退学ー4
「物騒なこと言うもんじゃないよ。ミスター・ベック」
「……聞いてたんですか、ブラウン先生。お体は大丈夫なんですか?」
トイレに入ってきたのは、昨日急病で講義を休んでいたブラウンだった。
全開にしていた蛇口を閉めて、ハンカチを手に取る。
「この通り大丈夫だけどね。君の方こそ大丈夫か?」
手を拭き終えてブラウンの方に向き直る。
ブラウン。病弱な体質でよく講義を休む人だ。身長、体格と色々含めてベンクトよりも小さい印象を受け、第一印象はあまり良くなかったように思える。
しかしながら、その腕に間違いはない。特に魔法防衛分野においては実戦で何年も指揮を執っていた凄腕と聞く。魔法知識はもちろん、実戦で培った知識も半端じゃない。
「まあはい……いえ」
「どっちなんだ」
言い切ったように見せかけて歯切れの悪い返答をしたベンクトを、ブラウンは笑い飛ばした。
「聞いていたんなら、分かってるんじゃないんですか?」
「さあね。それに噂みたいな面倒ごとはシャットアウトしているからなぁ――ま、想像に難くないが……私への情報共有も兼ねて、一度口にしてみたらどうだ? 案外心がすくぞ」
確かに、今だって抑えきれない感情が口からこぼれてきた。ブラウンの言うように一度言葉にしてみるのも悪くないだろう。
「昨日、先生の代理で来た講師については知ってますか?」
「ん? ああメレン・ゴッドスピード……だったか。彼女がどうした? 何か言われたのか?」
「ええ、俺達は無能なカスの寄せ集めだそうです」
用を足しながらそのことを聞いていたブラウンはまたひと笑いした。
「笑うなんて酷いですね」
「いやすまん、ついな――しかしまあ、それで『あのクソ女』か。確かに『次に会ったらただじゃおかない。ほんっと頭に来る』って言いたくもなるな、ハハッ」
「……」
やっぱりあまりいい人じゃないのかもしれない。第一印象というのは大事だ。
これ以上心を逆撫でされたらたまったものじゃないので、さっさと踵を返してトイレから立ち去る。
だが、
「彼女なら、今日は教員課に来ているぞ」
と言われてしまい、その足はドアの前で止まった。
「講義の謝礼を受け取りに来ているんだ」
「ほんとですか?」
「嘘吐いてどうする。けどな、あまり彼女に関わるなよ、ああ見えてかなり怖い女性――」
トイレを飛び出した。来た道を戻って、ピロティーへと走る。
「おい! もうすぐ開講だぞ! というより今言ってたこと聞いてないだろ⁉ あと廊下を走るな!」
背後でトイレから出てきたブラウンが叫んでいる。
「そっちこそ、手は洗ったんですか? あとそこ学生用トイレですからね!」
開講五分前。ここからA棟までは五分以上かかる。遅刻は確定だ。
けれど、そんなことはもうどうでもよかった。
何故なら、自分は元々落第生で遅刻なんて痛くも痒くもないからだ。
何故なら、今は講義を放り出してでも会いたい人がいるからだ。
そして、きっと――
この時点で防衛院を辞めようと決心していたからだ。




