閑話~公爵は驚きを隠せない
公爵様視点の時はタイトルに悩む。
『妻』を迎えてから、一ヶ月が経った。一日二回程の挨拶くらいしか交流がないが、いつも淑女らしい微笑みを絶やさず近すぎず遠すぎずな距離感を保っている。
基本的には常識的で優秀だが、たまに物陰からこちらを眺めていることがある。気付かれていないと思っているようなので気付かないフリをしているが、目的が分からない。見つめられているわけではなく、あくまで眺められている。意図が読めないが、悪意も感じないし秋波を送られているわけでもない。
何かと不可解な女性ではあるが、不快感を感じさせないので苦痛がない。腐れ縁の王太子のせいで激務に落とされているせいで邸内での書類仕事に手が回らなかったのだが、彼女が期待を大きく上回る成果を見せてくれているので、ストレスからも解放されつつある。
感謝の言葉くらい伝えるべきだとは思うが、義務と言える挨拶以上の交流を彼女が望んでいるとはどうしても思えず、惰性で日々を過ごしていた。
そうして、珍しく日も暮れぬ内に帰宅すると、いつも通りアジルが出迎えに来ていた。
「お帰りなさいませ」
「変わりなかったか」
「実は、イレ…奥様が」
「いやあああああ!なんてことなの!!」
「!?」
アジルが何事か報告をしようとしていたところで、屋敷から聞こえるはずのない悲鳴が響き渡る。聞き覚えのあるその声は、『妻』のものであるのはすぐに分かった。
危険などあるはずもないが、初めて聞く叫びに焦燥が掻き立てられ、衝動のままに邸内エントランスへ駆け込む。
「今の声は一体何だ?!何があった!?」
駆け込んだ先では、蹲る妻、その傍らで立ち尽くす二人の侍女、周囲には壺やら絵画やらがいくらかの感覚をあけて置かれている。状況を把握するのが難しいが、一先ず悲鳴の主である妻へ駆け寄り、様子を確認する。
外傷が見られないことが分かってやっと、肩を抱くようにして抱き起し、顔色を見る。僅かに青ざめているが、深刻な問題はなさそうだと分かると思わず安堵の息が漏れる。
「…エリーナ、どうした?何があったんだ?」
「…こ、公爵様…、お、おかえり、なさいませ…」
「ああ。だが今は挨拶はいい。こんな所でどうした?具合でも悪いのか?」
声をかけると、そろりと視線がこちらに向き、未だに動揺は残っているものの、真面目なのか暢気なのか、習慣のせいなのか挨拶を返してきた。
会話をしたくないから挨拶で躱そうとしているのでは、と一瞬頭を過ったが、それは一先ず頭の隅に追いやり、言葉を変えて問いかけをし直す。
「…私は、平気です…。で、でも…」
「でも?」
「…ニール・テルミナの風景画に、ヒビが、ヒビがぁ!」
結局、返って来た答えを理解し納得することはできなかった。
一度、彼女と話をしてみたいと思っていた。何を、というところが問題だったので、今日のところは先程の状況の説明という話題があるから、それを取っ掛かりにすればいい。
と、その程度に思っていたが、いざ話してみるととてもスムーズに会話が進んだ。この国では珍しく聡明で優秀な女性だとは思っていたが、想像以上だ。マクワイア伯爵家は国内最大を誇るエトワール商会を運営している。子会社や傘下、提携を含めると百を超える規模の商会を運営しているのは、あの汎用な父親ではなく彼女なのだろうと容易に想像がついた。
そして彼女に対して興味が湧いていることに気が付いた。彼女の話を聞きたい、彼女のことを知りたい。それが何を意味するのかは分からない。何せ初めてのことだから。だから、誘われるままに彼女に着いて行ったのだが。
「…これは、先程の絵画だな」
「はい。『静謐の湖畔』です。ニール・テルミナが専属契約を結んだシュヴァルツの父、アルバスの為に描いたとされる名画です。『高貴なる庭園』に次ぐ公爵家の宝です」
彼女の執務室へ着くなり、出迎えたのは五枚の絵画。エントランスホールで見たものだ。
「これはローゼンベルク公爵家の為にも、決して失ってはいけない財産です。金銭的な価値のことを言っているのではありません、歴史的財産なのです。他の四枚もこの絵には及びませんが、いずれもとても価値ある名画です。それがですね、汚れているんです!ヒビが入っているんです!!」
熱弁する彼女には気迫のようなものすら感じられたので、藪蛇は困るので頷いて相槌だけ返す。
「ですが、ご安心なさってください。これらは修復が可能です。私がこの至宝たちを甦らせてみせます」
何とも自信満々に胸を張る妻を前にして、問題提起から解決まで全て一人でやるのか、と割とどうでも良いことを考えているくらいには、絵画の価値について把握しきれなかった。
その程度の関心しかないからこその現状であるが、そこを指摘されると説教でも始まりそうだなと察しているからこそ、殊勝な態度で居続けることにした。
少しくらい腹を立てても良いところだが、これまでどうにも他人行儀であり続けていた彼女の本来の姿を見ているのだと思えば、ちっとも腹が立たない。それどころか、活き活きとした表情をもっと見ていたいとさえ思った。
だが、その流れで聖女の奇跡まで見ることになるとは流石に予想外だった。
詳しく話を聞こうにも、鉄壁とも言えるガードで翌朝になっても話してはもらえなかった。話術という点では一流の商人でもある彼女には敵わない。
話を聞きたければ早く帰って来い、と遠回しに言われて送り出され、登城するための馬車の中で思考に耽る。
馬車の前まで着いてきたアジルには、褒め言葉の一つも言えないせいだと言われたが、それで機嫌を損ねたのだろうか?昨夜の夕食の席では彼女は珍しくドレスを着ていて、普段の装いが悪いというわけではないが、着飾るとこうも違うものなのか、と少しばかり不躾に眺めてしまった。そんな中で目が合ってしまい、不躾な視線に気付かれたのかと思うと居た堪れなくなり、顔を逸らして誤魔化してしまった。誤魔化すのではなく、何か褒め言葉を言えば良かったということか?
そんなことができたら縁談に困ったりしない。
仕方がない。言われた通り、帰宅を早めよう。王太子には顔だけ出して、騎士団の演習も適当に転がしてやって終わらせてやる。休暇すら碌に取れていないのだから、たまには良いだろう。
その日、遠慮も手加減もなく騎士達を相手したことで『獅子頭の悪魔』が帰って来た、と噂されたが、彼の知るところではなかった。
「お出迎えせずに申し訳ありませんでした。お茶の準備をしておりまして」
「構わない。予定より早い帰りになったからな」
結局邸に帰ったのは午後、ちょうどティータイムと言える時間帯だった。彼女は出迎えには来ず、サロンに招かれた。騎士団との訓練の後だったので、軽く汗を流して着替えを済ませてから向かった。
彼女の落ち着いた様子を見ると、昨日からの問題もどうでも良いことに思えて、何気なく交わす言葉も、久しぶりにゆっくりと飲む紅茶も、滅多に口にしてこなかったスイーツも。全てが心を落ち着けてくれた。
だからこそ、彼女の口から語られる話も、大きな動揺もなく聞くことができたし、彼女の事情の裏にある感情にも考えを巡らせることができた。
彼女はきっと、上手く隠せていると思っているだろう。だが、彼女の瞳を見れば分かる。誰にでも察せられるものではないだろうが、あのサファイアの瞳は彼女の真実を映す鏡のようなものだ。彼女が語らなかった裏側に、寂しさや悲しみ、怒りや憎しみ、後悔と無念。暗い感情の記憶を、彼女のサファイアが陰りとして映していた。
いつかその記憶を語ってくれるのだろうか。彼女の言う新しい契約というものは、彼女の過去に由来するものなのだろうか。その後に告げられるであろう、彼女の望みを反映した契約を聞き漏らすまいと耳を傾けた。
「子供は最低でも二人以上欲しいので、ご協力いただきたいということです」
「ごふっ?!」
あまりにも予想外でストレート過ぎる望みに、今度こそ動揺を隠しきれなかった。
本人はバレてないと思ってたけど実はバレてましたってところと、公爵様が結構振り回されてたってところが今回の見どころでした。
ルビ付けたいんですけど、付け方分からないんですよね…




