第四十話 人生って、わからない
爺さんが、湯呑みを置きながら言った。
「あけましておめでとうございます」
俺も頭を下げる。
改めて言うと、ちょっと変な感じだ。
別に大層なことを言っているわけじゃないのに、ちゃんと一年が始まった感じがする。
爺さんはしばらく黙って、窓の外を見ていた。
白い放牧地。
少しだけ陽が差して、雪がきらきらしている。
「……昔なら」
「ん?」
俺が箸を止めて顔を上げると、爺さんは相変わらずそっけない顔のまま言った。
「二十年くらい前なら、お前らがその辺でお年玉くれって正座してたな」
「……そうだね」
思わず、少しだけ笑った。
正座、してたな。
なんかよくわからんけど「とりあえず正座しとけばお年玉が出る」みたいな空気があった気がする。
思い返してみれば、その頃はもっとたくさんの馬がいた気もするな。
そう思いつつ、外を見ると、馬たちがなにやら騒いでいる。
「あけおめー!」
「ことよろー!」
「さくー!ごはーん!」
「正月特別メニューたべたーい」
……あの頃は、まさか馬が新年を理解してるなんて思ってもみなかった。
俺は雑煮をすすりながら、少しだけ天井を見た。
天井は変わらない。
居間の匂いも、昔のままだ。
なのに、座ってる俺の立場だけが変わっている。
変な感じだ。
「まさかお前に牧場継がせることになるとは思わんかった」
ぽつりと、爺さんが言った。
「それは俺もだよ」
本当にそうだ。
大学を出て、なんとなく就職して、なんとなく社会人になって、なんとなく疲れながら生きていくんだと思っていた。
それが気づいたら、牧場で馬糞を片付けて、種付け料の計算して、仔馬の将来を考えてる。
あまりにも人生って、わからない。
爺さんは、こちらを見ないまま続けた。
「……まあ、まだまだ未熟だがな」
「うん」
そこは否定できない。
馬のことだって、ようやく少しわかってきたくらいだし。
牧場経営なんて、今でも毎回手探りだ。
今だって、わかったふりをしてるだけのことはたくさんある。
でも。
「まあ、でも」
俺は少しだけ笑った。
「なんとかやってるよ」
爺さんは、しばらく黙っていた。
否定されるかな、と思った。
けど、返ってきたのは意外と短い言葉だった。
「少しはな」
その一言が、なんか妙にうれしかった。
わかりやすく褒める人じゃない。
俺はちょっとだけ笑った。
◇
そんな正月も結局働き、労働基準法って牧場というか農業系にはマジで適応されねーよなとか思っていると、気づけば二月になっていた。
「再来月から私も社会人です」
馬房の中の隅っこで、俺と弥生ちゃんは小さいテレビをつけっぱなしにして、休憩がてらプリンを食べていた。
「おお」
そうか、そんな時期か。
俺はプリンを口に入れてから頷く。
「寂しくなるね」
「えへへ……」
「結局、どこに決まったの?」
俺が聞くと、弥生ちゃんはちょっと嬉しそうに答えた。
「××牧場ってところです」
名前を聞いてもぱっとはわからなかったが、弥生ちゃんが選んだならしっかりしたところなんだろうなと思った。
「おお、馬に関わる仕事、ちゃんと決まったんだ。おめでとう」
「はい。繁殖と育成両方やってて、寮もあるらしくて」
「えらいなあ」
その横で、いつものように馬房の向こうから好き勝手な仔馬たちの声が飛んでくる。
「弥生ちゃーん、たまには来てねー」
「こっちでも草あげるー?」
「やよいちゃん、わすれないでねー」
俺は思わず笑ってしまって、スプーンを持ったまま弥生ちゃんを見た。
「はは、『弥生ちゃん、たまには来てね』だってさ」
弥生ちゃんの顔が、ぱっとやわらかくなる。
「喜んで」
その返しが、なんか嬉しかった。
のだが。
その時、爺さんが、奥の馬房を見回っていた足を止めて、ぼそっと言った。
「……××牧場なら、一昨日廃業の申請出したって聞いたぞ」
空気が止まった。
「え?」
「え?」
俺と弥生ちゃんの声が、ぴたりと重なった。
「軽種馬農業協同組合に聞いてみろ」
なんでそんな爆弾を、お米が高いとか今日の雪が重いとかみたいなテンションで言うんだ。
テレビでは、ちょうど直線で一頭が伸びてきていた。
実況が何か叫んでいる。
俺は、ゆっくり弥生ちゃんを見る。
「……確認しようか」
「……はい」
◇
「ええ、ええ。ありがとうございました」
小さくそう言って、スマホを耳から離した弥生ちゃんの顔色が良くない。
「……どうだった?」
聞かなきゃいけないから聞くけど、たぶん答えはもう顔に出ている。
弥生ちゃんは、ゆっくりこっちを見た。
「……私、就職先なくなったらしいです」
「……」
「……」
全員、無言。
いや、俺と弥生ちゃんと爺さんは無言。
馬たちは――
「えー?」
「なくなったのー?」
「じゃあどうするのー?」
「やよいちゃん、うちおいでよー!!」
「そうだそうだー!」
「さくのバカ―!」
「にんじんもあるよー!」
「なんで俺が悪いんだよ」
いや、でも。
たしかに、この流れは、なんかこう。
なんだかすっごいデジャヴ。
こんなことある?
弥生ちゃんは、少しだけ困ったように笑った。
「……どうしよう」
その一言が、妙にリアルだった。
俺は少しだけ考えた。
いや、考えるまでもないか。
どうせ、いつかは人手が必要になると思っていた。
そのタイミングが、ちょっと早く来ただけだ。
「えーと」
俺は頭をかきながら言った。
「……あまり給料高くは出せないけど」
弥生ちゃんが顔を上げる。
「衣食住の保証くらいはするから、ここで働く?」
沈黙。
一秒。
二秒。
三秒。
「……いいんですか?」
弥生ちゃんの声は、少しだけ小さかった。
「どうせ、どうにかしなきゃとは思ってたから」
これは本当。
春以降の人手のことはずっと考えていた。
「弥生ちゃんが良ければ、だけど」
弥生ちゃんは、少しだけ考えて、それから。
「……じゃあ、お願いします」
ぺこりと頭を下げた。
「うん」
馬たちが一斉にわーっと騒ぎ出す。
「わーい!」
「やよいちゃんずっといるー!」
「やよいちゃんせんせー!」
「おやつふえるー!?」
「それは増えない」
ストーンが、やれやれという顔で言った。
「坊主がさっさと誘っとけばよかったのに」
クラウンも、すごく偉そうに口を挟む。
「朔、馬鹿だから」
「うっさい」
弥生ちゃんが、少しだけ笑った。
さっきまでの不安が、少しだけ抜けた顔だった。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
俺も頭を下げる。
人生、ほんっとにわからない。




