第四話 三日普請その後
結果として、あの『三日普請(実際には七日かかったが)』の功績は凄まじく大きかった。
信長様の喜びようは天を突くほどで、「これで尾張統一へ大きく近づいた!」と、連日ご満悦だったらしい。
この前代未聞の特大スクープにより、藤吉郎はただの足軽から一気に『足軽組頭』へと大出世を遂げた。
部下も百名ほど与えられたという。
戦国下剋上の世において、これはなかなかのスピード出世である。もっとも出世とは、常に良いことばかりを連れてくるわけではない。
数日後、その残酷な現実を身を以て知った男が、我が横井領の屋敷へと転がり込んできた。
「時泰様ぁぁぁぁ!! 助けてくだされぇぇぇ!!」
屋敷の門外から響き渡った、この世の終わりみたいな悲鳴に、おれは思わず苦虫を噛み潰したような顔になった。聞き覚えがありすぎる。というか、聞き覚えしかない。やっぱり織田裕二(藤吉郎)だった。
「……今度はなんだ。騒々しいぞ」
「銭が! 銭が一切ございませぬぅぅぅ!!」
開口一番それだった。
お前には、未来の天下人としての夢や希望、あるいはプライドというものはないのか。
詳しく話を聞けば、三日普請の褒美として信長様から受け取った原資(銭)のほとんどを、あの過酷な労働に耐え抜いた職人たちへのボーナスとして全部配ってしまったらしい。
さらに、組頭への昇進に伴い、自身の直属となる郎党を十人も抱えることになった。当然、彼らを養うための飯代(人件費)が毎日常識外れのスピードで消えていく。
「つまり、要約すると?」
「新入社員の飯代がビタ一文ございませぬ!!」
「なるほどな」未来の太閤殿。どうやらこの頃から、周囲の歓心を買うために限界を超えて金を配る「人たらし」の才能だけは、システム的に完成していたらしい。
「だって時泰様! 褒美を盛大に配れば、職人も足軽も皆、大喜びで儂に付いてきてくれまする!」
「そうだな」
「ですが! その代わりに儂の財布のライフがゼロになりまする!」
「そうだな。要するに、手元の現金が完全にショートしたんだな」
状況は痛いほど理解できる。前世の会社でも、勢いだけで拡大して資金繰りで行き詰まるケースを、平社員の特権で他人事のように眺めてきたからな。
……まあ、助けてやるかどうかは別問題だが。
もっとも、おれのうろ覚え知識が「今がチャンスだ」と告げていた。
ちょうど今、横井領では大規模な河川の整備(治水工事)を進めている最中だったのだ。
この地を流れる木曽川は、豊かな恵みをもたらす母なる川だ。だが同時に、一度怒らせれば手が付けられない「暴れ川」でもある。ひとたび増水すれば畑を呑み込み、堤防を削り、容赦なく領民の命を奪う。
治水こそ、戦国領主の最も大事なインフラ整備だ。幸い、この大事業には父上から十分な予算(開発資金)が出ているため、銭の心配は全くない。
足りないのは、とにかく現場で泥にまみれて動いてくれる「人手」だけだった。おれはニヤリと、ちょっと悪い平社員の笑みを浮かべた。
◆
こうして、藤吉郎と直属の部下十人は、横井領の増水対策工事(いわゆる治水ってやつだ)へと取り組むことになった。。
彼らがやることは、ひたすら土を運び、上流から流れてきた流木を片付け、崩れかけた堤防を補強すること。
全員、頭から爪先まで泥だらけになりながら働き続けた。何しろ時泰の……というより、おれが出させた父上の予算からしっかりとしたお給料が出るし、おまけに美味い飯まで支給されるのだ。働けば働くだけ美味いものが食える環境に、金欠に喘いでいた新入社員たちはみな大満足。現場のやる気は常に最高潮だった。
さらに数日もすると、現場監督を務める藤吉郎は、川で日常的に働く現地住民たちともすっかり顔見知りになっていた。
地元の漁師、そして材木を川下へと運ぶ筏師。すなわち、『川並衆』の面々だ。
■川並衆
木曽川や長良川周辺の流域を拠点に活動する、特殊な水運集団。自前の船を持ち、川の特性を知り尽くした彼らは、時には物流を担う商人として、また時には強力なゲリラ戦を展開する傭兵として、独自の勢力を築いていた。
藤吉郎は、その川並衆のゴロツキどもに混じって、毎日とにかく楽しそうにやっていた。
「おおっ! あそこの深みには、そんな巨大な魚がおるのか!」
「藤吉郎殿、気に入ったなら今度獲ってきて進ぜましょう!」
「おいおいありがたい! ついでに美味い酒も持って参れ、一緒に飲もうぞ!」
「ははは、こりゃ一本取られましたな!」
その日の仕事が終われば、河原で豪快な酒盛りだ。身分の壁など最初からなかったかのように、一瞬で地元の荒くれ者たちと馴染んでしまうあたり、やはり藤吉郎の「人たらし」のスキルは完全にバグっている。
そんなある日のこと。一日中、現場で泥まみれになっていた藤吉郎が、おれの屋敷へとやってきた。
「時泰様」
「なんだ、今度は銭の催促じゃないだろうな」
「いえいえ! ……いや、川というのは実におもしろいものでございますな。上流と下流で水の勢いがまるで違いますし、一見穏やかに見えても、浅瀬もあれば吸い込まれるような深みもございます。なにより、船をうまく使えば、馬や荷駄で陸路を行くよりも何倍も早く物資を運ぶことができる。実に勉強になりまする」
「……そりゃ良かったな」
おれは素っ気なく応じた。正直なところ、元システムエンジニアであるおれのスタンスとしては、「バグ(増水)が発生しなければコードの記述(工法)は何でもいい」のだ。川の流れがどうとか、深みの地勢がどうとかいう細かい現場の仕組みは、その道のプロに全部一任したいタイプだった。
だが、未来の太閤殿は違うらしい。
さっきから川の図面を見つめては、顎に手を当てて何かを深く考え込んでいる。その爛々と輝く目は、ただの治水工事ではなく、もっと別の「何か」を頭の中であれこれ妄想しているようだった。
(川を見るだけで、そんなに面白いものなのか?)
前世がインドア派の平社員だったおれには、彼が何を考えているのかさっぱり分からんのだった。




