第二十二話 桶狭間の戦い(その1)
清洲城の本丸。
織田信長は、丸根・鷲津の両砦から次々と届く伝令の報告を、鋭い眼光で受け止めていた。
「松平勢が大高城へ兵糧を運び入れました」
「松平勢の初撃を完全に退けました! 敵へ手酷い被害を与えております!」
「朝比奈勢が加わり、今川勢が攻め立てておりますが、両砦とも頑強に持ちこたえております! 敵方の死傷者は増える一方にございます!」
報告を聞くたび、みながざわめき立つ。信長は表情を変えぬまま、拳を固く握りしめていた。
(あやつら……やりおったか。あの少数の手勢で、今川勢を相手にここまでやるとはな!)
信長の胸の奥で、熱い炎が燃え上がっていた。
だが、無情にも時が迫り、最後の伝令が息を切らせて駆け込んできた。
「今川勢、総攻めにございます!! 佐久間様より伝言! 『予定通り砦に火を放ち、爆破を以てこれに応じる。』とのことです!」
その言葉は、佐久間盛重たちが、自らの命と引き換えに最後の舞台を整えたという合図でもあった。
信長はカッと目を見開き、一気に立ち上がった。
(盛重、しかと見届けた! お主たちの命、決して無駄にはせぬ。……今川義元、貴様の首を、盛重たちの手向けとしてくれるわ!!)
信長は床を力強く踏み鳴らし、居並ぶ家臣たちへ向かって大音声で吠えた。
「皆の者、出陣じゃぁぁぁ!!! 手勢を率いて、すぐさま熱田の社へ参れ! 遅れるな、儂が先陣を切る!!」
家臣たちが「応!!」と地鳴りのような勝鬨を上げる中、信長は愛馬へと飛び乗り、清洲城を飛び出していくのだった。
◆
熱田の社での必勝祈願を終えた信長のもとへ、息を切らせた物見の兵から緊迫した報告が上がった。
「今川勢の本隊、桶狭間へと入りました! 街道沿いの窪地に陣を張り、休息を取っております!」
「……で、あるか」
信長は低く応じ、不敵に笑った。
(義元の本隊は、およそ五千。佐久間たちが限界まで粘ってくれたおかげで、たやすく落ちると思われていた丸根・鷲津砦の朝比奈勢と松平勢の計五千は未だ本隊へ合流できておらぬ。他の各砦攻略へ向かった五千の兵もいまだ交戦中……!)
今川の大軍勢を切り離し、義元の本隊だけを孤立させる。
この千載一遇の好機は、時泰の策と、盛重たちの尊い犠牲によって作り出されたものだった。
(佐久間、飯尾、秀敏大叔父……。お主たちが命と引き換えに作り出してくれた勝ち戦じゃ! あの世からとくと見ておれ!!)
信長は腰の刀の柄に手をかけ、周囲に居並ぶ将兵たちを見据えた。
「桶狭間へ進軍する」
信長の静かで、鋭く通る声が、熱田の森に響き渡った。
◆
桶狭間へ向けて、雨を孕んだ曇天の下を急進する織田軍の隊列のなかに、前田利家と佐々成正の姿があった。
「利家、お主は今はまだ、織田家を勘当されて暇を出されている身であろう。勝手に戦に付いてきて、本当に大丈夫なのか?」
成正の問いかけに、利家は苦笑交じりに応じた。
「余計な気を遣うな、成正。わしにはもう、この戦で首級を挙げて挽回するしか、織田家に復帰する道はないんじゃ」
「それもそうか! それに、時泰が『利家はたぶん大丈夫だ』と言っておったからな。ならば本当に大丈夫じゃろうて」
成正の言葉を聞きながら、利家はふと胸の内で呟いた。
(確かに、なぜか時泰が言うと、本当に出来るような気になってしまう。不思議な男だ……)
その時、行く手の脇の田道から、突如として四百ほどの泥まみれの軍勢が現れた。
「貴様ら、今川の潜伏勢か!!!」
利家が即座に槍を構えて吠える。しかし、現れた軍勢の先頭に立つ男が手を振って叫び返した。
「待て! 我らは丸根・鷲津の守備兵じゃ! かねてよりの作戦通り、信長様の軍へ合流しに参った!」
「おおお、横井時延殿!!! 前田利家でござる! お噂はすでに聞いておりますぞ。今川の先鋒を相手に、これ以上ない大手柄であったと!」
利家が槍を引いて相好を崩すと、時延は苦渋の滲む笑みを浮かべて深く頷いた。
「うむ、かたじけない。しかし、多くの犠牲を出した……。これからが本当の戦じゃ。さあ! 共に桶狭間へ進もうぞ!!」
こうして丸根・鷲津の生き残り勢は無事に信長軍と合流を果たし、共に決戦の地へと向かった。
利家と成正は、作戦の立役者である時泰の姿を探したが、隊列の後方で酷く疲弊していると時延から聞かされ、今はそっとしておくことにしたのだった。




