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就職先が倒産したので牧場を継いだら、俺だけ馬の声が聞こえるようになりました  作者: 萩原詩荻
第二章 ミスタークラウン

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第三十三話 ミスタークラウン

 四コーナー。


「クラウン」


 背中から声。


「行こう」


 おう。


 俺は短く鼻を鳴らして、前へ出た。


 脚はまだある。

 今日も、ちゃんと最後まで戦える。


 直線。


 景色が開ける。


 観客席から声援が聞こえる。


 実況が何か叫んでいる。


 ただ前へ。


 もっと前へ。


 残り百。


 脚はまだある。

 でも、前はいる。後ろからも来てる。


 残り五十。


 もう一歩。

 もう一歩だけ。


 残り二十。


 届くか?


 ……いや。


 届かない。


 わかる。


 わかるけど、それでも最後まで伸ばす。


 最後の最後まで、ちゃんと前へ。


 ゴール板が、視界の横を抜けていった。


 終わった。


 五着か六着くらい。


 勝てなかった。


 でも、最後までちゃんと走った。


 それだけは言える。


 息は荒い。

 肺が熱い。

 脚も重い。


 それでも、止まりきらない体の勢いに任せて少し流しながら、俺は肩で息をした。


 後ろから、さっき俺の前を走ってた馬が並んできた。


「お疲れ」


 低く、ちょっとしゃがれた声。

 何度か一緒に走ったことのある古参だ。


「おう」


「最後なんだってな」


「らしいな」


「そうか」


 そいつは一度だけ鼻を鳴らした。


「さみしくなるな」


 それだけ言って、また前に歩いて行った。


 別の馬も横を通りながら声をかけてきた。


「クラウンがいなくなると、レース前うるさいやつが一頭減るな」


「そんなにうるさいか、俺?」


「お前、パドックでも返し馬でもいちいち何か喋ってるじゃん」


「そりゃ喋るだろ」


 向こうで笑い声がした。


 少し若い声のやつが言う。


「クラウンって、一回もケガしなかったもんな」

「そういえば、そうだな」

「馬鹿だからケガしねーんだよ」

「なんだかんだ真面目に走ってたしな」

「お、若いやつは知らねーのか、コイツ昔は真面目じゃなかったんだぞ?」

「へー」


 みんなが話しかけてくれる。


 何度も一緒に走ったやつ。

 久しぶりに見るやつ。

 「まだいたのかお前」ってやつ。


「……お前らも、ケガすんなよ」


 なんとなくそう言うと、みんな一瞬だけ黙って、それから笑い声みたいな嘶きがいくつか飛んだ。


 俺はなんだかんだで、この世界が嫌いじゃなかった。


 同じ釜の飯を食った仲、なんてテンザンサクラが言っていたけど、走るやつらも、だいたいそんなものだ。


 同じ砂を浴びて、同じコーナーを回って、同じように勝てなくて、たまに勝って。


 そういうやつらと、何度も顔を合わせてきた。


 気づけば、俺はちゃんとここにいた。


 騎手がゆっくりと首筋を撫でた。


「お疲れさん」


 その声も、いつもより少しだけやさしかった。


「よく走ったよ」


 おう。


 この人にも何度も乗ってもらった。


 最後くらいは、素直に受け取ってやってもいい。


 俺は小さく鼻を鳴らした。


 そう、これが俺の引退レースだった。


 11月の京都。ダートのオープン戦。


 以前、重賞には一回だけ挑んだ。


 全然無理だった。

 やっぱりストーン姉ちゃんはすごい。


 そのあとも、オープンを時々勝って、だいたい負けて、でも掲示板にはわりと残って、気づけばここまで来ていた。


 無敗の三冠?

 最初の一敗で終わってた。


 ダートの世界を取る?

 取れてない。


 砂の帝王様?

 ……暫定のままだ。


 でもまあ。

 俺なりに、よく走ったと思う。


 少なくとも、一度も壊れなかった。


 脚も、心も、意地も。


 折れかけたことは何度もあるけど、そのたびになんとか起き上がってきた。


 それだけは、ちょっと誇ってもいい気がする。



 検量室の方へ引かれながら、俺は歩いていた。


 もう周りにレースの熱はない。


 あるのは、終わった馬の息遣いと、人間たちの安堵した匂いだけだ。


 その中に、知ってる気配があった。


「おつかれ、クラウン」


 ああ。

 来てたんだな。


 朔の声だった。


 それだけで、なんか、胸の奥が変に熱くなった。


「……ごめん、朔」


 口から出たのは、その言葉だった。


 自分でも、最初にそれが出るんだなと思った。


「ん?」


 朔が首を傾げる。


 俺は、うまく息ができないまま、でも続けた。


「結局、俺、オープン戦が限界で、無敗の三冠どころか、重賞にすら……」


 言いながら、自分で少し苦くなる。


 夢を、自分の口で過去形にしていくみたいで、ちょっと嫌だ。


「こんなんじゃ、朔の言うこと聞いてくれる人なんて増えないし、爺さんに楽させてやることもできない!!!」


 言い切った瞬間、自分で少しだけ驚いた。


 ああ。

 俺、そこ、ずっと気にしてたんだな。


 勝ちたい。

 もっと上へ行きたい。

 ゴールデンウイングやテンザンサクラに負けたくない。


 そういうのは、もちろんあった。

 でも、それだけじゃなかった。


 俺が勝てば、朔の顔も立つ。

 爺さんも少しは楽になる。

 牧場のうるさいやつらにも、もっと美味いもん食わせられるかもしれない。


 そういうの、ずっと頭のどこかにあったんだ。


 朔は、少しだけ目を丸くして、それから困ったように笑った。


「そんなこと気にしてたのか」


「そんなことって!!」


 思わず声が荒くなる。


 そんなことじゃねぇだろ!

 俺にとってはかなり大事なことだったんだぞ!


「そんなことじゃないだろ! 大事だろ! 俺、もっとこう……」


 だって俺は、あの牧場で一番強い現役馬だった。


 だったら、もっとすごいところまで行きたかった。

 行って、朔や爺さんの背中を、少しでも軽くしたかった。


 でも、現実の俺は五着で終わって、重賞も勝てなくて、たまにオープン勝って、たまにすごく惜しくて、でも結局そこまでだった。


 そんなことをうまく言葉にできずにいると、朔が近づいてきて、俺の首筋を優しく撫でた。


 その手つきは、もう慣れたものだった。


 的確に痒いところを掻いてくれる、あの手つきだ。


「大丈夫だ、ありがとうクラウン」


 短い一言だった。


「でも……」


 俺がまだ何か言おうとすると、朔は少しだけ笑って言った。


「お前のおかげで、“目標金額がたまった”」


「?」


 俺は、ほんとに意味がわからなくて首を傾げた。


 目標金額?


 なんだそれ。

 俺はたぶん、今、かなり間抜けな顔をしていたと思う。


 朔は、そんな俺を見て、ほんの少しだけ口元を緩めた。


 珍しいくらい、得意げな顔だった。


「じゃあ、クラウンの成果を見せてやる。ちょっと電話するな」


 そう言って、ポケットからスマホを取り出す。


 プルルルル。


 短い呼び出し音。


 やがて向こうが出たらしい。


「――あ、もしもし、金持?」


 その名前に、俺の耳がぴくっと動く。


 ゴールドファームの、あのうるさい坊ちゃんか。


 電話口の向こうで、たぶん、「なんだね急に!」みたいな声がしているんだろう。


「約束どおり、種牡馬を融通してほしい」


 俺は、意味がわからないまま朔を見る。


 でも、わからなくても、一つだけわかった。


 ああ。

 俺が走ってきたことは、ちゃんと次に繋がるんだな、と。


 GⅠを勝てなかった俺でも。

 重賞に届かなかった俺でも。


 ここで終わりじゃない。


 俺の走った時間が、距離が、うちの牧場の次に繋がる。


 俺の名前は、派手な勲章にはならなかったかもしれない。

 誰もが知る最強馬の名前にはならなかったかもしれない。


 でも、ちゃんと牧場には残るんだ。


「……そっか」


 少しだけ、肩の力が抜けた。


 悔しい気持ちが消えたわけじゃない。

 もっとやれたんじゃないかと思う気持ちもある。


 でも、それでもいいのかもしれない。


 朔が電話を切って、こちらを見た。


 俺は少しだけ鼻を鳴らした。


「朔」


「ん?」


「……俺、わりとすごかった?」


 聞いてから、うわ、ダサいこと聞いたなと思った。


 でも朔は間髪入れずに答えた。


「めっちゃすごかったぞ」


 くそ。


 そういうの、もっと早く言えよ。


 俺は胸を張った。


 最後くらいは、ちゃんと偉そうにしていてやる。


 そうしないと泣きそうだった。


 だって俺は、ミスタークラウンだ。


 無敗の三冠馬にはなれなかった。

 芝の王者にも、砂の帝王にも、世界最強にもなれなかった。


 でも。


 桜井牧場の看板馬は、たしかに俺だったのだ。


 だったら、それはカッコいいだろ!


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