これからのお話
公爵様はティーカップをソーサーに戻すと、ハンカチを取り出して口元を拭って深い溜息を吐いて、片手で頭を抱えるようにして項垂れてしまった。
悩んでいるのか、困っているのか。この反応はどういう意味なのかが分からないので、取り敢えず様子を窺うことしかできない。ある程度、どんな反応が返ってくるか予想はしていたのだが、これは予想外だ。
何にせよ、これだけは譲れないことだから、できれば了承してもらいたい。
「…あの、公爵様?この件については、どうしてもハッキリさせておきたいのです。そもそも、貴族の政略結婚では、後継ぎを産むためにもそういった『交渉』について決め事をするのはよくあることですよね?私達の場合、政略結婚ではありませんが、決めておかないと後々…」
「ちょっと待ってくれ。…君は嫌じゃないのか?」
不意に、たまらずといった様子で、公爵様は弾かれたように顔を上げて、僅かに苦しそうに表情を歪めながら問いかけてきた。苦しそう、ではあるものの、嫌悪ではなく苦悶といった様子で、眉尻が心なしか下がっているように見える。
発せられた言葉といい、この表情といい、これではまるで…。
「…あの、嫌というのなら、公爵様の方なのでは?私は婚姻が決まった時点で覚悟を決めていますので、嫌ということはありません」
私が返した言葉を受け止めた公爵様は、苦い顔をした。バツが悪い顔、と言った方が正しいか。そしてまた溜息を吐くと髪を掻き上げて姿勢を正した。
「君の話を聞いたのだから、私の話もするべきだろうな。…私は貴族の女性というものが苦手…いや、嫌いだった。だから結婚も、後継を作ることも、考えたことすらなかった」
最初の言葉は人伝に聞いていたので知っていた。だが、次いで発せられた事実には少しばかり驚いてしまった。それならば、私の立場は一体何だと言うのか。
思わず口を挟んで問い質したくなったが、ぐっと堪えた。だって彼はさっき、私の言葉を遮らずに話を聞いてくれたのだから。
「…正直なところ、あんな条件で娘を嫁がせようという者はいないだろうと思っていた。だから、その後の生活についての取り決めがなかったのだ。…君には申し訳ないことをしたと思っている」
すまなかった、と言って公爵様は頭を下げた。思わず目を瞠ってしまったが、謝ってほしくなくて、少し悔しくて、無意識のうちに震える唇を噛んでいた。きっと表情も取り繕えていないだろうと思うと、見られたくなくてゆっくりと俯いた。
これ以上は聞きたくない。でも聞かなきゃいけない。お願いだから言わないで。
「だが、もし君が私を許してくれるのなら…、初めからやり直したい。お互いを知るために会話から。契約も結び直したい。今度は、君に不利ではないように、対等な契約を」
続けられた言葉は少し意外だった。契約の解消、離縁を申し渡されるのだろうと予想してひっそりと傷ついていたのに。思わず顔を上げると、困ったように眉を下げながら、不安げで心細そうなアメジストに、情けない自分の顔が映っていた。
二人して、まるで迷子の幼子のように泣きそうな顔と言われても仕方ない、情けない顔をしているなと思ったら、自然と笑みが零れてしまった。
ほんの少し心が軽くなった気がして、自然と口が開いて言葉を紡ぐ。
「…私、先程も言いましたけど、この婚姻は降って湧いた幸運だったんです。契約書を見て、離縁されることも覚悟しました。でも、不安だったんです。爵位を継げれば離縁されてもやっていけるでしょうけど、また結婚しなきゃいけなくて、でも誰でも良いわけではないし、そもそも他の誰かっていうのが、嫌、で…」
あぁ、どうしよう。言葉がうまく纏まらない。
「つ、つまり、何が言いたいかと言うと…!できれば、離縁はしたくないので!よ、よろしくお願いします!」
何だかじわじわと顔が熱くなっていって、居た堪れなくなって。恥ずかしいことを言ってるような気がしてきて、誤魔化したくなって勢いに任せて言いきると、やりきったと言わんばかりにまた勢いよく俯いた。
「…ありがとう。ならばまずは、名前で呼び合うことにしよう、エリーナ」
まずは、だなんて。貴方は既に、私の名前を呼んでくれていたじゃないですか。
握りしめられた拳とスカートを映していた視界が歪んで、滴が零れて。慌ててハンカチで拭って、もう一度顔を上げる。
優しい微笑みの真ん中で、柔らかく煌くアメジストがまた私を映していた。今度は、ちゃんと笑えてる。
「…こちらこそ、ありがとうございます。レオニス様」
勢いに任せてしまいましたが、ここで一区切りとさせていただきます。完結ではありません。
ラブラブまでの道のりは長いと思います。




