって『遅い』って煽ってる」とは、言えない。
でも事実なのだ。
「わーーー!!」
「るどるふ、はやーい!!」
「きゃーー!!」
「さくーー!! こわーーい!!」
当歳たちがきゃっきゃしている。
いや、半分は本当に逃げている。
「遅っ」
ルドルフが、隣でぴょこぴょこ走っていた一歳馬に向かって、いきなり言った。
言われた方の仔馬が、ぽかんとする。
「は?」
「お前、走るの遅くね?」
うわ、言った。
生後二か月で、すでに他馬の運動能力に口を出し始めている。
「お、お前生まれたばっかだろ!」
「でも俺の方が速い」
「うざーい!」
栗毛が怒って前脚を鳴らす。
その横で、別の当歳がきゃっきゃしている。
「るどるふ、またいってるー」
「またおこられるよー」
「おそいっていわれたー」
「ぼくもいわれたー」
言われてる側が複数いる時点で、こいつが普段から何をしてるかよくわかる。
「ルドルフ」
俺が声をかける。
するとルドルフは、ぴたりと動きを止めて、すごく嫌そうな顔でこっちを見た。
「……ちっ」
「今舌打ちした?」
「してない」
「しただろ」
この二か月でわかったことがある。
こいつ、かなり態度が悪い。
でも、爺さんには懐いている。
例えば、爺さんが放牧地に出てくる。
すると、どこにいてもルドルフはそっちを見る。
「爺ちゃーん」
爺さんが近づくと、ルドルフはさっと姿勢を正す。
「おう」
爺さんはなんとなくわかるのか、そのまま鼻先を軽く撫でてやる。
するとルドルフは直前までの生意気さが嘘みたいにおとなしくなる。
「……なんなんだ、お前」
俺が少し離れたところからそう言うと、ルドルフはちらっと俺を見る。
「朔は怒るから嫌い」
「それはお前がすぐ悪戯するからだろ!」
昨日だって、干し草の束に頭から突っ込んで、全部ひっくり返して、そのまま満足そうに寝藁の上で横になっていた。
一昨日は、一歳馬の耳を後ろから甘噛みして泣かせた。
その前は、弥生ちゃんの長靴の紐を引っ張ってほどいた。
その前は、俺の上着の裾を引っ張って泥の中に落とした。
全部怒った。
当たり前だ。
そして、コイツは弥生ちゃんに対してもひどい。
「弥生、弱そう」
ルドルフが、突然、弥生ちゃんの方を見て言った。
俺は固まった。
「そいつ、弱い」
「おい」
「歩くの遅いし、声も小さいし、なんか、すぐ転びそう」
「生後二か月の分際で高校卒業した働き手を評価するな」
弥生ちゃんが、俺の顔を見て聞いてくる。
「何て言ってるんですか」
「……仕事が丁寧で声が優しいって」
「あら、嬉しいです」
聞こえない方が絶対いいなと、その時ちょっと思った。
◇
でも。
そんなふうに生意気で、偉そうで、すぐ怒って、イタズラして、弥生ちゃんを馬鹿にして、俺に舌打ちするルドルフは。
実際には、かなり甘ったれだった。
まず、爺さんが見えなくなると怒る。
「じいちゃんは?」
と聞く。
そして少しでも戻りが遅いと、
「じいちゃん、遅い」
と不満げな顔をする。
俺に対してもそうだ。
俺のこと嫌いなんじゃないのかよと思うんだが、俺が母屋に戻ってしばらく厩舎へ来ないと、普通に機嫌が悪くなる。
「朔、いない」
と、ぶすっとした顔で言う。
なのに俺が行くと、
「遅い」
である。
何なんだよ。
弥生ちゃんも同じだ。
「弥生、弱い」
とか言いながら、弥生ちゃんが他の作業でしばらく見えないと、露骨にそわそわし始める。
「弥生、どこ」
「さっきまでいたのに」
なのに、戻ってきた弥生ちゃんを見つけると、文句を言う。
「遅い」
お前、さっきまで探してたじゃん。
「朔と弥生は遅い」
「馬と比べんな」
「朔はすぐ怒るし、弥生は弱い」
何なんだコイツ。
「……なんか悪口言ってます?」
弥生ちゃんが何かを察したように聞いてくるが、教えられない。
そして母親には、そりゃまあ甘える。
ストーンの腹の下へ顔を突っ込んで、「母さん」と呼ぶ。
その声だけは、妙に柔らかい。
「何だい」
「なんでもない」
「なんでもないなら呼ぶんじゃないよ」
「呼びたかった」
……まあ、こういうやつなんだろうな。
口は悪いし、態度も悪いし、すぐ怒るし、生意気だし、他の当歳をいじめるし、弥生ちゃんを弱いと言うし、俺には舌打ちする。
でも、ちゃんと甘えてる。
甘え方が下手なだけで。
……。
めんどくさいなこいつ!!




