上司と部下
今日の客は、うちの社長の紹介で、上司と部下の関係だ。
新人研修で初めて出会い、配属先で直属になったそうだ。
今回の問題は部下が転職を相談せず辞表提出、上司は失望したみたいだな。
えっ普通じゃねぇか?転職なんて上司に相談した事ねぇぞ。
俺はいつものように、体を鍛え、銭湯に行き、追加の具材を買っておく。
今日は公園に行く途中に、近所の婆ちゃんに出会った。
「知り合いのキノコの産地の人から、シメジやエノキをたんまりともらったんだけんど、私は椎茸が好きだから、食べてもらえないか?」
と言われて頂いた。
スーパーでは醤油が安かったので、買う事にした。今日はうどんと醤油だ。
20:05、客がうちのアパートの前に来る。窓をあけ、2階まで来るように窓から言う。
「べぇさんというのはあなたですか?」
俺がうなずくと、
「はじめまして、今日はお世話になります」
若い男と、上司らしき男が挨拶する。
「おぅ。まぁ上がってくれ
えっと、悪いんだけどな。
俺は人の名前を覚えるのが苦手なんだ。
だから、上司と部下って呼ぶけどいいか?
元をつけるのがいいのだろうけど、2人共、元上司で元部下だから、元はなしでいいだろ」
と俺は言った。
2人ともうなづいた。
「で……、具材はなんだ?」
と言うと、2人は俺に具材を手渡した。
肉:牛すき焼き用肉、豚ロース、鶏つくね
野菜:春菊、玉ねぎ、椎茸
なるほどなぁ……。
俺はしばし沈黙する。
「ちょっと合わなかったですか?」
と上司は言った。
「いや。椎茸が大好物の婆ちゃんに、さっきキノコをたんまりともらったたんだ。この椎茸みたら欲しがるだろうなと思ってな」
と俺は言った。
「じゃあ、その椎茸の代わりに頂いたキノコを入れて、椎茸はその婆ちゃんに差し上げてください」
と上司は言った。
「いいのか?」
と聞くと、
「よく考えたら、部下が椎茸嫌いでした」
と上司は言った。
部下は照れくさそうに笑った。
なるほど世話焼きな上司なんだ。
さて……今日は何にしようか?
すき焼き肉があるし、すき焼き風といきたいところだけど、豚もある事だし、味噌ベースで猪鍋風にしてみよう。
合わせ味噌に赤味噌、生姜、七味、水、粉末の出汁、あとは具材を入れて煮込もうか。
「あのな。いつもならすき焼き風にするところだが、今日は猪鍋風にしてみるわ。いいか?」
と俺が言うと、
2人共うなずいた。
まぁテーブルに座ってくれとちゃぶ台に案内する。
このちゃぶだいも、始めは拾いものだったが、客が家を建てるから要らなくなったと持って来てくれた。
10万くらいする高級品らしい。
この時も写真を撮った。
新しいのが来たら、取り替えみたいな感じでやっている。
そのうちわらしべ長者のように、大金持ちになってたりしてな。
今日はうどんがあるから、ちょうどいいな。
俺は鍋を準備しだした。テフロン製のホットプレート兼電気鍋。
「えっとじゃあ材料を切っていこう」
と俺、
牛すき焼き用肉、豚ロース、鶏つくねはそのままで、
春菊は洗って根っこを切り落とす。玉ねぎは皮を剥いてスライスに、キノコは石づきを切り落とす。
あとは豆腐を切る。
「猪鍋って食べた事あります?」
部下が上司に質問した。
「いやない」
上司は答える。
具材を鍋に入れ煮込みはじめた。
さて酒でも飲もうか?
部下は缶のハイボール
上司は日本酒だった。
なんかソワソワしてる。
「熱燗にでもするか?」
と俺が聞くと、
ニコッと笑い、
「ぬる燗で」
と言った。
「電子レンジでしかできないけどいいか?」
と俺が聞くと、
上司はうなづいた。
3人とも酒を飲みだす。
3口ほど飲んだところで、
俺は話を切り出した。
「で……どういう状況だったんだい?」
俺がそう言うと、
「今さら何かを相談しても変わらないと思った」
と部下は言った。
そして、
「俺は上司じゃなくても、味方でいたかった」
と上司は言った。
「なるほどなぁ。で……上司は部下に戻ってきて欲しいのか?」
と俺は聞いた。
「彼が本当に決めた道なら、仕方ないが、もし本当は戻りたいなら、協力してやりたい」
と上司は言った。
「……で部下はどうなんだ?本当は戻りたいのか?」
と俺は聞いた。
「……戻りたいとは思わない」
と部下は言った。
「……という事だけど、どうだ」
と俺は言った。
「それであれば何も言わない。ただ俺は元上司として何とか力を貸してやりたかっただけだ」
と上司は言った。
「あのさ。お前ら友達にはなれないのか?」
と俺は聞いた。
2人ともキョトンとしている。
「だってさ。もう会社も変わったんだから、命令権もないわけじゃないか。でも友達なら、やっていけるんじゃないか?」
と俺は言った。
「……いやでも俺と友達なんて、俺友達少ないし。趣味もないし。迷惑ですよ」
と部下は言った。
俺は上司の顔を見る。
「……俺も友達は少ない。妻ともあまり会話をしないし、趣味は将棋くらいだし、それもオンラインでやるくらい、彼に迷惑だよ」
と上司は言った。
俺は部下に
「お前将棋はやらないの?」
と聞くと、
「小中と将棋部にいました」
と部下は答えた。
俺は上司の目が変わった事に気がついた。
ちょっと待てと、俺は大家さんに会いに行く。将棋を借りる為だ。
「ほら将棋盤を借りてきたから、鍋が終わったら、一勝負してみろよ」
と言った。
そろそろ鍋が食べられる頃あいだ。
俺は鍋の蓋を取る。鍋から水蒸気と共にうまそうなニオイが立ち昇る。
これはもう食えるな。
「じゃあ食おう」
俺は箸と茶碗を渡す。
3人で鍋をつついていく。
「うわ。これ美味い」
と部下
「これ、味噌仕立て美味いですね」
と上司は言った。
それから鍋の具は少なくなり、うどんを投入した。
これまた絶品だった。
もうその頃には2人の目は将棋盤に移っていた。
「じゃあ将棋しろよ」
と俺は言った。
それから2人は将棋を始めた。
もともと将棋にあまり興味のない俺は、終わるまでの間、アパートのサンバ好きのブラジル人にダンスを教わった。
後日、2人は詰め将棋のハンカチとクロワッサンを持参して、うちにやってきた。
二人は将棋友達になり、お互いの家を行き来しているそうだ。
上司の方はそれがきっかけで奥さんと将棋を指すようになり、家族ぐるみの付き合いになった。
しかも、上司の娘さんと部下が恋仲になり、みんなで将棋を打っているんだと、
そしてクロワッサンはパン屋で働く娘さんの手づくりだそうでちゃんとバターで作ってあり、これまた美味かった。
俺はクロワッサンをひとつだけ食べて、残りは大家に渡した。
理由を説明してな。
今回の手柄は大家だな。
詰め将棋のハンカチは、現場で使っていると、現場監督に「譲ってくれ」と懇願されたので、譲ってやった。
まぁいいだろう。将棋はさせるが、グッズにはあんまり興味ないからな。




