義母と義妹②
何がそんなに楽しいのか。地下牢と言う場所に似つかわしくない、ニヤニヤとも言える表情で迎えたのはこの国の王太子、アグリシオ殿下。
その王太子殿下は、既婚者なのだから公爵夫人または夫人、あまり一般的ではないが伯爵と呼ぶべき私に対し、敢えてエリーナ嬢と呼んだ。嘲りなどではないだろうことはわかるが、誤解されかねないことだというのに、つくづく読めない人だと思う。
「そんなに難しい顔はしないでほしいな。ただ、君はまだ若いからね、人目を気にしなくて良い時くらい、ご令嬢として接しても良いだろう?」
殿下は人懐こい犬のような笑みを浮かべて言いながら、さり気なく隣に立って、すっと手を差し伸べてくる。ほとんど反射的に手を持ち上げると、違和感なく手をとられ、甲に唇を寄せて口づける仕草をとった。もちろんフリだけで、直接触れたわけではないが、あまりに自然で様になっていて、流石本物の王子様は違うな、と感心しつつもほんのりと頬に熱を感じた。
「申し訳ないが、ここから先は許可された者しか入れないから、エリーナ嬢だけ案内するよ。君の侍女ならエリックが控室へ案内するから心配しなくていい」
エリックと呼ばれたのは、ここまで案内してくれた侍従だった。流石公爵家の侍女、テリアは顔色一つ変えずに会釈をし、こちらにも頭を下げてからエリックの後に続いて来た道を戻って行った。
「さて、それじゃあ行こうか」
「ちょ、ちょっと待ってくださいませ!」
「ん?どうかした?」
「まず挨拶くらいはさせてください!」
そう。ここに来て、まだ挨拶すらさせてもらっていないのだ。王族であるからか本人の気風か、有無を言わさぬ威厳というか、ただの勢いというか。口を挟む暇がなかった。不快なわけではないが、寧ろこちらが不敬になってしまうし不作法が居心地悪くなってしまったのだ。
「なんだ、そんなこと。君はもう身内、家族のようなものなのだから気にしなくて良いんだよ?」
「そうは言われましても…」
「だって、この状況じゃあ無理だろう?」
殿下の視線の流れにつられて視線を移すと、殿下にとられたままの自分の手があった。確かにこのままでは挨拶の為の礼がとれない。いやそれなら手を離してくれれば良いのに、とは流石に言えなかった。
「それよりほら、さっさと行こう。あまり長くはいられないからね。対面は尋問室で、普通は看守役の騎士が二人付く決まりだが、そこまで凶悪犯なわけじゃないから中までは入って来ない。ただ、君の安全の為にも私は同席させてもらうことになるけど」
「かしこまりました、殿下のご助力に感謝致します」
安全の為、なんて言うけれど、実際は新たな供述が得られないか見聞きする為のはず。やはり取調べはうまくいっていないのだろう。
尋問室へ向かう道すがら、二人の様子を聞いた。アデラは怯えたり取り乱したりして証言が要領を得ず、対してデボラは異様な程落ち着いていて取調べを躱し続けているらしい。
少しでも期待に応えられれば良いけれど。そうしている内に尋問室へ到着した。両脇に騎士が二人立つ入口は、小窓付きの鉄の扉。部屋の中央には鉄格子があり、あちら側とこちら側両方に、木の机と椅子が鉄格子を挟んで向かい合うように置かれていた。
自然な流れで殿下に椅子を引かれたので礼を述べて座ると、少し待っていてね、と言葉を残して殿下は部屋の外へ出た。何やら話し声がしてすぐ戻って来て、いないものとして扱ってくれ、とだけ言い、扉のすぐ脇の壁に腕を組んでもたれかかった。
室内には束の間の静寂が訪れ、じわじわと緊張していくのを感じた。
ガチャリと音がしてその方向を見ると正面左奥の鉄扉が開き、錠をかけられたアデラが騎士に連れられてフラフラと入室してきた。やや虚ろな様子で促されるままに鉄格子の向こう側の椅子に座り、俯いた。
身綺麗にして着飾るのが好きだったはずの彼女は、髪はボサボサで傷んでいて肌もカサついている。生気も失われつつある姿を見ると、私の中の彼女とかけ離れていて僅かばかり動揺する。だが、同情まではしなかった。
「…先日ぶりね、アデラ」
ごきげんよう、とか、元気だったか、とか。定型文の挨拶では嫌味になるなと思うと、少し憚られた。嫌味くらい言っても良い立場なのだろうが、ここまで弱っている今の彼女を、わざわざ傷つけるような言葉は必要ないと思ったのだ。
「……あ、アンタ…!なん、で…っ、ね、ねぇ、助けてよ!アンタならできるでしょ?!」
アデラは重たい鉄鎖の音をさせながら立ち上がり、身を乗り出して叫んだ。先程までの生気のない虚ろな様子とは打って変わって、肌には血の気が戻り、目には微かに光がある。背後で動く気配があったが、小さく手を動かして問題ないと伝えるとそれ以上の動きは感じなかった。
「アデラ、取り敢えず座って。落ち着いて、冷静に聞いてね。…貴女が貴族というものをなんでもできる絶対者だと思っている節があるのは知ってるけど、私では今の貴女を助けることはできないわ」
「なっ…!?わ、私のこと恨んでるってこと?だから助けてくれないの?!」
「違うわ、ちゃんと聞いて。助けることはできないけど、最悪の結果だけは避けられるかもしれないわ。だから、知ってることを全部、正直に答えて」
興奮冷めないアデラに対して冷静に穏やかに話すように心がけ、もう一度座るように言い含めると、最悪の結果、という言葉に反応を示していたこともあってか、ぐっと口を噤んで落ちるように椅子に腰を下した。
やはりと言うべきか。アデラが取り乱して、ああまで憔悴していたのは最悪の結果――処刑という言葉を言われていたのだろう。彼女はあまり頭が良い方ではない。だがそれも仕方のないこと。そもそも平民の彼女に教養はないし、恐らく教育よりも着飾ったりすることに力を入れてきたのだろうから。
彼女は頭は良くないし、性格も悪い。けれど、決して悪人ではない。躾のなってない幼子のようなものなのだ。
「アデラ。まずは一番大事なことを聞くわね。…貴女は自分が貴族ではないということを知っていたの?」
彼女達の最も重い罪。それは、貴族を詐称したこと。
「あ、わ、私…」
「落ち着いて。正直に、本当のことだけ答えて。今ここでは貴女を責め立てるような人はいないから。ゆっくりでいいの、嘘だけは言わないで」
質問の内容に、これまでの尋問を思い出したのだろう、アデラは目に見えて怯え震えた。ここにきて初めて、可哀想に思えて、幼子に対するように優しい声色で話しかけた。
「…し、知らない…。お、お母様は、昔からずっと、自分は貴族で、私のことも貴族の娘だから貴族だって、言ってて…。し、下町に住んでたけど、それは、迎えが来るまで、待ってなきゃいけないからって…」
怯えた様子はなくならないが、震えは止まっている。たどたどしくはあるが、この調子なら大丈夫そうだ。
「そう…。でもそれなら、どうしてうちに来たの?迎えが行ったわけないわよね?」
「わ、わからない…。お母様が、急に引っ越しだって…。贅沢な暮らしができるから喜びなさいって…。アンタ、みたいな…。生まれた時から何不自由なく生きてきたお嬢様には、わからないだろうけど…。貧しい暮らしをしていれば誰だって、一度くらいは貴族の、お姫様みたいな暮らしに憧れるわ。私もそう。強い憧れがあったから、感じた違和感とかそういう、何か変だなって思ったこと、気付かないフリしたわ…。ごめんなさい…」
思いがけない言葉だった。彼女は、話している途中で急に雰囲気が変わって、初めて見る何かを悔やんでいるような表情で、最後には頭を下げた。私の中の彼女の記憶は十二歳の時と、デビュタントの時の僅かばかりもの、そして先日の夜会。いつ見ても彼女は見た目と反して幼く、成長が見られなかった。
それが今になって、ようやく成長できたのだろうか。
この幼い少女のことは、許してあげても良いかもしれない。




