第三十七話 牝馬心と春の空
五月。
ゴールデンウィークが終わるころ、静内の桜はようやく本気を出す。
北海道以外の人に説明すると、「え、五月に桜?」みたいな顔をされるのだが、咲くものは咲く。
町全体が「うちは桜と馬の町です」と自己紹介しているみたいで、俺は嫌いじゃない。
そんな春に、俺はまたゴールドファームへ来ていた。
「今日は頼むな」
軽トラから降りて開口一番そう言うと、迎えに出てきた金持は、なぜか少しだけ複雑な顔をした。
「ああ……」
微妙に歯切れが悪い。
いつもの「任せたまえ!」みたいな元気がない。
「どうした」
「いや……」
金持は、深く深くため息をついた。
「あれから、本当にカスタードが種付けに協力的でね」
「それはよかった」
「よかった、で済むかね?」
「済むだろ」
「済まない!」
朝から元気だな、こいつは。
後ろからスタッフさんらしき人の苦笑が聞こえた。
「坊ちゃん、最近本当に“芦毛の割合”を確認してますもんね……」
「うるさい!」
「いやでも、本当にその方がスムーズなんですよ」
「それが癪なんだよ!!」
なんか大変そうだなあ、ゴールドファーム。
設備も人も揃ってるのに、結局最後は“気持ち”で回ってるところが競馬界らしいというか、なんというか。
金持は高そうなコートの襟を少しだけ整え、妙に真剣な顔で俺を見た。
「君は、本当に……」
「うん」
「……いや!」
何故か途中で踏みとどまった。
「そんなことで負けないからな!?」
「何がだよ」
「全部だ!!」
全部って便利な言葉だな。
「よくわからんけど、今日はうちのストーンをよろしく頼む」
「うむ」
その一言だけは、金持もちゃんと真面目な顔で頷いた。
「それについては任されたまえ。そしてカスタードも……まあ、今のところはやる気のようだ」
「今のところって何だよ」
「馬は、急に気分を変えるからねぇ」
「それはマジでわかる」
それを言われると、うちの当歳どもの顔が何頭か思い浮かぶので、あまり強く言い返せなかった。
そこで、少し離れたところから、低くて妙に自信に満ちた声が飛んできた。
「おう、小僧」
「あ」
来た。
カスタードである。
「カスタード、今日はよろしくな」
俺がそう言うと、カスタードは堂々と胸を張った。
「ふっ。今日は本気出してやる」
「それは嬉しいな」
「ありがたく思え」
カスタードは満足そうに鼻を鳴らした。
「いいか、小僧。男には二種類いる」
「急だな」
「やる時にやるやつと、やらない時にやらないやつだ」
「後者、やばくない?」
「今日の俺は前者だ」
「それはありがたい」
その時、急にぴたりとカスタードが動きを止めた。
耳が前を向く。
鼻先がすっと持ち上がる。
「……ん?」
「どうした?」
俺が聞いた瞬間だった。
ストーンが、ちょうど通路の向こうから姿を見せた。
スタッフさんに引かれて、こっちへ歩いてくる。
そして。
カスタードの顔が、見事に固まった。
「……おい」
カスタードが、ゆっくりと俺を見た。
「ん?」
「小僧」
「何」
「ストーンのババァじゃねぇか!!聞いてねぇ!!!」
カスタードが全力で叫んだ。
いや、思ったより大声だったな!?
ストーンも、ぴたりと止まって目を剥いた。
「うっさい!!あたしだって本当はアンタなんてお断りだよ!!」
え?
お前ら知り合いなの?
いや、知り合いっぽいなこれ。
俺が口を挟むより先に、カスタードがぶんっと首を振った。
「小僧!!芦毛がイイって言っただろ!!」
「俺が芦毛連れてくるとは言ってねぇよ」
「チクショウ!!」
ほんとに悔しそうな顔するな。
名馬の顔でそれやると温度差すごいんだよ。
横で金持が、本気で不安そうな顔をしていた。
「だ、大丈夫なのかね?カスタードがケガすると困るのだが!?」
なるほど、それはたしかに。
ここでカスタードが蹴られたりでもしたら大変だ。
俺はとりあえず、ストーンに声をかけた。
「ストーンー」
「何さ!!」
だいぶ機嫌悪いな。
「ケガさせないでな」
「うっ」
言われた瞬間、ストーンが露骨に詰まった。
「わ、わかってるよ! あたしだってそこまで子どもじゃない!」
「じゃあ頼む」
「くっ……!」
ストーンが悔しそうに鼻を鳴らす。
「わ、わかってるよ!!あたしだって仕事は仕事でやるさ!!」
その横でカスタードが低くうなった。
「俺もだよ!!ババア相手でテンションはだだ下がりだが、約束は約束だ!!」
「誰がババアだい!!」
「年齢的にはそっちだろうが!!」
「うるさい!!その口縫い合わせるよ!!」
「小僧!!こいつ怖ぇぞ!!」
「知ってる」
すると、近くの馬房からベテランっぽい繁殖牝馬たちの、妙に面白がる声が飛んできた。
「やだー、あの二頭ずいぶん元気ねぇ」
「見てる分には面白いけど、現場は大変そう」
「頑張ってー、黒鹿毛ー」
「負けるなー、重賞牝馬ー」
他人事すぎる。
いや、他馬事か。
うまいこと言ってる場合じゃないな。
周囲のスタッフさんたちは当然、馬語はわからない。
でも雰囲気からして「なんかちょっと落ち着かないな……」とは感じているらしい。
「坊ちゃん、やっぱり少し時間置きますか」
「いや、今ここで流れを切ると余計こじれそうでね……」
「なるほど……」
金持まで普通に現場判断している。
大変だな、ゴールドファーム。
◇
そこから先は、もう、なんというか。
空が青い。
あ、ゴールドファームにはおっきい桜も咲いてるー。
だって、だってさ。
人の牧場で、知ってる馬同士が、
「うっさい!近いんだよ!!」
「仕事だろうが!!」
「わかってるよバカ!!」
「誰がバカだ!!」
とか言いながら、周囲の人間は「よしよし落ち着いて」とやっていて、俺だけ全部意味がわかる状況で、どうしろって言うんだ。
結局、いろいろあったが、なんとかなった。
いや、なんとかなったというか、押し切ったというか、周囲の熟練スタッフたちが“慣れた手つき”で色々やってくれた結果である。
仕事を終えたカスタードは、妙にやり切った顔をしていた。
「どうだ」
「どうだ、じゃない」
いや、お前今の流れでよくそんな顔できるな。
「約束は守ったぞ」
「それはありがたい」
ストーンが、荒い息を一つ吐いてから言った。
「坊主」
「ん?」
「今後こいつの場合は、できれば事前に教えといて」
「ごめん」
知り合いだって知らんかったんだよ。
「本当にね」
その声音は疲れていたが、どこか少しだけ呆れを通り越して感心している感じもあった。
カスタードがすぐに割り込む。
「ババア!! 人を怪物みたいに言うな!!」
「アンタ十分怪物だよ!!」
「名馬と言え!!」
「自分で言うんじゃないよ!!」
元気だなあ、こいつら。
終わったあとも元気だなあ。




