第二話 新しい世界
「松丸様、お乳の時間ですよ」
はむ。
すっかり戦国の世にも(胃袋的な意味で)馴染んできたおれ、松丸。
生後三か月である。
もっとも、最初からすべてが順調だったわけではない。
目が覚めたら赤ん坊。しかも、夢だと思っていたあの女神との会話が全部ノンフィクションだったのだ。
現実を受け止めきれず、おれは転生直後に三日ほど知恵熱で寝込んだ。当時の父も母も大慌てだったらしく、おれの枕元から片時も離れなかったという。
その看病の間に聞こえてきた周囲の会話から、この世界の事情もだいたい把握することができた。
ここは尾張国。
横井家という国人領主の領地だ。父の名は、横井時延。織田家に仕える武士であり、赤目城の城主。つまりはお殿様だ。
そしておれ、松丸。そんな横井家の、まさかの嫡男(跡取り息子)に転生してしまっていた。(……女神様。徳の少なすぎるおれを、約束通りこんな裕福な家に生まれ変わらせてくれて、本当にありがとうございます)
まあ、いまの国力でできることと言えば、全力で乳を飲むことくらいだ。いくら前世のIT知識やシステムエンジニアの経験があろうとも、生後三か月の身体ではコードの一行すら書けないし、何の役にも立たない。将来のキャリアプラン(生き残り戦略)については、首が据わってから考えよう。
はむ。
◆
それから、さらに十年の歳月が流れた。
おれは病気にかかることもなく無事に成長し、ついに元服を迎えた。
授かった名は、横井時泰。
元服の挨拶(御目見え)を執り行うため、おれは父上と共に織田家の本拠・清洲城へと登城した。
この世界の織田信長公への、記念すべき初お目見えである。
だが、大名への謁見というのはとにかく待ち時間が長い。完全に暇を持て余したおれは、少し城内をぶらぶらと散策してみることにした。
すると、廊下の向こうに一人の足軽の姿が目に入った。小柄で、お世辞にも体格が良いとは言えない。だが、妙に目を引く男だった。
そして何より、その顔が、前世のどこかで絶対にお目にかかった記憶がある。
誰だっけな、と脳内の過去ログをしばらく検索して、ようやく答えにぶち当たった。
あいつ、織田裕二にそっくりだ。
いや、もちろん本人なわけがない。だが似ている。信じられないくらい激似だ。戦国時代に世界陸上のメイン司会者がいるわけがないのだが、似ているものはどうしようもない。
おれが廊下の真ん中で凝視していると、向こうも視線に気付いたらしい。
にかっと、やたらと白い歯を輝かせて笑いながら近付いてきた。
「時泰様、元服おめでとうございます!」
いきなり初対面で名前を呼ばれ、おれは目を丸くした。
「あ、ありがとうございます。……失礼ですが、貴方は?」
「これは失礼いたしました! わたくし、木下藤吉郎と申します!」
頭の回路が完全にフリーズした。
木下藤吉郎。のちの豊臣秀吉。天下人、太閤。
そして、織田裕二そっくり。
「……時泰様? どうか、なさいましたか?」
「いや……なんでもない。少し、驚いてな」
本当は少しどころではなく、心臓が飛び出るほど驚いている。まさかこんな城の片隅で、日本史の教科書に載っている超大物とエンカウントするとは思わないだろう。しかも、前世のステレオタイプなイメージと違って予想以上に爽やかだ。猿だのなんだの散々言われていたはずだが、普通に愛嬌があって清潔感のある好青年じゃないか。めちゃくちゃモテそう。
(イケメン爆ぜろ……!)とおれの脳内平社員が愚痴をこぼす。
「しかし、おれの名前をよく知っていたな」
そう尋ねると、藤吉郎は少し照れたように頭をかいた。
「織田家のことをもっと深く知りたくて、常日頃から色々な者と言葉を交わしておりますゆえ」
「色々な者?」
「足軽の仲間や門番、城内の小者たちですな。横井家の嫡男殿が本日登城されると小耳に挟みまして、ぜひお祝いを一言、と思いまして!」
なるほど。こうやって偶然を装い、一番話しやすそうな、元服したばかりの若造を狙って声をかけてきたわけか。実に抜け目がない。まあ、こういう草の根の根回しができるからこそ、のちに天下人まで登り詰めるのだろう。知らんけど。
その後、彼と少しだけ雑談を交わした。
とにかく話が上手いというか、懐に入るのが恐ろしく早い。こちらに余計な気を使わせない天才だ。
前世のめんどくさい取引先の営業マンも見習ってほしいレベルで楽だった。
別れ際には、「本日は実に楽しゅうございました! またお会いできる日を、心より楽しみにしておりまする!」と、満面の笑みで頭を下げられた。ただの社交辞令かもしれない。だが、こういう殺し文句を自然に、かつ嫌味なく出せるのは立派な才能だ。
前世の陰キャSEだったおれなら絶対に言えない。
あまりのコミュ力の格差に眩暈がしそうだ。
その後の信長様への元服挨拶は、驚くほどあっさりと無事に終了した。
無事というか、ずっと床に額を擦りつけて平伏していたので、殿様の顔など拝めるはずもなかった。見えたのは足元だけだった。
◆
さて。元服という一大イベントも無事に終え、おれはこの戦国時代の空気にもすっかり慣れてきた。
織田信長に、のちの豊臣秀吉(織田裕二似)。
日本史のツートップとこれだけ早い段階でエンカウントできたのだから、戦国ライフの初期ガチャとしてはかなり上位の引きをしていると思う。
だが、せっかく手に入れた二度目の人生だ。今度こそ言い訳をせず、やりたい事を全力でやり切るために、まずは何よりも、資本となる身体を強くしなければ始まらない。
「戦国時代のお侍様ですけど、体力ないんで走れません、歩けません」なんて、真っ先に戦力外通告だ。
すべての基本は足腰から。そう決めたおれは、領内のランニングと、高低差の激しい坂道でのダッシュを毎日の日課にした。
やってみて分かったが、元の世界の平社員時代とは、肉体の丈夫さがまるで違っていた。
おれ自身が転生者だからなのか、あるいはあの女神様が裏でサイレント修正(チート付与)でもしてくれたのか。どれだけ過酷に追い込んでも、筋肉痛こそあれ、関節や靭帯を痛めるといった「故障」を一切せずにトレーニングを継続できている。これは大きなアドバンテージだ。
もちろん基礎体力だけでなく、実戦のための剣や槍の鍛錬も、横井家のベテラン家臣たちから本格的な手ほどきを受けている。
この前なんか、手合わせの様子を見ていた父上から「時泰、お前には天性の才があるぞ!」と大真面目に褒められた。
前世で上司から一度も褒められたことのないおれとしては、シンプルにめちゃくちゃ嬉しかった。
今度こそ後悔しない生き方をするために。この新天地(戦国時代)では、自分の限界まで全力でやり切りたい。




