第5話
もう森は夜と言っても差し支えないほど暗くなっていた。
実際は日が落ちかけている頃だろうけど、高くそびえる木々が自分たちのものだと言うようにそれを隠す。
足下はもうすっかり見えないため、全力疾走で疲れ切った脚を使って先を探りながら転ばないように気をつけて歩き進む。
日の消えた森は風が吹くと少し肌寒いぐらいには気温が下がっていた。
早く夜営の準備をしなきゃ。
……夜営ってどうすればすればいいんだっけ?
思い出そうと考えてみるけど、頭がほんやりとする。
必死に考えても真っ白になる。
いや戻されるって言った方が近いかもしれない。
どうしよう、とりあえず進んで、洞窟かどこかで火を着けて、そして周りに食べれそうなものでもないか探したらいいのかな。
何もわからないけどとりあえずやってみたら案外パッと思い出すかもしれない。
物は試しだ、やってみ……
───────バキッ!
大きな破裂音のような音がそんな緩んだ思考を切り裂いた。
静かな暗い森を何かを砕く高い音が広がる。
目覚めたリシアと顔を合わせる。
「今の音、まさか。……ね?」
少し笑って誤魔化してみるけど、自分に嘘はつけなかった。
不思議なもので、ぼんやりしていた頭でも、最悪の事態についてはすぐに予想できてしまう。
でもそんなことは考えたくなかった、認めたくなかった、受け入れたくなかった。
だけど、振り向くしかなかった。
確かめるしかなかった。
背後の暗闇の中には赤い二つの光があった。
そしてリシアが魔法を発動していた時の、あの悪魔の気配。
暗さも相まって森の空気ががらりと変わった。
「嘘でしょ……!アイツ、『黒き帳』を……!」
リシアには何が起こっているのかが見えたようだ。
見えなくとも僕にもわかった。
多喰らいはリベルロ・ニゴレスを食い破ったんだ。
その持ち前の貪食ぶりは、魔力を振り縛って作った結界をも腹の足しにしてしまうほど強大だったんだ。
そして喰らった悪魔の力を自分のものにした。
考えうることの中で最悪の事態だ。
ヤツはただの大きなイノシシではない、それは理解していたけどここまで想定外の力を持ってるなんて……。
「アイツは一体何者なんだ……。」
「アルタス、アタシを置いて早く逃げて!今の『多喰らい』はもうただの魔物じゃない!」
腕の中からリシアは力を振り絞って全身で叫ぶ。
どうすればいい?
時間はない、すぐ考えて、すぐ動かないと。
この手には動けなくなったリシアを抱えている。
当然置き去りになんかにできない。
じゃあこのままリシアを抱いて逃げる?
いいや無理だ。
何も見えない森の中を、疲労した二人が悪魔の力を付けたアイツから逃げ切れるわけがない。
正面から戦うなんてもっと不可能だ。
第一それができたならこんなに逃げまわる羽目になっていない。
……ひとつ策を思いついた。
多分最前策とは言えない、付け焼き刃なものだ。
だけど、これしか今二人が助かる方法を思いつかない。
僕はリシアをそっと地面に置いた。
「そ、そうよ。それでいいの。アタシに気が向いている間アナタは少しでも遠くへ……」
「違うよリシア、囮になるのは僕だ。」
「!? 今なんて!?」
「実はさっきリシアの魔法を見た衝撃で戦い方を思い出したんだ。だから、僕がヤツの気を引き付けて戦うよ。」
「何言ってるの!そんなの嘘よ!多喰らいは今悪魔になろうとしてる。仮に思い出したとしても、流石のアナタでもアレと1人で戦うのは危険すぎる!」
「死ぬつもりはさらさらないよ。ただ、もし、もしもだ。朝になって動けるようになっても僕が戻って来なかったら。その時はリシア、君一人で行ってほしい。」
「そ、そんなこと出来る訳……」
「君は自分の危険を侵してまで、僕を助けてくれた。それが君自身のためでも僕は救われた。だから次は僕がリシアを助ける番だ。どうか僕のことを信じて待ってて欲しい。」
「……っ。絶対に帰ってくるのよ。信じてるから。」
何かをグッと押し殺すようにリシアは言った。
僕の作戦、理解してくれたのかな、それでももう諦めてしまったのかな。
でもどっちでもやることは変わらない。
「もちろん。任して。僕は勇者……そう!勇者なんだから!」
とびっきりの笑顔で、自信満々にリシアにそう言った、つもりだ。
剣を抜き、不格好に構える。
バレてるかもしれないけど、戦い方を思い出したって言ったけどあれは嘘だ、本当は何も思いてしていない。
そうでも言わないと優しい彼女は、きっと自分のことなんて考えず無理してでも止めるはずだ。
リシアには魔神討伐という立派な目標がある。
あの時の彼女の表情を見る限り、人一倍何か思い入れがあるはずだ。
それならば彼女が生き残り、特に何もない僕が危険にさらされた方がいい。
破砕音がおさまり、悪魔の気配がいっそう強まる。
結界を食べても腹はまだ満たされないらしい。
赤い光がゆらりと動き、こちらと目が合う。
目が闇に慣れてきて、少しながらあの岩のような姿が見える。
空気の流れが変わる。
ヤツが動く。
さあ来い!どこまでも逃げてやる!簡単には食べられてやらないぞ!
意気込んだのも束の間、突如として闇の中から感じていた気配が想像していたより遥かに強く歪む。
リシアが魔力を貯めていたあの時と同じ感じだ。
いや、あの時よりも……。
まさか、アイツ……!
気がついて走り出したときには遅かった。
「ううっ……!か、体が……。」
とても立っていられず地面に膝をついてしまう。
気配は体を蝕むようにまとわりつく。
大きな何かに押しつぶされているようで体の自由が効かなくなってくる。
体だけじゃない。
頭がぐわんぐわんと回っているようで、何も考えられない。
視覚、聴覚、その他の感覚も上手く感じ取れず、周囲の状況が把握できない。
それでももがくと周りに見覚えのある薄い壁が形成されているのがわかった。
これはまさか、りべるろ・にごらす……!?
自分が閉じ込められた魔法も僕に施してるのか……!
こんなすぐに魔法を使いこなすなんて……。
それでも立とうと、杖のように剣を地面に突き立てる。
気力だけは失うわけにはいかない。
何とかして走り出さないと……。
何とか顔を上げる。
その視界に写ったのは、大きく開かれた口だった。
何も、できなかった。
すぐそこまで来ていたことすらわからなかった。
これで終わりなんだな、と全てを察する。
こんなバケモノから走って逃げて時間を稼ぐなんて、なんの力も持ってない僕にはやはり無理だったんだ。
勇者だったからって少し調子に乗りすぎた。
弱気でな考えばかり浮かぶ。
大きな口はだんだん近づいてくる。
この一瞬、まるで時間の流れがゆっくりになったようだ。
ああ、せめて、せめて記憶が戻っていれば、戦い方を思い出せていたら……!
そんな後悔で終わりか…………。
リシア、ごめんね……。
アア、ナント惨メナ姿ダ
だ、誰!?
止まっているように感じた時の中、誰かの声が頭の中に聞こえてくる。
我ノコトモ忘レタトハ、本当二貴様ニハ何モ残ッテナイノダナ
我のことって、もしかして知り合いなの!
僕のことを知っているの!
コンナ獣如キ二何ヲ手コズッテイル?
ソレデモ王ノ資格ヲ得タ者カ
こんな獣って、アイツはもう悪魔、記憶を失った僕には強すぎたみたいだ。
それより王の資格って何?
『力』ヲ求メヨ
ち、力……?
ち、ちょっと待って。
何が何だかわからないことだらけなんだけど……。
ソンナ時間ハナイ
スグ二我二『力』ヲ求メヨ
ソシテ受ケ入レロ
その声が聞こえた後に何か強い力が全身を巡り始める。
だけどそれは同時に苦痛を伴う。
どこか悪魔の気配に似ているような気もする。
体の中心から腕、脚、指先、目、頭まで蝕んでいくのを感じる。
本能で感じる、この力は危険だ。
この力に身を任せたらダメだ、体が持たない……!
マダ拒ムノカ?
今ノ貴様二選択肢ハナイ
ソウダロ?
だけど、だけど、だけど……!
体が、苦しい……!
多喰らいの魔法なんて比べ物にならない!
まるで自分でない何かが僕を食い破ってくるような感じだ。
自分が自分で無くなっていく!
やめろ!来るな!
苦しい、苦しい、苦しい!
のどには悪魔を詰められて、頭の中は焼け、手足がちぎれるようだ!
やめてくれ!こんなのなら『力』は欲しくない!
シカシ『心』ハソレヲ求メテイルヨウダゾ?
コノ『力』の素晴ラシサヲ忘レタノナラ、思イ出サセルマデダ
嫌だ!僕を奪わないで!苦しい!苦しい!
苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦し……………………………………
……随分ト手間取ッタガ、マァイイ
マズハ質問ダ
貴様ハ誰ダ?
僕は……僕は……オレは……。
オレは、アルタス……。
今ノ貴様ノ望ミハナンダ?
多喰らいから……助ける。
誰ヲ助ケルノダ?
それは……命の恩人。
とても優しく……自分の危険も顧みない……勇気ある人……。
人……?
誰だろう……。
フフ、イイ、イイゾ!
ヤハリ『心』トハ奥深イモノダ
貴様ノソノ『心』カラノ強クマッスグナ思イ、確ト受ケ取ッタ
『■■神』ノ名ノ元ニ『力』ヲ貴様二与エヨウ
サァ行クガイイ!
舞台ハ整ッタ!
ソノ『力』デ全テヲ支配シ、思イ知ラシメルノダ!
貴様ガ王デアル証ヲ、貴様ノ王タル所以ヲ!
新タナ秩序ヲ生ミ出セ!
オレが……王である証、王たる所以……。
ソウダ
ココニアル全テヲヒレ伏セサセロ
貴様ガ秩序ノ王ト為レ!




