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第32話

 何処どこへ行くとも言わず早朝に出かけたきり、真咲は夜になっても戻らなかった。丞玖を問い詰め、十年ぶりに雪絵の父に連絡をとった。

 翌日迎えに行くと言ったものの、麻美は布団に入っても心配でなかなか眠れなかった。

──あの部屋には寝かさんから、心配せいでええ。

 あの日に真咲が寝ていた部屋は閉ざされ、開かずの間になっていると聞いた。縁起が悪いからと、雪絵の父は話していた。本当にそれだけだろうか。あれ以降あの部屋に、あの家に何かが起きたという事はなかったのだろうか。

 妙な胸騒むなさわぎがした。時計の針は十一時を回っている。麻美は我慢出来ずに起き出し、着替えもせずに車のキーを手に取った。玄関にあったサンダルを突っ掛け、ドアを開ける。突風が吹き付け、スウェットの裾があおられた。

 深夜の高速道路を、麻美は死物狂いで車を走らせた。道路灯の切れた暗い夜道を走りながら不安は増大した。

 もう間に合わないかも知れない。ふと、そんな気がして、アクセルを踏む足元から冷たいものが上がって来るのを感じた。

──どうか。どうか、無事でいて。

 玄関の扉を叩く時間は、永遠のように感じた。家の中からは物音ひとつせず、誰も起きては来ない。ふと格子こうしに指を掛けてみて、引き戸が動くのに気付いた。田舎の家である。鍵をかけ忘れたのかも知れない。麻美は迷わず扉を開け、家の中に駆け込んだ。

御免ごめんください。麻美です!」

 返事はない、まるで誰も住んでいないかのように、家は静まり返っていた。

「どなたか、いらっしゃいませんか。……真咲くん。真咲くん、いるの?」

 暗い廊下を奥へと進む。一歩進むごとに足が重くなった。何かが麻美を拒絶しているようだった。冷たい床に倒れ伏してしまいそうになりながらも、麻美は雪絵の両親の寝室の前へとたどり着いた。

「失礼します」

 声を掛けたつもりだが、ちゃんと発声できたかどうかは分からない。ふすまを開けると、並べられた布団が見えた。声を掛けても返事はない。寝息すら立てずに死んだように眠っている二人の姿を見て、背中に冷たい水を掛けられたような気がした。

 気にはなったが構っている暇はない。麻美はそのまま廊下を進み、隣にある広間の前に立った。襖を開けようとした途端、禍々《まがまが》しい気配が渦巻くのを感じた。目の前の襖が異界の入口のように思え、足が竦んだ。

 中にいるのだ、あの女が。真咲を連れて行こうとしている。

 引手に指を掛け、麻美は襖を開けようとした。けれどそれは、どんなに力を入れても全く動かなかった。体当たりしてもびくともしない。漂う冷気。木と紙で出来ている筈の襖が、厚い氷の壁になったように思えた。

──もう、駄目かもしれない。

 絶望が襲う。諦めてしまいそうになる自分の弱さにむち打ち、麻美は再び引手に指を掛けた。

 精いっぱいの力でそれを引いた。

──真咲くん!

 とてつもなく重い手ごたえと共に、襖は開いた。

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