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就職先が倒産したので牧場を継いだら、俺だけ馬の声が聞こえるようになりました  作者: 萩原詩荻
第三章 ???

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第四十一話 毎年異常気象が起きる牧場なんて気象庁が泣く

「ストーン、たぶんそろそろだぞ」


 そう言うと、ストーンブレイクは寝藁の上で悠然と首をもたげた。


「わかってるよ、三回目だ」


 三月十三日。


 今日は全然落ち着けなかった。


「うん、母屋にいるから、なんかあったら呼べよ」


「朔が一番、落ち着いてないじゃないか」


 図星だった。


 理由は、わかっている。


 今夜、たぶん生まれる。


 こいつの腹の中にいる仔馬が。


 カスタードとストーンの子どもが。


 ここまで来るのに、なんやかんや色々あった。


 色々ありすぎて、むしろ全部は思い出したくない。


「何となくな」


「何となく、でうろうろするんじゃないよ。床が減るだろ」


「馬房の前の土が減ることある?」


「坊主が歩きすぎると精神が削れる」


「それはごめん」


 ストーンは、ふん、と鼻を鳴らした。


 そう、俺は全然落ち着かなかった。


 この五年で、二十頭以上は見てきたはずだ。


 夜中に叩き起こされて、慌てて長靴を突っかけて、爺さんと一緒に仔馬を取り上げて、時には逆仔を腹に押し返して、産まれた瞬間に「うわ、ちっさ」とか「立った!やっと立った!」とかやって、翌朝には普通に眠い顔で馬糞を片付ける生活を、それなりに繰り返してきた。


 なのに。


「……落ち着かねぇ」


 全然慣れない。


 毎回ちょっと緊張するポイントが違うから、総合的に慣れない。


 一年目は「出産そのものが怖い」だった。

 二年目は「油断すると死ぬ」だった。

 三年目以降は「経験者ぶってると逆に痛い目見る」になった。


 人生、だいたいそんなもんである。


 その時、隣の馬房から、いかにも頼もしげな声が飛んできた。


「任せろ、朔!」


 クラウンだった。


 今日はたまたま帰省中……帰省でいいのか?

 まあ、とにかくお休みをもらっていた。


「何をだよ」


 俺が聞くと、クラウンは胸を張った。


「俺が大声出すから!!」


 すると向こうの馬房から、別の繁殖牝馬が口を挟んできた。


「大声出されても、びっくりするだけなんだよねえ」

「そうそう」

「むしろ静かにしてほしい」

「クラウンは邪魔だから外でいいんじゃない?」


 経験豊富な姐さん連中が、だいぶ冷静にクラウンを見ていた。


「なんだよ! 夜中に異変があったら知らせた方がいいだろ!」


「知らせるだけならいいけど、お前、たぶん異変なくても大声出すだろ」

「出産前ってだけでテンション上がってるだろ」

「『来るぞおおお!!』とか言いそう」

「言いそうじゃなくて言ってたことあっただろ」


 図星らしく、クラウンが一瞬黙る。


「……言うかもしれん」


「やめろ」


 さすが、この牧場の古参たち。

 クラウンの性格を完全に把握している。


 ストーンはわざとらしく大きくため息をつきながら話しかけてくる。


「坊主」


「ん?」


「そんなに心配なら、あたしの代わりに産んでくれるかい?」


「無理だし、想像したくもない」


「じゃあ落ち着きな」


 正論である。


 だが落ち着けるなら、とっくに落ち着いている。


 その横で、今年早めに生まれた当歳たちが何もわかっていない顔で楽しそうに言う。


「さけぶのー!?」


「さけぶー!」


「わーい!」


「まかせろー!」


「お前らが一番静かにしてくれ」


 春先の夜の出産前に厩舎が運動会みたいになるのは勘弁してほしい。



 母屋に戻ると、馬房のモニターを見ている爺さんがちらっとだけこっちを見た。


「いい加減慣れろ」


 第一声がそれである。


「全然慣れん」


 本音で返すと、爺さんは「ふん」と鼻を鳴らした。


「慣れて気ィ抜くよりマシだ」


「それはまあ、そうかもだけど」


 でも、緊張するものは緊張する。


 我ながらびっくりだ。


 最初の頃より知識は増えた。


 慌てるだけ無駄なタイミングと、本当に慌てるべきタイミングの違いも、前よりはわかる。


 でも、だからって平気になるかというと、全然そんなことはない。


 弥生ちゃんがみんなの分の湯呑みを用意しながら、くすっと笑った。


「朔さん、その調子だと自分の子ども生まれる時とか凄そうですね」


「まったくイメージできん」


 即答だった。


 弥生ちゃんが吹き出しそうになる。


「過呼吸になりそうですね」


「そこまで!?」


「なりそうです」


「なんでそんな確信あるの?」


「今日の朔さんが、もうだいぶ危ないからです」


 失礼な。


 いや、でもちょっと自覚はある。


 俺はありがたく湯呑みを受け取って、ひと口すすった。


 熱いお茶が喉を通って、少しだけ落ち着く。


「弥生ちゃんは平気そうだよな」


「まあ、私、授業で馬以外も見てますし」


「強い」


「朔さんが弱いんです」


 ぐさり。


「……何年やれば慣れるんだろうなぁ」


 爺さんが鼻を鳴らした。


「その分じゃ、一生慣れん」


「かもしれん」


 人間とは、案外そんなもんだ。


 それに、馬の声が聞こえる方が辛いんだよ、このイベント、マジで。


 そこで、弥生ちゃんがふと思い出したように言った。


「そういえば、今日は、ヘルクレス座ξ流星群がいい感じらしいですよ」


「え?」


 俺は思わず顔を上げた。


「なにそれ」


「さっきニュースでやってました。条件が良ければ結構見えるかもって」


「へえ……」


 流星群。


「ゲームだと吉兆なんだけどな」


「またゲームの話してる」


 最近の弥生ちゃんは、俺が競馬ゲームの話をしても「また始まった」くらいで済ませるようになっている。


 慣れってすごい。


「いや、でも幼駒誕生時に春雷とか流星があると能力高いんだよ」


「へえ……」


「現実にはそんなに都合よくないだろうけど」


「でも、ちょっとロマンはありますね」


「ある」


 俺はちょっとだけ笑った。


 実際、現実にはそんな“演出”はない。


 ないけど、もしあったら、ちょっと信じたくなる。


 爺さんが、こっちを見もしないで言う。


「ロマンで飯は食えん」


「それはそう」


「でも」


 俺はチラッと厩舎の方を見ながら言う。


「ロマンがないと、つまんないでしょ」


 沈黙が、少しだけ落ちる。


 爺さんは何も言わなかった。

 否定もしない。


 爺さんだって、現実だけで牧場を何十年も続けてきたわけじゃないはずだ。


 弥生ちゃんが、湯呑みを両手で包みながら、少しだけ窓の外を見た。


「じゃあ、今日ちょっと見えるといいですね」


「うん」


 いいこと言うな、この子は。


 でも、ヘルクレス座ξって俺初めて聞いたんだけど、なにそれ?


 ギリシャ神話のヘラクレスでいいの?


 だったら強そう。

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