『聖女』の価値
「端くれ、ですけどね」
思った通りの反応に少し満足してにっこりと微笑んで返して、これまた満足のいく状態へ戻った絵画を見つめ、深い溜息を漏らす。絵画はデリケートなものなので、壺のように頬ずりをするわけにはいかないので我慢しなければ。
見れば見る程、その場の静けさが聴こえてきそうで、いつまでも眺めていられる。そうだ、当時の流行のように、窓枠の額縁に収めようか。確かうちの商会でも取り扱いがあったはず。
そう思考を巡らせていると、何か言いたげでありつつ遠慮しているような、探る視線を感じて現状を思い出す。
「公爵様、お呼び立てしておいて申し訳ありませんが、詳しい話はまたにしましょう。今日は残りの絵画の修復をしますので」
「しかし…」
「全て修復した後は疲れてしまうでしょうし、お話しなんてとてもとても…。ですから、ね?」
微笑みを崩さず、念を押すように圧をかけて頷きを促す。場の雰囲気はもうこちらのものなのだ、例え彼がどれ程の人物であろうとも、負けはしない。王国随一を自負する商家の女をナメないでもらいたい。
納得しきれていないながらも、彼は渋々了承し、アジルを連れて退室していく。残った二人の侍女もやはり何か問いかけたそうな様子ではあったが、敢えて無視をして作業をする。
本当なら、絵画を五枚修復するくらい朝飯前で、大して疲れはしない。だがもったいぶって出し惜しみして焦らすことが、交渉のためには重要なのだ。
そして沈黙を保ったままの明くる朝、思うところがあったのか昨夜の夕食に続いて朝食まで公爵様と共にすることになった。当たり障りのない会話がたどたどしく流れるが、会話の流れをうまく誘導して昨夜の詳細については巧みに避けていく。これまで挨拶しかしてこなかった割には、会話自体は難しくない。話題を見つけるのが難しいだけで。
「…昨夜の話の続きなのだが…」
「公爵様、もう出かけませんと。私もまたお話しがしとうございますので、今日もお早いお帰りをお待ちしておりますね」
エントランスで見送りの挨拶をしようとしていたところで、肝心の話題が出てくる。しかしこの場ではわざとそれを言わせた。そしてそれを遮って言う言葉もしっかり用意してある。要約すると、『話がしたければさっさと帰ってこい』となる。昨日の帰りも普段と比べると十分早いが、この言葉は暗に昨日よりももっと早く帰ってこいと言っているのだ。
想定外だったので流石にドレスは着て来れなかったが、やはりというべきか相変わらず何の言葉ももらえなかった。だからと言ってその不満をぶつけた上での仕打ちというわけではない。断じて違う。
満面の笑みで送り出してやった公爵様の背が昨日より小さく見えるのはきっと気のせい。それを見て少しばかり可愛らしく思えたのも気のせいだ。
「え、もうお帰りになったの?」
午前中に仕事を終わらせ、午後は手慰みにあまり得意ではない刺繍をして過ごしていたが、そろそろお茶にしようかなんて考え始めたところで、主の帰宅の知らせである。
確かにさっさと帰って来いとは言ったが。激務と聞いているのに、大丈夫なんだろうかと思いつつ、ちょうどいいからお茶をしながら話そうと考え、テリアにはサロンに来てもらうよう伝言を頼み、シュリーにはお茶の準備を頼む。糸くずなど付いていないだろうかと身なりを確認して軽く整え、迎え入れる為にサロンへ向かう。
今日のお菓子は大通りから二本外れた所にあるこじんまりとした洋菓子店のブルーベリータルトだったかな、なんて考えていると今朝とは服装の変わった公爵様がサロンに訪れた。
「お出迎えせずに申し訳ありませんでした。お茶の準備をしておりまして」
「構わない。予定より早い帰りになったからな」
ブルーベリータルトと共に出された紅茶を飲みながら、目立った抑揚がない平坦な声色の返事が返ってくる。今朝少々意地悪く言ったことを少しも気にしていない風だが、心が広いのかただ単に忘れているだけなのか。
伝えた通り早く帰って来てくれたのだし、聞きたがっているだろうことを話してあげたいところだが、折角なので会話を楽しんでみようか。
「今日は本当にお早いお帰りでしたけど、大丈夫なのですか?いつもお忙しいと聞き及んでおりますが」
「問題ない。いつもが異常なのだ。王太子が何でもかんでもと仕事を押し付けてくる。今日はそれを突っ撥ねて、騎士団の演習にだけ付き合ってきた」
本当に思うところがあるのだろうなと察せられるくらい、声色には憤慨が混ざっている。気持ちを落ち着ける為に必要だったのか、紅茶は飲み干されていた。王太子殿下の右腕だとは聞いていたが、かなり気安い仲なのだろうか。
「左様でございましたか。それはご苦労様でございました。今日のお菓子は、目立たないながらもハズレのない洋菓子店のブルーベリータルトなのですが、お召し上がりいただけませんか?甘い物がお嫌いでなければ、是非」
相手のティーカップに新たに紅茶が注がれるのを見て、頃合だとばかりにタルトを勧める。さり気なく相手の好みを探るのも忘れない。別に気になるから聞いているわけではない。次は好みのものを用意しようとか思ってない。
「嫌いということはない。ただ、自分から食べようとはしたことはないな」
「そうでしたか。お口に合えば良いのですけど」
勧められるままにタルトを一口、口に運ぶ洗練された所作を眺めていると、今のこの時間が非現実的なものに思えて、微かな焦燥感と居心地の悪さを感じる。かつての生活との差異だとか、境遇や立場だとか。浮世離れした美しさを持つ『夫』が私の立場を左右する人物で、今でこそ会話のようなものが成り立っているが、名前くらいしか知らない相手。『夫』という肩書きを持つ『雇用主』に他ならない。
見た目に引っ張られて親近感を覚えたりしていたが、相手の真意が読めない以上、油断してはいけない。契約書にない事項については何も約束はされていない。上手く交渉して、せめて目標を達成できるようにしなければ。
確かに美味いな、と認める言葉を発した相手に対し、その言葉に安堵したと捉えられるだろう笑みを貼り付けて見せてから、自分も同じように口にする。ベリーの甘酸っぱさに慰められたような気持ちが湧き上がってきたが、そんなものはタルトと一緒に紅茶で流し込み。ここまで勿体付けた分、切り出す時はきっぱりといくべきだ。
「では、そろそろ本題に入りましょうか。公爵様は、私が聖女なのかどうか、気になされていましたね」
唐突に切り出された話題に対して、公爵様は焦る様子もなく、静かに頷いて少し身を引いて居住まいを正した。ただそれだけでも厳格さが増して、ほんの少し怯みそうになる。気を引き締めなければ。
「確かに、私は聖女という『称号』を頂いております。ですが、聖女という『称号』自体はありふれたものなのです」
「…どういう意味だ?」
「聖女というのは、我が国の国教でもあるジルヴァラ教の総本山、聖地ミュロンにあるミュロン・ド・バール大神殿にて洗礼を受けて聖信徒となった者の中で、女神の祝福を得た女性に与えられる称号なのです」
「女神の祝福というのが、昨日のあの光か?」
「ええ、そうです。私が得た祝福は二つ、保護と復元です。昨日見せたのは復元の祝福です」
「復元…ということは、人の怪我の治癒も可能なのか?」
「いいえ、残念ですが。復元の祝福は、無機物を損壊する前の状態に戻すことができる力です。人の怪我を治すのはそのまま、治癒の祝福です。ついでに申し上げますと、祝福が二つあるからと言って特別であるということはありません。聖地には四つ程の祝福を得た方が数十人程いらっしゃいますし、そもそも聖地の大神殿で神官となるためには最低一つの祝福を得ることが条件の一つとなっておりますが、大神殿の神官は千人を超えます。我が国には教会にしかおられませんが、他国において祝福持ちの方は貴族の中ではそこまで珍しいものではないので、世界規模で数えるなら『聖女』は数万人に及びます。因みに、男性の場合は『聖人』と呼ばれますが、信仰対象が女神だからか女性側の称号ばかりが広められていますね」
交渉を有利に進めたいからと言って嘘を吐くのは流儀に反するので、あくまで真摯に事実のみ伝える。その事実が衝撃的だったからか、それとも何か思い当たることでもあるのか、公爵様は口元を手で覆って考え込むように口を閉ざした。
この国は、そもそもの成り立ちのせいでもあるが、他国に比べて閉鎖的で前時代的な部分が多い。貴族と平民との隔たりが大きいだとか他国の文化を取り入れたがらないだとか、女性が社会進出できていないだとか。私のような存在が特異なだけで、この国は男性優位で、貴族は特に顕著だ。
貴族の中の古狸達は特に、自分たちの権力と財産を大事にするあまり、教会にまで圧力をかける始末で、女神の祝福も聖女もその存在があまり知られていない。だからこそ、高位貴族であるはずの公爵までもが、『聖女』を過大評価するような態度だったのだ。
さて、彼の動揺が消えない内に、次へ移らなければ。
「世界的に見ればどうということもない称号ですが、この国では違います。ですから、私には十分な利用価値があるかと存じます」
「…何が言いたいんだ?」
「お願いしたいことがあるのです。以前のようなおねだりではなく、新たな契約です」
途端に眉間に皺を刻んで訝しげな目を向ける公爵様に対して、ここまで出し惜しみしてきた含みのある不敵な笑みを浮かべて告げた。
エリーナな洗礼を受けて聖女となった。
『カルミロの天使』は洗礼を受けた聖信徒しか見ることができない。
つまり……?




