第十七話 丸根・鷲津砦の戦い(その5)
元康からの伝令が朝比奈 泰朝のもとを訪れていた。
「これより我が方、丸根砦へ攻め込みまする。時を同じくし、鷲津砦へ攻め込まれんことを、とのことです」
「うむ、しかと承った。
松平勢の動きに合わせるゆえ、まずはそちらから先陣を切られたし、と元康殿にお伝えくだされ」
伝令が去った後、朝比奈勢の家臣が口を開く。
「元康殿は、先刻の口合戦で相当にお怒りのご様子ですな」
「うむ、怒りに任せてあの砦を攻めようなどとは。まだまだ戦の経験が足りぬわ。
あの程度の煽りには、儂は簡単には乗らん。
良いか、我らはまずは囲むだけでよい。敵方の出方を見極め、攻め手を考えるとしよう。
あの不気味な口合戦を仕掛けてきた男の裏、何か別の罠を警戒せねばならん」
「ははっ! 承知いたしました」
◆
「これより砦へ攻め入る! 一兵たりとも逃すなッ!!」
「おおおおおっ!!!」
二千の松平勢が、雄叫びを上げて丸根砦へ襲い掛かった!
槍衾を先頭に、砦の登り口へと一気に突っ込む。
「な、なんじゃこれは! 聞いていた話とまるで違うぞ!」
なだらかだったはずの斜面は、崖のように削り落とされていた。
上るには、くねくねと折れ曲がった狭い一本道を進むしかない。
勢いのついた松平の兵たちは、その狭い山道を強引に駆け上がっていく!
しかし、どれほど大軍を送り込もうとも、その狭い山道はあまりにも狭すぎた。
先頭が立ち往生すれば、後ろがドミノ倒しのように詰まる。
角にある木柵の前で、動きが止まった。
そこへ。
ヒュンヒュンヒュンッ! と、矢倉から織田方の矢の雨が容赦なく降り注ぐ!身動きの取れない松平勢は、格好の的だった。
たちまち大混乱に陥る。
必死に崖をよじ登ろうとする兵には、上から煮えたぎる油がぶちまけられ、弓矢で次々と射落とされた。
半刻が経った。だが、一歩も砦に近づけない。
ただ、味方の死体の山だけが積み上がっていく。
「ええい、引け! 一旦引くのじゃーーっ!!」
◆
丸根砦の陣中。
織田方の将、佐久間盛重、横井時延、飯尾定宗、織田秀敏の四人が、泥まみれの顔で膝を突き合わせていた。
「ハハハッ! 見ろ、松平のやつらめ! 面白いように引っかかりおったわ!」
飯尾定宗が、砦の隙間から下を見下ろして大笑いする。
そこには、狭い一本道で大混乱に陥ったり、斜面を登ろうとしたりして、次々と射落とされていく松平勢の無残な姿があった。
「盛重殿の策が嵌まりましたな。事前に斜面を削り落としておいて大正解だ」
横井時延が、満足げに深く頷く。
(ふっふっふっ、ほんとは時泰の策なんじゃ)
守将の佐久間盛重は、ニヤリと笑みを浮かべた。
「ふん、松平め、口合戦で少し煽られただけで、周りも見えずに突っ込んできおった。青二才が、まんまと罠にかかりおったわ」
(それにしても、時泰がやった煽りは傑作じゃったわ。思い出すだけで笑えるわ!)
そこに、織田秀敏が引き締まった表情で言葉を挟む。
「だが、敵は二千。まだ油断はできぬぞ。元康の背後には、今川の朝比奈勢も控えているはず。奴らが動き出せば、この砦とて瞬く間に呑み込まれるぞ!」
「わかっておる。矢をケチるなよ! 登ってくる奴らは全員、崖の下へ叩き落としてやれ!」
盛重の鋭い一喝に、将たちの士気が一気に跳ね上がる。
「おうッ!!」
織田方の守備兵たちが、さらに勢いづいて矢を放ち始めた。
◆
side 時泰と藤吉郎。
「時泰様,松平勢が攻めてまいりました!」
「朝比奈勢はどうした?」
「はっ! 朝比奈勢は鷲津砦を包囲したまま動いておりません。」
(なるほど、元康のようには煽りにのらないか。さすが朝比奈!おれが知っている有名武将だけあって、簡単にはいかないな)
「では、丸根砦側を中心に守るぞ!矢を切らさないように気をつけろよ。あと、焙烙玉はまだ使うな」
「ははっ!」
佐久間様を始め、織田方の将は経験豊富なだけあり的確に指示をしている。だが、その実動指示を受けて動く藤吉郎の動きは、凄まじかった。
横井領の訓練施設で鍛え上げた兵たちを巧みに操り、矢玉の補給から進退の差配、疲弊した兵の入れ替え、さらには押し込まれそうになった前線への怒号のような鼓舞まで、すべてを一人で完璧にこなしている。
こいつの頭の回転はどうなっているんだ。
これが、未来の太閤秀吉か。
(勝負は、朝比奈勢が攻め込んできた時だ。そこからいかに耐え抜くか。作戦の成否はそこに懸かっている)




