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就職先が倒産したので牧場を継いだら、俺だけ馬の声が聞こえるようになりました  作者: 萩原詩荻
第三章 ???

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第三十九話 不受胎だったら泣いてたかもしれん

① 受胎確認


「うん、大丈夫そうだね」


 獣医さんが、ふっと息を吐いた。


「ありがとうございます」


 良かった、マジで一安心だ。


 目の前にはストーン。


 今日の空気は、普段よりちょっとだけ真面目だった。


 ストーンの腹の中に、ちゃんと次がいるのかどうかが無事確認されたのだ。


 ゴールドファームでのあのドタバタを思い出すと、ここで「やっぱダメでしたー」になったら色々な意味でしんどい。


 財布も、精神も。


 ストーンが大きく息を吐いた。


「よかったよ、もう一回ってなったらカスタードを蹴ってたかもしれない」


 恐ろしいこと言うんじゃねぇよ。


「というか、もう一回は払えねぇよ」


 ストーンの「ブヒヒ」という妙に疲れた声に、俺も正直な感想を返す。


 獣医さんは苦笑しながら道具を片付けていた。


「順調だから、あとは普通にしてればいいよ」


「普通が一番難しいんですよね」


「まあね」


 そう言って帰っていく獣医さんを見送りながら、俺は少しだけ肩の力を抜いた。


 こういう時は、専属獣医がいるゴールドファームみたいな牧場が羨ましくなるな。


 ひとまず、第一関門クリアである。


 弥生ちゃんが、少しだけ真面目な顔で頷いた。


「でも、無事でよかった。ストーン。一年間頑張りましょうね」


 ストーンは、その言い方がちょっと気に入ったのか、ふんと鼻を鳴らした。


「三回目だから、慣れたもんさ」


「ほんとか?」


「ほんとだよ」


「去年も『二回目だから、慣れたもんさ』って言って、急に全力疾走して爺さんに怒られてただろ」


「あれは気分転換だよ」


「お前らの気分転換、命がけなんだよ」


 ストーンはふふんと鼻を鳴らし、それから少しだけ真顔になった。


「まあ、でも」


「ん?」


「ちゃんと入っててよかったよ」


 その声は、ほんの少しだけ静かだった。


 俺も頷く。


「そうだな」


 どんな名牝でも、全部うまくいくわけじゃない。


 牧場って、だいたいそういう現実の塊だ。


 だからこそ、こういう「大丈夫そうだね」は、うれしい。


 その空気を、当然のように当歳たちがぶち壊した。


「さくー! よかったのー!?」

「よかったならおやつー!?」

「おいわいー!?」

「しゅくじつー!?」


「なんで祝日なんだよ」


「おいしいことあるひってしゅくじつー?」


「それはそうかもしれない?」


 その日の夕方は、気分的にちょっとだけいい草が追加された。


 人間もちょっと良いケーキを食べた。






② 久しぶり


 ジリリリリリ。


 この家の固定電話は、毎回ちょっとしたイベント感がある。


「はい、桜井牧場です」


『ああ、朔くんかね』


「あ、天山さん」


 低くて落ち着いた声。

 でも、相変わらずちょっと圧がある。


『急にすまないね』


「いえ、大丈夫です」


『よければ、一度△△牧場にテンザンサクラの様子を見に来ないかね?』


「あ、お邪魔していいんですか?」


『ああ、種付けシーズンも落ち着いたし、他の牧場を見るのも経験だ』


 テンザンサクラ。

 うちで生まれて、セリで売れて、朝日杯を勝って、引退したあの芦毛。


 ゴールドファームみたいな巨大牧場は別としても、引退した名馬が次の仕事をしている場所を見るのは、かなり勉強になる気がした。


「ありがとうございます。ぜひ」


『うむ。では日を改めて案内させよう』


「よろしくお願いします」


 チン。


 受話器を置いて、少しだけ考える。


 テンザンサクラに直接会うのは……うちを出てってからは初めてか。


 ちょっと楽しみだな。



 というわけで、やってきました△△牧場。


 天山さんが関わっている牧場だけあって、やっぱりちゃんとしている。

 施設も綺麗だし、働いてる人たちの動きにも無駄がない。


 うちの牧場が「生活感ある実家」だとしたら、ここは「成功した親戚の家」みたいな感じである。


 案内されて厩舎の方へ向かうと、奥の方からテレビでも見た芦毛が顔を出した。


「おー」


「久しぶり、テンザンサクラ、って呼んでいいか?」


 俺がそう言うと、テンザンサクラは少しだけ変な顔をした。


「朔に名前で呼ばれると変な感じするな」


「わかる」


 一人と一頭で、なんとなくちょっと笑った。


 なんだこれ。


「元気そうだな」


「そっちもな」


「GⅠ取るなんてすごいじゃないか」


 俺が素直に言うと、テンザンサクラは得意げに首を上げた。


「やっぱ才能かな」


「おい」


「『アイツも朔も俺がなぎ倒してやる』って言ったろ?」


「まあ、実際そうなったな」


 セリで高値がついてびっくりした、あの日のことを少し思い出す。


「よくがんばったな、ありがとう」


 そう言うと、テンザンサクラは一瞬だけ黙って、それから少し視線を逸らした。


「……別に」


 あ、照れてるなこれ。


 でも、テンザンサクラが思っている以上に、うちはコイツに助けられた。


 うちの牧場で生まれた馬がGⅠを勝ったってことが、どれだけ大きいか。


 テンザンサクラは視線をそらしてから、聞いてきた。


「クラウンはどうしてる?」


「ん?」


「種牡馬は無理だろ?」


 お前、容赦ないな。


 でも、まあ、そこは事実だ。


「ああ、町の乗馬施設で働いてるよ」


「……うるさそうだな」


「うるさかったぞ」


「子ども相手に得意げな顔してそう」


「してた」


「だろうな」


 また一人と一頭で少し笑う。


 あ、そういえば。


「ゴールデンウイングが、今度みんなで遊ぼうって言ってたぞ」


 テンザンサクラが露骨に嫌そうな顔をした。


「違う牧場の俺たちがどうやって集まるんだよ」


「たしかに」


「相変わらず強いのに、ぼんやりしてるな、アイツ」


 テンザンサクラがブツブツ言うが、

 言い出しっぺのゴールデンウイングは、たぶんそのへん何も考えてない。

 

 ……あれ、俺がどうにかするの、これ?


 少しだけ考えてから、聞いてみた。


「……遊びたいか?」


 テンザンサクラは、即答しなかった。


 耳をちょっと動かして、視線をそらして、いかにも考えてないふりみたいな間を置いてから、ようやく小さく言った。


「……まあ、ちょっとだけ」


 おお。

 素直じゃない。


 でも、そう言ってくれるだけでもなんか嬉しいな。


「じゃあ、いつか考えとく」


「本気で考えるなよ。実現したらそれはそれで面倒そうだろ」


「そうだな」


 テンザンサクラは呆れたみたいに鼻を鳴らした。


 でも、ちょっと嬉しそうだった。


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