遭遇
巴桜に挑まんとする、海を越えて先に住まう異邦の豪傑たち。彼らがもたらす波乱の風は、強く、激しく、巴桜に吹き荒ぶことだろう。
巴桜の湾岸部は、リゾートビーチがあったり、水中訓練施設があったり、港湾があったりと、さすが巴桜という施設が豊富に存在している。そんな湾岸部が、なにやらざわざわしているので、忍はプール授業の帰りに、湾岸部に立ち寄った。どうやら、遥か遠方の洋上学園都市からやってきた学生たちが、港湾エリアで点呼を取ったり、巴桜の生徒と交流するなりしているらしい。
人混みでその海外の学生たちの顔が見えないので、忍は港湾エリアのすぐ近くにある丘に登り、双眼鏡で見ることにした。
「本当に外国人だな……。」
人混みの向こうでは、四つの団体が各々違った行動をしていた。ヨーロッパ風の顔立ちの団体は整列して、金髪のリーダーらしき青年の話を聞いている。アジア風のグループは、仲間内で談笑している。白人や黒人が入り混じったグループも談笑しているが、こちらはそれだけに留まらず、サッカーやトランプゲームなんかに興じていた。
「いやいや、来るなら宿舎が用意されてるだろうに……そこでやれよ。」
そしてもうひとつ、どの学生も顔から表情が消えているグループ。彼らの様子を見ようとした時だった。
「主。」
双眼鏡に、突如黒曜石のような瞳が映り込んだ。忍が双眼鏡を目から離すと、やはりと言うべきか、そこには氷唯が、逆さまになって木の枝にぶら下がっていた。
「……何の用だ。」
「此方。主。芳香。参上。次第。」
「……お前確か主が自分のことを信頼に値する人物だと認めるまでは、普通にしゃべることを禁止されてるんだっけか。」
「肯定。」
「俺……充分お前のこと信頼してるつもりなんだけど。普通にしゃべってもらえないかな……?」
そこで、氷唯は気恥ずかしそうにぶらぶらと揺れると、ぽつりとその真実を告げた。
「……拙者。話術……忘却。」
「……は?」
そこで、氷唯はゴホンと一つ咳ばらいをし、声高に言い放った。
「『真性化』!」
瞬間、氷唯の瞳がアメジスト色に輝き、マフラーも同系色に染まる。
「申し訳ありません、主……。生まれてこの方、ほとんど話術を使ったことがなくて……。一応里にいたころに一般社会で使える勉学は一通り頭に叩き込まれたのですが、人間使わなければ忘れていくもので。」
「いや、じゃあどうして真性化すると使えるんだよ。」
「それはわからないのですが……イヨリ殿の言葉を拝借するならば、『真性化による脳の活性化じゃないっスかね』と。」
「完全に忘れたわけではないってことか……。」
「しかし……。」
氷唯はそこで一旦地面に降り、しゃがむ忍の隣にちょこんとかがんだ。
「主は私のことを信頼してくださっていたのですね……!」
希がいないことを良いことに、忍の肩にぐりぐりと頭を擦り付ける氷唯。そのあからさまな好意に、忍は微妙な表情をしながら、また双眼鏡を覗いた。一通り教師による点呼やリーダー格のスピーチが終わったらしく、四つのグループは各々港湾エリアを後にしていた。その中の、表情がない一団の方を注目する。
「あれは噂に聞くロシアの能力者育成学校、『カンプォス』の選抜グループですね。」
「何で俺が見ているのがあいつらだってわかるんだよ……。」
「ふっふっふ、主のことは何でもお見通しです!」
そう言って胸を張る氷唯を見て、忍は不覚にも可愛いと思ってしまった。また双眼鏡に目をくっつけ、そのロシアの選抜チームを眺める。
「一切表情が無いな……。」
「『カンプォス』はロシア国軍直営の能力者育成学校だと聞いています。おそらく学生たちも軍人の卵なり本物の軍人なりなのでしょう。」
「軍規を守ってしっかり行動しましょうってか……。」
一切の乱れなく、足並みも歩幅も揃えて行進していくロシア選抜チームが丘の下の道を通って去っていくのを、ぼんやりと眺めていた時、ふいに氷唯が鋭く声を上げた。
「主、危ないっ!」
その瞬間、真性化の影響で氷唯の意志のままに動くようになった彼女のマフラーが忍の視界を遮り、忍の眼前でぴた、と止まった。その指のように分かれた先端部分には、一振りのナイフが、忍に刃を向けられた状態で挟まれていた。
「ッ!?」
「あの先頭にいた金髪の女性が、主目掛けてこのナイフを飛ばしてきたもので……。」
ロシア選抜チームの先頭を見れば、確かに少女が、氷唯が受け止めた物と同じ作りのナイフを、袖の中に仕込んでいるところだった。
「……如何いたしますか。」
ナイフを捨てると、いつでも跳び去れるような体勢になる氷唯。その剣呑な表情の彼女に落ち着くよう言って、忍は伊予理に連絡を入れた。
『カンプォス』学生用に用意された宿舎の一室で、エレオノーラは、校内専用サイトを閲覧していた。各国から視察が来るためか、校内専用といえど数か国語の翻訳版が用意されている。
「シノブ・イマガワ……。」
そうぽつりと呟いた言葉に反応したのは、彼女の副官、クラーラ・ダニーロヴィチ・メレミャーニナという白髪の少女だった。その腰まである長い髪を揺らし振り向くと、エレオノーラに質問する。
「なぁに? 気になる子でもいた?」
「気になるな。アタシの部下がアタシに忠実なら、このシノブって野郎は人為的に造られた能力者だって話だ……それも、能力のもとになったのはバケモノ共のお姫様だってよ。」
「ふぅ……ん。」
同情しているのか無関心なのか、クラーラは鷹揚な返事をした。
「ラールシュカ、お前バケモノと戦ったことはあるか?」
「ないわ。」
「最高に強いんだ……能力者ひとりじゃ絶対に太刀打ちなんてできねぇ……! アタシぁ気分が高揚したぜ! あれはフォースナイトの生徒共なんて比にもならねぇ! アタシぁあぁいう奴らと殺りあいてェんだよ……! そのトップ……姫さまの力を持ったガキだと? 気にならねぇわけねぇよなぁ……!」
クラーラはやれやれといった表情で、提言する。
「そんなに気になるなら直接会ってきたらいいじゃない。何かいい話が聞けるかもよ?」
「お、そうだな!」
「エレオノーラ・マルティノヴィチ・ヤスクノヴァ……。フォースナイト洋上独立国家学園のロシアエリア統括施設兼能力者育成学校『カンプォス』の現生徒会長っスね。能力は……あら、まさかの無能力。」
第三予備棟三階の一室、『ISMセンター』で、忍は希、氷唯と共に伊予理の話を聞いていた。なお、希はいつも通り爆睡中である。
「まぁ、巴桜と違ってあちらさんは魔術師育成にも積極的に取り組んでいるわけですし、おそらくヤスクノヴァ女史も魔術師なのでしょうね。」
「魔術師だと?」
「あら、ご存じありませんか、センパイ?」
「知らん。」
「『真性化』!」
「うわびっくりした!?」
氷唯の短い宣誓に、一瞬吃驚する忍。
「というかお前何回真性化してるんだよ! まさか、能力いつも解放してるのか!?」
「いついかなる時も能力を解放しておかねばいざという時、主をお守りすることができないではありませんか!」
「はぁ……。わかった。で? 何がしたかったんだ?」
「魔術師とは何たるか、不肖この冬竹氷唯が僭越ながらご教授させていただきます!」
「なんだ、珍しくハイテンションだな。」
ふすん、と鼻息も荒く、氷唯はISMセンターの奥にあったホワイトボードを引っ張り出し、その前に仁王立ちになった。忍は聞きやすいよう、伊予理共々正座で氷唯の正面に座る。
「この世界の八割は能力者となった現代、無能力者はその正式名称をもじって『無能』と呼ばれるまでになってしまいました。そんな無能力者の人々が編み出した技術が、『魔術』なのです。進化の過程で私たち人間の内臓に備わった『力臓』と呼ばれる器官から生み出される『素力』によって能力者はその破格の力を顕現させているわけですが、無能力者にも力臓は存在します。よって、素力もあります。つまり、能力は使えなくとも、万物の情報を読み取ったり模倣したりする力はあるというわけです。まぁ、そこまでくればあとはご察しの通りと申しますか、数々のプロセスを経て素力を疑似能力として展開する技術が、『魔術』です。それを扱うのが、『魔術師』。我々忍びの者も、ある意味では『魔術師』なのです。私はあまり忍術は得意ではありませんが……。」
そこまで言い切り、氷唯はそのアメジストのような瞳を輝かせ、ぐいっと忍に迫った。
「すごいでしょう、『魔術師』!!」
「お、おう……。」
忍はその気迫に押され、顔を引きつらせた。
氷唯の解説が終わると、テーブルの上のノートパソコンに戻ろうと伊予理は立ち上がる。足がしびれたのか一度体勢を崩し、テーブルを支えによろよろと姿勢を正し、ノートパソコンのホログラムディスプレイを忍の手元に飛ばす。そこには、ロシアの内戦における数々の将校の武勲が記載されていた。
「ロシア革命軍と国軍の内戦において、ヤスクノヴァ女史は三度革命軍基地を占拠し、ロシア皇帝から銀翼十字勲章を受けています。そのこともあってか、十八歳の若さで大佐に就任している、軍事方面ではかなりの実力者のようっスね。」
「どれもあまり正々堂々とした作戦じゃありませんね……。」
「ロシアは何でそんな若いうちから軍人になれるんだ?」
忍の疑問に伊予理はハァ、とため息をつき、一枚のグラフ画面を忍に見せた。
「世間一般に興味のない私でも知ってることっスよ……。これはロシア新帝国のここ十年の平均寿命の推移グラフっスす。」
「うわ、かなり低いな。」
「ロシアは五年前に、総面積が国土の半分にも及ぶ異界への扉が多数出現していることから、継続的に異形が吐き出す息に含まれる未知のウイルスによって平均年齢が低下傾向にあるんス。ちなみに今でも完全に大気の浄化は完了していません。」
「ロシア国内のほとんどはガスマスク必須なんでしたっけ。」
「氷唯よりも常識に疎いってなんか屈辱だな……。」
「むしろ主より私の方が色々知っていると思われるのですが……。」
「……。」
がくり、とうなだれる忍の前で、伊予理はひとつの情報を見つけ、その目を見開いた。
「……センパイ、これ。」
伊予理が飛ばしてきた画面は、ロシア国内で販売されている月刊新聞の一面だった。画面設定から日本語に翻訳すると、忍も伊予理の驚愕の意味を知った。
「……これは……。」
そこにあったのは、『ヤスクノヴァ陸軍大佐による人工能力者にまつわる研究』についてのコラム記事だったのだ。どうやら、エレオノーラは人工的に異形のウイルスを用いた人工能力者を開発しようとしているようだ。
「詳しくは書かれていませんが……。ちとロシアの国軍情報統制局のコンピューターにハッキングしかけてますね。」
「おいおいおいおいおい!!?」
流れるように伊予理は教室奥の巨大コンピューターの前に座り、何やら始めた。
「あ、数時間で済むモノじゃないんで帰ってもらったほうがいいっスよ~。」
「いや、そうじゃなくてな!?」
「イヨリ殿、主は『しれっと国軍情報統制局のコンピューターなんかにハッキングしかけてんじゃねぇよカス、外交問題に発展したらどうするつもりだボケ』と言いたいのですよ。」
「いやそこまで口悪くはねぇよ! 人の声勝手に使うな、気持ち悪いわ!?」
「失礼しました。」
「でも言いたいことはその通りだ、なんてことしてんだお前!」
そこで伊予理はぴたりと手を止め、振り向かずに言った。
「ロシア国軍の考え方準拠でヤスクノヴァ女史の今後の行動を予測すれば、センパイの身に危険が及ぶのは明白です。私の人生に灯りをくれたセンパイの身の危険を守りたいのは、ヒイちゃんさんだけじゃないんですよ。」
伊予理はしっしと手を振り、忍は困惑したまま、希を抱え、氷唯を引き連れて教室を後にした。
その夜、ほぼ眠っている希の体を洗っていた忍の携帯が音を立てた。
「はい、もしもし。」
「センパイ、戦闘準備を!」
「は?」
その瞬間、忍と希の部屋の窓ガラスが、盛大な音を立てて割れた。そこから現れたのは、軍服デザインの制服を身にまとった、ひとりの金髪の少女。
「――よぉ、お前がシノブ・イマガワか?」




